あたしのパパは不滅ときどき爆散

GODIGII

第一章 不死者の帰還

第一話 「いしのなかにいる」

 ぐきゅるるる、と。


 一際大きな、唸り声染みた腹の音が鳴った。


 これはおそらくきっと最後の警告。

 このまま何も口にしなければ半日もせずに俺は死ぬだろう。

 

「かれこれ五万回には届いちゃったかなぁ……?」 

 

 一体どこで何を間違ったのだろうか。


 何も見えない暗闇の中、自問自答じみた呟きがこぼれた。……ってこれ、前回飢え死にした際にも全く同じことを考えていた気がするな。

 いかんいかん、同じことの繰り返しではまたすぐに気が狂ってしまう。何か気分転換をしないと。


 歌でも歌うか?

 しりとりでもするか?

 それとも久々に唇でも食べておこうかな?


 それくらいしか気を紛らわす方法はないのだ。なぜなら俺はずっと――

 



 ――いしのなかにいるのだから。



 

 現在進行形で俺の体はほんの僅か、数ミリ程度の隙間を残して巨大な石の中に閉じ込められている。体よく言えば封印、俗な言い方をするならコンクリ詰めというヤツだ。


 何十何百年前だったかは覚えていないが、埋められてしばらくはピクリとも身体を動かせずにいた。それでも必死に力を籠め続け、飢え死に寸前の痩せ細った状態でも頑張ったおかげでピクリとは動かせるようになり。

 口周りはリスなんかのげっ歯類のごとく前歯でガリガリと削って、なんとか舌を伸ばせるくらいに広げたのだ。

 この調子でいけば十万年後には抜け出せるだろう。


 ……よし、自分を見失わないために一人しりとりを自己紹介縛りでしよう。



「俺の名前はアレン・メーテウス。好きな食べ物は牛の肝臓、だったと思う。生まれ故郷はえっとたしか……どこだっけなぁ…………あぁそうだ、南国のミリベじま



 信じられない。

 生まれ故郷さえ、すぐには思い出せなくなっているほどに記憶が抜け落ちてしまったなんて。

 信じたくない。



「まるで物語の登場人物のような、波乱に満ちた半生を送ってきた」



 この半生は「今までの人生」という意味の半生であって、決して「一生の半分」という意味ではない。

 はたして俺の生涯に半分なんて区切りが付く日が訪れるのだろうか? 



「戦いに明け暮れた日々もあれば、魔術や占いなんかに傾倒した日々もあった」



 あぁ、懐かしいなぁ。


 数多の猛者達と休む間もなく死闘を繰り広げたっけ。そして数千通りの殺され方をしたはず。あの頃は本当に血の気が多かった。

 英雄や達人などと呼ばれた者達の子孫は今、どこで何をしているのだろうか?

 もしもここから出れたら、挨拶くらいはしに行こうと思う。出れたらの話だが。



「旅を、安らげる場所を求めて世界中を旅した俺は神と崇められることもあれば、人ならざるモノとして忌み嫌われ、心臓に銀の杭を打たれて殺されたりもした」



 なんでもその地域では、化け物の心臓に銀の杭を打てば殺せるという伝承があるのだ。あるのだが、銀とか金とか関係無しに心臓に杭を打てば死ぬのは当たり前だと何度思ったことか。



「ただひたすらに求め続けて、やっと辿り着いた安住の地」



 この石の中で目が覚めた時から、その辺りの記憶は特に曖昧なのだ。

 その場所が地図のどこにあって、そこに誰がいたのかは全く思い出せない。

 だけどなんとなく、ぼんやりとだが、幸せに暮らしていたような気がするんだ。


「……しょっぱい」


 音も無く塩気のある液体が口に流れ込んできた。

 あの空間を思い出そうとすると必ずこうなってしまうのだ。覚えていないだけで、よほど思い入れがあったのだろうか。



「血みどろの闘争から離れ、滅多に死ぬこともなく穏やかな暮らしをしていたはずなのだが、気が付いたらここにいた」



 たしかに俺は安住の地を求めたさ。求めたが、こういうわけじゃないんだよ。



「怠惰は、日中仕事もせずに寝転がるような怠惰は嫌いじゃないが、さすがに何十何百年と同じ場所から動けないのは許容できない」



 人たるもの、散歩の一つもできないと気が狂ってしまう。

 実際俺もこの場所で何千回と自分を見失った。いっそあのまま精神が壊れ続けていたら楽だったのかもしれない。

 だけど飢えて死ぬたびに正常な心と体に戻されてしまう故、そんなごまかしは許されなかった。



「一体俺が何をしたって言うんだ。誰か教えてくれないか。悲しいよ、寂しいよ、苦しいよ、ごめん。ごめん。本当にごめん――」



 最後はしりとりの体を成していなかったが、とにかくこれで終わりだ。

 このしりとりも何十万回とやったせいで、四百種類程度の定型文を組み合わせるだけになってしまった。

 今のと全く同じ内容を五百回は繰り返した覚えがある。最後はいつも、誰に向けているのか分からない謝罪の言葉をこぼして終わるのだ。

 

「は……はは……」


 どんな苦痛よりも。


 どんな拷問よりも。


 終わりのない孤独が一番辛い。


 形のない何かに押し潰されて、自分が自分でなくなっていくような気さえする。


「今回はもう、ダメかなぁ」


 長年の経験則から餓死するより先に、精神が壊れてしまうだろうと推測できた。

 その時だった。


 ヒタヒタヒタ、と。


 小さな足音が二つ、揃ってこちらに向かってくるのに気が付いた。

 そしてそれはすぐそこで止まったではないか。


「や、やっぱり戻ろうよぉ」

「なに言ってんだ! ここまで来て逃げたら、みんなに言いふらしてやるからな!」

 

 二人の人間の話し声が鮮明に聞こえてくる。

 俺が三百年かけて編み出した声紋分析により、どちらも十歳ちょっとの男の子だと判明した。

 それにしても他人の声を聞くのは半年ぶりだ。入口が埋まってしまったのではないかとずっと不安だったのだ。


「ちゃちゃっと終わらせて、大人の男になろうぜ!」

「う、うん……」


 いつからだったかは覚えていないが、この洞穴には稀に男児が来る。

 その目的は誰しも同じで、『洞穴の奥にある巨石に小便をかける』というものだ。

 それができれば大人の男として認められたり、仲間に入れてもらえたりする、いわゆる度胸試しというヤツだ。


「で、でもやっぱりやめたほうがいいよぉ……。バチが当たりそうだもん」

「しかたねーなー。んじゃあオレが先にやってやるよ。それで何もなかったらお前もやれよな!」


 今回やってきた二人も例外ではなく、俺に温水をぶっかけるつもりでいる。

 実際に小便をかけられるのは石なのだが、長年この中にいるせいで愛着が湧いてきたというか同化したというか、とにかくこの石と俺は等しいのだ。

 石に小便をかけるという行為は、俺に小便をかけるという行為に他ならないのだ。


 などと思い至った直後に、ジョロロロと勢いのある排泄音が。


 あぁ、何の断りもなくかけてしまったね。

 お返しに平均寿命より五年早く死ぬ呪いをかけてやったからな。


「ふぅー……。ほら、何も起きねーだろ?」

「そうみたい、だね」


 ズボンをずり上げる音とずり下ろす音が立て続けに聞こえてくる。

 

「パーッといけ、パーッと!」

「……うん」

 

 時代が変わっても、人というのはなんとも流されやすい生き物なのだろうか。

 信心深い君なら最後まで何もしないのではと期待していたが、まぁこれも仕方のないことか。君の寿命は三年くらいで勘弁してあげよう。

 

 チョロロ、と。


 勢いのない排泄音が反響し、続けてズボンをずり上げる音もした。


「ずいぶんと出が悪かったじゃねーの」

「出してる途中で怖くなっちゃって……。ごめんなさい、石さん」


 ……いえ、お構いなく。

 君のような心優しい子が現れたのは三十年ぶりだよ。

 その調子で何かこう、石相手に世間話でもしてはくれないだろうか? 将来の夢とか好きな女の子の話なんかだと尚良い。

 俺の寂しさを十分に満たしてくれるなら、平均寿命より五年以上長生きできる祝福を与えよう。

 

「もう帰ろうぜ」

「うん」


 もちろんそんなささやかな願いが届くことはなく、二人はこの場から離れようとした。

 そのはずだったのだが。



 ――ピシリッ、と。



「えっ?」


 突然響いた亀裂音が二人の足を、この場所から離れようとする意思を止めた。


 矢継ぎ早にいくつもの鋭い亀裂音が鳴り響く。

 それは言うならば、卵から雛が孵る時の音に似ている。


 そして最後に小さくピシッと鳴って、それは止まった。


「な、何だったんだ今のは……?」

「石から音が鳴ってたけど、まさか……割れたんじゃ」


 小便でこの石が割れただって? 面白い冗談だこと。

 この石の中ではね、魔法の類が一切使えないようになっているんだ。俺を封印するために作られた特別製の石なんだよ。もしも魔法が使えたら、自爆魔法で粉々にできるのにさ。

 ……とまぁ要するにだ、そんな石が簡単に割れるわけがないんだ。

 長年諦めずにこうやって、力を籠めているがビクともしな……


「……へ?」

「ひぃっ!?」

「だっ、だだだ……だれだアンタ!?」


 押し返す力が消えたと感じた直後、視界が開けて俺の顔に、手に、足に、ぬるい空気が当たるようになった。と同時に、何か硬いモノが倒れて地面に打ちつけた音も聞こえた。

 そのまま十数秒の時間が経ち、次第に目も慣れてきた。


 それで認識できた光景のおかげで、夢か何かを見ているのだと思い至り、三度瞬きをした……が。


 俺の目にははっきりと、怯える二人の少年が映っていた。

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