第十八話 七炎守の苦悩①


 スクートとリーシュがアロフォーニアを訪れてから三日が経った。


 陽は沈み、夜の静寂がミスティアを抱擁ほうようする。


 里の民はみな、家族や友人と共に晩餐ばんさんを楽しみながらくつろいでいることだろう。


 だがそんな里の中で唯一、アロフォーニアの執務室で忙殺されている男がひとりいた。


「はぁ。書類に目を通すだけで一日が終わっちまった。こんなことをし続けて四年も経つが、慣れないものだ。やはりしょうに合っていないのだろう。俺の手は、握るべきは筆ではなく剣こそがふさわしいとでも思っているに違いない」


 フレドーは溜息と共に筆を投げ出すと、疲労が溜まりに溜まった首の裏へと手を伸ばす。


 まるで岩のように固くなった凝りを押しつぶすようにさすり、思い描いた理想と重苦しい現実との差に再び息を吐いた。


「剣をがむしゃらに振っていた頃は、こんなに身体が鈍ったことなどなかったんだがなぁ。だが、これも……全ては罪滅ぼしだ」


 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、フレドーは筆を握り直し、見たくもない書類へと視線を落とした。


 ――――ベルングロッサ家は二百年もの間に渡って、七炎守の座を守り抜いてきた。


 ひとつの一門がこれほどの長期間に渡って七炎守の座を保ち続けているのは、ミスティアの歴史においても非常にまれであった。


 隔絶されたミスティアでは、魔法の行使者たる魔女こそが全ての中心である。


 故にこの白く小さな世界では、必然的に女は男よりも尊ばれるのは物の道理であろう。


 フレドーには妹のナタリアがいる。異様に頭が切れ、魔法の技量も飛び抜けた才女だ。


 いずれベルングロッサを継ぐのはナタリアのはずだろう。フレドーも両親も、ミスティアの民もみながそう思っていた。


 だが、四年前に突如として事態は急変する。


 フレドーとナタリアの両親が、あろうことか薬の調合中に起こった不慮の事故にあい死んでしまったのだ。


 両親の薬学はミスティアでも指折りだ。原因不明の爆発で命を落とすなど、そんなことは万が一にもありえないはずであった。


 そして、さらに不運は続く。ベルングロッサ傘下の者や、派閥に属する他の炎守さえも不運な事故により命を失っていく。


 一度ならば不運は偶然かもしれない。だが何度も不運が続くというのは、もはやそれは必然となりうる。何者かの思惑がうごめいているのは明らかであった。


 影響力のあった祖母も祖父もすでに他界しており、もはや名ばかりとなった七炎守という称号は、残されたフレドーとナタリアにとって何の後ろ盾にすらならなかった。


 このままでは自身はおろか、妹の身さえ危うい。そう判断したフレドーは六炎守の長であり、またかつて剣の師であったホルスに助力を仰いだ。


 そして当時十六歳であったフレドーは、剣に誓う。両親の仇を討ち、ナタリアを守り抜き、ミスティアに平穏を取り戻すと。


 フレドーは七炎守の後継を宣誓した。それは蠢動する者たちへ挑発と、ナタリアに矛先が向かないよう己が身を盾にする狙いがあり、ホルスがフレドーに助言した大胆な策であった。


 挑発は功をなし、フレドーには幾度となく刺客が差し向けられる。


 だが複数人で襲われようとも彼はかすり傷ひとつ負うことはなく、また父より受け継いだ宝剣は魔力をも斬る。そのため魔法による不意打ちでさえ、フレドーを止めることはできなかった。


 フレドーはあらゆる刺客を退け、少しずつ真相へと近づいていく。命を賭けあうたびに彼の剣はさらに磨きあがり、だが餓えはより濃くなっていた。


 そして彼は気付いた。剣を振るい人を斬るたびに湧き上がる、物言えぬ感情に。それは他者にはない、フレドーという生物ゆえの本能であった。


 それから裏で糸を引く者たちの存在を見つけるには、多くの時間はかからなかった。


 首魁しゅかいは可もなく不可もない、無名の一門であった。


 彼らは栄光と、そしてなによりも自由を欲していた。魔法の求道者にとって理想郷ともいえるミスティアは、しかし凡人にとっては出口のない監獄でもあった。


 二百年にも及ぶベルングロッサの統治は公正に選定されたものであり、それは一見すると非の打ちどころのない平穏であるはずだった。


 だが最下層の者からの不満は、何世代にも渡り知らずのうちに熟成されていた。ミスティアという閉鎖された社会そのものへの、行き場のない怒りや恨み。


 それがついに限界をむかえ、爆発した。これが事の顛末であった。


 両親の仇が判明したとき、復讐に駆られたフレドーはホルスの制止を振り切り――――たったひとりで敵の巣へと乗り込んだ。


 ミスティアを脅かす癌を除けば、何もかもが丸く収まる。それが復讐へ至るための詭弁ではないかと疑念を抱いていたが……火に向かうのように、呼びかけるような本能がフレドーの思考を塗りつぶした。


 そこには剣士と魔女、合わせて五十はいただろう。だがフレドーは、そのことごとくを衝動のままに斬り捨てた。


 すべてが血溜まりに沈んだとき、フレドーは我に返る。湧き上がる剣の渇望と、取り返しのつかない過ちを犯してしまったという罪の意識、その狭間で揺れながら。


 足元で骸となった者たちにも家族や友人がおり、残された者たちはさらなる恨みと怒りを受け継いでいくだろう。両親の仇と衝動に身を任せ、見境なく人を斬った自分のように。


 圧倒的な個であることを証明したフレドーには、力と恐怖による統治という選択肢もあった。


 だがフレドーはそれを良しとしなかった。人斬りを悔い改め己を律し、理性による統治を望んだ。力による統治など、本質的な解決には決してなりえない。彼はそのことを、身をもって知った。


 百人以上の犠牲者を出したミスティアの内乱の後、フレドーは七炎守としてミスティアの立て直しに尽力した。


 ナタリアがせめて十八歳になるまでにミスティアを安定させ、その後は里の習いの通り才気あふれる妹に任せよう。


 そう思い四年が経った。フレドーは内乱を収めた英雄として、あるいは悲劇を乗り越え真摯に統治へと向き合う姿勢を評価され、また並ぶことのない剣士として羨望を集め……彼は大多数のミスティアの民に受け入れられているといってもよい。


 だがそれでも、フレドーは安定に至るための土台を築くことができないでいた。


「……また剣を、振るう日が近づいているかもしれんな」


 フレドーは苦々しい表情で、一枚の紙きれに目を通す。


 それは先日、ミスティアの古塔街で白昼の凶行を起こした、アルバトロス家当主ムヴィスの釈放を求める嘆願状であった。

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