第14話「母の記憶」






   14話「母の記憶」






 「どうしたの?緋色ちゃん………。」

 「…………苦手なんです。お父様が………。」



 緋色は食事の手を止めて、視線をずらした。

 父親の事は誰にも話したことがなかった。話せるはずもなかった。

 だから、泉に問われるとどうしていいのかわからないのだ。



 「………前からそれは感じていたよ。どうしてお義父さんが苦手なのか、俺に話してくれないかな。」

 「でも…………。」

 「結婚するんだ。もう他人事じゃないよ。」

 「いい話じゃないよ。もしかしたら、嫌いになるかもしれない。」



 そう言いながら、自分はなんて勝手なんだろうと緋色は思った。自分の気持ちを感じとり悲しくなる。

 相談する事よりも、泉に嫌われるのが怖かった。彼は話した事ぐらいで嫌いになるはずはない。それはわかっていたけれど、怖かったのだ。

 幸せな生活が呆気なく終わってしまうのが。



 本当の夫婦にもなれるかわからない関係なのに、彼との生活を失うのが怖くなってしまうのだ。



 そんな緋色の気持ちを感じ取ってか、泉はゆっくりと頷いて「大丈夫だよ。」と言って、緋色の不安を少し和らげてくれた。



 「………泉くん………私、うまく話せるかわからないけど、聞いてくれるかな。」

 「何か苦しくなったり痛くなったりしたら、無理はしなくていいからね。」

 「………うん。」



 2人は食具を置き、1度食事を中断する事にした。


 いつかは彼に話さなければいけない事だとは思っていた。それが今日になっただけの事だ。そう思い、小さく息を吐き、緋色は話しをし始めた。

 泉ならば、わかってくれるだろう。そう信じるしかなかった。






 「お母様が病気で亡くなったのは、私が19歳の時だと聞かされているわ。………私は28歳の時に事故に遭っていて、それより過去の事はあまりよく覚えていないの。覚えているとしても、誰かに聞いた事に想像が重なって、どれが本当の記憶で誰かから聞かされた記憶なのかもわからない………本当の記憶があるのか、自分の過去なのに、よくわかってないんだ。………だけど、たぶん19歳の時にお母様がなくなったのは本当だよ。」


 

 まだ昔の事を思い出そうとするのは怖かった。けれど、泉にも聞いてもらった方がいい。話をしているうちにそんな風に思ってしまうのは、きっと彼が真剣な表情で聞いてくれているからだと思った。



 「事故に遭ってからお母様の事を知ろうと思って、実家にあったアルバムを少し見せて貰ったの。子どもの頃のしか見つけられなかったんだけど、お母様を姿を見たら少し懐かしいなって思えて嬉しかったんだ。思い出はそこまで詳しく思い出せないけど、写真を見てこれは動物園に連れていってもらったのかな、とか、誕生日プレゼントのかな、とか見てわかる写真があってよかったなーって思いながら眺めていたの。そしたらね、そのアルバムが置いてあった本棚の端に何か古びた紙が挟まっているのをみけたの。お父様の経済書が乱雑に置いてあったあって、そこに挟まっていたの。それが何故か気になって私はその紙を手に取ってしまったの…………。」




 緋色はそういうと、1度目を瞑ってからその手紙の内容を思い出す。今でもはっきりと覚えている。あの手紙の文字を見た時の衝撃を。




 「それはお母様がお父様に書いた手紙だったの。見るのを躊躇いながらも、どんな愛の言葉が綴られているのか、とても気になってしまって見てしまったわ…………。短い手紙だった。そこにはこう書いてあった。『私は望さんが好きですが、もう諦めます。違う人と一緒になってください。そして、幸せになってください。』と書いてあったの。」

 「…………そんな………。」

 「…………それを見てすぐにわかったの。お父様が他の人と恋をしていたのをお母様が知っていた事を。だから、お母様はそんな手紙を書いたんだって………。私はお母様とお父様は仲が悪かったんだなってわかったの。………もちろん、お父様にも問い詰めたわ。そしたら、その手紙の事をお父様は否定をしなかったの。」



 緋色は話ながら感情が高まってきてしまったのか、瞳から涙が溢れてきた。ポタポタと服やテーブルに大粒の涙が落ちる。

 今まで誰にも相談できずにいた家族の秘密。

 それは記憶をなくした緋色にとっては大きな衝撃だった。誰も信用できない状態で、家族さえも疑わなければならない。それが、どんなに辛い事だったのか。


 自分でも気づかない内に緋色は大きな負担を背負っていたのかもしれない。



 すると、黙って聞いていた泉が緋色の隣の席に座り、涙を指で拭ってくれた後に手を優しく握ってくれた。



 「緋色ちゃん………その手紙を見てからずっと考え込んでいただろうね。そして、家族だけが信頼できる時に、そんな事を思っていたなんて辛かっただろうね。」

 「……………私、ずっと写真に写るお母様が自分の本当のお母様じゃないのかもしれないって思ったら…………本当はどこの誰なのか不安になって仕方がなかったの。」



 この手紙の名前を見ると父に聞かされたお母様と一緒だった。だったから、その違う人とお父様との子で、お母様はいなくなってしまったのだろうか。それとも、写真の人は違う女の人でお母様は私を産んだ後にお父様と別れてしまったのだろうか。

 正解がわからないまま、そんな事ばかり考えていた。


 

 「緋色ちゃん、楪さんにはしっかりと聞いてみたかな……?何だか話を聞いてるとおかしい所も多いと思うよ。もっとしっかり本当の事を聞いた方が………。」

 「もう怖いんだよ………どれが本当なのかわからないのに、また違った事を聞かされるのは。………お父様がお母様にあんな辛い手紙を書かせたのは事実なんだから。」

 「緋色ちゃん、それはダメだよ。」

 「………なんで?なんで、そんな事言うの?わからないのに………!」



 緋色は泉が握っていた手を払い、普段より大きな声を出して彼を拒否した。

 彼の同意を得たかったわけではない。同情して欲しかったわけでもない。

 そのはずなのに、泉がそう言ったが悲しく感じてしまった。

 やはり、自分は泉に甘えたいだけの自分勝手な女なんだと思う。



 「緋色ちゃんが心配だからだよ。………幸せになって欲しから。だから、しっかりとお義父さんと話してみるべきだ。」

 「………怖いよ。だって、それで本当の事を知ったらどうすればいいの?」

 「本当の事を知って、君がお父さんと離れたいのなら、俺の名字を継げばいい。今は誰にも相談できない独りぼっちじゃないんだから。………俺に甘えていいんだ。」

 「……………っっ…………。」



 その言葉が今までの緋色がどれだけ欲してのか。

 緋色は彼のその言葉を聞いて実感出来た。


 誰かが手を伸ばして助けてくれる。

 この人ならば、本当に信じていいのではないか。


 そんな人と出会いたかった。




 出会ったばかりの人を信じすぎなんて、本当ならば、怖いはずなのに。どうして、彼は信じてもいいと思うのだろう。

 けれど、緋色の頭が、体が、そして心がそう言っているのだ。

 


 「彼なら大丈夫。」と。



 緋色は次から次へと涙を溢しながら、泉が抱きしめてくれるぬくもりを感じて、ホッして目蓋を閉じた。


 今だけでもいい、彼に甘えてみよう。

 緋色は緊張を解き、そっと彼に体を預けるのだった。



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