第十九話 七炎守の苦悩②


「アルバトロス家当主、三炎守ムヴィス・アルバトロスの釈放を求める署名がすでに百余り……か。まったくどうしたものか、時間が経てばさらに増えるだろうな」


 ミスティアの人口はおよそ千人。あの内乱を経ても、少なくとも十分の一が白昼堂々凶行に及ぶ愚か者を支持しているのだ。無論、口に出さないだけでムヴィスを支持している者もいることだろう。


 さらに問題なのが、少なくない数の住民が傍観に徹しているということだ。彼らは先の内乱も、いまの現状もさしたる問題ではないと決めつけている。


 たとえ空が落ちてこようとも、何が起ころうとも、ミスティアはミスティアであり続ける……そしてこの先も、そうあり続ける。いまを生きるこの瞬間に一喜一憂するなど、あまりに徒労である。


 幾星霜いくせいそうも閉鎖された社会ゆえに、そんな思考を投げ捨てたかのような諦観がこの狭き世界では蔓延はびこっているのだ。火種がいきなり熱を帯びたように見えるのも、その思想が原因のひとつだったのかもしない。


 ――――内乱後のミスティアが再度不穏になったのは、昨年に行われた炎守の選定からであった。


 水面下で暗躍し、他派閥の弱みを握り、そして支持を広げたムヴィスは選定の候補となり、そしてあろうことかいきなり三炎守へと封ぜられた。


 さらに近頃は、三炎守であるアルバトロス家になびく他の炎守も現れ始めている。このままいけば巨大な派閥となり、制御できなくなる可能性すらあるだろう。


「たしかに精査も済んでいないよそ者は、ミスティアでは人間扱いされない。だからといって、いきなりリーシュとまとめて殺そうと襲うのは度が過ぎている」


 ムヴィスは愚か者であり、憶病だ。しかし狡猾であり手段を選ばず、白昼に暗殺を仕掛けるような妙に大胆な一面も持ち合わせている。どこかちぐはぐで、掴みどころのない男だ。


 そしてフレドーはムヴィスに対して負い目を感じていた。先の内乱で為した五十人斬りの犠牲者の中には、ムヴィスの両親も含まれていたからだ。


 ムヴィスの非情さは実の姉と兄を謀殺してまで家督を奪い取ったほど。それほどまでに心ない男に負い目を感じるだけ無駄であると、妹であるナタリアには何度も言われていた。


 彼の行動原理は決して親の仇などではなく、全てを手中に収めるという支配欲からくるもの……フレドーは自分にそう言い聞かせているものの、完全に割り切ることができないでいた。


 ミスティアの管理者という観点から見れば、蝕む病魔ともいえるムヴィスは秩序を揺るがす愚か者というより他はない。剣や魔法に熱を注がず、くだらぬ策謀にふけるなど言語両断である。


 しかしムヴィスは先に起こった内乱を学び、手法を変えた。不満を焚き付け、じわじわと賛同者を得て、ひとつの民意として打ち上げるというものであった。


 外界との共存、そして自由。それらはいまを生きる若い世代にとって、喉から手が出るほど欲しいものであろう。


 なんの刺激もない、移り変わりしない白い霧の世界で、このまま老いて死んでいくなど……あまりにもつまらない。


 外界には親しい友人がいる。なんの根拠もなくそう決めつけてやまないムヴィスに、人々は疑念こそあれど賛同してしまう。


 人間は夢に生きるべき存在である。


 ゆえにつまらない現実よりも、外界という夢に惹かれるのは仕方のないことかもしれない。たとえそれが絵に書かれた墓標であったとしても、あたかも理想郷のように盲信してしまう。


 そのことについて、フレドーは否定するつもりはない。それは本能というべき、人間のさがなのだから。


「……俺だって、なんの責任のない立場なら奴の言うことに賛同したくなるさ。だが――――」


 彼らの掲げる自由とはあまりに無責任であり、そして無秩序であった。


 遥か昔の先祖は、魔法の行使者であるがゆえ教会に追われ、身を隠すためにミスティアを興した。教会による秩序というものが変わっていない限り、外界との交流など絞首台にわざわざ登りにいくようなもの。


 ムヴィスの支配欲がミスティアひとつで収まるならば、まだ不幸中の幸いと言える。ミスティアは暗黒の時代へと進むが、その存在は秘匿され、強引な支配もいずれ終わり元に戻るからだ。


 だが外界へとその欲が向いたとき、抗いようのない破滅がミスティアを襲うだろう。灰となったミスティア、もうそこには自由も不自由もなく、ただ無があるのみ。


 だからこそフレドーは否定する。命の保証もなく、ただ楽観的に自由を叫ぶ者たちを。


 そしてミスティアの秩序を正さなければならない。この不自由こそが、我々の命を繋いでいる。その非情な現実を、改めて示さなければならない。


 それが両親の意志を受け継ぎ七炎守となった意義であり、罪滅ぼしであり……なにより夢を諦めた自分への償いなのだから。


「スクート……お前は俺に夢を思い出させたんだ」


 苦難と葛藤に満ちた人生を送ってきたフレドーだが、ここにきて思わぬ幸運が彼に舞い降りた。


 かつてフレドーには夢があった。


 霧の外へとおもむき、剣の業の……限界へ至るという途方もない夢が。それはミスティアでは決して叶う事のない夢である。


 フレドーは幼少より剣の冴えは凄まじく、十一歳でありながら大人を打ち負かした。


 そして当時ミスティアで一番の剣士であるクロスフォード家の当主、リーシュの父ホルスに弟子入りした。


 そして十四のとき、フレドーは師を越えた。


 越えてしまったのだ。


 ミスティアという狭い世界の頂点へと登りつめてしまった……その事実はフレドーにとってあまりにも残酷であった。


 さらなる剣への渇望を求めるならば、彼はミスティアを捨て出ていかなければならないのだから。


「乾きがうずく。殺していた本能が、水のように湧き上がる」


 フレドーはミスティア内乱において、ひたすらに人を斬った。


 しかしフレドーが真に願うことは、雑多な有象無象を斬ることではない。


 自身と同等か、それ以上の強者と剣を交え、死力の限りを尽くす。


 己の全力を受け止められる存在との邂逅かいこう、それがフレドーの諦めた夢であった。


 しかし幸運にも、フレドーの諦めた夢はどういうわけか向こうから舞い戻ってきた。


「あの男の剣技……。興味が尽きない。あれほどの剣を木の枝のごとく振り回しす膂力りょりょくを持ちながら、相手を気絶させるに留める技量の正確さ。見切れはするだろうが、いざ対面したらぎょしやすいとは到底いえんなぁ」


 フレドーの瞳の奥に、剣への渇望が光となり輝いた。


 自身に匹敵しうる強者が、まさか霧の外から迷い込んでくるとは考えたことすらなかった。


 スクートとの邂逅。それは外界に出ることは叶わなくとも、夢の一端は叶うというフレドーにとって降って湧いた幸運なのだ。


 いずれ、互いに死力を尽くして剣を交える日を設けなくてはいけない。


 そしてさらにわがままを言うのであれば、フレドーはスクートに負けたかった。


 無論、全力を尽くしたうえで。


 もし負ければフレドーはスクートの背中を、追い越すまで目指し続ければよい。その間は、覚めぬ夢の中に入れるのだから。


「兄さん、失礼する」


 トントンと、扉を小気味よく叩く音がフレドーを思考の海から救い上げる。


 やや間を開けて一冊の本を片手にナタリアが姿を現した。

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