第十五話 黒き血の化け物


「わたしが合図するまでじっとしていて」


「わかった」


 他者には聞こえない小さな声で、スクートとリーシュは言葉を交わした。


 荒事の経験はそう多くはなさそうだが、リーシュの声には身を委ねるにふさわしい自信が込められていた。


 急激に包囲を狭め突進してくる剣士の間を縫い、火の玉に氷の矢が次々と打ち込まれる。


 常人ならば回避不可の必殺の戦術、いかにスクートといえど無傷で躱すのは困難だろう。


 だがいまの彼はひとりではない。背中を預けた白肌の魔女は、百の兵よりも心強い味方である。


「氷よ、薄衣となりて万象を防ぐ盾となれ」


 魔法の詠唱と共にリーシュは杖で地面を小突いた。


 すると一瞬にして半球体の氷の膜が、スクートとリーシュを覆うように形成されたのだ。


 いくつもの火球と氷矢が蒼色の防壁へと呑み込まれていく。


 破裂し燃え盛る炎、激突し鈍く砕ける氷。しかし氷の膜には小さなひびのひとつさえ入らなかった。


 圧倒的な防御力に、スクートはリーシュの実力の一端を垣間見る。だがリーシュの魔法はまだ終わりではなかったのだ。


「爆ぜろ!」


 叫ぶや否やリーシュは杭を打ち込むかのように強く、杖を地面に突き立てる。


 すると氷の膜はまるで硝子のように砕け、細かい無数の欠片となり四方へ爆ぜ散った。


 いままさに斬りかかろうとするムヴィスの手勢はみな、突如として繰り出された面制圧を前に己が身を守るだけで精一杯であった。


 当然ながら勢いは完全に殺されてしまった。


 魔法と近接戦闘を合わせた必殺の布陣は、リーシュが下したたった一手により水泡へと帰してしまったのだ。


「さあ、やるわよスクート! 派手にいきましょう!」


 リーシュの合図と共にスクートは駆ける。


 瞬く間に五歩の距離を詰めると、十字剣の腹で殴り手勢の三人を気絶させた。


 柄まで合わせればスクート自身の身長と大差ない大剣は、強烈な重さを武器にして鈍器として扱う事さえ可能だ。


「この、化け物め!」


 包囲網に風穴を開けたスクートを襲ったのは、左右、そして前方からの新手であった。


 しかし、彼らの剣速はえらく鈍い。斬れば毒の返り血を浴びるのだと、ムヴィスの手勢は恐れを抱いていたからだ。


 三方向からの同時攻撃を、スクートは旋風のような一閃を持って応えた。


 空をぐ咆哮と共に舞い上がったのは、衝撃のあまり手から弾き飛ばされた剣。


 または根元からぽっきり折れてしまった欠刃けつじんであった。


 ホルスのような実力者でもない限り、スクートの剛剣は防ぐことさえ許されない。そうして新手たちは成す術もなく気絶させられ、地面へと這いつくばった。


 次にスクートを襲ったのは、火球と氷矢であった。


 仲間が倒れたいま、誤射の脅威が消え去りようやく出番が回ってきたのだろう。


 だが苦し紛れに放たれた魔法程度では、スクートの行く手を阻むことは叶わない。


 魔法とはいえ、弓のような飛び道具と思えばよい。狙いを絞られないように蛇行し、避けきれないときだけ剣を盾にする。


 行きがけの駄賃に数人の手勢を気絶させ、スクートは魔女の一団へと肉薄する。


「さすがに女を殴るのは忍びない」


 スクートは魔女たちを気絶させずに杖を弾き飛ばすだけに留めた。いかに魔女とはいえ杖がなければほとんど無力である。


 熟達した魔法使いならば杖がなくとも多少は魔法を行使できるらしいが、一発でもスクートに命中した魔法がないところを見るにその線は薄いだろう。


 残る敵は僅か五人。それも戦意を完全に喪失し狼狽うろたえ、取るに足りない。ムヴィスに至っては顔面蒼白であった。


「そっちの首尾も上々のようね」


 気付けばスクートの隣にはリーシュが立っていた。


 まさかと思いスクートが後方を振り返ると、リーシュと交戦した手勢は全て気絶しているか手足に氷のかせをはめられていた。


「おれが十人倒すまでに、お前は十五人を倒したのか。まさか白兵戦で後れを取るとはな」


「意外だった?」


「……少しな」


「なに、ねているの? まあ、最後に十五人を倒せば結果は同じよ。わたしはスクートの戦いぶりを観察させてもらうわ」


「ああ。一瞬で終わらせてみせる」


 こくりと小さく頷き、スクートは残党の前へと歩み出た。及び腰のムヴィスらはたじろぐように一歩、また一歩と後退していく。


「ふ、ははは……どうして、たったひとりがあれほどまでに強くなれるのか……。凡人と強者にどうして、これほどの隔たりがあるのか。まったくこの世は不平等だ」


 人は極限の恐怖を前にすると、自然と笑みがこぼれてくるという。スクートを前に引きつった笑みを浮かべるムヴィスは、いままさにその状況にあるのだろう。


「……いや、違う。本当に笑っているのか、あいつは?」


 妙な違和感が警鐘けいしょうを鳴らす。


 勝敗が決し、敗者が戦意喪失するさまを幾度いくどとなくスクートは見てきた。だからこそスクートはその微妙な差異に気付くことができた。


 スクートが一歩、また一歩と前に進むにつれ、ムヴィスの口角が心なしか上がっていくように見える。この期に及んで起死回生の策でもあるというのか。


「――――そういうことか」


 疑念と違和感という点同士が、ひらめきと共に線となったとき、スクートはムヴィスに背を向け走り出した。


「……スクート?」


 突如として自身に向かって走り出すスクートに、リーシュは状況を飲み込めないでいた。


 そんなリーシュより少し離れた建物の二階に……スクートの読みどおり、やはり刺客しきゃくが潜んでいた。


 窓のふちから身体を僅かに晒している刺客は、いままさに放たれんばかりに弓を引き絞っていた。


 無論、その狙いはリーシュである。


 うかつだった、魔法の民がまさか弓を使うなど。


 スクートは心の中で舌打ちした。確かに不意打ちという観点から考えれば、詠唱の必要な魔法より、音を殺せる弓に軍配が上がるだろう。


 避けろ、そう叫んでも間に合わないのは明白であった。であれば、疾風のごとく走り身を挺して守るより他はない。


 スクートは走る。十字剣クレイモアを手放し、踏みしめた石畳にひびが入るほど蹴り上げながら、一心不乱に全力で。


 矢が放たれるのと同時――――ついにスクートはリーシュへの射線を遮るように身を乗り出す。


 そしてリーシュの胸へと放たれた矢は……スクートの首を貫いた。


「――――スクート!? くっ!」


 続けざまに二射目を放とうと、窓より身を晒した刺客。


 だがそれよりも速く、リーシュの氷矢が刺客の肩を貫く。そして刺客は声を荒げながら窓の影へと倒れていった。


「血は飛んでないか?」


「……ええ、わたしは無傷よ」


「お前の身体はか弱い。化け物であるおれとは比べ物にならないほどに。だから、気をつけろ」


「……そうね。ありがとうスクート、やっぱりあなたを従者にしてよかった」


「あの不届き者を黙らせてくる、少し待っていろ」


 ムヴィスに向き直ると、首に矢が刺さっているというのにさも当然にスクートは歩みを進める。


 そしてわずらわしそうに矢を引き抜くと、無造作に投げ捨てた。


「いや、油断をしたのはおれもそうか。奴を取るに足らない小物だと、始めから決め付けていた」


 ぶつぶつと小言を呟きながら、スクートはおのが愛剣を拾う。


「いやいや、おかしい……首に致命傷を受けてなぜ動ける。私はなにか、幻覚でも見ているのか」


 そのさまは、ムヴィスにとって悪い夢のようだった。


 起死回生の一手を強引にじ伏せ、首に矢を受けるという致命傷も何の意にも介さなぬ異邦の来訪者が、怒りの表情で真っ黒な血流しながら漆黒の大剣を構えているのだ。


 ムヴィスも、彼の取り巻きも、白昼はくちゅうの凶行を傍観する者たちも。そのすべての人間に、きっとこう思わせたことだろう。


 ――――人の形をした化け物、と。


「化け物! 化け物どもめっ! 凡人をなめるなよ、そんな貴様らでも殺しきる策を……このムヴィスが必ず練り上げてやる!!」


 小悪党めいた捨て台詞を吐き捨て、ムヴィス一行がくるりと背を向け逃走を図ったそのとき――――。


 不意に一陣の風が吹いた。


 風が吹き終わるのと同時、ムヴィスとその手勢は全身の関節を外されたかのように、ぐにゃりと地べたに倒れ込んでしまった。


 倒れた手勢の影から現れたのは、くすんだ灰色の衣に身を包んだふたりの男女。


 男は右手に小剣を、左手に鞘を持った剣士。


 女は顔が隠れるほど大きな三角帽を被り、自身の背丈よりも長い大杖を持つ魔女であった。


「まったく。こんな昼間っから下らないことをしやがって。この馬鹿はなんど地下牢にぶち込まれたら気が済むんだ」


 短髪の剣士が愚痴をこぼす。右肩を丸出しにし、ところどころが擦り切れたその着こなしは、ぎらついた猛獣のような気配を醸し出していた。


「馬鹿は死なないと治らないと言うわよ、兄さん。ムヴィスは姉や兄のように、流行り病で獄死した。そういうことにしておきましょう、それなら兄さんの手が汚れることもない」


 平然と肝が冷える物言いをする、波立つ黒髪をたなびかせる大帽子の魔女。


 彼女は野性味が溢れる兄とは対照的であった。声に抑揚が少なく、帽子より見え隠れしたまなこは近寄りがたいほどに冷徹であった。


「……そうしたいのは山々なんだがな。こんなのでもいまじゃ三炎守だ、無下にはできんさ」


 唐突に現れたふたりの男女。


 スクートをもってしても気配さえ感じさせずに、突風のような速さでムヴィス一行を無力化したのは彼らだろう。人並み外れた強者であることに疑う余地はなかった。


 特に剣と鞘の二刀流の剣士。命を賭して戦えば、いったいどちらが強いのか。男にはスクートにそう思わせるほどの風格と気迫が備わっていた。


「あのふたりは、いったい」


 スクートの口から自然に漏れ出た問いに、リーシュは答える。


「あのふたりはベルングロッサ家の兄妹けいまい、フレドーとナタリアよ。この里を預かる七炎守、つまるところミスティアの長ね」


 ふとスクートの目線がフレドーと交差した。


 彼は歯牙をむき出しに笑う。深い焦茶色の瞳の奥にぎらつく、飢えに飢えた渇望の光を隠そうともせずに。

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