第十六話 悪夢は追う


「これが魔法と知の源泉、か」


 ミスティアの象徴とも言える、大樹アロフォーニア。そこへ初めて足を踏み込んだスクートは息を飲む。


 その内部は朽ちた塔と巨木が融合したかのような構造であった。


 剥がれた石壁から覗く木肌、崩れた階段を補うように加工された丸太のように太い枝。


 そこは人口と自然が織りなす、無秩序に見えて整えられた多層空間であった。


 螺旋らせんの階段がどこまでも続き、壁際に沿うように配置された本棚には、色あせた分厚い書物が数え切れないほどぎっちりと詰まっている。


「意外にも明るいな。それに活気もある。樹の中だからどれほど暗いかと思えば、違う意味で期待を裏切られたな」


 ミスティアにおける象徴とも呼べる大樹の内部には、ミスティアが始まってから今日こんにちまでに蓄えられた膨大な知識が詰め込まれている。


 学びを得ようとアロフォーニアに通うミスティアの民の姿も、無論そこにはあった。


 机に何十もの書物を並べ頭を捻る者、円卓を囲み数人で何かについて議論する者たち。


 杖やほうきまたがって飛び、一気に高層まで駆け上がっていく魔女もいた。


 そして中央には巨大な真鍮しんちゅうの器が鎮座している。


 中には何物も燃やさぬ未知の炎、アロフォーニアの灯火ともしびが太陽のように一帯を照らしていた。


「すごいだろう? たとえ外界といえど、これほどの知の絶景はないはずさ」


 自慢げに話すフレドーにスクートは頷く。


「こほん。兄さん、この男はまだ里の民として正式に認めてはいないのでしょう? いくらリーシュが認めたからといって、我々には七炎守たる立場がある。親しげに話すのはどうかと思う」


「ふふ、相変わらずお堅いわねナタリア。確かにスクートは目つきが鋭くて近寄りがたい雰囲気はあるけど、実のところはとても利口よ」


「……だれが利口だ」


 なぜスクートが縁もゆかりもないであろうアロフォーニアに招かれたというと、里の民として精査を受けるとのことだった。


 スクートは最初、精査が物々しい尋問じんもんか何かと思っていたが、どうやらそういうわけではないようだ。


 六炎守であるクロスフォードが認めたことであるがゆえに、問答をいくつか交わすだけの儀礼的なもので済むという。


 フレドーたちの話によると、外界の人間が森に迷い込み、そのまま誰かの従者になるということは前代未聞だという。


 ごく稀に人が迷い込むことは何度かあったそうだが、そのような場合はただの里の民として一生を終えることになるそうだ。


「さて、十分ばかり歩くぞ異邦の剣士殿。目的地は最上階、昔の偉い奴はいったい何を考えて執務室を一番上に作ったのやら、まったく不便極まりない。もし会えるなら小一時間くらい問いただしたいものさ。いつもであれば妹の杖に乗せてひとっ跳びするのだが、たまに歩いて登るのもいい。剣士殿とて好奇が湧くだろう、この異様な建物に」


 スクートとて好奇心がない訳ではない。未知と遭遇すれば身に危険が及ばない程度に一見しようとするのは人間の性である。


「よかったわね、スクート。杖に乗って一気に天上まで飛び上がったら、さすがのあなたもお手上げかしら」


「覚えていたか、まったく」


 フレドーとナタリアに聞こえないようにひそひそと、小さな声でリーシュは呟いた。


 前に高所が苦手だと話したことを、彼女はしっかりと覚えていたようだ。


 最上階まで登ることに変わりないが、歩きならば地に足がついている分、杖で飛ぶよりもよほど精神的に楽である。


 そう思い重たい足取りに喝を入れ、スクートは螺旋階段の一段目を踏みしめた。


 幾多の戦場を渡り歩き、いくつもの死線を潜り抜けてきたおれが、高い場所が恐ろしいなどとは。まったく、なんと情けない。


 スクートは心の中で呟いた。彼は何も生れながらに高所が苦手だった訳ではない。


 むしろはるか遠方を見渡し、眼前に広がる雄大な景色が好きだった。


 リーシュと初めて会ったあの日。崖からミスティアの全貌ぜんぼうを目に焼き付け、久々に彼はそのことを思い出すことができた。


 だが残念ながら、それだけで脳裏に刻まれた恐怖が消えるわけではない。


「……スクート、大丈夫? いままで見たことのない顔をしているわよ。まだ首の傷がさわるかしら。もう一度、回復の魔法をかけてあげようか?」


「いや、傷は大丈夫だ。何もしなくても、これぐらいの傷ならば勝手に塞がる。ただ少し……昔のことを思い出しただけだ、お前は気にしなくていい」


 心配してくれるリーシュに、スクートは気丈に振舞う。心中より湧いた罪悪感を押し殺して。


 階段を登れば登るほど、上へ行けば行くほど。


 スクートは全てが変わった運命の日のことを思い出す。まだまともな人間であった、最後の日のことを。


 スクートを信じ、勝てるはずもない大敵に挑み、塵芥ちりあくたのように死んでいった兵たちの死に顔を。


 スクートにとって、己の過去は墓場まで持っていくしかなかった。どれほど親しくなろうと、リーシュにそれを打ち解けるわけにはいかない。


 黒と白は決して交わることはない。騎士と魔女は、相反するのだから。


 だがどうしていまになって、過去の惨劇がよみがえるように彷彿ほうふつしているのか。


 リーシュと出会い、こうして生活しているうちに、過去に思いをせるほどの余裕が生まれてきているからだろうか。


 そうこう考えているうちに、ろくに周囲を観察することもなくスクートは最上階まで辿りついてしまった。


「どうだ、何か興味を惹かれる本のひとつやふたつぐらいはあっただろう。里の民として認められれば好きなだけ読み放題さ。そそるだろう?」


「あ、ああ……」


 フレドーは当然ながらスクートの弱点や過去を知っている訳ではない。


 スクートの気の抜けた返事に、精査に対して緊張でもしているのかと感じたのだろう。


「どうした、気分でも悪いのか? 緊張はしなくていいぞ、他愛のない受け答えをするだけでいい」


「いや、大丈夫だ。気にしないでくれ」


「とは言ってもなぁ、先の大立ち回りを見せた剣士とは思えないほどには覇気がないぞ。そうだ、せっかく最上階まで登って来たんだ。ここから真下を覗いてみるといい。いい気分転換になる」


 気乗りしないがスクートはフレドーの誘いに乗り、手すりを強く握りしめ最上階からの眺めを覗く。


 確かにそれは息を飲む光景であった。


 渦巻く螺旋らせんの階段は、まるで美しい紋様のよう。そしてそれを照らす無数の灯火ともしびが、薄い橙色の光を放っている。


 ふきぬけとなっている中央部分のはるか眼下では、未知の象徴であるアロフォーニアの燃えぬ炎が、生き物のように波打っていた。


「綺麗なものだろう? 幾千年もの間を経ても変わらぬ光景がここにはあるのさ」


「さすがに最上階となると、吸い込まれるような高さだな。それに揺れ動く炎の迫力はここから見てもなかなか……炎? 炎、ほのお……」


 スクートの視界が点滅し、運命の日の惨劇が脳裏にちらつく。


 ようやくスクートは理解した。なぜ唐突に人であった最後の日を思い出すのか。


 あの日の光景とどこか似ていたからだ。炎の海の中、塔の頂に立ち、大敵に挑んだ過去と、断片的にいま、この場所が似ていた。


 そしてそれは……思い出したくもない、おぞましい悪夢の始まりであった。


「ん? おい、どうした――――」


 フレドーの呼び声を最後に、全ての音は途絶え、スクートを取り巻く世界の色が塗り替えられた。

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