第6話 「紅美、沙也伽、会長室へ。」

「紅美、沙也伽、会長室へ。」


 沙也伽とルームにいると、里中さんが迎えに来た。



 彰の背中を見送った後…希世を探したけどいなくて。

 あたしと沙也伽は、二人でルームに帰って…ずっと無言のまま時間をやり過ごしていた。



「…今回の事…」


 エレベーターに乗って、里中さんが口を開いた。


「高原さんのエゴだって思うかもしれないけど…俺は話を聞いて納得した。」


「……」


「楽しくやってたのにって腹が立つ気持ちも分かるが…仕事だからな。」


 最後の『仕事だからな』が…胸に突き刺さったのか。

 沙也伽はガクッと首を落としてうなだれた。



「入ります。」


 里中さんが会長室のドアをノックして中に入る。

 それに続いて、あたし達も中に入るとー…


 そこには、先客がいた。


「……」


 沙也伽と顔を見合わせる。

 そこにいたのは…見た事のある顔だった。



「何してる。座れ。」


 高原さんは、ドアの前に立ったままのあたしと沙也伽にそう言って。

 自分も、大きな黒い椅子から…ソファーに腰を下ろした。


 先客は…二人。

 二年前の大イベントのステージに立った…BackPackの…ギターとベース。


 つまり…Deep Redのゼブラさんとミツグさんの…お孫さん。


 その二人は、少し詰めてあたしと沙也伽の座るスペースを広くしてくれた。

 小さく会釈しながら、あたし達もそこに座る。



「二人は…紅美と沙也伽を知ってるな?」


 高原さんがそう言うと。


「は…はい…DANGERの…二階堂紅美さんと、朝霧沙也伽さんです。」


 二人は、遠慮がちにあたし達を見て言った。



「紅美と沙也伽も見た事はあるかもしれないが…BackPackのギター、島馬とうま麻衣子まいこと、ベースの相川あいかわ多香子たかこだ。」


「…どうも…」


 目を合わすことはなく…あたし達は、お互い小さくペコペコと頭を下げる。

 そんな様子を見て、高原さんの隣にいる里中さんが小さく笑った。



 …確か…あたし達より一つ年上だった気がする。

 申し訳ないけど、スタジオ階で騒いでる姿を何度も見たせいか…

 あまり、いい印象がない。

 でも、それは向こうもそうだと思う。

 あたし達…すれ違っても挨拶もした事ないし…



 あたし達四人が遠慮がちな空気のままでいると。

 高原さんがリモコンを手にして、ボタンを押した。


 すると…


「…え?」


 あたし達DANGERの、デビュー前の音源が流れて来た。

 しかも、ノン君の加入前のやつ。


 あたしと沙也伽と沙都の…


「な…なんで…この曲…」


 あたしと沙也伽がキョトンとして高原さんを見てると。


「この曲を、完成させよう。」


 高原さんが笑顔になった。


「…え…え?」


「スリーピースの頃のお前たち…若いクセにブルースロックなんて…」


 高原さんは、クックッと口元を押さえて笑ってて…

 もう、悲壮感漂う宣告をされると思い込んでたあたしと沙也伽は、少し拍子抜けした。



「確かにDANGERのハードロックは期待の大きい物ばかりだった。だが…俺の期待していた物と少し軸がズレたように思う。」


「……」


「もっと紅美を前に出したかったのに、華音が目立ってしまったからな。」


 その言葉を聞いた瞬間、隣で沙也伽が小さく『あっ』と言った。


「紅美のブルージーな声が、活かされてない。そう思い始めた。」



 もう…それからは、高原さんが何も言わなくても分かった。

 この四人で…DANGERをしろ、と。

 そう言われるんだ。



 BackPackって…ちさ兄が必死でプロデュースしたのに…

 解散…したよね?

 活動休止じゃなくて、完全に…解散。


 ちさ兄がボヤいてたのを覚えてる。

 あれだけ派手にステージデビューさせたのに。って。


 まあ…確かあれは、この二人がおじいさん達にバンドをする許可を得るための…だったはずだから。

 結果的には…あれはあれで良かったんだろうけど。


 プロとして、やっていく意思…あるのかな。


 …って…


 高原さんが選んだぐらいだから…きっと間違いはない…

 と信じたい。


 …って…覚悟をしてると…


「とりあえず古い楽曲の音源、前もって三人に渡しておいた。早速明日からでもスタジオに入ってやってみてくれ。」


「…三人?」


 隣には、二人しかいないけど…と思って、首を傾げると。


「ああ…あくまでもサポートメンバーとして、キーボードを頼んだ。今…仕事中か?」


 高原さんが里中さんに問いかける。


「修理品を取りに音楽屋に行ってるらしくて、戻り次第来るようにとは言ってます。」


 …修理品を取りに音楽屋…


「オタ…修理部の人なんですか…?」


 沙也伽が前のめりになって問いかけると。


「ああ。鍵盤の修理をしながら弾いてるのを見て、イケると思って声をかけ」


「遅くなりました!!」


 高原さんが話してる最中、その大声は会長室に入って来た。


「ああ、ちょうど良かった。」


 里中さんが立ち上がる。


「修理部の、本間ほんま三月みつきだ。」


「え。」


 沙也伽の『え』で。

 本間三月が、こっちを見た。


 そして…あたしを見付けて…


「…よろしく。紅美ちゃん。」


 笑顔になった。



 やっぱり……あんたが…


 ミッキーなの!?





 会長室を出て、五人でエレベーターに乗った。


 …新生DANGER…


 って言っても、まだピンと来ないのは…三人の音を、あたしと沙也伽が信用していないからだと思う。


 高原さんがゴーサインを出したんだ。

 間違いないはず。


 だけど…

 一緒にやってもいないのに…やっぱ、ないよね…



 昔の音源をちゃんと完成させようって言われた事は、すごく嬉しいし…何だかワクワクする。

 だけど…



「…明日から、よろしくお願いします。」


 そう言って頭を下げたのは、ギターの麻衣子さんだった。

 それにつられたように…


「よろしくお願いします。」


 多香子さんも、深々と頭を下げた。


「あ…え…えっと…」


 あたしと沙也伽は顔を見合わせて。


「…こちらこそ…お願いします…」


 頭を下げた。


 それを見てた本間三月は…


「…えーと…たぶん、俺はサポートだから…その…スタジオに入り浸るような事はないと思うけど…よろしくお願いします…」


 ちょこんと頭を下げた。



 あたし達が最初にエレベーターを降りて。

 ドアが閉まった途端…


「ねえ、『よろしく紅美ちゃん』って。やっぱアレ、ミッキーよね。」


 沙也伽があたしを見て言った。

 …それを一番に言うかな。


 あのメンバーで大丈夫かな、とか…

 昔の曲やれるなんて、ちょっとワクワクするね、とか…

 ないのか。


「て事は、あんた、ミッキーと何か合わせたんじゃない?」


 沙也伽が口元に指を当てて言う。


「…は?」


「ほら、テクよ。テク。」


「……」


 そう言われて…あたしは、あの『LINE事件』を思い出した。


 あたしをさんざん悩ませた…『紅美ちゃん…テクすごいね…』


「……そう…言われたら…」


 何となく…

 何となくだけど…

 あたし、ルームで飲んで…帰ろうとして…ギターを取りにスタジオに行ったような気がする…


 で、そこで…


「あ。」


「何。思い出した?」


「スタジオで…セッションした…」


 そうだ!!

 あたし…ミッキーとスタジオでジャニスジョプリンを延々と…セッションした!!

 それで、LINEの交換して…

 じゃあ。って別れて…

 あたし、クタクタになってルームで…


 あー‼︎

 なんだよー‼︎

 あたし、超潔白‼︎



「なー…良かったじゃない。何もなかったって事で。」


 沙也伽は唇を尖らせかけて…やめた。

 …今、軽く「ちぇっ」って聞こえた気がするのは…何かな。


「…なーんだって言いかけたでしょ。」


「ううん~?安心しただけ。」


「つまんないって思ったんじゃないの?」


「そんな事思っ……あ。」


 沙也伽の視線を追うと。

 ルームの前に…ノン君とガクがいた。


「……」


 あたし達はゆっくりそこに歩いて行くと…


「…変な感じね。明日から…もう、違う部屋になるなんてさ。」


 沙也伽は…そう言って首をすくめて。


「…さっきはごめん。酷い事言って。」


 深々と頭を下げた。


 ノン君とガクは…黙ってそれを見てる。


 …いいよ。って言わないの?



 あたしが沙也伽の背中に手を掛けると…

 頭を下げたままの沙也伽の目から…ポタポタと…床に涙が落ちた。


「…あたし、明日からの事…ワクワクしてるから。だから…べ…別にいいよ…」


「……沙也伽…」


「も…ノン君に、スパルタ…されなくて済むし…え…栄養管理とか…」


「……」


 無言で沙也伽を抱きしめる。


 ノン君が脱退する事…何となくホッとしたはずなのに…あたしの目からも涙がこぼれた。



「…ほんとね。ツアー先でジャンクな物食べても、怒られない…」


「…紅美、沙也伽…」


 ノン君があたしと沙也伽を抱きしめて。


「…こんなにあっさり…脱退決めたんだぜ?もっと…腹立てろよ…」


 食いしばるような声で言ったけど…

 あたしと沙也伽は涙を拭って。


「あ…はは…ごめん。何か…あたし達の方が…ごめん…だよ…」


 泣き笑いをした。


「…あたし達じゃ…ノン君とガク…抑えられなかった…」


「…紅美…」


「ビートランドのためでもあるし…それぞれのためでもあるって…あたし、納得出来ちゃったんだ。」


「……」


 本当に。

 あたしがDANGERで歌い続けるためには…

 ノン君は要らない。


 そして…

 ノン君が全力で楽しむためには…


 ノン君のためのバンドが必要。



「…ごめん。あたし…紅美の声が大好きなのよね…」


 そう言った沙也伽の頭を、ノン君がわしゃわしゃと撫でる。


「だからさ……ん…っ…うん……」


「……」


「…希世の事も…よろしく…お願いします……」


 沙也伽はそう言ってまた…深く頭を下げた。


 ノン君とガクの視線にふと振り向くと…あたし達の少し後ろに…希世が来てた。

 …すごく…バツの悪そうな顔で。



「…希世ちゃん…へこんでた。」


 ガクの泣きそうな声。


「自分が…DANGER壊したって…」


「…だよね…あたし…ほんと…酷い事……反省してる…」


「沙也伽ちゃん…希世ちゃんの事、どう思ってんの?」


「えっ……?」


 ガクの問いかけに、沙也伽は力なく声を出して顔を上げた。


「何…それ…も…もしかして…希世…もう…あたしみたいな暴力女…嫌だ…って?」


「……」


「ど…どうしよう紅美…あたし…希世に酷い事…」


 …ごめん、沙也伽。


「…だね。ほんと…あんた酷い事言ったし…殴るなんて最低だよ…」


 目を細めたあたしを見て、沙也伽は真っ青になった。


「…あたし…もう…希世の妻でいる資格なんてない…」


 沙也伽のその言葉に、あたしとノン君とガクはギョッとした。


 い…いやいやいやいやいや!!

 そうじゃなくて…!!


「希世、仕事から帰って子供の世話もしてくれるし…優しい旦那なのに…あたしを想ってしてくれた事を、何してくれたのって殴ったりして…あたし本当最低…もう…妻としても母としても…」


「いや、沙也伽それはー…」


「あたし…希世に合わせる顔ないよ…もう…絶対こんな暴力女…きら」


「沙也伽。」


 それはー…すごく意外な光景だった。

 希世が後ろからギュッと沙也伽を抱きしめて。


「ごめん…沙也伽…ほんと…ほんとに…ごめん…」


 あたしがもらい泣きしちゃうほど…希世が…泣きながら沙也伽に謝ってる。


「き…希世…?」


「おまえが…ど…どんなにバンドの事…大事にしてきたか…俺、知ってたのに…」


「……」


「知ってたのに……」


 その希世の涙には…ノン君もガクも…もらい泣きした。



 出産と育児で休む事が多くて。

 きっと、誰よりも罪悪感の塊だった沙也伽。

 それでも、全然ブランクを感じさせないリズムキープや叩きっぷりに…

 あたし達は、いつも驚かされてた。


 見えない所で、誰よりも努力してた沙也伽。

 …今の体型は置いといて…。



「…あたしこそ…殴ってごめん…」


 希世の頬に触れて、謝る沙也伽。


「あんたさ…ノン君とガクと…って…き…厳しいんだよ?ついてけんの…?」


「つっ…ついてく…」


「…ん…んっ。がん…頑張ってよ…」


「ごめん…沙也伽…」


「も…謝らないでよ~…」


 あたしとノン君とガクは顔を見合わせて、その場を離れた。


 彰は帰ったし…詩生ちゃんはどうなったのか…気になったけど。

 今はそれも聞かない事にした。



「…紅美。」


 エレベーターの前で立ち止まったノン君が、あたしを振り返る。


「ん?」


「結婚しよう。」


「……」


「……」


 あたしとガク…二人揃って、同じように瞬きをした。


 そんなあたしを見たノン君は。


「結婚、しよう。」


 もう一度…あたしの目を見て…ハッキリと言った。

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