第20話 共に歩む 

「ねえ、本当に、私についてくるので良かったの?」


 蓮の花がとうに散り、桐の花が咲き始める初夏の頃。見晴らしの良い丘の上で、沙羅は湿気を帯びてきた温かい空気に季節の移ろいを感じながら、隣に立つ九尾へ尋ねた。


 九尾は、黒い着物をまとい、その上に赤い羽織を引っ掛けている。胸元には、五つの勾玉の連なる首飾り。九尾はそのうちの一つの勾玉に触れながら、「ああ」と目を閉じて頷いた。


「俺の望んだことだ。生きるのをお前に許されたとはいえ、どう生きるかを決めるのは俺の意思でいいだろう?」


 それからふとを目を開けて、「沙羅は、俺がついてくるのはいやか?」と尋ねてくる。沙羅は「まさか」と笑った。


「嫌じゃない。ただ、九尾が義務感とか、罪悪感から、無理にそうしようとしているのではないことを、もう一度確認したかっただけよ」


「そうでないのなら、良いのだろう」


「ええ。もちろんよ」


 沙羅は頷く。


 それから少し、ここに至るまでのことを思い返した。


 あの雨の日、御統へ再び戻った九尾は、それからしばらく姿を現さなかった。

 沙羅の方は山を下り旅を続け、菊野屋で雇ってもらいしばらくそこで日銭を稼いで暮らしていた。が、思うところがあり、つい数日前にお暇をもらった。九尾が再び沙羅の前に姿を現したのは、そのあとのことだ。九尾は沙羅のこれからの考えを聞くと、それに賛同し、自分も同行することを願い出た。長い封印と、自身を苦しませ続けてきた忌まわしい衝動から解き放たれたことによる反動で、ずいぶん体が弱っていたらしいのだが、誰にも邪魔されぬ御統の中で眠り続けたことでほとんど回復し、用心棒くらいは勤められると九尾は請け負ってくれた。沙羅は、九尾が元気になったことが嬉しく、また一人での旅路は心細かったため、ついはしゃいでしまい、九尾の申し出を喜んで受け入れた。しかし、九尾の申し出は、沙羅に救われたことに負い目を抱いているからなのではないかと、ずっと気がかりだった。一度それを確認したもののやはり不安だったので、たった今、再度確認したことになる。九尾は、そのような気持ちからではないと否定したが、ひょっとしたらやはり自分のしてきたことへの罪悪感からくる、罪滅ぼしの意図もあるのかもしれない。いや、きっとあるのだろう。だが、九尾は心の底から沙羅と共に旅をすることを望んでいるようだった。それを無理やり止めるのも、野暮というものだろう。


 沙羅はうーんと伸びをしながら数歩進み出て、眼下に広がる田園を見下ろした。青々とした稲の伸びるその光景は、ちょっとした草原のようだ。今頃多津瀬の風景も、こんな風になっているのだろうなと、しばし郷愁の念にかられる。


「ここから、そのなんとやらという村までは、どれほどかかる?」


「馬でいけば三日と聞いたけれど、私たちは歩きだからね、五日……いえ、もっと

見ておいたほうがいいかも」


 九尾と言葉を交わしながら、沙羅は目的の村があるはずの方向へ視線を向けた。


 泊瀬領に属するその村の噂を聞いたのは、菊野屋のある町までものを売りに来る行商人からだった。


 その村では、先日の土砂降りが原因で水害が起こり、多くの人や家屋、牛馬が流されたらしい。かなり大規模な水害で、復興のための人手も足りず、溺れ死んだ人々の遺体の回収や供養もままならない。野ざらしにされた死体には烏や野犬が群がり、惨憺たる有様となっている。おまけに、その村には領内で罪を働いた罪人を入れる牢があった。水害時、誰も助けに来ず、逃げることすらできず、哀れにも牢の中で多くの罪人が溺れ死んだそうだ。そうした成仏できぬ魂が、生者を死の淵へ引きずり込もうとしているのか、復興作業中に不可解な事故が起きたり、夜な夜な誰もいないはずの場所からうめき声か聞こえてきたりしているらしい。そうした死の穢れに満ちた場所には、穢れを好む類のあやかしが出没するようになり、ますますひどい状況になっている。それを聞いた時、沙羅はふと九尾に言われた言葉と、自分の身に起きた不思議な出来事を思い出したのだ。


 もし、本当に、自分に魂を鎮め、邪なものを祓う力があるのならば、その村の助けになるかもしれない。それからしばらく迷ってはいたが、とうとう暇を貰い、その村へ行くことを決意した。やっと、自分がどう生きるかを、見つめ直すきっかけになる気がしたのだ。


「ねえ、九尾、そろそろ休憩は終わりにして、行きましょうか」


 吹いてきた風に煽られる髪を押さえ、沙羅は九尾の方へ振り向いた。九尾は

「ああ」と頷くと、沙羅が置きっ放しにしていた行李を持ってきてくれた。


「俺がいるからと安心して、あまり荷物から目をそらすな」


 行李を受け取りながら、沙羅は「ごめんなさい」とバツの悪い顔を浮かべる。


「さあ、行くぞ」


 と、沙羅が先に出発するといったのに、いつの間にか九尾が先に立って歩き出している。


「あ、ちょっと待って」


 沙羅は行李を背負い、スタスタと早歩きの九尾の後を慌てて追う。


「もう、歩くの早い」


「お前が遅い」


「ちょっとは気を使いなさいよ。そんなんじゃ女の子から好かれないわよ」


「余計なお世話だ」


 いつの間に、九尾とこんな軽口をたたき合うようになったのだろうか。なんだか不思議ねと、沙羅はちょっぴりおかしくなった。最初は怖くてたまらない存在だったのに。


「九尾」


「ん?」


 名を呼ぶと、九尾は少し鬱陶しそうな顔を寄越す。


「これからも、よろしくね」


「言われなくとも」


 そのつもりさと、九尾は短く答え、前を向く。


 二人の前には、これからの夏に向けていよいよ青みを増してくる空と、豊かな田園が広がっている。


 元多津瀬領の姫にして、高い霊力を秘めた元巫女の少女と、かつて国中を荒らし回った果てに何百年もの間封印された九尾の妖狐。珍妙な取り合わせの二人は、こうして道を共にし、旅に出た。彼らが天狗に育てられた少年と、陰陽師の二人組に出会うのは、季節が一巡りした次の春の日。まだしばし、先のお話。


[完]




************************************

二人のその後は、当作品の約一年後の世界を舞台に描く『天狗の弟子は空を飛ばない』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054885196137

にて収録しております。


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封印の守り巫女と九尾の妖狐 藤咲メア @kiki33

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