番外編

優しいルール

*まえがき*

番外編の小エピソードとなります。

時系列としては、8話での夜津木戦の後の話となっています。



*****



 コンバットナイフを振るう。力の限り振るう。


 流れ出る汗は止め処なくこめかみから流れ出る。腕の一振り、腰の回転動作、彩斗あやとが何か動作を行うごとに小さな雫は飛び、灰色の床へと落ちていく。


 もう何度ナイフを振っただろうか。はじめは数えることをしていたが、いつの間にかやめてしまっている。回数よりも腕を振る動作、一回一回の精度、それのみに意識を集中、その結果、息が苦しくなるくらいに銀の刃を振るう。


 それでも、まだ足りない。

 腕の筋肉が悲鳴を上げているのがわかる。呼吸は荒く、体はだるく、全身が疲労感という鎖に蝕まれているが、それでも思い描く動きには至らない。


 基本的に必要な筋肉が足りていないだけではないのだ。体力がまず不足している。呼吸のやり方も雑。腕の振り下ろしも未熟に加え、足運びにも無駄が多い。

 だから疲労は蓄積し、効率の良い訓練とはいかなくなる。喧嘩などしたこともない彩斗の事情が、はっきりと浮かび出た結果だった。


「はあ……はあ……」


 荒く息をしながらぐっと拳を握りしめる。

 足りない。何もかもが自分にはないと、彼は思う。夜津木(やつぎ)のときは勝利を果たしたが、今後、さらに戦闘に秀でた者が相手になれば真っ先に倒される。もっと自衛する技術を身につけなければ倒されるのは確実だ。自分だけで全てを凌ぐまではいかなくとも、せめて半分くらいは対処できるようにしなければ、足手まといもいいところだった。


「彩斗、そろそろ休憩しよう。もうずっと練習してるよ」

「ああ、うん。そうだね。少しはりきりすぎたみたいだ」


 パートナーであるスライムの少女、スララが優しく声をかけてくる。彼女の方も一人で訓練をしていたが、十数分前に止め、彩斗の鞄の中にある歴史の教科書を読んでいた。


「あんまり頑張りすぎると体に良くないよ。もう少し緩くした方がいいと思う~」

「そうだね。でもやっぱり、僕が負ければ闘技は終わったも同然だから、少しくらいの無理はしないと」


 流れた汗を袖で拭い、硬い笑みを見せる。

 

 アルシエル・ゲームで行われる闘技は、人間と魔物のペアで行われる戦いだ。敗北の条件は魔物が倒れることだが、人間が狙われることも十分にありえる。


 闘技中、三回だけ使える黒い業火、ゲヘナは、人間だけが使える強力無比な魔法。当てれば相手側の魔物を一撃で倒すことが可能で、だから闘技中は切り札を持つ人間から狙われることも多い。油断はできなかった。


「夜津木とサイクロプスはけっこう単純だったけどさ、やっぱりこれからはそれ以外の敵も想定しないと」

「想定?」

「うん。夜津木たちはナイフや棍棒を使って真っ向から戦ってきたからわかりやすかったけど、他のペアが全員そんなのなんてあり得ない。何かの形で僕とスララを分断する可能性もある。そういうとき、頼れるのは自分自身の力だから」


 例えば、と彩斗は例を持ち出す。


「弓を使う敵と、遠距離の魔法を使う敵がいるとする。夜津木たちとは反対。こういう相手が敵だったら、僕とスララは簡単に負けると思う。どうしてか……わかる?」

「……えっと」


 少しだけスララは考えた。肩に掛かった水色の髪がわずかに揺れる。


「わたしと彩斗に別々に攻撃して、その後に片方ずつ倒すこと、かな~?」

「うん。簡単で確実な方法だ」


 すでに夜津木たちとの戦いで、彩斗とスララの攻撃法は他のペアに判明している。

ごく普通の少年である彩斗と、スライムのために斬撃や打撃は効かないが直接攻撃力が無いスララ。


 遠距離攻撃は二人ともなく、頼りになるのはスララが持った、スライムとしての能力だけだ。

 必然的にスララが防御と補助をして、彩斗がゲヘナで相手を倒す戦術になってしまうから、確固に分断されれば彩斗たちの勝ち筋はなくなる。


「僕が、最後まで自分を守ることが重要なんだ」


 彩斗は声に力込めて説明する。


「相手の攻撃に翻弄されて手も足も出ないなんて駄目だよ。せめて囮役になれるくらいの技術はないと。そのためには、多少の無理をしてでも僕は強くなる必要がある。だから、訓練はすぐ再開するよ」

「彩斗……」


 スララが少し悲しい表情になるが、彩斗としては考えを曲げるわけにはいかなかった。

 闘技になれば真っ先に狙われやすいのは自分。スララに攻撃力はないから、まずゲヘナを持つ彩斗を行動不能にするのが定石だ。その流れにさせないだけの力が彩斗にはいる。

 だからその考えを元に、数分もしたらまた訓練を始めようと彩斗は思っていた。


 けれど――。


「彩斗。やっぱりそんなやり方じゃダメだよ」


 座っていた体勢だったが、スララはすぐに立ち上がる。


「止めないで、スララ。これは僕だけの問題じゃないんだ。スララと勝ち抜くための特訓なんだ。だから――」

「そんなに悲壮な顔の彩斗は見たくないよ。もっとゆっくりで大丈夫。わたし、簡単に相手にいいようにはさせないよ。あんまり焦らないで」

「駄目だ。それはできない。時間がないんだ。またすぐに闘技で戦わされるかもしれない」

「戦わされる可能性より、観客になる方が多いと思う~」

「それはそうだけど、二回連続の場合もある。そうなってからじゃ遅い。次も、僕たちが戦うと過程した上で訓練しないと」

「でも彩斗、もう今日は疲れてる。無理は禁物だよ」

「でも何かをしてた方が気が楽なんだ。少しでも前に進んでるって気持ちが湧く。休憩中は不安で落ち着かない」


 整った眉を歪め、困ったような顔をするスララを見て、彩斗は胸が痛くなる。

 しかし考えを変える気はない。鍵は自分だと言い聞かせる。その思考が、やがてはスララへの恩返しにも繋がるのだと、そう思っていた。


 しかし――。


「わかった。じゃあ彩斗が訓練を多くするの、わたし止めない」

「……ありがとう、スララ。わがままを言ってごめ」

「その代わり、わたしも、彩斗と一緒に訓練するよ~」

「え……?」


 意外な言葉に、彩斗の目が丸くなる。


「一緒に、訓練?」

「うん。そうだよ~。彩斗とわたし、別々に訓練してたよね。でも闘技は二人で戦うんだから、それぞれ訓練するよりも、一緒にした方が、良くなると思う」

「でもスララ、僕が言うのも何だけど、けっこうキツいよ。体力がすぐに無くなる……」

「わたしの体力を舐めないで欲しいよ~」


 胸をわずかに逸し、スララが華やかに微笑む。


「故郷では毎日朝から晩まで、外を出歩いてたんだよ。キツイ練習なんて平気平気。だからね、わたしの心配はしないで。彩斗だけが頑張る必要はないよ。わたしだって弱いスライムだもの。一緒に、強くなろうよ」

「スララ……」


 じんわりとした温かみで胸がいっぱいになり、思わず彩斗の口から言葉が途切れる。柔らかく、まるで春の日差しのようなスララの笑みを見るだけで、疲れていた体に活力が戻ってくる。


「でもね、やっぱり無茶しすぎは良くないと思うの」

「ああ、うん」

「だからね、ルールを作って、その通りに訓練していこうよ」

「ルール? どういう感じの?」

「えっとね」


 スララは数秒ばかり考えを巡らせた。人差し指をあごに添えて、一つ頷いてから、


「組手みたいな風に互いに攻撃し合うのはどうかな。それで、一回攻撃が当たると、相手は三分間休憩しないといけないの」

「休憩? その間は、何もするなってこと?」

「そう。当てた側は自由だよ。一人で技を磨いてもいい。一緒に休んでもいい。でも当てられた方は絶対に休憩。何もしちゃ駄目~。どうかな?」

「……もしかしてスララ、僕に休憩させる気、満々?」

「さて、どうかな~」

「僕を休ませるためだけに、そのルール考えた気がするんだけど」

「そんなことはないよ~。わたしが彩斗と一緒に訓練したいって言ったのは本当だよ」

「どうだか。まあ、いいか。僕は一回も休憩する気はないから」

「手加減はしないよ~。リコリスを使って彩斗に攻撃を当てまくる~」


 彩斗は、あまりにスララが楽しそうだったので笑ってしまった。


 スララが自分の髪の一部である半透明の房をふわりと広げていく。鞭のようにしなり、剣のように鋭く伸びる半透明武装(リコリス)を、まるで翼のように構えていく。

 彩斗も、コンバットナイフを胸の前で構えた。


 間合いを取る。視線を合わせる。互いに一度だけ口の端を上げて、かすかに笑みを交わす。

 その次の瞬間――彼らはナイフとリコリスを、交叉させた。


†   †


 ルールを取り決めてから、数十分後。


「くそー、一回もスララに勝てない! 十四度挑んで全部負けとかどうなってるんだ!」

「あはは~、難度やっても負けないよ。わたしは彩斗のどんな攻撃もさばき切る~」

「こうなったら鞄を盾に無理矢理勝ってやる!」

「きゃあ~、彩斗が猛牛みたいに走ってきた~、わっ、わっ、危ない~」

「攻防一体こそが武術において修めるべき秘技! はははっ、これで僕の勝ちだ、一矢報いたぞスララ――」


 ゴスッ。


「きゃあ~、彩斗が転んで変な風に頭打っちゃった。白目剥いてる彩斗、怖いよ~」

「か、勝ちだ、僕が一撃入れてスララを……守っ――うぐ」


 強さは一朝一夕では身につかない。熱意と決意を秘めた彩斗の気持ちに反して――彼は、まだまだ修練の日々が必要だった。

 慌てて介抱に駆け寄るスララと、その腕の中で幸せそうに白目で笑顔を浮かべる彩斗。

 二人がアルシエル・ゲームの覇者となるには、まだ、もうしばらくの時間が必要だった。


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