episode 3

9 Footsteps with despair


 その日、シェルブールの港は午前中から大混乱に陥っていた。

 イングレス政府は、北上を再開した竜に対するガリア総軍──現存の全戦力、4個師団による反攻の第一報を待たず、ガリア政府ノルマンディーに対し軍事支援の縮小を一方的に通達してきた。

 それはいっそ無情だった。

 すでに国土の9割を失い、同盟国イングレスの支援をたのんで何とか持ちこたえていたガリアにとり、このタイミングのこの通達は〝破滅的な〟結末を導き示すものだった。

 ガリアは見捨てられたのだ。


  *


 南からの鉄道路線は未明から敗走する軍と避難民とを運び続けており、正午過ぎの現在いま、現存の鉄道網の最北端の街であるシェルブールの街区は人で溢れていた。


 そしてそんな中、イングレスはこの非情な通達と同時に、一つの免罪符とも言える通達もしている──。


『本日より6週間に亘り、徴用した軍隊輸送船をもって避難民の移送を実施する』


 ──というものである。

 港への道々は、初日から早朝のラヂオ放送でそれを知った市民と避難民とで溢れることとなった。



 ナタナエル・ポネットは市民の誘導の名目で辻々に配置されたイングレス兵の検問を縫うように、私物の自動車で移動していた。旧い港街の石畳の狭い街路は人で溢れ、ポネットの車はのろのろと農耕馬に引かれた荷駄車のごとく徐行運転を余儀なくされていた。

 その上、街区に入って1㎞程の間にもう3回も検問に遭っている。

 このようなときにはガリア陸軍の青い制服ジャケットは役に立つかと秘かに期待したのだったが、実際には〝少しはマシ〟といった程度のことで、各々の検問で数分──長い時には5分ほども──〝確認が取れる〟まで待たされる。

 さすがに辟易とさせられていたポネットだったが、それでも愛想の笑みを浮かべて一旦イングレス兵に差し出した身分証を受取った時、機械的に視線を遣ったバックミラーの中に知った人物を見た。

 臨時の検問所の前で〝押し合いへし合い〟している民衆の傍らで、火の付いたように泣いている幼児おさなごに向かい合うイングレス・コマンドスの緑色の軍帽ベレーの細い背中は、マーガレット〝デイジー〟・アップルビー中尉のそれだった。


 その幼児──女の子は母親とはぐれてしまったのか、人だかりから弾き出される形で道端の街灯の所におり、周囲の殺気だった雰囲気を感じ取って只々泣いていた。

 デイジーはそんな女の子に膝を着いて、正面から優しい抱擁で落ち着かせてやっていた。

 そうされると女の子は、それほど時間を於かずに泣き止む。まだ混乱をしているふうではあったが、懸命に涙を堪えるようにして鼻を啜り上げると、ブルネットの柔らかな髪が揺れた、。

 そんな女の子の様子の変化を感じとると、デイジーはゆっくり身体を離し、同じ高さの目線──いやデイジーの方が少し低かったかも知れない──になって正面から笑いかけた。おずおずと笑い返す女の子の涙に濡れた顔を、白い清潔なハンカチで拭ってやる。


 ──なるほど……こんなときには言葉は要らないのか。

 ごく自然にそんなことをしてみせているコマンドスの女士官に、ポネットが声を掛けるタイミングを計っていると、女の子の母親だろうか、中年の女性が人垣を掻き分けて姿を現した。

「──…ルル! ルル! ああ、よかった、いったいどこにいってしまったかと…──」

 その声に忽ち女の子の表情かおは明るくなって、そちらの方へと駆け出して行った。女の懐に飛び込んだ幼児とその母親とがデイジーの方を向くと、彼女デイジーは小さく手を振って肯いて返した。

 母子が背中を向けるタイミングを待って、ポネットはようやく声を掛けることにした。


「たいしたものです……中尉殿」

「意外だったかしら?」 ポネットのその声に顔を向けるでもなく、デイジーは立ち上がって応じた。「──…いつから見てたの?」

「いえ…──ついさっきからです。母親が現れるちょっと前──」

 デイジーは見られたくないところを見られてしまった、というふうに小さく顔を顰めると、言い訳がましい表情で言った。

「子供の扱いには慣れているのよ……〝仕事柄〟」

 面倒そうなそのデイジーの声音を、ポネットはわざと気付いていないふうを装う。

「慈愛に溢れてましたね ──子供、好きですか? 家庭に納まれば、きっといい母親になれるタイプですね、中尉は」

「どうかしら……」

 きまりの悪い表情かおでデイジーは話を切上げに掛かった。ほぼ同時に、若いイングレスの上等兵──検問でポネットに対応していた彼──が横合いから声を掛けてきた。

「──曹長、困ります。すぐに車を動かしてください。停められてしまっては、後の人が迷惑します」

「おおぅ? 悪い悪い。すぐに動かすから…──」 ポネットは上等兵に愛想よくそう言うと目線だけデイジーに向き直って言い継いだ。「…──中尉、よろしければ送ります。軍司令部ですよね?」


 が、そんなポネットにデイジーは呆れたような目線を向け返してくる。彼女は目線を街路の先へ向けるよう促し、ポネットの目線がそちらへ向くと、果たしてそこには人が溢れていた。

「…………」

 これではまだ歩いた方が早い。

 案の定、デイジーはポネットを置いて歩き出した。慌ててポネットはデイジーに言った。

「あー…──中尉! 待って、ちょっ……ちょっと!」 無視を決め込もうとする金髪の美女の背中に、ポネットは言い募る。「──あんたには訊きたいことがあるんだ!」

 だがデイジーは、構わずに歩み去ってしまった。

「あの…… お~ぃ…──」

 言葉を失いつつも、そんなデイジーの背中を追おうというポネットの前に、若い上等兵の生真面目な視線が立ちはだかった。

「──…曹長!」

「はい……」

 ──また何つー〝仕事熱心〟な目をして……。仕方ない……。

 ポネットは観念して軍服のポケットに手を突っ込み〝愛車〟──トラクシオン・アバン 34年式7CV──のキーを掴んだ。それを上等兵へと手渡して言う。

「悪いが君……オレの車、退けといてくれ ──後で取りに来るから」

 驚いた表情かおが困惑のそれに……最後には呆れるふうなそれへと変わっていく若年兵の顔は見ずに、ポネットは後ろ手を一つ振ると、人波を掻き分けるようにデイジーの後を追った。


  *


「……中尉! 待ってくれ、中尉!」

 長身で大柄なポネットが人混みを掻き分けるのに苦労しながらデイジーを追っている。先を行く彼女は取り合わず、何も聞こえないとばかりに歩調を緩めない。

 それでもポネットは諦めず、追いついたのは1ブロックを行った辺りだった。

 ようやく隣に並んで歩調を合わせる。

「──…見かけによらないね……〝ラ・ベル美人さん〟…──」 と、息が弾んでしまっているのをさとられぬよう、よく知られた物語とそのヒロインをなぞらえて、お道化たふうに言う。「その足ならどんな野獣にだって負けそうにない」

 〝ラ・ベル美人さん〟に擬えられたデイジーは、チラと目線だけで見返した──その美しい顔は向けてこない。

「本島エルフは野山を駆けるのよ。〝シャーウッド〟には、あなたのようにうるさくてしつこくい〝ヒト〟はいなかったわ」 そう涼しい表情で返す。

「ロビン・フッドか?」 中世の英雄譚の舞台となった森の名を耳にし、ポネットの口許が綻ぶ。が、次の瞬間には目を瞬かせた。「──…? …ってエルフって……それじゃあんた……」

 色を失った態となったポネットに、デイジーは意地の悪い表情かおになって言った。

「半分ね…… それでも、あなたが思ってたほど若い〝娘〟じゃないわ。ご愁傷さま」

「…………」


「それで〝訊きたいこと〟と言うのは?」

 言葉のないガリア下士官に、デイジーは面倒そうな声で問い返した。

「ああ、そうだ……」 気を取り直したポネットが慎重に問い直す。「──ガリアから撤退するようだが……南に出動した〝ハーフリング〟とベルニ達はどうなってる? というか、?」

「…………」 デイジーは慎重に言葉を選ぶように目線を伏せ、結局こう言った。「わからない」

「は⁉」

 そんな回答は想定外とばかりに声を上げたポネットに、デイジーは横目でポネットの長身をめ上げた。微かに苛ついた声になって言う。

「わからないの! だから、いまからそれを訊きに行く……」 それから、イ軍士官の顔に戻って続けた。「──丁度いいわ。これから少佐に会う。一緒に来なさい、曹長」


 即座にポネットは、彼女に同道することにした。

 年齢としからすれば息子ほどの〝友人〟が竜の群れの中に取り残されている。頼みのイ軍もその大部分がガリアの地を離れるという。

 ともかく、情報が必要だった。


  *


 ノルマンディー派遣軍の中でイングレス・コマンドスを指揮する立場であったジョン・マクネアー少佐は、その日シェルブール基地本部舎に、ガリア第13機甲竜騎兵落下傘連隊長代理のフィルマン・デュコ少佐を訪ねていた。

 仮初かりそめの部屋の主であるデュコ少佐は、一向に似合うことのない連隊長の執務机の前でマクネアーからイングレス軍の行動計画を一通り聞き終えると、しばし身じろぐことなく正面を向き押し黙っていた。

 沈黙が苦しい……。

 マクネアーとしては、今回の本国の決定については彼自身の口から補足するのがこの旧い戦友ともへのせめてもの礼儀だと思い此処へきたのだったが、彼のその姿を見るのは辛かった。事前に説明をすることは厳に禁じられていたのだが、やはり彼らガリアを裏切ったという感は拭えない。


 やがて静かにデュコが口を開き訊いた。

「では、全ては決まっていた事、というわけか?」

「あの時点では決定事項ではなかったがね……」 言い訳がましくなる自分の声を低く抑えて言う。「──…想定はされていた」

 デュコは首を左右に振って戦友マクネアーを見た。

「間違っている。こんなことは…… ジョン…… ガリアにはまだ1千万の同胞ヒトが残っているんだぞ。その殆どが民間人だ。彼らを見捨て、本島イングレスに逃げ帰り、連邦ゲールに欧州を委ねて海峡の向こう側に籠ることが貴国にとり果たして正しいことなのか? それで竜の脅威に抗せるのか?

 ──〝Dieu et mon droit神と我が権利〟はどこへいった?」

 彼の憤りは理解できわかる。だがそうまで言われればマクネアーにもイングレス国王の軍人としての立場がある……。

「ガリアは〝連合王国〟の外側ヽヽだ」 冷徹な響きになることを覚悟しつつ、マクネアーは言い放った。「──本島のイングレス人にとって、ガリアは〝同胞〟じゃない……」

 デュコ少佐は表情を硬くし、今度こそ押し黙った。


 パリ失陥の際、イングレスはガリアの王室属領化を打診していた。が、それをノルマンディーに逃れた共和国ガリア政府は蹴っている。

 ──イングレスとすれば、一時的にガリアを王室の直轄保護領とすることで『イ連合』への参加──同君王国化を経ての正式な併合──という形を避けつつ、後の主権の回復に含みを持たせた上で外交・防衛の責任を明文化できるという、政治的な〝現実解方便〟の提示であったのだが、誇り高き共和国はそれを拒絶したのだ。

 結果、イ国とガリアの間には形の上で対等な〝相互防衛協定〟が結ばれ、ガリアはノルマンディーにイ軍の軍事顧問団を受け入れることで欧州の地に何とか留まった。


 それがこの結果を招こうとは……。

 イングレスは同時に、枢軸国──〝宿敵〟ゲールとも秘密協定を結んでいたのだった。

 ──協定ではノルマンディーの失陥が現実味を帯びた場合、イングレスは速やかに派遣軍を本国に召還し、欧州防衛の責務を枢軸国に委ねるものとされていた。見返りは、イ国は欧州大陸における鉱業権を始めとする資源利用権の大部分を放棄し替わりにゲールの権益を認めるというもので、同時に幾つかの軍事技術の移管提供──H計画もこの中にあった──も含んでいる。

 そしてその際には、ガリアを始め連合国──西側陣営の意向は顧慮されない、とあった……。


 だがしかし、これをいったい誰が責められよう。

 外交とはこの様なものだ。

 結果は、200㎞南の前線でガリアに残った最後の軍が竜を相手に戦って骸を晒し、その後は無力な市民が喰われることになる。

 二人は巨大な無力感の中、それぞれの立場でそれを噛みしめていた。


「──それでは、失礼するよ」

 最早これ以上の掛ける言葉が無くなったマクネアーが席を立つ。デュコは顔も向けずに言った。

「地獄へ堕ちろ」



 そうして部屋を辞したマクネアーは、今度は扉の外の廊下で、同じ様に憤りに燃える蒼い瞳にめ上げられることになった。

「…………」

 息急いきせき切ってきたようなアップルビー中尉デイジーと、彼女の少し後ろに遠慮気味に立つガリア下士官の姿を見たマクネアーは、二人に付いてくるように促すと、重い足取りで自分の執務室オフィスに向かった。



 同じ頃、同様の話がシェルブールから330㎞東、ペロンヌ近郊の廃墟となった教会の一室でなされていたのをマクネアーもアップルビーデイジーも知らない。


  *


 ペロンヌの近郊に打ち捨てられていた教会を接収して置かれた臨時の中隊本部。その一室に通されたロジャー、アイナリンド、ベルニの三人は、かつてのこの部屋の主が使っていたであろう華奢で質素な造りの机に座るゲール国防軍の女士官──少佐の階級章を付けていた──ナターリエ・ヘルナーから、その〝事実〟を告げられていた。

 彼女によれば、本日午前0時を以てイングレスはガリア防衛の責務を放棄し、替わって連邦ゲールがその役を担う事になったのだと言う。

 それは寝耳に水であった。イングレス・コマンドスの士官相当官であるロジャーや本島エルフの軍事連絡官であるアイナリンドでさえ、この事実は知らされていなかった……。


「──…聞かされていないのか?」

 国防軍の黒地に朱の意匠の軍服を完璧に着こなしたナターリエ・ヘルナー少佐にそう確認をされると、皆が一様に押し黙ってしまった。彼らの──特にガリア人のベルニの──その様子に、問いを発した当のナターリエが驚き、心底同情するような表情かおになって言った。

「そうか……それは言葉もないな。〝同情する〟」 ──最後の一言はガリアの言葉だった。

 それからイ軍コマンドスと本島エルフの二人の硬い表情を一瞥すると、〝格調高いクィーンズ〟イングレス語に戻って気負いのない表情で続けた。

「──イングレスは〝身の丈〟に合わない事業に乗り出したツケを払うことになったのだ。だが安心してよい。イングレスの負債は我々、ヴァイマル=ゲールが引き受けることとなった。新たなガリアは、我々と共に新たな事業に携わることになる」

 硬い表情でそれを聞くことしかできないロジャーの傍らで、ベルニはガリア人である自分の頭越しに大国の都合で運命を決められる祖国の悲哀を噛みしめていた。


「同情する……? 負債だって……? なに言ってんだ、あんた……」 虚ろに震える声でベルニは言った。「──あんたらはどこにいたんだ? あの日、あんたらゲールはいったいどこにいた?」

 脳裏に──5年前の──〝あの日〟の、竜から逃げ惑う姉と妹の絶望的な表情かおが浮かんでいた。

 あの日ゲールは、ベルニたちの住んでいた国境の村から5㎞と離れていなかったにもかかわらず、国境に配置していた守備隊を動かすことをしなかった。

 竜の侵入に備えFPAヨロイを慌ただしく移動させることはしたが、国境の直ぐ先で繰り広げられた惨劇に、一切無視を決め込んだのだ。──少なくともベルニはそう信じている。

 姉も妹も失った後のベルニを救ったのは、すでに弱体化したガリア竜騎兵と軍事顧問団として派遣されたイングレスのFPAヨロイだった。


 ベルニの静かに握った拳が震えた。

 ナターリエは、その若いガリア下士官の様子に、今度こそ言葉を失った。


「──…新たな事業……?」

 ベルニの負の感情が爆発するよりも先に、ロジャーが口を開いた。

 横合いからの合いの手となったその問いに、ゲールの女士官はようやく応えた。

「…対竜戦の…… 新たな展開だ」

「…………」

 その思わせぶりな割に要領を得ない回答にロジャーの表情も醒めたものとなったが、彼は黙って先を促した。

 どこまで答えたものか、と先のベルニに意識のいってしまっていたナターリエが心中で模索する中で、背後の扉が開き声がした。

「──竜の〝殲滅戦〟だよ」 ヘイデン・アシュトン博士の人懐こい声だった。「この欧州の地表から竜という竜を残らずヽヽヽ掃討するんだ」


 振り見遣ったロジャーは、そこにいつもの三つ揃えに身体を包んだ博士を見たが、その人懐こい声とは裏腹に、博士の目に狂気の光を見た気がした。

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