彩斗とスララの日常

*まえがき*

内容としては、主人公の彩斗と、ヒロインのスララの日常パートになります。

時系列では本編の序盤~中盤辺り。第二章。

夜津木とサイクロプスを倒して、少し経った辺りになります。



*****



「おっはよ~、彩斗、朝だよ~」


 彩斗の朝は心地よい声で始まる。

 まるで小鳥のさえずりのような耳に良い声。

 はつらつとした響き。ちょっとした楽器なんて目ではない、活き活きとした旋律だ。

 アルシエル・ゲームに巻き込まれて数日。彩斗にとって女神か春の妖精のような存在の少女の声で、彼は目覚めた。


「ほらほら起きないとご飯片付けられちゃうよ。起きて起きて~」


 スララ。薄水色の髪を持つ可憐な少女。

 くるりとスカートを回しながらはにかむ彼女の姿を見て、彩斗の一日は始まった。


「思うんだけどさ、起床時間が朝四時っていうのは、我ながら浅慮だったと思うよ」


 木のスプーンに錆びた鉄の食器。痩せた人参と粗末な豆のスープを喉に通しながら、彩斗は呟いた。


「スララとの特訓は自分で決めたことだし、必要だと思ってる。でもさ、やっぱり加減を間違えたというか、もう少し調整しようかと思うときがある」

「そうなの~?」


 小首をかしげて、スララが相槌を打つ。


 魔神アルシエルに召喚されて数日。さすがに心は順応し始めたとはいえ、体はそうではなかった。殺人鬼に騎士に魔法使いに悪魔の類。それら他のペアを相手に勝ち残るのは、容易ではない。


 彩斗は一般的な高校生だ。肉体的には強くない。トラックに轢かれても山火事に遭っても平然としていられそうな連中とタメを張るには、無茶がいる。

 けれど、体の至るところは反動で悲鳴を上げてしまう。


「やっぱり、もう少し量を減らす? 無理は駄目だよ」

「……ううん、いや、変えない。ちょっとくらいで泣き言呟いても始まらないし。一度決めたことは守るよ」


 現在彩斗は、一日の最低六時間を、スララと戦闘訓練に費やしている。

 四時に起きて軽く運動をし、配膳される朝食を食べる。


 その後一時間は夜津木から貰ったナイフで近接戦闘や、スララとの連携練習。

 後は互いに悪かった箇所への指摘だ。今後への修正相談だ。

 それが終わればイメージトレーニング。コロシアムで見た他ペアを仮想的として、想定して脳裏で戦闘を克明にイメージする。


 実際に体を動かすのは二時間程度だが、一般人である彩斗にはそれでも難しい。すぐに息は上がるし集中力は途切れ、手足は鉛のように重くなる。

 イメージトレーニングも限界まで記憶を思い起こして、現在の自分とスララとの実力差を元に再現させるため、精神的に疲れてくる。


 想像するとわかる。剣や槍や戦斧を振り回し、竜や巨人が大地を鳴動さえる光景だ。そんな敵を相手にナイフ一本とスライム少女のみで挑むなんて、具の極みでしかない。


 当然、負けるシーンばかりが脳裏をよぎる。けれど、そんな光景ばかり想像してもゲームは勝ち抜けない。負ければアルシエル・ゲームは石化という過酷なゲームだ。ナイフ一本で、スライム娘と協力し、何とか勝ち筋を見出して、勝利の絵を浮かべなければならない。


 ――疲労というのは体だけじゃなく、心にまで来るんだなぁと、今さらながらに彩斗は思うのだった。


「本当に疲れたら言わないと駄目だよ~。わたしに彩斗を心配させないで」

「もちろん。そのときはきっちり言うよ」


 笑顔で言って、彩斗はふと思う。本当に疲れるとき。いや、それは来ないかな、と思う。

 だって、スララがいるから。どんなときも励まし、寄り添い、ひたむきに声をかけ続けてくれる彼女がいるから。肉体や精神は限界を超えてなお、頑張れる。

 一人でなら、とっくに駄目になっているだろう。けれどスララと一緒ならば、どこまでも突き進める。


 彩斗は目の前の可憐な少女に、深く感謝していた。


 スララは、スライムの娘だ。

 その髪は絹糸のようになめらかで美しく、薄水色の色素もあって湖の妖精のよう。しみ一つない肌は雪のように綺麗で、思わず目を奪われる。華奢な体つきで手足はしなやかに動き、可憐さと、儚さを併せ持っている。


 印象的なのは、笑顔だ。まるで春の日だまりのようなその笑顔を見ると、彩斗は多少の疲労ならそれだけで吹き飛び、心と体に活力が満ちるのを感じる。


 健康的に色づいた紅い唇から、「彩斗、彩斗、がんばろう~」とさえずってくれる少女との日々。感謝どころか奮起する。いや決起する。とにかくじっとしてなどいられない。勝利という二文字のために、彩斗は鍛錬をこなすのだ。


「ねえねえ彩斗。それで、今日はどうするの~?」


 朝食を食べ終わり戦闘訓練の時間帯。床にちょこんと座ってスララは訪ねてきた。


「今日は、デコイを使った戦術をやろうかと思ってる」

「でこ……?」

「ああ、うん。囮のこと」


 スララは辺境の村からアルシエルに召喚された身なので、あまり戦場関連の単語を知らない。いや、彩斗もサブカルチャー等でしか知らないが、とにかく本題はそこではない。


「囮ならこの前の夜津木とサイクロプスとの闘技でやったよね? あれを煮詰めていくの?」

「うん、そう」


 殺人鬼である夜津木やつぎと、単眼巨人であるサイクロプスとの闘技は、記憶に新しい。


 人間と魔物がペアになり、戦技を尽くすというアルシエル・ゲームにおいて、彩斗とスララは、初戦である戦いに何とか勝利した。


 コンバットナイフを操る殺人鬼の青年、夜津木。

 巨大な棍棒を振りかざし暴虐を誇った単眼巨人、サイクロプス。

 あのときに戦闘において、勝利要因は、大きく二つあった。


 一つは、相性の問題。スララの固有能力が、斬打攻撃無効だったこと。二つは意識誘導。つまり相手の注意をうまく彩斗に引きつけられたこと。


 相手の油断もあったとはいえ、勝利を掴みとるためには、その二つ、特に後者の意識誘導の成功が、大きな鍵だった。


「でもあれは、もうしてほしくないよ。彩斗が死んじゃうかと思った」

「わかってる。あの時みたいな無茶はしない。でも」


 殺人鬼相手に、「ほら、来いよ」みたいな無謀な挑発は、彩斗だってもうしたくない。けれどとにかく今の武器、ナイフ一本じゃ手札が少なすぎ、幸い二人一組のゲームなので、考えられる戦術はみんな使うべきだろう。


「結局はどこかで無茶の一歩手前までしないと勝利できない。そのための簡単な戦術が――」

「囮?」


 うん、その通り、と彩斗は頷く。


 囮には本人が相手の目を引き付ける場合と、本人以外のものを使うものに大別される。

 前者は夜津木・サイクロプス戦で行ったこと。これから習熟すべきは、後者だ。

 彩斗は、食べ終わった鉄食器の縁を軽く触りながら言う。


「スララ、君は自分の髪、リコリスの形を、自由に変えられる。ここまではいいよね?」

「うん、そうだよ~。触手から剣から盾まで、何でも平気~」


 スララが彩斗の口元についた豆の食べかすを手で取り、自分の口に入れてから答える。

 彩斗が「ちょ、スララ……」と慌てるが、少女は小首をかしげて見つめるのみ。


「……スライム族特有の能力は、形状の変化。つまり体の一部を自由に変化させること」

「そうだよ~」

「スララの場合は、耳の横から伸びた半透明の長髪が、それにあたるよね。文字通り、千変万化の武器」

「自慢の武器すら~」


 夏のひまわり、という言葉が似合うような笑顔。


「夜津木のときはそれで殴ったけど、傷は与えられなかったけどね」


 困ったように言うスララに、彩斗は横に首を振る。


「いや、攻撃力があるかどうかはいいんだ。重要なのは、どんな形にも変化させられることなんだ」


 彩斗は言う。


「そもそもスララの能力(リコリス)は、武器だけでなく、防具にも使えることが、強みだ。その防御力は巨人の棍棒すら無効化した。物理防御において、君を超える者はいないと思う」

「うふふ~」


 肩を揺らして、るんるんと躍りだしそうなスララ。照れと誇りが混ざった、魅力的な笑みである。


「それで思った。防御の他にも、使えるはず。例えば能力(リコリス)を分離させれば囮は容易いんじゃないかな」

「……うーん、どうかな~」


 彼女の薄水色の髪の中で、例外的に半透明になっている箇所が軽く動く。それはリコリスと呼ばれ、多種多様に形を変えられる。


 剣や槍、斧。

 盾や兜、甲冑。

 夜津木・サイクロプス戦においては、長い触手を作り、相手を捕縛もした。

 そのスライム特有の能力を、スララは発動させる。

 

 耳の横から伸びた髪の一部が、意思ある鞭のように閃き、空間を一断する。

 蛇のように鎌首をもたげ、軽く準備運動するように、円状、線状、様々な形態をとる。


 数秒後、先端のみがふわりと落下した。まるで綿埃が落ちるかのように、柔らかにソレは着床する。


「いくよ~」


 可愛らしい声の直後、半透明のソレがわずかずつ動き出す。さながら風に吹かれる湖面のように、静かだが確かな変化だ。

 数秒した後に、ソレが縦に伸び上がった。細く長く、まるで伝説にあるヴラド・ツェペシュの串刺し槍のように、鋭利な先端の槍が構成される。


「そこから十字になるように形成を変えて。あ、下側は二股に分けて。細さは、適当でいい」


 一本の槍のやや真ん中の上から、二本の小さな槍が出現する。十字架となったソレの下部、床に設置する箇所が、蠕動し二つの棒状に変異する。

 出来上がったものを見て、彩斗は聞いた。


「スララ、これ、何に見える?」

「……えっと、カカシ~?」


 その通りだよ、と彩斗は頷く。


 出来上がったものは二本の足、二本の腕を持つ人型の粘体物だ。

 触れればスライム独特の粘性高い肌触りだろうが、シルエットとしては完全に人型だ。カカシとスララは言ったが、それよりも人間の影に近い。これが、どういう意味を戦闘にもたらすかというと。


「スララ、これを戦場でいくつも作ることはできる?」

「できるよ~。わたしの半透明の髪(リコリス)は伸縮自在、いくらも伸びて分離できるすら~」

「例えば戦闘で、土埃が立ってる中、これが大量にあったら、相手はどうなる?」

「……ん~」


 一瞬だけ、スララは考えた。


「遠目には、人と同じシルエット。……どれが本物か、わからない?」

「うん。戦場で、即座に本物を見分ける技量を持つ人はそうはいない。そして君の武器はリコリスだ。変幻自在の鞭であり、剣であり、捕縛縄だ。人型に変化させた囮で相手の動きを制限させる。その隙に君のリコリスで捕縛する。勝ち筋の一つになると思う」


 尊敬するような眼差しがスララから向けられる。胸元に手を当て、柔らかに口元を緩ませた彼女は、


「彩斗、すごいよ~。これならどんなペアにも、勝てる勝てる~」


 スララはその場で回った。


「いや、さすがにそこまでゲームは甘くないよ。でもこれがものにできれば、僕らの優位は飛躍的に上がる」

「うん。そうだよ、やったね、彩斗!」

「でもまあ……そのためにはスララに今以上の訓練を課さなきゃならないんだけど」

「……すら?」


「具体的には、いまスララは人型にするのに十くらいかかったから、その半分以下、いか五分の一以下ですること」

「す、すら?」


「さらに言うと、大量に配置してこそ囮の強さが発揮されるわけだから、二秒以内に、十体以上、いつでも、どんなときでも、分離体を作り出せるという修練が待っているわけだけど……」

「す、す、すら……」


 顔は笑顔なのだがわずかにスララの顔は引きつっている。まるで彫像であるかのように硬直しながら、そのまま無言の彼女。


「す、スララ。大丈夫。僕も協力するから。この技を突き詰めていけ僕らの勝利がある。きっと元の場所、元の世界にも帰還できるはずだよ。だから、そのために、頑張ろう」


 そう言って、彩斗は力強く、スララへと意志を表明したのだった。



 しかし。

 五分後。


「うわああ!? スララのリコリスが、分体(スライム)が、人型の形成に失敗して破裂して僕のもとにっ!」

「あわわ、ごめん彩斗~! いま取り除く、取り除くから我慢して!」

「うわ、何この分体(スライム)、なんだか勝手にうねうねして僕の首を這いまわってる。スゴく気持ち悪いよ! 生暖かくて、くねくねしてて、うあああっ」


「あれ? 一体だけなら自由に動かせたのにどうしてなのかな? どこがおかしいのかな? わからないよ彩斗っ」

「ちょっと待って! なぜ勝手に分体(スライム)が服の中入ってくるんだ! ヤメて駄目だってそんなところうわああああっ」

「きゃーっ、分体スライムがわたしにまで寄ってきちゃった! わ、スカートの中で、もぞもぞと……っ、み、見ないで彩斗~」

「見るなと言われれば見たくなるのが男の性……じゃなくてっ、うわっ、スララっ、早く止めてっ、急いで止めてくれェぇぇぇえ――っ!」


 勝利とは、一夜一日で掴めるものではない。

 死に物狂いの訓練や修行や失敗を重ねて、その苦労は実を結びやがては勝利という名の花を咲かせる。


 道行く先には数多の苦難があるだろう。挫折し、疲労し、泣きたくなることもあるかもしれない。


 しかし、それでも。


「うわ――――――っ」


 少年の悲鳴も。


「きゃーっ、胸元に入って来ちゃった――っ、きゃ~っ」


 スライム少女の悲鳴も。


 やがては確実に彼らの血となり肉となり、力の根源になるのだ。

 おそらく。たぶん。

 きっと。


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