第20話 「黒の祝詞」

「あぁ……。我らが御主おんあるじよ……」


 暗い、数本のロウソクの灯りしかない室内のほとんどは闇に包まれている。

 動物の剥製や頭蓋骨、奇妙な肉片の入ったホルマリン浸けの瓶などが所狭しと並ぶその部屋は、その声の主にとって大切な儀式の場所だった。


「あぁ……。御主よ、御主よ、御主よ……」


 不気味に捻じくれた骨が置かれた簡易な祭壇の前に、全身を黒いローブで包んだ人物が跪いている。

 ローブから漏れる、年老いた女の物と思しき呟き。

 それは次第に熱を帯びていき、やがて狂気を孕んだ祈りの言葉に変わっていった。


「畏れ多くも奉りし 我らの真の御主よ

 世の理の外に座す 全ての天の御主よ

 どうか我ら人の子の 積み重ねし大罪を 御主の名の下に 清め 祓い 滅ぼし給え

 どうか我ら人の子の 築き上げた営みを 御主の名の下に 清め 祓い 滅ぼし給え」


 両手を高く掲げ一心不乱に祈り続けるその様は、まさしく敬虔な信徒の姿だった。


「我らの主は 今 来ませり

 偽りの 永劫の 牢獄から

 再臨の時は 今 来ませり

 全ての 生命を 貪るため

 滅びの時は 今 来ませり


 あぁ……! 我らが世界の御主よ!」


 感極まったように、震える手。

 ローブの中の瞳は決して常人には見えない、いや、見てはならない何かを映しているのだろう。


「どうか、どうか……! どうか、世界を滅ぼし給え! 我らの世界を滅ぼし給え! 我らが神よ! 忌まわしき黄衣こういの……!」


いいやナイン。滅びが来るのは貴女だけさ、ご老人アルテ・ロイテ


 黒ローブの老女の背後、その部屋の唯一の扉が開け放たれる。

 そこに居たのは、黒いスーツに黒いネクタイを締めた金髪碧眼の美男子。ヨハネス・フォン・ヴァイセンベルクだった。


「こんな何でもないビルの地下に“儀式場”を作っていたとはね。お陰で探すのに苦労したよ。この国では信仰の自由は保証されているけれど、人の世に存在してはならない邪教と来れば話は別だ」


 始末させてもらうよ、と口振りは軽いが、ヨハンの目には確かな殺意が込められていた。

 と、《土蜘蛛》の糸が黒ローブの人物に巻き付いていく。


いぬが……、痴れ狗風情が我らの神を愚弄するか……」


 ギリギリと。

 全身をキツく締め上げられていくのを意にも介さず、黒ローブは言葉を紡ぐ。


「愚かじゃ、愚かじゃ、愚かじゃ。やはり、滅びねばならぬ。我らは皆、滅びねばならぬ。偉大なる御主の手によって。深き闇の底から、二度と這い上がれぬように。もう二度と、生命など産まれることのないように」


「それが貴方の願いか。哀れなことだよ。同情はするけれど、容赦はしない。……我が友のためにもね」


 ヨハンが《土蜘蛛》を操作し、黒ローブの人物を斬り裂こうとしたその瞬間。


 ドロリ、と。

 黒いローブが、その中身ごと


 標的を失った糸が、ドロドロと溶けていく人間だった物と共に床の上に落ちていく。

 異常極まりない光景を見ても、ヨハンは眉一つ動かさなかった。

 だが。

 赤黒い粘液が染みとなり、完全に生き物の気配がしなくなったのを確かめると、大きく溜息をついた。


「……ハァ。やれやれ。我が友よ、此度の敵は中々に厄介なようだよ」


 我が友はそろそろ学園に着いた頃かなぁ、なんてことを考えながら。

 十束剣テン・カウントの序列第7位。【惨状たる感情キリング・キング】の二つ名を持つヨハネス・フォン・ヴァイセンベルクは、静かにその場を後にするのだった。




* * * * *




「よし。あらかた片付いたな」


 聖アルブス学園。そのグラウンドにて。

 目についた魔物を片っ端から《ダンス・マカーブル無限マシンガン》で薙ぎ払い、とりあえずの安全を確保した。

 グラウンドに生きた人間の姿は無かった。……人だった残骸は転がっていたけど。

 ゆっくりと校舎へ近づいた後、《バヤール》から降りて巨大な白亜の建物を眺める。

 この何処かに艶小路あでのこうじのお嬢様が居るのだろう。まだ生きていれば、だが。


「……ん?」


 4階建ての校舎の最上階。とある教室に2人の人影が見える。

 暗くてはっきりと判別できないが、多分、女子生徒かな? 片方が、何かを振りかぶって……


 ヒュッ!


 トスッ!


 何かが、僕の足元に刺さった。

 ……え? 刃物かなんか投げられたの? 暗いとは言え、僕にも見えない速度で? 最近の女子高生、怖過ぎない?

 恐る恐る目線を下にやれば、そこには地面に半ば埋まった小さな手帳のような物があった。


「……」


 無言で手帳を引っこ抜く。いや、ツッコミどころが多過ぎてどこからツッコんでいいのやら。

 土で汚れたそれをペラペラとめくって、最後のページ。

 そこには、派手な見た目の女子生徒の写真。

 名前欄には、艶小路 咲弥と書かれていた。

 マジか。生きてたよ、お嬢様。

 2人の人影に向かって大きく頷いてやる。声を出すと魔物が寄ってくるかもしれないしな。

 さて。

 探す手間が省けたぜ。




* * * * *




 ?????のナイトメア☆ガゼット


 第20回 『御主』


 “おんあるじ”と読むが、本来は“おしゅう”が正しい模様。

 意味は、自らの主。いわゆる御主人様。

 悪夢の世界において、信仰の対象となっている者。詳細は調査中。続報を待たれたし。


 恐ろしく邪悪な存在ね。それこそ、神を名乗れる程に強大な。

 人の身で立ち向かうのは、まさしく無謀ね。

 ……ただし。もしも、打ち勝つことができたとしたら。

 その人間はきっと、途方も無い力を得るでしょうね。“神殺し”の烙印と引き換えに、ね。

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