第二章:はぐれ魔物

第6話:ステラの秘密

 

――今はまだ、貴方を信じましょう。


 誰かの声を聞いた。女性の様で、そして優しい声。

 意識を失って身体が冷たくなるのを感じたレインだったが、その声を聞いてから水の勢いが様に感じた。

 そして周囲も温かく感じ、徐々に身体の自由や意識が覚醒していった。


♦♦♦♦♦


「……ッ!」

 

 意識が覚醒し、目を覚ましたレインを出迎えたのは布の天井だった。

 頭がぼんやりとしていたが、ここがテントであるのを理解するのに時間は掛からず、自分が助かった事が自覚できた。


――生きている様だがここは?


 やや不格好だが、確かに建てられているテント。

 けれど、保温魔法も使われているのか、この中はとても心地良い暖かさを保っていた。

 

「……影狼や所持品は?」


 周りを確認すれば自分の武器である“影狼”を始め、道具袋や財布すらも置いてあった。

 身に着けていたマントだけがなかったが、一番重要な存在もいない事にレインは気付いた。


「!――ステラ王女? グランもか?」


 重要な二人がいない事に気付いて立ち上がると、テントの外から気配と誰かの声が聞こえてきた。

 

――この声は……。


 聞き覚えのある声を頼りに、レインは影狼を持ってテントから覗き込むと、その視線の先に一人の少女が座り込んでいた。

 ブルームーンの様な美しい青い髪。その見覚えのあるポニーテールはステラだった。

 レインはすぐにテントから出て彼女の傍に行くと、彼女は膨らみのある地面の前で祈りを捧げていた。


「偉大なる神々よ……この解放されし魂を天へとお導き下さい」


 ステラが唱えているのは一般的な死者へ捧げる祈りであり、目の前にある地面の四つの膨らみの下には遺体が眠っていると分かった。


――この大きさはグランではない。暗殺犯達の遺体か?


 色々と察したがレインは取り敢えず祈りが終わるのを待ち、祈り終えたと同時に動いた時だった。

 ステラも音に気付いてバッと振り返るが、レインだと分かると安心した様に笑顔を浮かべた。


「レイン様! 眼が覚めたんですね!」


「あぁ……貴女もご無事で良かった。――しかし、先程のは?」


 そう返答して彼女が祈っていた場所へ視線を向けると、ステラは悲しそうな表情を浮かべながら頷いた。


「護衛団の者達です……と同じ様に流れ着いていました」


 そう言って顔を横へ向けるステラに合わせ、レインも顔を横へ向け、ようやく今自分達がいる場所を理解する。


「……湖?」


 水面すら揺れていない静寂で、広大な森に囲まれた“湖”だった。

 流された時の激流が嘘の様な光景であり、同時に自分達がどれだけの距離を流されたのかを理解させてくれた。

 そんな湖で、レイン達がいるのはプライベートビーチの様なちょっとした陸地の空間であり、周辺には馬車の残骸と、その破損した箇所から物資が見え隠れしていた。


「……物資があるのか」


「はい……不幸中の幸いです。そのお陰でテントも建てられ、何とか落ち着ける場所ぐらいは作れました」

 

 ステラの言葉に、レインは今度はじっくりと周囲を見渡してみた。

 彼女が建てたからか、外から見れば不格好なテント。

 また、隣には木と木に紐を括り付け、そこに干されている自分のマント。

 更に周囲には、魔力を込めれば起動する“充魔式”の魔物除けも設置されていた。


「ステラ王女が、これを全て一人で?」


「はい! 何とか頑張りました!」


 元気一杯に両手を握り、返事をするステラにレインは感心した。

 どれ程まで眠っていたか分からないが、一国の姫の割に一人でテント等を準備したのは大したものだが、そんな事を褒めるよりも先にレインは懐に入っている一本の筒を取り出す。


――親書も無事だったか。


 それはサイラス王から受け取った親書だった。

 保護魔法のおかげで濡れておらず、紛失も免れた親書を見つめながら、今後の事も考え始めた。


――護衛団は事実上の壊滅。だがステラ王女と親書があるならば任務の続行は可能。だが問題は……。


「……グランも巻き込まれたか」


 もう一人の四獣将、グラン・ロックレスの存在。

 暗殺の黒幕は少なくとも、ルナセリアの王族護衛・首都防衛の精鋭である“近衛衆”のヴィクセルすらも支配下に置けた人間。

 グラウンドブリッジ崩壊は確実に両国に伝わり、事態を理解している者達ならば護衛団が巻き込まれたのを察する事ができる筈だ。


――遺体が見つかっていない以上は疑い、追っ手も差し向ける可能性が高い。


 合成魔物まで準備していた以上、敵側は川に落ちたかどうかは関係なく、遺体を見るまで生きている事を前提で動くに決まっていた。

 その為、追っ手を差し向けて来るのが想像に容易く、遠い旅路となるルナセリア本国まで護衛するのにグランの力が欲しかった。 


「生きているのか……グラン?」


 湖を見ながらレインが呟いた時だ。


「――生きています」


 その呟きを隣で聞いていたステラが、同じ様に湖を見ながらそう呟いた。

 真剣な瞳と、声から伝わるしっかりとした口調。まるでグランの生存に対し、確信すら持っている様に見えた。


「……そこまで言い切るとは、まるで分かっているかの様だ」


「えっ!?……えっと……!」


 その言葉にステラは何故か過剰に反応し、いかにも誤魔化そうとする様に両手を振りながら言葉を探す素振りをすると、やがて思いついた様に笑顔を浮かべた。


「私とレイン様も無事に流れ着いたんですから! きっとグラン様も無事に何処かに流れ着いている筈です!」


「……そうですか」


 自信満々に誤魔化した様子のステラだったが、レインには明らかに何かを隠している事はお見通しだった。

――というよりも、レインじゃなくても先程の様子を見れば分かった。


――自分や他者に嘘を付けず、そして騙せないタイプか。


 典型的に嘘が付けない人間だが、当のステラは誤魔化せたと思ったのか安心して息すら整えていた。

 

「ふぅ……なんとか誤魔化せました」


 小さく言えば、この距離でも聞こえていないと思っていたのか。

 逆に疑いそうになるが、レインは馬鹿らしくなってしまって追求せず、馬車の下へと向かい荷物を取り出し始める。

 けれど、その姿を見て、ステラは慌てて止めようとした。


「レ、レイン様いけません! まだ休んでいなくては!?」


「……お気になさらず。特にこれといった外傷はない」


「ですが……」


 ステラの心配の声を背後から聞き続けながらもレインは手を止めず、運良く残っていた自分とグランの荷物を取り出し、その他にも次々と馬車を変えては荷物を取り出して選別し始めた。


「……まさか殆どの物資が無事とはな」

 

 道具・食料品・魔物除け等の旅用品は疎か、お金すら無事だった。

 これで少なくとも野宿や旅に必要な物は十分であり、当分は安心できるが運んで移動すると思えば、多すぎでもあった。


――俺一人ならば良いが、ステラ王女がいるならば無理は出来ない。


 自分だけなら無理は出来るが、今回は護衛がメインだ。

 それにより、長い旅、その準備も考えなければならなかった。


「道筋や寄る街もそうだが……やはり日数もか。暗殺側の目的が王女の殺害なら、あまり時間も掛けられない」


 限られた日数でルナセリアへの帰国。

 それまでの道。荷物も、最悪この場に多くを置いて街で整えることも考える。

 

――まだ異変はない。ならばその間はステラ王女の身を守らねば。


 己の任務を自覚し直したレインは、自分の後ろで手伝う様に鍋等を運ぶステラを見つめた。


――何故こうも無防備に己を晒す? そこまで俺を信じているというのか。


 隙だらけで、己のペースのまま無警戒なステラを見て、レインは呆れてしまった。

 守ったとはいえ、殆ど初対面でしかない自分と二人、しかも信頼していた者達から裏切られたばかりで、何故に警戒をしないのかと。


――だが、それはそれで任務がし易くなるか。

 

 刺客が来なくとも、場合によっては自分の手で命を奪う事になる。

 ヴィクセルも最期に意味深な視線を向けていた。レインから何かを察したのか、それとも他に何かがあるのか。

 色々な疑問は消えないが、今はまだ己の任務の優先順位が、ステラの身の安全であると自覚し、荷物を運んでいる内に日も沈み始めてしまう。

 

――その為、、レインとステラは急ぎ、夜営の準備を行うのだった。


♦♦♦♦


 テントの傍を焚き火が照らし、鍋を囲んでレインとステラは腰を下ろしていた。

 焚き火で温めた鍋の中身、それはステラが作った特製シチューが入っており、パンと一緒に彼女が取り分けてレインへと手渡した。


「食材が無事で良かったです……あまりに強い衝撃を浴びれば、保護魔法も消えてしまいますから」


「……そうですか」


 シチューを受け取りながらレインは短く答え、食べ始めるがそのまま黙ってしまう。

 美味しいのか、それとも気に入らないのか、それぐらいは言って欲しいとステラは思っていた。


「え、えっと……お味はどうでしょう?」


「問題ありません」


 二人しかおらず、互いに相手の人間性を知らない。

 ステラはコミュニケーションを図ろうと積極的に話しかけるが、レインも口数が少ない。

 だから何を言っても短い返答だけだが、ステラは、そんなレインが冷たい人間とは思っていなかった。

  

――あなたは、ずっと傍にいてくれましたね。


 ステラが目を覚ました時、目の前にいたのはレインだった。

 気を失いながらも、ずっと自分を抱きしめていたレインの姿を見て、彼女はグラウンドブリッジから落ちた時の事が脳裏に浮かび、自分を省みずに守ってくれた事を思い出す。


――自分の身を呈してまで私を守ってくれた貴方を、冷たい人とは思いません。祖国でも聞いた心無き獣と呼ぶ者もいましたが、ただ不器用な人に私は見えます。

  

 ステラは、レインは口数が少ない人なんだなと思うだけだった。

 けれども、レインの様子に多少は困った様に笑って反応する事しかできず、やはり静かすぎるのは寂しかった。


「星が綺麗ですね……」


 空気と静寂を破る様に、ステラがそう言って夜空を見上げれば、存在しているのは一面の星空。

 宝石の様に輝き、お菓子の様に魅力的に見える景色を見ながらステラは静かに話し始めた。


「私、こんなちゃんとした野宿って初めてです。準備も、周囲の安全も全て周りの方々がしてくれてましたから」


 ステラは初めての経験に感傷深く呟いた。

 アスカリアへ来る時、今日までの時も、基本的にステラは自分用にされている馬車の中で寝泊まりしていた。

 食事の時は我儘で外に出て食べていたが、周囲には護衛の騎士によって約束された環境が整っており、野宿と言うには恵まれ過ぎて、今が逆に新鮮に感じていた。

 

「……だが、その割にはテント等の準備は出来ていたようですが?」


 その話を聞いたレインが、ここで反応を示した。

 姫なのに、テントを建てられたのが不思議だったからだ。

 すると、興味深そうに自分を見るレインに対し、ステラはすぐに答えられた 


「それは“本”で読んだからです。実際には出来ないので、読みながらイメージばかりしていました。――でも、実際にやると難しいですね」


 ステラは思い出していた。

 王女である自分は自由な時間を貰っても、自由に行動する事が出来ない。

 だから買い物がしたいから少し城下まで――なんて出来る筈もなく、ステラが出来た事は本を読んで事だけだった。


「……本はと同じです。読むだけで、色んな事を私に教えてくれました」


 書庫の本に飽きた時には、メイドや騎士の人達に頼み、何か面白そうな本を頼んだりした事もあった。

 最初は姫であるステラのお願いに面食らうが、そこは民や使用人達に慕われてる王女だ。

 困惑するが、断った者は誰もいなかった。 

 そんな皆が持って来てくれた本、それは個性が良く出ていたものばかりだった。

 料理・魔物・キャンプ等々、色んなジャンルにステラは楽しく読ませてもらったのを今も覚えている。 

 テント等の組み立ての知識もそれで覚えたもので、それを聞いたレインも納得した。


「……本の知識ですか」


「はい! みんな城の書庫にはない本ばかりで楽しかったです。メイドや騎士――ヴィクセルも貸してくれました……」


 思い出してしまった。ヴィクセルの事を。  

 自分が小さい頃からいたヴィクセルは、ステラにとってもう一人の親の様な存在。

 厳しくも優しく、子供の頃に城下町に行きたいと泣きながら駄々をこねた時は、他の騎士達と話を合わせ、お忍びで連れて行ってくれた事もあった。


――そんなヴィクセルがもういない。自分を暗殺しようとし、そして守って死んだ。


「……どうして」


 ステラは思い出してしまい、目尻が熱くなるのを感じ取った。


――険しい表情の方もいましたが、それ以上に多くの方が優しい表情で見送って下さいました。

 

 国を出た時には、こんな事になるなんて思ってもみなかった。

 暗殺の危険は理解してきたが、信頼し、賛同してくれた者達が仲間を殺し、己を暗殺するなんて想像ができなかった。

 優しい記憶が更にそれを印象深くしてしまい、本当に泣きそうになるが、ステラは堪えるように歯を食い縛り、感情を何とか呑み込む。


――分かっています。悲しんでいる場合じゃないのは。それに、王女が簡単に涙を流してはいけない。ましてや、人前でなんて……!  


 王族は国。強いて民の象徴。

 皆、信じて付いて来てくれている。いつでも強い姿を求めている。だから、弱さと涙を見せてはいけない。

 泣いて良いのは一人の時だけ。少なくともステラは、レインが目の前にいるので泣いてはいけないと思っていた。 

 

――耐えなさいステラ……!


 何とか悲しみを呑み込み、無理矢理だが、出来るだけ自然な感じで笑顔を作ってレインに視線を戻した時だった。


「――泣きたいなら泣けばいい」


 不意に発せられたレインの言葉に、ステラはゆっくりと顔をあげると、その黒い瞳がジッと自分の事を見つめていた。


「泣きたい時にこそ、本当の意味で涙を流せる。だが、その時に泣くのを耐えてしまえば本当に泣くことが出来なくなる。――涙は枯れるぞ」


「で、ですが……私は王女です。だから……涙を人前で流す訳には……!」


 レインの声は今までとは違い、どこか優しい声だった。

 だからこそ縋る様に甘えてしまいそうになるが、ステラは己の心へ無理矢理に鍵を掛け、感情を抑え込んだ。

 

――泣くわけにいかない。これ以上、私に何か言わないで!

 

 叫びそうな感情の爆発。

 それすらもステラは抑え込もうとするが、不意にレインが立ち上がった。


「えっ……?」


 突然の事でステラは面食らうが、不思議なのはここからだ。

 立ち上がったレインは何を思ってか、ステラの横を通り抜け、そのまま彼女の真後ろで腰を下ろす。

 

「あ、あの……?」


 これにはステラも困惑したが、レインへ背中合わせのまま問いかけても、レインは一言も発する事はなかった。

 まるで、それはかと思わせるかのようだ。


「あ、あの……もしかして?」


 突然、そして不自然な行動は流石のステラも察した。

 

――誰かの前では泣かない。


 そう言った自分の言葉を、レインは不器用なやり方で叶えてくれたのだと。

 護衛という任務がある以上、離れる訳にはいかないが、ステラは彼の不器用な優しさを理解した。

 その為、、今も沈黙し続けるレインを背にしていると、その不器用な行動がおかしくも思い、思わず笑ってしまう。


「フフッ……!」


 普通の人ならばこんな事はしないだろうが、それを自然に実行するレインがステラはおかしかった。

 無表情なレインのギャップも手伝って尚もおかしいが、それは馬鹿にする様なおかしさではない。

 純粋に嬉しさからくるものであり、その心の温かさが彼女の心を溶かし始める。


「あれ……?」


 溶け始めれば、今度は自然と己に付けた“仮面”も溶けてゆく。

 ステラは気付けば自分の頬を伝う涙に気付くが、一度溢れてしまった感情を止めることが出来なかった。

 

「あ、あぁ……!」


 気付けば泣いていた。ただ純粋に、心のままに。

 溢れる涙。心も叫んでいる様に荒れており、もうステラが自分を抑える事は出来なかった。

 一人の人間として、ただ彼女は泣くことを選んでしまう。


「ああぁぁぁぁぁん!! どうしてぇ……!! どうしてぇみんなぁ……!! あぁぁぁぁぁん!!」


 涙を大量に流し、鼻をすすりながらも泣き叫ぶ彼女の姿は、城で見た時の凛々しい姿ではない。

 純粋に悲しんで泣く、幼い子供の様だった。

 

 しかし背後にいるレインは何も言わず、何もするわけではなく見守り続けるのだった。


♦♦♦♦


 ステラの大泣きは思ったよりも長い時間、森に響いていたが、その反動からか泣き止むと同時に彼女は糸が切れた様に眠ってしまう。

 レインはそんなステラを抱き上げてテントの中で寝かせると、布を掛け、後は音を出さない様にテントを出た。


 けれども、それでレインの動きが終わりではない。寧ろ、ここからが本番だった。

 まず魔力を込める事で起動する“魔物除け”を周囲に再設置し、薄い光と共に魔物の大半が嫌う匂いが発生させ、これで並みの魔物程度ならば近寄りもしない事を確信した。


「……始めるか」


 そして、ここからは、焚き火が消えない様に見張りと同時に地図を広げた。

 何故なら、現在地、ルナセリアまでのルートを今から決める為だ。

 焚き火という限られた灯りの下に、レインの調べものは朝日が昇るまで続けられた。



♦♦♦♦


 鳥の声がやけ近くで聞こえる。

 朝日の光なのか、目蓋越しに感じる眩しさでステラは静かに目を開いた。


「……あれ? 私……どうしてテントに?」


 ステラは目を擦りながら上半身を起こした。

 覚えているのは昨夜の事。レインの不思議な対応もあって、大泣きしてしまった時までだった。

 その後は泣き疲れた事で自然と目を閉じてしまい、そこからは何も覚えておらず、気付けばテントで起床している。

 

 きっとレインが運んでくれたのだろう。

 泣き疲れと寝起きであったが、流石にステラもそれぐらいは察せた。

 けれども、それに気付くと同時に恥ずかしさで顔が熱くなってしまう。


「うぅ……私、なんてはしたない事を……!」


 視界にいなかったとはいえ、めちゃくちゃ大泣きした。

 更に疲れて眠ってしまい、そのまま運んでもらったとしか思えない。

 面識はまだ数日だけで、しかも異性。ステラは恥ずかしくて仕方なかった。


「うぅ……! 迷惑ばかりしてしまい、どんな顔でお会いすれば……!」


 今回の件は間違いなくルナセリア側の問題であり、それに巻き込んだ事もあるが、初めて出会った時には転びそうにもなり、挙句にこれだ。

 

 一国の姫のオーラ的なものを示したかったが、もう威厳なんてない。

 ステラは己の情けなさに溜息を吐きながらも立ち上がり、顔を洗う為にテントから出ようとした時だ。

 

「?……なにか音が――」


 外からバシャバシャといった水の音が聞こえ、反射的にテントから外を覗いて見ると、レインが湖の水をタライに入れ、タオルを浸しながら上半身を拭いていた。


「えっ……!?」


 当然ながら、レインは上半身は裸だ。

 異性の裸など、父親か弟のしか見たことのないステラは思わずビックリし、覗いたままの格好で固まってしまった。

 本当に突然、まさか身体を拭いているとは思ってもなく、ステラは完全に覗き魔の様にレインから視線が外せなくなっていた。


――す、凄いです……!


 髪は綺麗な黒の長髪。背後から髪だけ見れば一瞬、女性だと思ってしまう。

 だが、肉体を見ればそうは思わない。

 所々にある傷と、引き締められた肉体が、確かにレインが男性だとステラの本能が語り掛けていた。


「わぁ……あんな感じなんですね」


 若くして国内最強の騎士の一人となっただけあり、肉体と纏う雰囲気は何かが違った。

 冷静に観察して初めて自覚できたレインという存在へ、ステラが息を呑みながら見ていた時だ。

 やがて、ステラは己の今の行動を自覚する。


「っ!?――わ、私……なにをしているんでしょう!?」

 

 冷静になった事で自覚した己の姿。

 それは、まるで出歯亀の様な覗きでしかなかった。

 一国の姫が何てことを。こんな事はやってはいけない。

 ステラは必死に顔を振って誤魔化しながら、テントの出入口を閉じようとした時だった。


「なにか?」


 ステラは何故か出入口の前にいたレインと目が合った。


「――はい?」


 先程まで湖側にいた筈のレインが、なんで目の前にいるのか?

 浴びていたからか、上半身はマントしか着ていないが問題はそこではない。


「キャァァァァァァ!!?」

  

 ステラは突然現れたレインの登場にビックリして尻餅をつくと、オバケでも見たかのようにレインへ必死に指を向けながら叫んだ。


「なんで目の前にいるんですか!? さっきまで湖の方にいましたよね!?」


「ずっと視線は感じていましたが、テントから出てくる気配もないので何かあったのかと……」


 表情一つ変えずにレインは言い切った。

 逆にステラは、驚愕しながら表情を変える。恥ずかしいという感情一色に。


――覗いていたのバレていましたぁ……!!


 穴があったら入りたい。両手で顔を隠しながら、その場でうずくまるステラ。

 だがレインは一切気にした様子もなく、テントの出入口を開けながらとある場所を示した。


「水浴びならばお早めに。……その間に食事の準備を行います」


 レインが示した場所。そこは湖の方であったが、浅い所を中心に木等を柱とした簡易的なカーテンの遮られた空間があった。

 

「……えっ? あ、あの……」


 咄嗟の事で思わず呼び止めたステラだったが、レインは聞こえていなかったかの様に、準備していた食材の下へ向かってしまった。

 これで話は終わってしまい、先程の恥ずかしさ、お風呂に入っていない事もあり、ステラはレインの言うとおりに湖で水浴びをする事にするのだった。


♦♦♦♦


 横に広いカーテンで遮られた空間。

 それがステラの身体を隠し、青く輝く湖で静かに仰向けに浮きながら空を眺めていた。

 水に濡れるステラの身体。それは女性として整っている姿であり、最早、芸術の様に美しいものだった。

 

 けれども、そんな彼女を隠しているのカーテンだけであり、その気になれば側面から見れば完全に覗かれてしまうが、レインがそんな事をしないという信頼があった。

 それは少なくとも、ステラ自身の勘としか言えない信頼だが、そう思っていた。


「……気持ちいい」


 髪を解いた事で広がるステラの青い髪も、湖と一体化している様に美しく溶け込んでいた。

 心地良い冷たさを肌で感じながら、静かに瞳を閉じたり開けたりし、落ち着きを取り戻すのに最適な心地よさ。


「私……生きているんですね」


 湖を流れる風や飛び立つ小鳥の微かな鳴き声。

 それにさえ、かき消されるステラの呟きは、彼女自身にしか聞こえていない。


 だが、その小さな呟きだけでもステラが、己が生きている事を自覚させるのに十分だった。

 この日の暖かさ。風の心地よさ。水の冷たさ。泣いた事での怠さや渦巻く感情も、今は嬉しくて仕方がないのだ。


「外の世界……私はいま、ここで生きている」


 まるで、ステラの全てが湖と一体化でもしたかの様に、儚い雰囲気を纏いながら呟いた。

 

 遠くまで来たものだ。

 歳を重ねるにつれ、外に出るのも色々な条件に縛られる様になったものだと。

 堅苦しく、自由も開放感もない外への旅は、最早憧れにも近付かった。

 

 だが、今は自国どころか他国にいる。

 しかも、どこにいるのかさえも分からない本当の冒険の様に。

 まさか、こんな事になるなんて思ってもみず、ステラは想像とのギャップに、まだどこか信じられない想いを抱いていた。


「でも、これは現実。皆に裏切られ、殺されそうになった。そんな私を守ってくれたのが、ずっと最大の敵国とまで言われたアスカリアの四獣将――黒狼のレイン」


 事実は小説より奇なり。

 そうとしか言えない現実に、ステラは小さく微笑えみながら、静かに瞳を閉じた。

 すると、それに合わせる様に、湖の水面は揺れずに静寂に包まれた。

 

――!


 ステラを中心に生まれる不思議な空間。

 そこで、ステラは数分そのまま漂うと、やがて、その瞳を開けて小さな声で呟いた。


「――はい。私は、レイン・クロスハーツを信じます」


 ステラの周辺には誰もいない。

 けれども、ステラは確かにそう呟いた。誰かに何かを聞かれたかのように。

 違和感が残る。けれど、ステラ自身は満足そうな表情を浮かべ、十分満足した水浴びを終えると、カーテンの個室の空間に消えていった。



♦♦♦♦


 湖から出て着替え終えたステラを待っていたのは、パンや昨夜のシチューを温め終え、朝食の準備を完了したレインだった。

 青空の下での清々しい風が吹きながらでの朝食は格別で、城で食べる食事よりもステラは美味しく感じることができ、嬉しそうに頬張りながら食べていた時だ。

 

「今日を含め……二日です。ここに居られる時間、それが限界です」


 相変わらず無表情だが、少し重い口調で呟くレインの言葉にステラは現実に戻り、食事の手を止めた。


「……明後日には、すぐび出発しなければならないんですね?」


「はい。今日を含めた二日で周囲の森に入り、可能性は低いですがグランを探します」


 一晩悩んだレインだったが、やはりどう考えてもグランが必要という結論を出した。 

 実は戦力だけではなく、見た目に似合わない知識量など、今後の護衛旅には欠かせない存在だった。

 レインが言った二日は旅の準備もあるが、グラン発見が一番の目的だ。


――だが期待はしていない。


 ハッキリ言って発見の可能性はあまりに低い。

 昨晩、レインは地図を広げて現在地の場所を調べて分かったのは、アスカリア国内なのは間違いないが、グラウンドブリッジからあまりにも離れてしまっている事実。

 

 最低でも山一つ以上は確実であり、グランが生きていたとしても、近くにいるのかも分からない。

 まさに運任せの探索であり、レインは一人での護衛も覚悟しているが、元より過酷な旅なのは最初から同じだ。


 その考えは、レインの雰囲気からステラも察する事ができ、覚悟を決めた様に力強く頷いた。

 

「分かりました。判断はレイン様にお任せ致します。――私も、覚悟を決めなければなりませんね」


 悲しそうに、だがどこか力強い口調で呟くステラが生きる為の覚悟を決めると、レインはそれを察する様に何も言わず、次の行動を説明し始めた。


「食事をとり、態勢を整えたら森に向かいます。その時は俺が前に出ますので、ステラ王女は、すぐ後ろを付いて来て下さい」


 本当ならば、レイン一人の方が無理な捜索が出来るが、ステラ一人を置いて行くのも論外だった。

 多少の危険を覚悟をしてもらうしかなく、レインの言葉にステラも理解している様に頷いた。


「はい。お願いしますレイン様」


 ステラの同意を得て、やがて二人は準備を行ってから森の中へと入っていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る