第12話 DANGERのスタジオで不敵の笑みを見せた杉乃井は。

 〇桐生院華音


 DANGERのスタジオで不敵の笑みを見せた杉乃井は。


「お疲れさまでしたー。いい刺激もらえました。ありがとうございました。」


 スタジオの入口でそう言いながらお辞儀をして…出て来た。


「…すげー態度違う…」


 ガクが小声で首をすくめる。


 …全くな。

 いくらDANGERに入りたかったっつっても、だ。



「あれ…ノン君…ガクも?」


 ふいに、タオル片手にスタジオから出て来た紅美が。

 俺達に気付いて、やって来た。


「どうしたの?」


「あー…ちょっと色々…ね、ノン君。」


「……」


「…ノン君?」


 紅美と向かい合っただけなのに…安心して泣きそうになった。

 どれだけ甘えた奴だって思われるかもしれないが、紅美は今の俺の精神安定剤である事に間違いない。


 DANGERを脱退して…新しいバンドを与えられて…

 ギターヒーローになれ。

 自分の予想外の道を突き付けられて…

 俺、まいってたんだろうな。


 …そんな所へ…

 杉乃井の登場。


 あんなに出来るキーボーディストは初めてだ。

 俺をコテンパンにする存在も。

 刺激されたし、熱にもなった。


 だが…アレ、は…ない。



「…紅美…」


 俺がスタジオの前で紅美を抱きしめると。


「まっ…またノン君…秘密にしてるんじゃなかったっけ…?」


 ガクがあたふたと周りを見渡して言った。


「あー…父さんに見つかるとマズイよね…」


 紅美は俺の腕の中で苦笑いして言ったけど。


「見つかってもいい…もう、世界中にバラしたい…」


 俺は、力なくそう言ってしまった。


「…何かあったの?」


 紅美がガクに問いかける。


「あー…うーん…」


「…紅美。」


「ん?」


 俺は紅美の手を引くと、一人用のスタジオ『ぼっち部屋』に紅美を押しこんで。


「えっ…ええっ?ここに二人で入るっ…んんっ…」


 通路からは俺しか見えないように。

 紅美を機材側にして抱きしめると…激しくキスをした。



「んーっ…」


 紅美は抵抗したけど…俺は消し去りたかった。



「…ノン君がこんな事するぐらいだから、よっぽどの何かがあったんだとは思うけどさ…」


 やっと唇が離れた所で。

 紅美が俺の唇の前に人差し指を置いて言った。


「何なの?」


「……」


「杉乃井さんに…ダメ出しされる事が堪えてるの?」


「…紅美。」


「…何。」


「俺…杉乃井に…キスされた。」


「………」


「………」


「……はあ?」


「無理矢理…押し倒されて。」


「……」


 紅美は無言で俺の目を見ていたが、それは…だんだんと怒りに変わったように思えた。



「…それで?」


 紅美は冷ややか〜な目で俺を見る。


「それで…って…されたけど、別に何でもないって報告っつーか…」


「あ、そ。じゃ。」


「って…おい。」


 紅美が俺の脇からドアノブに手を掛けて、ぼっち部屋を出ようとする。


「待てよ。まだ話が…」


 ドン。


 紅美が、俺の胸を強く押した。

 その反動で、俺は通路の真ん中ぐらいまで飛び出て。

 外で待ってたガクが、巻き添えになった。



「それで、何。」


 紅美は…今まで見た事もないような形相だった。


「…もしかしたら、あいつが何か言って来るかもしれない。だけど俺はあいつの事、何とも思ってな」


「嘘。」


「…はっ?」


「キスされて杉乃井さんの事気になって仕方ないから、罪悪感でいっぱいになってどうしようもないんでしょ。」


「ばっ…なっ何言ってんだ!!」


 紅美の言葉に、俺の中のどこかが…どこからか…

『図星』って言葉が聞こえた気がした。



「そんなの、何でもないならいちいち報告しないでよね。」


 ガ…ガクー!!


 俺がガクを振り返ると。


「うっ…ごっごめん…」


 ガクは青くなって両手を合わせた。


「何それ。そんな事、ガクに相談して決めたの?バカじゃない?」


「…そ…それは…」


「恋愛経験乏しいから、仕方ないかもしれないけどさあ。」


 ムッ。


「キスされたぐらいで好きになるとか、ほんと…何なのよ。」


「好きになってねーし。」


「でも気になってるんでしょ。楽しく話せてたはずなのにダメ出しされて、そのギャップにやられちゃってるんでしょ。」


「おま…何だそれ。」


「こっちのセリフよ。あたしにキスして誤魔化すとか、ほんっと…ないから。」


「誤魔化してなんかねーよ。」


「伝わったわよ?不安な気持ちが。全然良くなかった。」


「……」


 不安な気持ちが伝わったと言われて。

 それは…杉乃井の事じゃなくて。

 バンドの事で不安になってた俺の気持ちだったのかもしれないと思った。

 だけど、それが伝わったとしたら…

 俺は情けねーし…

 紅美はそれを、全然良くなかった…って思ったわけだ。


 何があっても紅美が好きだし、どんな紅美でも受け入れたい。

 紅美に何があっても、俺が守ってやれるよう…

 強い男でいたい。

 そう思って来たけど…


 実際俺は、自分の事をメインに押されるとダメになるような、器のちっさい男で。

『恋愛経験が乏しいから』、キスされたぐらいで相手を好きになる要素はたっぷりある…と。



 …はああああああああ…




 紅美が好きだ。

 こんな事を言われても。

 だが…

 自分の不甲斐なさに腹が立った。


 ガクに言われたからどうこうじゃない。

 自分だったら…と思って移した行動が、紅美には要らない事だった。

 …結局、俺には気遣いや思いやりが足りてねーって事だよな…



「…悪かった。」


 紅美にそうとだけ言うと、俺は背中を向けて歩き出す。


「あ…ノン君…紅美、おまえっ…」


 ガクの声は聞こえたけど、紅美は何も言わなかった。

 だから俺も…そのままエレベーターに乗った。



 もう今日は何もかも忘れてしまおう。

 咲華が現実逃避でパチンコや競馬場に行ってたみたいに。


 俺も…



 頭の中、空っぽにしよう。



 〇二階堂紅美


「何ですぐ暴力振るうかな…」


 あたしは今…ガクの部屋で、軽くお説教を受けている。

 リビングだと母さんがいるし、父さんは地下のスタジオで彰にギターを教えてるみたいで、いつ上がって来るか分からない。


 で…


 ここにはチョコもいて。



「でも…あたしも知りたくないかも。」


 事の経緯を聞いたチョコは、あたしに加勢した。


「隠し事をしないのが誠意だって思うのかもしれないけど、知らなくていい事まで知ったら…それって小さなシミみたいになって残っちゃう気がする。」


 それ!!

 チョコ、それだよ!!


 あたしはチョコの意見に、うんうんって頷いた。



 確かに…ノン君は押し倒された側なのかもしれない。


 だけどさあ…

 柔道二段だよね?

 なんで拒めなかったの?



「何つーかさ…俺とノン君、あんな形でバンド脱退したじゃん。」


「うん…」


「だから、ノン君、相当焦ってたんだと思う。」


「……」


 それはー…あたしもノン君も、お互い様だ。

 ミッキーと杉乃井さんの登場で、それはさらに加速した。

 だから…結婚の話も…勢い付いちゃったし…



「新しいバンド、俺的には結構イケるんじゃ?って思ってたのに…いきなり杉乃井さんにガツンとやられたしさ…」


 ノン君に『すご過ぎる』って言わせた杉乃井さん。

 …あたし、キスよりそっちの方に嫉妬しちゃうよ…



「その上…今朝の……まあ、俺もさ、ノン君柔道二段なのに、なんで拒めなかったんだよって言ったけどさ。」


 ガクが同じ事を思ってたみたいで、ちょっと首をすくめる。

 だって、ノン君は海君とだって殴り合いするほど…機敏な人なのに。

 女の人に押し倒されて、キスされるなんて…

 あり得ない…!!



「でも、思ったんだよな。」


「何。」


「杉乃井さんが、ノン君より上の有段者だったら、分かんなくね?」


「え?」


「何となく残像を思い出すと…あの人、ちょっとした押さえ込みの体勢に近かったと思うんだよな。」


「……」


 そ…そんな事があるとしても…


「…でも、それをいちいち報告されても…」


 唇を尖らせて、想像したくないのにモヤモヤと出て来てしまう二人のキスシーンを消し去ろうとする。


「それはー…俺も口添えしたから反省。ノン君だけの責任じゃない。だーけーど。」


 ガクは最後の方、少し語気を強めて。


「あれはないぜ?恋愛経験乏しいから仕方ないってやつ。」


「えっ…紅美ちゃん、華音さんにそんな事言ったの?」


 普段は柔らかい雰囲気のチョコが、険しい顔であたしを見た。


「う…うん…だって…」


「だいたい、ノン君の何をもってそういう風に言うんだよ。俺から見たら、ノン君て気遣いも思いやりも満タンな人だけどな。」


「今回の詳しい事は置いといて…あたしも華音さんはすごくかゆい所に手の届く人だと思う…」


「な。」


「ね。」


 ガクとチョコが、まるでタッグを組んだかのようにノン君をかばい始めて。


 あたしは…


「…だって…」


 一人、拗ねるしかなかった。



 だって。

 すごく…杉乃井さんを意識してる雰囲気が伝わってしまったんだもん。

 どうして…そういう気持ちを隠しきってくれないの?

 バンドに集中したいのに…

 これじゃ、気になって仕方ないじゃない。



「ノン君、絶対傷付いてる。」


「…それは…分かってる…」


「ほんとかよ。」


「電話したんだけど…電源切れてたから…」


 そう。

 あたしはあれから、ルームに戻ってノン君に電話した。

 だけど繋がらなくて…

 LINEも入れたけど、いつまで経っても既読にはならない。


 …どこ行ってるんだろ…


 あたし…



 やっぱり、酷かったかな…。





 〇桐生院華音


「あら。」



 咲華みたいに現実逃避を…と思った俺は。

 事務所から真っ直ぐ、二階堂本家に向かった。


 そう。

 何年振りかに…柔道をするために。



「もしかして、稽古?」


「いいっすか?」


「大歓迎。」


 そこには早乙女さんの奥さんである、世貴子よきこさんがいて。

 うちの母さんより年上だけど、今も時々子供クラスの指導をされている。



 道着を借りて、まずは柔軟体操。


 紅美の言葉を思い出すとグサグサと来るが…歩いてここに来てるうちに、どうでも良くなった。

 今度杉乃井に迫られた時、俺が拒める力をつけておけばいいだけの話だ。

 …恋愛経験が乏しいのは…

 紅美に一途だったから。


 …つまみ食いはあったとしても。

 紅美に一途だったから、特別は作らなかった。

 それは俺の自慢でもある。

 恥ずべき所じゃない。



「くれぐれもケガしないでね。」


「了解っす。」



 詩生の事もあって、本当は世貴子さんに会うのも心苦しい気がしたが。

 だから余計、ここを選んだ。



「世貴子さん、何時までっすか?」


「あたし?今日は六時までよ。」


「その後…もし良かったら、少し時間…いいですか?」


 俺の言葉に世貴子さんは少し意外そうな顔をして。


「じゃあ、うちに来てご飯食べない?」


 それは、嬉しそうな顔になった。


「えっ…いいんすか?」


「いい。大歓迎。」


「じゃあ…お邪魔します。」



 それから俺は…


「お久しぶりです。」


 五日ほどこっちに戻ったという、海の部下の富樫と組んで。


「やあ!!」


「うわっ!!」


「えい!!」


「いっ…!!」


「とお!!」


「&%$#!!」



 投げられまくった。



「迷いがありますね。」


「迷いなんかじゃねーよ。ただ鈍ってるだけだ。」


「紅美さんと何かありましたか?」


 ズサッ。


「う…うるせー。黙ってやれ。」


「それでは。」


 ドタッ。



 まったく…ここに来ても邪念が払えねーなんて…



「何をしに来られたのですか?迷いがあるとケガしますよ?」


「…まったくだな。」


 富樫にまで言われるとは。

 って、まあ…こいつ、二階堂だもんな。

 俺よかよっぽどつええし、よっぽど出来て当たり前だ。


「なあ。」


「はい。」


「あんた、好きな女いるか?」


「……」


「いるんだな。」


「それ…わあっ!!」


 ドサッ。



 今日初めて、技が決まった。

 内股。

 富樫みたいに投げ技だとカッコいいんだけどな。

 ま、俺はこんなもんだ。



「邪念があるな。」


 富樫を見下ろして笑うと。


「私もまだまだですね。」


 富樫は正座をしたまま、そう言った。





「嬉しいわ~。若い男の子二人と食事なんて。」


「いや、男の子って(笑)」


「男の子よ♡」



 道場帰りに買い物に付き合って…早乙女家に。

 だけど、それは…俺一人じゃなかった。



「え?私もですか?」


 稽古の終わりに、世貴子さんは富樫も誘った。


「いいわよね?ノン君。」


 ウキウキした世貴子さんの顔を見ると、嫌とも言えず…



「えー、ノン君料理上手。」


 何となく、富樫と二人きりで時間を持てあますのが嫌で。

 俺は世貴子さんとキッチンに立った。


「ばーちゃんの影響で、料理好きなんすよ。」


「あ~、さくらさん、何でも出来ちゃう人だものね。」


「あの方は本当にすごい方です。」


 ばーちゃんの話題になった途端、それまでおとなしく座ってた富樫が割り込んできた。


 まあ…ばーちゃんを誉められるのは、嬉しい。



「早乙女さん、何時頃帰られますか?」


 切った豆腐を鍋に入れながら問いかけると。

 世貴子さんは時計とカレンダーを見て。


「今日は…遅くなるかな。」


 少し声のトーンが落ちた。


 カレンダーには…〇印。

 それは、週に三つついてる。


 …もしかして…


「…まこさんとこ、ですか。」


「ええ…」


 SHE'S-HE'Sは…みんな、交代で入院中のまこさんの所に行っている。


 春にはメディアに出る予定だった。

 それは形を変えるかもしれない。

 だけど…まこさんの復活なしでは、SHE'S-HE'Sは今後も動かない気がする。



「だから嬉しいな。息子みたいな二人が来てくれて。」


 世貴子さんが、背伸びして俺と富樫の頭を撫でる。


「光栄です。」


 富樫は笑顔でそう言って。

 俺は…


「…詩生は、どうしてますか?」


 野菜を切りながら、問いかけた。


「あー…修行に出た。」


「修行?」


 顔を上げる。


 確か…12月にもアメリカ事務所だか…イギリス事務所だかに修行に行ってたよな。

 うちの親父が昔そうしたって聞いて。

 また?



「あの子、シンガーに向いてないのかもって。」


 世貴子さんの言葉に、俺は包丁を動かす手を止める。


「聞いたわ。DEEBEEの曲、ノン君が歌ったって。」


「…すいません…」


「何で謝るの?高原さんが決めた事でしょ?」


「でも…」


「詩生、最初は何も言わなかったんだけどね…旅に出るって決めた時、言ってたわ。」


 富樫は鍋の中をのぞき込んだり、蓋をしたりして…

 結局、リビングに戻ってソファーに座った。


「ノン君の才能には、何をもっても勝てない。だけど自分はハートも負けてる。って。」


「……」


「だから、いいお灸になったと思う。今回のは修行って言うより…自分を見つめ直す旅みたいよ。」


「自分を見つめ直す旅…」


「自分がこれから、どう音楽と関わっていくか、ね。」


「……」


「あたしは、詩生の人生がどう動いても…それを見守るだけ。」


 世貴子さんは俺の手から包丁を取って。


「ただ、華月ちゃんとは結婚して欲しいから、何としても頑張って欲しいかな。」


 俺に笑いかけた。


「…ですね。俺も、そこは全力で応援します。」



 それから…


 俺と富樫は、世貴子さんが隠しておいたという銘酒で乾杯をして。


「あたし達がお邪魔した時、海君が主人のギターで歌を歌ってね~。」


「マジっすか。それ、すげー興味ある。」


「ボスの歌なんて貴重ですね。」


「SHE'S-HE'Sの曲を歌ったのよ?感動だったな~。」


「今度行った時、歌わせよう。」


「私も来週あちらに戻った時に、リクエストしてみます。」


「あっ、それとね~。」


「あははは!!そりゃないっすね!!」


「ふっ…ふふっ…」


「富樫君て、空ちゃんを好きだったんだって?」


「マジか。」


「むっ昔の話しですよ!?」


「今彼女いないの~?」


「好きな女はいるんだよな?」


「いやっ、それ…それは…」


「あたしの予想としてはね~。」


「わわわわわ!!おやめ下さい!!」


「誰っすか?」


「わー!!わー!!」





 道場より…







 気が晴れた。





 世貴子さんと富樫と銘酒に感謝。

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