第7話 「…俺、先に帰るわ…」

「…俺、先に帰るわ…」


 ガクがそう言ってエレベーターに乗って、あたしは…ノン君を前に…


「…どうして…このタイミング?」


 唖然としたまま、問いかけた。


「…新しいDANGERのメンバー、聞いた。」


「あ…あ、うん…」


本間ほんま三月みつき。」


「……」


「あいつも…サポートとは言え…DANGERに入るんだと思うと…」


「……」


「嫉妬で気が狂いそうだ。」


 パチッ


 あたし…

 もう、これ以上開かないよ。ってぐらい…目を見開いた。


 えっ…?

 え?え?ええええええ?


 ノン君…


「…妬けるから…結婚…?」


「ダメか?」


「……」


 そ…そりゃあ…結婚したいって話が出てるからこそ、織姉に父さんの説得を頼んだんだけど…

 まるでノン君…もう、そこには頼らない。

 今すぐ。って勢い…



「もう、秘密にしたくない。」


 ガシッと…ノン君が、あたしの肩に手をかける。


「これから、一緒にいられる時間も減ると思うと…」


「……」


「気が気じゃねーんだよ……」


「……」


「…情けねーなとは思うけど…これが、俺なんだ。」


「……」


 あたし…

 今、すごく…


 ドキドキしちゃってる。


 あたし…


「…嬉しい。」


 ノン君の胸に飛び込んで、ギュッと背中に手を回した。


 こんな…

 こんな直球勝負…

 ノン君がしてくれるとは思わなかった。


 いや、いつも直球って言えば直球だけど…

 あたしが「慎重にいきたいから秘密にしたい」って言った時も、それを尊重してくれたし…


 だから…

 一緒に居る時間が減るから、嫉妬してるから、って…素直に認めて告白してくれるなんて…



「今…じーさんのマンションが空いてる。あそこ…貸してくれって話してみようと思ってるんだけど…どう思う?」


「え…っ?同棲…するの?」


 驚いて顔を上げると。


「同棲?結婚だってば。」


「…えっ?」


「明日にでも籍入れて、許可が下りたら引っ越そう。」


「……」


 あ…あまりの展開の速さに…

 あんぐりと口を開けてしまった。


 まだ父さんを説得もしてないし…

 何より…


 心の準備…!!



 あたしの唖然とした顔を見たノン君は、少し冷静になったのか…


「…って…ダメだな…俺。」


 小さく溜息をついて…首を振った。


「…ビックリした…」


「…悪かった。今の話は保留。」


「……」


「新しいバンドも…まだ始まってねーのにな。こんなの、陸兄に何言われるか分かんねーよな。」


 ノン君…

 もしかして、プレッシャーなのかな…って思った。

 ノン君のためのバンド。


 …そりゃあそうか。


 そのために、バンドが一つ解散するんだ。

 失敗なんて…出来ない。

 まあ、失敗はないと思うけど。



「…あたしも…一緒にいたいよ。」


 ノン君の胸に、ストンと頭をぶつける。

 今まで…ほとんど毎日一緒にいたのに。

 それが…なくなる。


「…紅美。」


「ん?」


「うちにも…鍵盤のメンバーが入るんだ。」


「…そうなの?」


 ノン君を見上げると…何だか言いにくそうな顔…


 …って…これ…


「…女の子だよね…」


「…杉乃井。」


「…え?」


「杉乃井幸子。」


「……」


 あたしは、少しの間フリーズした。


 杉乃井幸子…って…



 あの、パーソナリティー…?



 〇浅香 彰


「…彰ちゃん?」


 家に帰ってリビングの床に寝転ぶと、二階から佳苗かなえが降りて来た。


「…居たのか…」


 てっきり…留守だと思ってた。

 なぜなら、今…佳苗の父親で、SHE'S-HE'Sのキーボーディストである島沢真斗さんが入院中だ。


 島沢家は、全員が入れ代わり立ち代わり…病院に入り浸り。

 …その気持ちは、分からなくもない。


 ミュージシャン生命を脅かされて…自ら命を…って心配も、なくはないから。



「LINEしたけど見れなかったみたいだから、留守電にも残したんだけど…」


 そう言われて、ポケットからスマホを出すと…あー…マジか…

 全然見る余裕なかった…



「…悪い。麻里子と晴季は?」


 一歳の長女麻里子まりこと、八ヶ月の長男晴季はるき

 俺と佳苗の…可愛い子供達。



 結婚してすぐは、俺が独り暮らししてたマンションにいたが…麻里子が産まれて、実家の敷地に家を建てた。

 俺は同居でも構わなかったけど、母さんが拒否した。


『佳苗が何のストレスもなく自由に出来る家を建てなさい』って。


 別に佳苗は…同居でいいって言ってくれてたのに。


 まあ…でも正解だったのかなとも思う。

 超人見知りな親父が、一日中ピリピリしてるのは…俺もストレスだ。



「もうとっくに夢の中よ。」


 佳苗は俺が脱ぎ捨てたコートを拾ってハンガーにかけると。


「どうしたの?怖い顔。」


 俺の前に座って、頬を軽くつねった。


「…いてーな。」


「そう?軽くしたつもりなのに。」


「……」


 昔は女優をしてた佳苗。

 俺との結婚で、バッサリと引退。

 今もビートランド以外の事務所から、復帰のオファーが来るそうだが…

 その気はない。らしい。



「ご飯、温めるね。」


「…佳苗。」


 キッチンに立った佳苗の背中に、問いかける。


「なあに?」


「…もし…俺がギターやめたら…」


「え?」


 鍋を持って振り返った佳苗の驚いた顔は…ガキの頃と変わんねーな…と思うと、少し笑いそうになった。


「待って…ギターやめたら…って…彰ちゃん、DEEBEE…やめるつもりなの…?」


 佳苗は鍋を持ったまま、俺の前まで戻って来て跪くと。


「…冗談…だよね?」


 首を傾げて言った。


「……」


 俺は重たい気持ちを一気に吐き出すかの如く…


「DANGERのノン君とガク、うちの希世が新しいバンドを組む事が決まった。」


 早口で言った。


「…え?」


「DEEBEEは解散だよ。詩生君は…どうすんのか知らねーけど、俺は…もっと練習してノン君の隣でサイドギターを弾く手もある。って高原さんに言われた。」


「……」


「…まいった…」


 頭を抱えてうなだれてると…


「…サイドギターは…嫌って事?」


 佳苗が低い声で言った。


「…サイドギターだぜ?ずっとソロを弾いて来た俺が。」


「……」


「しかも…もっと上手くならなきゃ使えねーみたいに言われてさ…」


「……」


「何なんだよ…」


 吐き出したら楽になると思ったが…結局は何も解決しねーし。

 佳苗にカッコわりーとこ見せただけで…余計ムカついた。



「…分かった。」


 佳苗はスッと立ち上がると。


「あたし、女優復帰する。」


 俺を見下ろして言った。


「…あ…ああ?」


「女優、復帰するから。彰ちゃんは事務所やめて、うちで麻里子と晴季の子育てをして。」


「……」


 ポカンと口を開けて、佳苗を見上げる。


 な…何言ってんだ…?こいつ…


「もっと練習しても、サイドギター止まりだって思うと嫌なんでしょ?」


「なっ…」


「しかも、サイドギターとしても使ってもらえるかどうか分からないって思うと、練習する気にもならないんでしょ?」


「……」


 ムカムカして、両手を握りしめてしまった。

 だけど佳苗はお構いなしに…


「DEEBEE、売れたからって安心し過ぎてたんじゃないの?」


「っ~……」


「そういうの、高原さんはきっと見てたんだよ。」


「……」


 佳苗は俺の前に鍋を置くと、後ろで結んでた髪の毛をバサッとほどいて。


「だから、もうやめたら?あたしが女優復帰して稼ぐから。」


 腰に手を当てて…俺の知ってる佳苗とは違う…顔をした。



 呆然と…その顔を見入ってると。


「…彰ちゃんは…何が大事なの?今の話聞いてると、プライドだけを守ってるように思える。」


 グサグサと刺さるような言葉を…浴びせられた。



 …そうだよ。


 俺は…今まで自分がやって来た事を評価してもらえなかった事に、すげームカついてて。

 誰がサイドギターなんて…!!って思ったさ。


 俺は、ギタリストなんだぜ?

 ずっと、DEEBEEで…ミリオンセラーを出したバンドで、ギターを弾いて来たんだぜ?


 なのに、なんでこんなに低評価なんだよ…!!



「…あたし、彰ちゃんはこんな事で負けない人だと思ってた。」


「…おまえに何が分かるんだよ…」


「うん。何も分かんない。」


 あっさりとそう言われて、睨むように佳苗を見上げる。


 おまえ…

 時々、くっそ無神経になるよな!!

 俺は傷付いてんだぜ!?



「あたし、彰ちゃんって純粋な人だと思ってた。」


「…はっ?」


「プライドとか、そんなんじゃなくて…ギターが大好きで弾いてるんだろうなって。」


「……」


「あたし…本当はここ何年か、彰ちゃんの事カッコ悪いって思ってた。」


「っ…どっどういう事だよ!!」


 立ち上がろうとしたが、佳苗が距離を詰めて来て…それも出来なくなった。


 見下ろされるのは好きじゃねー!!


 そう思いながらも…

 佳苗の静かな何かに…気圧される。



「昔の彰ちゃんは…ギターを手放さない人だった。」


「…そ…それはー…」


「あたしがヤキモチ妬いちゃうぐらい…四六時中ギター弾いてた。」


「……」


「だけど、ミリオン二つ取った後ぐらいから…変わったよね。」


「…違うだろ。そんなん…子育てだってあんのに、ギターばっか構ってられっかよ…」


「…そう。」


「……」



 胸が、痛い。

 図星過ぎた…。


 確かに俺は…ミリオンが取れて安心した。

 それに、自信があった。

 DEEBEEで問題があるとしたら…たぶん詩生君で。

 俺には何の問題はねーよ。って。


 だから…子守を理由に、個人練でスタジオに入る事も減った。

 家でもギターを弾く事は…ほぼ、なくなった。



「…好きな事を続けられるって…みんながみんな、出来るわけじゃないんだよ?」


 佳苗が涙声な気がして、ハッと見上げると。

 下ろした髪の毛で少し隠れた目元が、泣きそうに歪んでる気がした。

 おまえー…もしかして、女優…



「…どんな形でも…好きな事なら、どんな形でも…」


「……」


「……」


 …どんな形でも…


 それは、佳苗の事とも、お義父さんの事とも取れる。



「…よく考えて。」


 佳苗はそう言うと、置いてた鍋を俺に手渡して…二階に上がって行った。



「……」


 …俺、サイテーな夫だな…


 ギターの練習サボってる事、育児のせいにした。

 こんなので…麻里子と晴季に胸張れるか?


 今の俺、クビになるより、ずっとずっとカッコ悪いぜ…



「…はー…」


 鍋をキッチンに戻して、溜息を吐く。


 …ただただ、悔しくて…誰がサイドギターなんて…って…

 だけど、必死で…死ぬ気で練習したら、ノン君に追い付けないわけじゃない…かもしれない。


 今日、スタジオでやりにくかったのは…ノン君と希世とガク…三人が上手過ぎたからだ。

 …それを認めるのが嫌で…『合わない』『やりにくい』って…


 昔は…何でも弾けるって思ってたじゃねーか。




「…佳苗。」


 二階に上がると、佳苗は麻里子と晴季の寝顔を見てた。


「…悪かった…」


 後ろからゆっくり抱きしめて…反省する。


 俺なんて…健康体で…好き勝手やらせてもらえて…

 今、この瞬間からだってギターが弾けるんだ。

 ベッドの上で…色んな感情に縛られてるお義父さんの気持ち…

 …結婚で第一線から退いた、佳苗の気持ち…



「俺…やめねーから…」


「…嫌々弾かれても…」


「嫌々なんかじゃねーよ…」


 俺はポケットからスマホを出すと、電話をかけた。


「あ…彰です。今、大丈夫ですか?はい…。あの…」


 悩むな、俺。


「もっとギターが上手くなるために、練習が必要なんです。弟子入りさせて下さい。」


 佳苗を抱きしめた左手に、力が入った。

 すると、その俺の左手を…佳苗が両手で抱きしめた。


「厳しくしていただいて結構です。お忙しいとは思いますが…よろしくお願いします。」



 今まで…みんな、誰かに弟子入りしてた。

 ノン君でさえ。


 なのに…俺は自分の弾き方を貫きたいからって…独学でここまで来た。

 …きっと、限界があったんだ。



「…頑張るから…」


 スマホをポケットにおさめながら、佳苗の耳元でそう言うと。


「…どんな結果になっても…あたしは彰ちゃんを応援してるから…。」


 佳苗は、俺に向き直って…ギュッと抱き着いた。


 その背中に手を回して…



 最高の結果しか望まない。



 俺は、そう固く誓った。




 〇浅香佳苗


「あ、おかえり。」


 今日は…彰ちゃんの、陸さんに弟子入り初日。

 少し緊張した顔で出かけて行った彰ちゃんは、出かけて行った時よりゲッソリして帰って来た。


「…厳しかった?」


「…ああ…」


 ソファーにふんぞり返った彰ちゃんは、そう言いながらも…

 目、が。

 目が、違った。



「…佳苗。」


「ん?」


 こっちは見てないけど、ちょいちょい、と手招きされる。

 あたしは誘われるがままに、彰ちゃんの隣に腰を下ろした。


「……」


 無言のまま、あたしの肩を抱き寄せる彰ちゃん。


 …こういうの、嬉しい。

 彰ちゃんって、あまり愛情表現してくれないし。


 少しだけ口元を緩めながら、彰ちゃんの胸に身体を委ねてると。


「…すげー厳しかったけど…楽しかった。」


 ボソッと、耳元に声が降って来た。


「…そっか。」


「今までの全部を捨ててでも、俺…やるよ。」


「……」


 彰ちゃんに熱が戻って来た。

 それが嬉しくて…あたしはギュッと抱き着く。


「…俺が好きな事ばっかして…悪い。でも…頼むから…」


「…ん?」


「頼むから……」


「……」


 何?と思って彰ちゃを見上げると。

 彰ちゃんは拗ねたような唇をして。


「…女優…やりたいならやれって…言ってやりたいけど……」


「……」


「……あー…あ゛あ゛あ゛っ。やっぱ無理だ!!」


「え…っ?」


「佳苗。」


 あたしをギュッと抱きしめた彰ちゃんは。


「…今更だけど、おまえのドラマ見た。」


「っ…」


 信じられない事を言った。


「他の男に抱きしめられてるおまえ見て…もう…全然ダメになった。」


「彰ちゃん…」


「芝居だって、分かってる。分かってるけど…ダメなんだ。」


「……」


「俺の我儘でしかない。それも分かってる。勝手な男で悪いって思う。だけど…」


 あたしは…

 こんなにストレートに気持ちを口にする彰ちゃんに、唖然とした。

 唖然としたけど…

 だんだん、驚きと喜びと…愛しさが…


 ゆっくりと体が離れて、彰ちゃんは…あたしの両肩に手を置いて、目を合わせた。


「俺だけの、佳苗でいて欲しいんだ。」


 照れ屋の彰ちゃんが。

 あたしの目を見つめながら…こんな事、言うなんて…


 夢かな。

 これ、ほんと…夢じゃないかな。



 あたしは彰ちゃんの手を取って、それを自分の頬にあてた。


「っ…」


「…あたしは、ずっと彰ちゃんだけのあたしだよ…」


「い…いいのか…?復帰…出来なくても…」


「今からまたどんどんカッコ良くなってく彰ちゃんを、ずっと見ていたいもん…」


「……」


 ふっ…と、小さく笑った彰ちゃんは。

 そのまま…ゆっくり、唇を近付けた。



 …つい、あの場で口走った事が…

 こんな誤解を招くなんて。


 女優復帰なんて、する気ないよ。

 あれだって、彰ちゃんに言われて目指したようなものだもん。



 あたしはいつだって…彰ちゃんのそばにいたい。


 あなたのそばが…


 あたしの舞台…だっりするから…。

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