第9話

 苦しい。何が起こったの。苦しい苦しい苦しい―――。

 意識を失う直前におばあさんの鼓膜を震わせたのは、


「「おばあちゃん!」」


 という悲痛に満ちた孫たちの叫び声と。


「母さん!」


「お義母さん!」


 息子夫婦の悲鳴と。


「夏花!」


 最愛の夫の叫びだった。



 ―――――ずっと、暗い空間だけがあったところに、少しの光が差した。


「……あ」


 目が覚めたところは、白い病室だった。

 夏花が寝ていたベッドの横には、夫や子供達、孫がいた。彼らの涙で、真っ白なシーツが灰色に濡れていた。

 

すると、医者の声が聞こえた。


「……ながら………は、もうすぐ死に…………原因は、くも膜下出血で………」


 意識がはっきりとはしていなかったからよくは聞こえなかったが、もう死ぬ直前らしい、ということはなんとなく分かった。

 ベッドの両端に、大切な人がいる。本人たちには申し訳ないけれど、大切な人たちに見守られながら死ぬのは悪くない、とおばあさんは思う。


「おばあちゃん……やだよ、やだよぉ………」


「…………うぅっ、ぅあ……」


 みんな、泣いている。

 大事な孫たちが。二人の笑っている顔が好きなのに。


 息子夫婦が。凱斗はやっとよく笑うようになったのに。これでまた、彼の日々から笑顔が消えたら自分のせいなのだろうか。いや、その心配はないかな。きっと奥さんが寄り添って支えてくれるはず。そんな、優しい人だから。


 おじいさんは、一人で平気かな。ご飯は、身の回りの支度は、お茶を淹れるのは。誰がやるの。私しかいない。私しか……

 そんなことをずっと―――とはいっても、本当は少しの時間なのだが―――おばあさんは考えながら、ふとその答えが出た。


 一人じゃない。息子夫婦やかわいい孫たちがいる。ご飯も食べられるし、お茶も淹れてもらうことができる。私がいなくても平気。だから最後に、私だけができることを。と思って、最後に言った。


「ありがとう……ございました、幸せ………だったよ」


 ちゃんと笑えているだろうか。

 声は届いただろうか。

 それはもう、確認することのできないこと。


 唯一、最後にその鼓膜を震わせたのは、心臓が止まったことを知らせる無情な機械音。

 その音を最後に、短い映画のような人生の一部が終わった。




改めて死神さんはおばあさんに向き合い、


「お疲れ様でした」


 魂の記憶を観終わった後に、死神さんは労いの言葉を言った。

 たぶん、幸せな人生だったのだろう。たくさんの人に、なにより大切な人に死を悲しんでもらえていたから。

 それに、とても、魂が真っ白で綺麗だったから。


「いいな」


 そう、自然に自分の口をついて出た羨ましがっている言葉に自分でも驚いた。


「自分の死を、悲しんでくれる人はいるのかな」


 その、すでに答えが出ている疑問を抱きながら、否、抱いている気分に浸かったまま残りの魂の回収も終わらせた。

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