第8話
―――――――――て。
―――――――おきて。
――――ねぇ、起きて。
その、呼びかけた声の持ち主は小さな男の子だろう。
真夜中、夜が辺りの世界を黒に変えている時間。少し泣いているのか、声はひどくか細く、濡れていた。
今回は、結婚式やら何やらがないところをみると、式は挙げなかったのだろう。
そして。
その少年は、幼いながらに整った顔立ちをしていた。けれど、こう言ってはなんだが、その顔が両親に似ていなかったのだ。
おそらくは養子なのだろう。その少年が、母親を必死に起こしている。
「ん?どうしたの……」
母親は、夢現に少年の問いかけに答えた。
「怖い男の人が……ぼ、ぼくのこと、叩いてきた夢見て、怖くて」
伝えるために必要な言葉は持ち合わせていなくても、言おうとしていることは十分に母親に伝わった。否、母親だけではなく、死神さんにも。
前の家庭で、父親から暴力を受けていて、それを施設に保護されて引き取られて今に至る少年は、ひどく取り乱していた。大人でさえすぐには消せない心の傷だから、こんな小さな子の夢の中に侵入してきてもおかしくはない。
その少年の言葉を聞いて、母親の顔から血の気が引き顔が青ざめ、手足が少し震えた。しかしすぐに、その震える手を自ら握り込み、その少年を安心させるように、自分に言い聞かせるようにいった。
「大丈夫、それは嫌なことが夢に出てきただけだから。今の母さんと父さんは、あなたを傷つけない。必ず守るから」
ふわりと穏やかで柔らかい笑顔、けれど固い決意で固められた強い顔を息子に向けた。
その言葉を聞き、少年も深呼吸をし始めた。
「うん、うん。あり、がとう。……母さん」
安心した少年は、少し恥ずかしそうに、母親のことを母さんと呼んだ。
「こちらこそ、ありがとう。凱斗」
「………なんで母さんも泣いてるの?変なの」
「そうね、母さんおかしいわよね。でも、泣いている理由はね、初めて母さんって呼んでもらえたから。それだけ」
そう、自分の息子に初めて母さんと呼んでもらって――――母親と認めてもらった女性は、綺麗な澄んだ涙を流しながら、清々しく笑っていた。
それから、息子の泣き声に遅れて反応して起きた父親は、目の前で母親と息子が仲良く一緒に寝ているところを見て、安心したように笑って、もう一度眠りについた。
「そうだよな、たぶん、自分の子供に親だと認めてもらうことはすごく嬉しいんだろうな」
と、死神さんは独り言を残していく。
――――縁側。おじいさん。おばあさん。と、絵本に出てきそうなほどまったりとした光景が目の前にあった。
「……ねぇ春季さん」
少し歳を取ったおばあさんが、縁側の隣で一緒にくつろいでいたおじいさんを呼びかける。
「なにかあったか?」
少し心配しながら聞くおじいさん。
「何もありませんよ。今が幸せだと感じたんです」
「そうか」
照れ隠しをしながらも喜んでいることが隠しきれていないおじいさんに、おばあさんはとても幸せそうにふわっと笑う。
「またかわいい孫たちが遊びに来てくれるといいですね」
「今度来たときには、好きな食べ物を用意しておいてやろう。あとは、今流行しているおもちゃを買って……」
「よっぽどうれしいんですね」
あまりの微笑ましさについつい突っ込むと、
「……かわいい孫たちには喜んでもらいたから、つい」
と、それから三十分は言い訳が続いた。
そうこうしていると、
「父さん!母さん!遊びに来た~」
「いつもすみません、お邪魔します」
息子とその奥さんと、話に出てきた孫たちがおじいさんとおばあさんの家に遊びに来た。
息子もあの頃の頼りなさは何処へやら、すっかり頼もしくなって可愛らしい奥さんと子供たちを支えているようだった。
「おばあちゃん!遊ぼ!」
「……ふあぁ~」
二人の孫は、活発なかわいい女の子と、のんびりマイペースな男の子だった。
「はい、遊びましょうね。何をするの?」
「えっとね~……花札!それなら冬季も遊べるから!」
「人に気を配ることができるから、たくさんの人に愛されるぞ。あ、今もおじいちゃんが愛してるけど!」
「あなた……年甲斐もなくそんな大声で騒がないでくださいな。本当にこの子たちが好きなんですから。まあ、私もですけど」
(あ、おばあさんもおじいさんのことを言えないくらい孫大好きだな。かわいいから気持ちはわからなくもない)
と、死神さんも声が聞こえないことをいいことに、上から目線で共感していた。
「ええと、花札ね。確かこの引き出しの中に……」
「あ、私が探す!」
「そう?ありがとう。真冬はいい子ねぇ。助かるよ」
本当に根っからのいい子だ。
一方の男の子は、
「……ばらばら~」
「あ~、また物を壊してる!まったくもう」
「壊すのとは違うぞ、冬花。物がどうやってできているかを知りたいんだ、たぶん。天才肌だよ。いつか分解したものを元通りにできるようになるだろう」
「ふーん……そうなんだ?」
いまいち理解できなかった冬花が疑問形で返す。
「もう、父さん、この子たちが本当に好きなんだから……」
「なに、凱斗は好きじゃないのか」
「なっ……好きに決まってるじゃん!……親に愛されない悲しみは、僕がよく知ってる。この子たちにそんな思い、させるもんか」
そう、最後に静かな口調に決意を込めていう自分の息子に、おじいさんは安心したような顔を向けた。
「………はいっ、重くなりそうなお話はそこまでです。まだお昼なんだから、明るい話がしたいな。ね、お義父さん、あなた」
と、奥さんは明るい口調で言った。
その言葉でみんなが笑顔になる。そんな様子を見ながらお茶を飲んでいたおばあさんもこにこしている。
と、おばあさんは急に激しい頭痛に襲われた。
「あ、れ…………」
座っている自分の身体をも支えきれなくなり、ばたんと音をたてて椅子から転がり落ちる。
急に目の前が真っ暗になる。
苦しい。何が起こったの。苦しい苦しい苦しい―――。
―――そうして、体が沼の中に引きずり込まれるように、意識が闇へと溶けていった。
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