第13話 早乙女家を出て

 早乙女家を出て、ふと…スマホの電源を落としたままだった事に気付いた。

 紅美から連絡があったかなー…とは思ったが。

 今は、それよりも家に晩飯要らねーって連絡しなかった方を悪かったと思った。


 電源を入れると、そこに出て来たのは…紅美からの着信と、LINEと…


 華月からの着信。


「……」


 23時。

 まだ起きてるよな。

 そう思って、俺は電話をかける。


『もしもし』


「おう。」


『晩ご飯食べた?』


「こんな時間だしな。」


『連絡してよ』


「だよなー。悪い。ちょっと二階堂の本家に行って…」


 早乙女家で飯を。と言いかけて…やめた。


 華月はここんとこ…詩生に待たされてばかりだ。

 今も、しばらく会わないって言われたまま…詩生は旅に出てる。



『二階堂の本家?何しに?』


「柔道しに行って投げられまくった。」


『ふふっ。何それ』


「コンビニ寄って帰るけど、何か要るか?」


 こんな時間だが、華月はモデルのクセに節制なんてしない。

 食いたい物を食いたい時間に食って、その分は動く。


『うーん…別にいいかな。それより早く帰って』


「あ?何かあったのか?」


『んー…』


 華月は少し言いにくそうに。


『…聖が悪酔いしてる』


 小声で言った。


「……」


 クリスマスイヴに、猫を二匹連れて帰った聖。

 あれから二ヶ月経つが…

 聖はがむしゃらに仕事をして、時々浴びるほど酒を飲んで。

『ほんっと…やってらんねー…』なんて…らしくない事を言うようになった。


 女絡みなんだろうが…



『やっぱりアイス買って来て』


「あ?」


『雪見大福がいい』


「わーった。15分ぐらいで帰る。」


『待ってる』



 華月との電話を切って。


『悪い。電源切ってた。また明日な』


 紅美に、そうLINEすると。


『今どこ?』


 すぐに返信が。


『早乙女さんちで飯食って、帰ってるとこ』


『会えない?』


「……」


 会いたい気持ちは…あるような、ないような。

 ぶっちゃけ、夕方までは悶々としてたが…

 今はスッキリしてる俺がいる。

 反対に紅美は悶々としてるんだろうが、会ったら帰りたくなくなるしなー。



『悪い。もう帰るって約束したから』


 正直にそう打つと。


『約束?誰と?』


「誰とって…」


 スマホを手に、つい口に出してしまった。


『華月』


 別に何事もなけりゃ、華月に『わりーけど遅くなる』って言う所だが…

 聖が悪酔いしてる。

 華月の様子も少しおかしい。


『そっか。分かった。じゃあ明日ね』


『おやすみ』


 それで終了…


 俺はコンビニで華月のリクエストのアイスを買って、帰るだけ…のはずなんだが。


『ノン君…怒ってる?』


 コンビニに入ろうとした所で。

 紅美からLINEが来た。


「……」


 あー…何だよ。



 文字を打つのがもどかしくて、俺は紅美に電話をかけた。



『…もしもし』


「怒ってねーよ。」


『…ほんとに?』


「おまえこそ。」


『あたしは…まあ…モヤモヤはするけど、ノン君が何でもないって言うなら信じるだけ』


「ないから、マジで。」


『うん…なのに…ほんと、ごめん。突き飛ばしたり…酷い事言って……ねぇ、本当に本当に怒ってない?』


 やたらと紅美が念を押して聞いて来る事に違和感を覚えながら、俺はスマホを持つ手を変えた。


「そりゃ、あの時はイラッとしたし少しはヘコんだけど、もう全然。」


『ごめんね…』


「別になんて事ないさ。でも…」


『でも?』


「俺も、おまえが本間と何かあったんじゃないかってモヤモヤしたからな…おまえが腹立てる気持ち、もっと察すれば良かった。」


『……』


「まだまだ足りねーな…マジで。」


 小さく溜息をつくと。

 電話の向こう、紅美が。


『ノン君』


「あ?」


『あたし達、バンドが離れても…大丈夫だよね?』


 すげー、らしくねー事を言った。気がする。


「…自信ないのか?」


『そうじゃないけど…』


 寒いと思って空を見上げると、白い物がチラチラ…

 あー、マジか。

 雪だぜ。



「おまえ、海とドラマみたいな恋愛してただろ?」


『…ドラマみたいかどうかは分かんないけど…』


「色々劇的だったよな。」


『…何?』


「今更だけど、俺とはあんな風な恋愛にはならねーと思う。」


『…どういう意味よ…』


「すげー普通に好きだの愛してるだの言って、あいつ誰だ!!って妬いたり妬かれたりして、ドラマチックな事なんてない普通の恋人同士って事だよ。」


『……』


「俺なんかでいいのかって…物足りなくねーかなって、最初チラッと思った。」


『軽くムカつく…』


「ははっ。でも今は、俺らこうやってケンカしながらでも…上手くいく事しか考えてねーよ。」


『……』


「邪魔が入ったって、なんて事ない。」


『ノン君。』


「あ?」


『結婚しよ』


「…ははっ。ああ。」


 紅美の言葉に、小さく笑うと。


『明日、婚姻届け書こ』


 耳に…突拍子もない言葉が入り込んできた。


「…は?」


『明日。婚姻届け書こうよ。で、高原さんにマンション貸してくれってお願いして…』


「お…おいおい、まだ陸兄にちゃんと話してもないのに、何言ってんだ。」


 どうした?

 紅美は何で急に…


『あたし、もう待てない』


「……」


『ノン君が『ただいま』って帰る家にいたいの』


「紅美…」


『あたしが『ただいま』って帰る家に、ノン君にいて欲しいの』


「……」


『一緒に、同じ家に帰りたいの』


 紅美からの熱い告白に、俺は…


「……」


 ……ダメだ。

 こんなやり方じゃ、陸兄に反対されるだけだ。

 紅美の事を、ずっと大事に育てて来た陸兄。

 ちゃんと、祝福されて結婚したい。

 紅美のためにも。



「…紅美。」


『…ん?』


「俺も、気持ちは同じだ。」


『…うん…』


「だけど、やっぱり陸兄に祝福してもらいたい。」


『……』


「明日…陸兄に話すよ。」


『…ノン君…』


「紅美と…結婚したいって…ちゃんと話すから。」


 俺がそう言って、視線を夜空から足元に移そうとすると…


「……」


『…ノン君?』


「…おまえ…今の話…」


『…ノン君?もしもし?』


「…陸兄…」


 目の前に…陸兄がいた。



「陸兄…」


 明日話そうと思ってた陸兄が目の前に立ってて。

 俺は…まず。


「…また連絡する。」


 そう言って、紅美との電話を切った。

 そして…


「…今の、聞いてたんだよな。」


 陸兄の目を見て…言った。

 もう、腹をくくるしかないと思った。

 今までも、タイミングがどうだのって言えなかった。

 だけど…知らず知らずのうちに逃げてただけのような気もする。

 まだ、俺自身…準備が出来てなかったのかもしれない。



「ずっと紅美の事が好きだった。紅美と結婚したい。」


「……」


「…です。」


 陸兄は無表情で。

 俺をじっと見つめてる。



 …ぶっちゃけ…

 何も読めねー…

 ゾクゾクするのは…寒さのせいだけじゃないと思う。



「陸、何突っ立って…あ、華音。」


 陸兄と無言のままでいると。

 早乙女さんが歩いて来て…俺に気付いた。


「…お疲れ様です。」


「今、陸と一緒に知花を送ってったとこなんだ……どうした?」


 早乙女さんは、俺と陸兄のただならぬ空気を察したのか…


「…寒いし、とりあえず店に入るか車に戻ろうぜ。」


 両腕を擦りながら言った。

 陸兄はそれに対して無言で。

 俺からも、ふいっと視線を外して歩いて行った。


「陸兄。」


「おい、陸。」


「……」


 俺だけならともかく…早乙女さんの声にも振り返らない陸兄。


「…ま、歩いても死ぬ距離じゃないし…ほっとくか。」


 早乙女さんはそう言って。


「寒い。入ろう。」


 俺の腕を掴んだ。


「いや、でも…」


 追わないと、帰って紅美に…


「あの様子だと…紅美ちゃんの事か?」


「…はい。」


「なら、たぶん家には帰らないよ。」


「え…?」


「紅美ちゃんの顔見たら泣きそうになるから、事務所に泊まるか…本家に帰るか。」


「……」


「今話しても、陸はパニックになってるだろうから…明日の方がいい。」


「…分かりました。」



 長年陸兄の隣でギターを弾いて来ただけじゃなく…

 親友としても、そばにいた人だ。

 色々気にはなるものの、俺は早乙女さんの言う事に従う事にした。



 コンビニのイートイン。

 一番奥の席で、俺と早乙女さんはコーヒーを手にしてる。

 華月には『緊急事態で少し遅くなる』とLINEして。

 紅美にも『陸兄に出くわしたから打ち明けた。でも何も言わず帰ってった』と打つと。


『…帰ってこないけど』


 …早乙女さん、正解。



『今、早乙女さんとコンビニ。また連絡する』


『うん…遅くなってもいいから、連絡して』


 それでスマホはポケットに入れた。



「電話を陸に聞かれた?」


「はい…明日、陸兄に結婚したいって話す…って紅美に言ってる所を聞かれたと思います。」


「そっか…ま、遅かれ早かれ言わなきゃ進まない事だったし、良かったって事にすればいいさ。」


 早乙女さんの、もっともな言葉に…俺は少し拍子抜けした。


「……」


「だろ?」


「…ですよね。」


 今までなら…

 俺も、こんな感じでポジティブに捉えてたはずなのに。

 あー…何だろな…

 最近、落ちたり上がったり…自分の感情の起伏に付いて行けてない気がする。



「…なんか俺、情緒不安定っす。」


「んー。分かるよ。」


「え?」


「華音、DANGERで頑張ってたもんな。」


「……」


「自分がやりがいを感じてたバンドから、こうした方がいいからって外に出されるのはさ…俺は経験ないけど、辛いだろうなと思う。」


「早乙女さん…」


「それが、きっと成功への道だって分かってても…辛いよな。」


「……」


 なんでこの人、こんなに分かってくれるんだろう。

 さすが、俺が師と仰いでる人だ。

 ギターだけじゃない。

 こうやって…俺の気持ちに寄り添ってくれるなんて…





「で、新しいバンドはどうだ?」


 早乙女さんに、そう聞かれて。

 じーちゃんから話しを聞いた時は…落ち込んだ事。

 だけど、里中さんと話してる内に楽しみになって来た事。

 俺はそれらを打ち明けた。


 早乙女さんは、テーブルに置いたままのコーヒーを両手で挟んで。

 柔らかい表情で俺の話を聞いてくれてる。



「…新しいバンドが上手くいかなくて、モヤモヤして。今日、気分転換に二階堂に行ったら投げられまくって。」


「あはは。世貴子からLINE来てたよ。弟子が落ち込んでるよーって。」


「世貴子さん、いつの間に…晩飯も御馳走になりました。」


「うん。二階堂の子まで連れて帰ったって?もう、うちの嫁さん、あんなキャラだったかな。」


 早乙女さんは、世貴子さんの話をしながらクスクス笑う。


 …いいなー…

 うちの親みたいにベッタリなのも、俺はまあ…普通なんだけど…

 早乙女さんとこみたいに、人前ではくっつく事なんかないけど、ちゃんと通じ合ってる夫婦…いいよな…



「…焦ってるから…余計紅美のそばにいたいって思うのは…ずるいんすかね…」


 何となく正解が分からなくて、溜息交じりに言葉を吐き出すと。


「結婚なんて勢いだよ。焦ってようが、落ち着いてようが、したい時にするのが一番。」


 早乙女さんは、笑顔。


「…勢いで結婚しました?」


「割りとね。世貴子がオリンピックで優勝した年に、引退してすぐ。」


「……」


「陸は手強いけど、紅美ちゃんを大事に想う者としては同士なんだからさ。」


「…はい…」


「本音でぶつかればいいんじゃないか?」


「……」



 ぶっちゃけ…

 さっきの陸兄の表情を思い出すと、少し身震いする。

 だけど、それしかないよな。



「すいません…なんか、俺28にもなって…こんな情けない奴で。」


 言葉にしてしまうと本気で落ち込みそうになった。


「昔はもっと即決してたし、考えるより先に動いて紅美に『振り回されるのは嫌だ』なんて言われてたんすけどね…」


 あれはあれで…ダメだったんだよなー…

 俺にそのつもりがなくても、紅美は俺に振り回されて疲れたって言ってたし。


「…それは、ちゃんと紅美ちゃんの事を思いやるようになったから慎重になっただけじゃないかな。」


「え…?」


「ふっ…」


 早乙女さんは急に笑い始めたかと思うと…


「あっ…ははっ、ごめんごめん…」


 眼鏡をとって、目元を拭いた。


 …泣くほど笑うような事だったかー!?


「…華音、純粋だなと思って。」


「…紅美には、恋愛経験乏しいから思いやり足りてないって言われましたよ。」


「恋愛経験が多ければ、思いやりに長けてるとも限らないよ。」


「…救われます。」


 早乙女さん、神様みてーだぜ…


「とにかく…駆け引きなんか要らない。本音でぶつかればいいだけの話さ。」



 本音でぶつかる。

 今…俺達の状況が一番いい物じゃないとしても…

 そばにいたい。

 紅美の言った通り…

 ただいま。って、同じ家に帰りたい。


 俺は、ただそれを伝えればいいだけだ。



「ありがとうございました。」


 コーヒーを飲み干して、早乙女さんと店の外に出る。


「気を付けて帰れよ。」


「はい。あっ…アイス買って帰るんだった。」


「この寒いのに?」


「華月のリクエストで。」


「……」


 俺がそう言った途端。

 早乙女さんは、また店に入って。


「どのアイスだ?」


「は?」


「俺が買う。」


「……」


 早乙女さんも…色々気にしてくれてるんだな。


「雪見大福って言ってました。」


「よし。」


 早乙女さんは、雪見大福を手にして。


「おまえにも。」


 なぜか俺にはガリガリくん…


 そして。


「俺も帰って世貴子と食おう。」


 自分と世貴子さんには、しろくまを買った。

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