第8話 「…本気?」

 〇二階堂紅美


「…本気?」


「本気。」


 あたしんちの前。

 ノン君は、あたしの手をギュッと握って言った。



 離れていたくない。


 ノン君がDANGERを脱退する事で…その想いが強くなった。


 そのうえ…DANGERにはミッキーこと本間三月が。

 ノン君のバンドには…サリーこと杉乃井幸子さんが…加入する。


 いくらお互い『何もない』って言っても…

 一緒に居られない時間が増えると…不安も増える。



 …何だろう。

 お互い信じていれば…どうって事ないはずなのに。

 あたし達…何かに怯えてる…?


 言いようのない焦りを感じながらも…『結婚』は、こうなる前から望んでた事で。

 もしかしたら、今を逃したら…ズルズルと先延ばしになる予感もした。


 だから…いいんだよ。

 …うん。



「行こう。」


「…うん。」


 あたしは玄関のドアを開けて…


「…ただいまー…」


 靴を見た。


 先に帰ったはずのガクの靴がない…って事は、チョコの店かな。

 母さんはいるし…


 …父さんも、いる。



 ゴクン。


 まるで、自分の喉が耳元にあるかのように…唾を飲む音が響いた気がした。


 …緊張する…



「ああ、紅美おかえり…あら、ノン君。」


「お邪魔。」


 リビングに入ると、あたしとノン君に気付いた母さんが。


「…バンドの事、聞いたわよ。」


 あたし達の腕に触れた。


「大丈夫?」


「うん…明日から…新体制。」


「明日から?」


「ん。えーと…父さんいる?」


「え?ええ。今スタジ…あ、出て来た。」


 母さんと話してると、父さんが地下のスタジオから上がって来て。

 …心拍数が…上がりまくってるよ…あたし。


「…おう。帰ったか。」


「うん…ただいま。」


 父さんは、あたしとノン君をチラッと見て…冷蔵庫からビールを取り出した。


「紅美、ノン君、ご飯は?」


「あー…まだ…」


「じゃあ座って。一緒に食べましょ。」


「麗姉、手伝うよ。」


「あら、ありがと。」


 ノン君がいつも通り…母さんを手伝って。

 あたしはテレビのリモコンを手にして…置いて……落ち着かない。


 そわそわしてるあたしに気付いたのか。


「紅美、何してる。座れ。」


 父さんが、グラスを四つ出しながら言った。


「あ、陸兄。俺、今日は飲まねー。」


「車か?」


「ああ。」


「うちに来る時は車で来るなよ…ったく。」


 ブツブツ言いながら、グラスを片付ける父さん。



「…ガクとチョコは遅くなるの?」


 あたしが問いかけると。


「バンドの事、早乙女さんに話に行くって。今夜はあっちに泊まるんじゃないかしら。」


 母さんは『だからノン君が来てちょうど良かった』なんてつぶやきながら、シチューをかきまぜた。


 ノン君は手際良く、サラダを盛りつけたり…食器を並べたりして…

 それを見た父さんが『うちの娘は何も手伝わないのか』って、あたしに目を細めた。



 いつ…切り出すんだろうって思うと…

 全然食事が喉を通らなくて。

 それどころか…ビールもほとんど進まなくて…


 父さんは、あたしがDANGERのメンバー交代でショックを受けてると思ってるのか…

 妙に優しかった。

 バンドの話題にも触れなかった。

 ただ…ノン君とギターの話では盛り上がってた。



「あー…食い過ぎた。ギターの話は飯が進む。」


「…あたしの料理より美味しいおかずって事ね。」


「あっ…そうじゃないそうじゃない…」


「知らない。」


「麗~。」



 父さんと母さんのそんなやりとりを見て、あははって笑った所で。


「…陸兄、麗姉。」


 ノン君が、姿勢を正した。


「あ?」


「ん?」


 自然と…あたしも背筋を…伸ばす。


「…紅美と…」


 ゴクン。


 ああ…き…緊張する…



「紅美と…」


 ノン君が姿勢を正して、その言葉を言おうとした瞬間。


 ########


 父さんのスマホが、ソファーの上で鳴り始めた。


「ああ…悪い。ちょっと待ってくれ。」


 ……はあああああああああ~…………


 心の中で、大きく息を吐く。


 父さんはスマホを手にして、立ったままで電話に出た。


「もしもし…ああ、どうした?」


 SHE'S-HE'Sの誰かかな…なんて思いながら、目の前のビールをキューッと飲むと。

 母さんが口元に手を当てて笑った。


「…そうか。それはいいが…厳しいぞ?…うん…分かった。ああ。じゃあ、明日。」


 父さんは電話を終えると、スマホを手にしたまま椅子に戻って。


「…彰からだった。」


 あたしとノン君に言った。


「…え?」


「弟子入りさせてくれってさ。」


「……」


 それには…あたしもノン君も驚いた。


 彰は今まで誰にも弟子入りなんてせずに、独学でやって来た。

 強い持論もあるし…一生自分のスタイルでやっていくんだろうな…って…


「彰…高原さんに、もっと上手くなればサイドギターで入ってもいいって言われたらしいな。」


「……」


「あいつがプライドを捨ててやる気になってる。俺も本気で教えてやらなきゃな。」


 …彰が悪いわけじゃないけど…

 その電話の後、ノン君は…もう、結婚の話をする気分じゃなくなったみたいで。


「話ってなんだ?」


 父さんがそう聞いた時には。


「いや、また今度…」


 って…またギターの話を始めた。



「おまえがセンに弟子入りしてたのを知ってるからこそ、俺に言ってきたんだろうな。」


「どうして?」


「センに習うと、おまえ寄りのプレイスタイルになるとでも思ったんじゃねーか?」


「あー…なるほど。彰なら思いそうだ。」


「ちょうどいい。俺もー…何か夢中になれる事が欲しかったし。」


「……」



 まこさんの件で…みんな落ち込んでる。

 だけど、それぞれが出来る事をしてる。

 夏フェスに向けて…曲のアレンジや、機材の変更…

 SHE'S-HE'Sは初のメディアだけに…プレッシャーもあるはず。


 そのうえ…まこさんが復帰できるかどうか…。


 誰一人欠けても、SHE'S-HE'Sの音楽は成り立たない。

 みんなの心の内を想うと、どうしても…暗い影が落ちる。



「言えなくて…悪かった。」


 ノン君を送って外まで出ると。

 ノン君は申し訳なさそうな顔で…あたしに謝った。


「…仕方ないよ。あたしだって、そんな気分じゃなくなったもん…」


 こんな時だからこそ。って…思ってたけど…

 やっぱり…タイミングが悪いのかな…


「おまえ、明日から新体制だよな…俺らはしばらく曲作りだから、時間はいつでも取れるんだ。」


「そうなの?」


「ああ。だから…紅美の予定に合わせるから、時間作れそうな時に言ってくれ。」


「……」


「どうした?」


 無言になったあたしの顔を、ノン君が覗き込む。


「…このタイミングで…いいのかな…って…」


 あたしの弱気な声に、少し大げさにのけぞったノン君は。


「マジかよ。その弱気。」


 コツン。と、頭突きして。


「一緒にいたい。」


 顔を近付けて言った。


「…うん。あたしも。」


 チュッ…て、小さくキスをして。


「…今度…指輪見に行こうぜ。」


 って…

 何だか、すごく浮かれてしまいそうな事を言ってくれた…。




 〇桐生院華音


 紅美んちで、陸兄と麗姉への結婚宣言に失敗した俺は、何としても早く…次はいつ…なんて、本当に焦りまくって考えた。


 もう、この勢いに任せて早く決めてしまいたい。

 そうでなきゃ、タイミングを逃してばかりになりそうな気がする。


 明日から始まるバンドの新体制の事を、あまり考えたくなかったからか…

 俺は結婚の事ばかりを考えていた。



 車を降りて裏口から入ると。


「おかえり。」


 母さんがそこにいた。


「…ただいま。」


「麗からLINE来た。ご飯食べて帰ったのね。」


「あ、ごめん。連絡しなくて。」


「ううん…もしかして、結婚の…?」


 後半はかなり小声。


「…残念ながら、色々あって言えず。」


「そっか…次頑張れ。」


「…サンキュ。」



 手を洗って母さんに続いて大部屋に入ると…親父とじーちゃんがいた。


 ばーちゃんは最近、何のかは知らないけど『研修』とかって、アメリカかイギリスの事務所に行ってる。

 何日会ってねーかな…


 ばーちゃん子の俺は、あのクソ元気なばーちゃんが日本にいないってだけで、何となくテンションが下がる。



「おかえり。」


「…ただいま。」


 じーちゃんと…気まずくないと言えば嘘になる。

 今日、会長室に呼び出された時…

 すれ違いで詩生が出て行った。

 俺と目も合わさず…険しい顔つきで。



 …詩生は…詩生なりに頑張ってた。

 そのバンドを解散させてまで…俺のためのバンドを作る必要があるのか?

 それが俺にとって最大の疑問だった。


 紅美と違うバンドを組む事も。


 だが…

 ずっと『必死になる』事をセーブしてやって来た俺に…

 全力でやっていい。と言われた事は…意識してなくても、何かから解放された気持ちになった。


 …最初でこそ、怒りに任せて希世を怒鳴りちらした沙也伽でさえ…

 帰り間際には、俺とガクが脱退する事を認めてた。

 じーちゃんが決断した意味を、納得したからだと思う。

 …DANGERに、俺は要らないって事。


 それはそれですごく寂しかったが。


 俺自身、紅美の歌を伸ばしてるつもりでも…それは俺の理想の物であって、紅美らしさは奪ってたのかもしれない。



「…彰が陸兄に弟子入りするってさ。」


 親父の隣に腰を下ろしながら言うと。


「そりゃいい傾向だな。」


 親父はグラスを掲げた。


「おまえはまだまだ納得いかねーんだろうが、俺はこの大改革に賛成だ。」


 大改革…か。

 俺はまだピンと来てないけどな…。


 だいたい…彰はともかく…詩生はどうするつもりだろう。



 母さんが目の前に置いてくれたグラスを持つと、親父が『乾杯』とは言わずに…グラスを合わせた。

 じーちゃんは…何も言わずにお茶を飲んでる。


 …ああ。

 ここで、マンション貸してくれって言ってみようか…


 そんな事を考えてると。



「おじいちゃま。」


 華月が帰って来た。


「…どうした?」


 じーちゃんが、立ったままの華月を見上げると。


 華月は…


「詩生に何言ったの。」


 いつになく険しい顔。


「…詩生はなんて?」


「何も言わない。」


「……」


「ただ……」


「……」


 華月はだんだんと顔から表情を失くして。


「ただ…しばらく会わない……って…」


 ひどく…冷たい目をして言った。


 その言葉に、親父は大きく溜息をついて。

 じーちゃんは…目を伏せた。



 …詩生。

 おまえ…




 何考えてんだよ。

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