第二話 「まずは衣を」

「首が、回せ……る」


 せいぜい二度くらいしか回せなかった首が、三百六十度回転できるようになっていた。 

 それで左右を見ると、真っ二つに割れた巨石が転がっていて。


「手が……」


 開きっぱなしだった手が動かせるようになり、何百年かぶりに握り拳を作れた。

 前回飢え死にしてから一週間近く経つので体はかなり固くなってしまったが、手も足も何不自由なく動かせるようになっているではないか。

 

 俺は解放されたのだ!

 

「信じられ、ない」

「それはこっちのセリフだ! オジサン、アンタ一体ナニモンだ!?」

「まさか、石の神様……ですか?」

 

 よく見ると二人は、所々につぎはぎのある服を着ている。貧民なのだろうか?

 いや、俺の服だって経年劣化が激しいから何も言えないな。

 何万回と石に擦り付けたせいで上下揃って紙のような薄さになり、かつては真っ白だったポンチョも今では茶色に汚れ……って、ポンチョだけは埋められる前からすでに汚れきっていたな。

 とまぁ、そんなことは今はどうでもいい。

 まずは目の前の彼らへの感謝及び懐柔を完了させねば。


「君達のおかげだ。なんと感謝をしたらよいか……」


 心からの感謝の表現及び不信感を払拭させるハグをしようと思い、一歩進んだその時だった。

 ぱさり、と。何かが落ちる音がして俺の身体が軽くなった。

  

「っ!?」

「へっ、へっ……」


 真下を見ると、ボロボロに擦り切れた服がまとまって落ちていた。

 そして俺が身に纏っているのは腰上までの丈のポンチョのみ。

 つまりは俺の半身がむき出しになり、我が愛し子が二人に挨拶をしていたのだ。


 やっちまったぜ。


「「――変態だぁぁぁあああああーッ!!」」


 生存本能が大きく働いたのだろう。

 さっきまで一歩も動かずに固まっていた二人は身を翻し、出口に向かって全速力で駆けだした。


「あっ、こら! ちょっと待て!」


 二人は年長者の制止を無視して逃げてゆく。

 ならば、仕方ない。



「――《シモ足枷アシガセ》」



 その言葉を唱えると、ひんやりとした風が俺の横を通り過ぎた。

 そしてそれはすぐに追いつき、纏い、大人の腕と同程度の太さを持つそれらを膝まで凍らせた。


「なっ! なんだこれッ!?」

「なんで!? 足がっ!!」


 未知の恐怖に襲われた二人は、しけた日の海藻のように激しく揺れ動いている。

 その小さな体と心は焦りで満たされ、冷静な判断をする余裕がないのだろう。

 さて、気を狂わせてしまう前に助けてやらねば。


「逃げ出すなんて酷いじゃないか。大人の話は最後まで聞かなくてはダメだよ」


 俺は優しく諭すようにして、二人に歩み寄る。が、


「来るな来るな来るなぁあああああっ!!」

「やだぁあああああああっ!!」


 近づけば近づくほど、二人の顔は歪んでいく。そしてなりふり構わず泣き叫ぶようになった。


「あぁもう、分かったから静かにしてくれ。今度は口を凍らせてしまうよ?」

「「っ!」」


 二人はそれを聞いた途端に口を閉じ、揃ってコクリと頷いた。


「いい子だ。それでは君から……と、ちょっと待ってくれ。たしかこれを解くには、えっと…………《雪解ユキドケノシズク》」


 少し自信はなかったが、心優しい少年の膝までを凍らせていたものがちゃんと水に変わってくれた。

 危ない危ない、解き方を忘れかけていた。二人が餓死するまでここで凍らせたままにするところだった。


「あ、あの。どうしてぼくだけ」

「そ、そうだぜオジサン。オレのも「――オジサンじゃない! お兄さんと呼べッ!!」

「ひっ!?」

「ご……ごめんなさい……」


 突然怒鳴られたわんぱく坊主は、完全に心を挫かれてしまったようだ。消え入るような声で謝ってからすぐに目を泳がせ、まだ生え揃っていない歯をガチガチと鳴らし始めた。

 あぁ、やってしまった。


「……すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ」


 ただちょっと、俺がおじさんではないことを分かって欲しかったんだ。

 俺の実年齢を知った上でおじいさんと呼ぶのなら分かるが、おじさんということは見た目で判断したのだろう?


 だけどそれは間違いだ。

 俺の肉体は常に、二十代半ばの新鮮な若者のそれなのだ。


 おそらくここが洞穴の中で薄暗いために、老けて見えてしまったのだろう。

 きっとそうだ、そうに違いない。


「あの! レオくんを逃してくれませんか!? ぼくが代わりになりますから!!」

「バ、バカっ! なに言ってんだよエル! お前だけでもさっさと逃げろよ!」


 自己犠牲の精神。

 それは動物なんかにはほとんど見られない、人の特質というべきもの。

 俺はそれが好きだ、と同時に嫌いでもある。

 

「実は、君達を無事に帰してあげる方法が一つだけある」

「ぼくは、何をすればいいんですか?」

「見て分かる通り、俺は全裸だ。なのでボロでいいから服を持って来てくれないか? それと言わなくても分かると思うけど、俺の事を誰にも喋ってはいけないよ?」

「わ、わかりましたっ! すぐに持ってきます!」


 言われるがままに少年は駆けていった。

 やはりいつの時代も、その精神を上手く扱えれば生きやすいことに違いはない。


「ふぅー……」


 ようやくひと段落付いたので額に手を当てるとじっとりとした脂汗が拭き取れた。昔旅先で殺人犯と疑われ、崖の上で追い詰められた時なんかより遥かに焦ってしまった。

 まぁ、とにかくこれでなんとかなるだろう。

 あの子は必ず帰ってくる。あの目は義に厚い者のそれだ。きっと誰からも慕われ、頼られ、最後は大勢に看取られて逝くのだと確信できる。

 それはそうと、この子も解いてあげないと。


「《雪解ケノ雫》……突然凍らせてしまってすまないね。さっきはアレしかなかったんだ。それと寒くはないかい?」

「……ちょ、ちょっとだけ」

「すぐに暖めてあげよう。《ハルオトズレ》」


 レオ君ことわんぱく坊主の両脚を自由にしてから、暖気でその小さな体を包み込んであげた。

 そのおかげからか、寒さからくる震えと、俺への怖れからくる震えの両方がおさまったように見える。


「オジ……お兄さん。アンタまさか、魔法使いなのか?」

「いいや、違う。俺は手品師だ」

「えっ、でも。さっきのアレは」

「俺は手品師だ。断じて魔法使いなんかじゃない。いいね?」

「は、はい」


 優しく脅しつけると、それ以上は何も言わなくなった。

 咄嗟の判断で魔法を使ってしまったが、この時代の魔法使いがどういう扱いをされているかが分からないうちは、魔法を使えることを隠すべきだ。


「エルくんが戻ってくるまで、一つ昔話をしてあげよう」

「昔話?」

「とある魔法使いの話さ――」


 遥か昔、不滅の大魔導と呼ばれた魔法使いがいた。

 その男は特段才能があったわけではないが、代わりに時間があった。永遠にも思える時間が。

 男は百年かけて魔法を一つ使えるようになり、それから千年かけて魔法を極めた。その後には新たな魔法を創り出すこともあったそうだ。


 しかし何を血迷ったか男はある日、西の大帝国相手に一人で宣戦布告をしてしまう。

 そして自身の命と引き換えに放つ超魔法を何百発と撃ち続け、ついにその帝国を滅ぼしたのだ。


 世界の半分を牛耳っていた帝国が滅んだことで喜ぶ人も多くいたが、恐れる人はもっといた。

 その後全ては悪い方へ傾き、魔法使いへの印象は最悪になり、魔女狩りなんてものが流行るようになってしまった。 


「――そして世界中から魔法使いが消えましたとさ」

「うぇー、なんかむなくそわりぃ……」

「昔話なんてそんなものさ」

「そもそもなんでソイツは西のてーこくをほろぼしたんだ? 全部ソイツのせいじゃんか」 

「うっ」


 きっとその国は秘密裏に、世界を滅ぼしかねない禁忌の実験を行っていたのだ。

 そしてそれを止めるため、名前を呼んではいけないとまで言われた最悪の魔法使いは奔走したんだ。

 どこの誰かは知らないけど、そうに違いない。


「さて、そろそろ来るだろう」


 一息ついて洞穴の出口を見ると、ちょうどそこにエルくんの姿が現れた。



「――も、持ってきましたーっ!!」



 そして大事そうに服を携えながらこちらへ向かってくる。


「ほらね」

「なんで分かったんだ!? これも手品なのか?」

「これは手品でも魔法でもない、長年の勘というものだよ」


 もちろんそんなことはない。

 空気の流れと音を感じ取っただけだ。


「……あ、あのっ! これで、いいですか!?」

「あぁ、これでいい。ありがとう」


 ずっと走っていたのだろう。俺に手渡してすぐに手をついて座り込み、荒い呼吸を整え始めた。

 その間に俺は岩陰に隠れ、大人サイズだが、やはり所々につぎはぎのある服に着替えた。 

 今更隠しても意味はないのだが、一応そうした。


「これで、オレたちを逃がしてくれるんだよな?」

「怖い思いをさせてすまなかったね。もういつでも行ってくれて構わな……いや、ちょっと待ってくれ。最後に一つだけ聞きたいことがある」

「な、なんだよ?」

「今年は一体、何……ぁ」

  

 それを聞く途中で、突然の眩暈に見舞われた。

 視界が歪み、平衡感覚が狂い、


「あっ!?」

「えっ?」

 

 側頭部に強い衝撃を受けて視界が真っ黒になり、


「オ、オイ!?」  

「だっ、大丈夫ですか!?」

 

 戸惑う二人の声を聞きながら、俺の意識は途切れた――







「……ど、どうするんだよこれ!? たぶん血も出てるぞ!」

「とりあえず連れて行かなきゃ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る