第43話  いつかまた会える日まで

「――それでは、わたくしは大宝物庫プレアデスへ戻ります」


 メイドの少女、シャノンは一連の様子を見て、アルシエルへと振り向いた。


「ん、そうだな……宮殿内の隠し部屋を記した本だったか。彩斗、それはまだ必要か?」

「必要だと、思います。もしかするとベリアルの力を抑える手助けになる魔法具もあるかもしれませんし……」


 少し考えた後、彩斗は頷く。


「そうだな。シャノン、探して来い。頼んだぞ」


 礼をし、部屋を後にするシャノン。それを見つめながら、ふとエルンストが言う。


「フレスベルグもよければ、千里眼で探すのを手伝ってほしいのである。そちらの方が早い」

『すでに結構な精神力使ってるんだけど。風の呪字ルーンも使ったし。だるい……』

「手伝ってくれたら、ワタシが手持ちの液体で、自慢の料理を作ってあげよう」

「いらないない。ゲロマズ……。もうあんなの食べたくない、自分が食え」


 一同が笑った。

 ウネウネだのムラムラだの、怪しげな草の料理のトラウマを持つフレスベルグは勘弁だろう。

 ひとしきり笑った後、皆が気を楽にする。床へと座る者、思案にふける者、それはそれぞだ。


 やがてゆったりとした空気が流れていき、全員の表情から、安堵の気持ちが洩れていった時だった。。


「あっ!」


 スララが声を上げた。


「そうだ、お姉ちゃん。ゲームを完全に終了させないと。まだ仮終了のままだよね?」

「ん。そうだったな、肝心のそれを失念していた。」


 彩斗がベリアルと判明した以上、その襲撃を不安する必要はない。すでに彩斗は決意を示しており、破滅の魔神、ベリアルは一時的にこの世から消えている状態。

 だから、アルシエル。ゲームを終えても不都合は何もないはずだった。


「しばし待て。準備を行う」


 アルシエルは立ち上がり、オーブの台座に寄ろうとする。

 二段階の手順のうち、終わらせいたのは半分だけだ。オーブに終了の宣言をしてから、そのままの状態。後は魔法陣に魔力を注ぎこめば完全にゲームを終了させる事が出来る。

 スララが笑った。


「もう、お姉ちゃん、忘れるなんて、ドジだなぁ」

「済まないな。安心して緩みきっていた。面目ない」


 姉妹のやり取りに、思わずエルンストが微苦笑する。


「まあ、仕方あるまい。ずっと復讐にまみれ、先程まで彩斗の正体で騒動もあった。失念してしまうのは、致し方ない」

「そう言ってもらえると助かる。おっと……」


 その時、アルシエルが少しよろけた。


「もう、お姉ちゃん、安心したからってダメだよ~。もう少しで転ぶところだったよ、ドジだね」


 スララがおかしそうに微笑む。


「はは、そうだな。すっかり気が緩んでしまった。……おや?」


 自分の足元を見て、アルシエルは首を傾げる。


「……なんだ? こんなところに石の欠片が? どこからだ。フレスベルグの風で入って来たのだろうか――」


 アルシエルが、素朴な疑問を発した後。

 瞬間、スララの顔が青ざめた。


「……お姉ちゃん、違うよ。足が……石化し始めてる」

「な……に?」


 皆が愕然とした。

 不吉な予感にアルシエルがと目を凝らせば、彼女のつま先、その先端が固く灰色化し始めている。


「馬鹿な……!」


 冷気が立ち上るかのように、灰色の支配は彼女の親指の自由をまず奪い、五指を、甲を、くるぶしを永遠の硬直で侵し、それはなおも広がっていく。

 それだけではない。


「――エルンストさん、足が!」


 白衣の青年の足までが石化する。

 彼のつま先を起点としして、灰色の侵食が甲の自由を奪っていく。まず足首が使えなくなった。その周囲の感覚も死ぬ。寒気と共に灰色は侵食し、まるで視えない蛇に絡みつかれたかのように、彼は石化していく。


「馬鹿な! なぜこんな事が……? ゲームはすでに終わらせたはず。なぜワタシが――」

「あり得ない、こんなこと、あるはずがない……っ」


 アルシエルは狼狽する。

 仮とは言え、アルシエルはオーブにゲームの終了を宣言した。

 その時点でゲームの敗北のペナルティは止まっているはず。今、完全に石化は止まってなければおかしいのだ。

 顔を蒼白に染めたアルシエルが叫ぶ。


「ゲームの終了は宣言した。今は仮終了の段階だ! もう闘技も石化も行われない! なのに、なぜだ!? なぜ石化が進行するっ!?」

「――見て、オーブがっ!」


 スララの叫びの向こう、オーブを見て、全員が絶句する。

 台座の上のオーブが、ほのかな光を放っていただけの宝玉が、膨大な深紫色の光を放出し始めた。


「馬鹿な……」


 愕然と、アルシエルが声を震わせる。


「あれは、仮終了の『解除』の光……? こんな、あり得ない……私は終了を宣言した。止まれ! オーブよ、私はゲームの再開など望んでいないっ!」


 脛まで石化した状態で、アルシエルは台座まで駆け寄る。

 細く美麗な手から魔力が放出される。淡い光がオーブの球体表面に広がっていき、幾度の叫びが、必死の叫びが、「止まれっ!」と激しい嵐のように連呼されるが、オーブはますます光量を増し、直視することも難しくなる。


「く、駄目であるか!?」

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

「くそ……どうなっている、私の宣言に従えっ! オーブよっ! 何が原因で――くそ、やむを得ん、破壊する!」


 アルシエルの首のダジウスの輝石が、猛然と輝き出す。オーブの光量に対抗するかのように爆発的な発光が乱舞する。

 烈火のリコリスが、長く太く伸びていく。


「はあああああっ!」


 空間ごと抉り取るようなアルシエルの斬撃が、オーブへと叩き付けられた。

 だがオーブから阻むかのように薄い障壁が生み出され、烈火の爪が大音響と共に弾かれる。


「自衛用の障壁!? そんな、私の攻撃すら耐えるとは……」


 アルシエルが幾度も紅い軌跡を奔らせるが効果がない。爪撃は障壁に弾かれ、傷一つ付けられず防がれる。

 火の粉が吹き荒れ、衝撃波が周囲を包み込む。さらに、アルシエルは両手の爪全てを刃を化し、叩き降ろした。

 だが、それでもオーブは無傷。光り輝く障壁は、ひびが入ることはあっても、砕け散るまでに至らない。一撃が加えられた直後に強烈な光を発し、再生し、損傷を補っていく。


「くっ……!」


 障壁の再生の速度とアルシエルの攻める速さは――ややアルシエルが上回っている。しかしその程度では状況を覆せない。オーブの表面を覆い尽くす深紫色の障壁は、アルシエルを嘲笑うかのように発光し、復元し、破壊を阻害し続ける。


「マズイのである、アルシエル、何とか出来ぬのか!?」

「再生が早すぎる! このままでは破壊の前に私が石化する……!」

「お姉ちゃんっ!」

「ゲヘナ――っ!」


 彩斗の右手から黒い火炎が飛び出し、空間が漆黒の閃光に穿たれる。

 猛然と放たれた火炎は、しかしオーブにまで届かず、バチバチと不協和音を奏でただけで消え去った。

 出力がまだ未熟なのだ。


「彩斗、手を障壁に密着させてゲヘナを使え! たとえ火花の状態だろうと、その力はベリアルの最強の一撃。私の炎では時間が掛かるが、それならばおそらく一撃で破壊できる! 急げっ!」

「は、はいっ!」


 だが、部屋のあちこちで不吉な紅い光が瞬き、一同は硬直する。

 不気味な色を放つ魔法陣が、部屋の至る所に現れた。

 一瞬で、二十を超えるガーゴイル達が、召喚される。

 その目、紅く血の如く光、冷たい四肢を細かく震わせ、宮殿の番人たる怪物は、咆哮した。


「BUUUOOOOOOOッ!」


「宮殿の王マスターから命令ヲ受諾。不穏分子は、排除すル」

「抹殺対象ヲ四体確認。これより排除――開始」


 二十体のガーゴイルが、まず彩斗目掛けて体当たりをしてくる。

 即応してスララが、エルンストが、迎撃を試みるが一体が掻い潜り、彩斗へ突進をくらわせる。


「ううあっ!?」


 かろうじてコンバットナイフで防いだが尾の一撃をくらう。

 簡単に遥か後方の壁にまで彩斗は叩き付けられる。激痛が彼の体を走り抜ける。


「ぐっ……」


 救援に向かう暇もなく、ガーゴイルたちは、アルシエルの阻害をするべく、彼女へも殺到した。


「貴様ら、なぜ主たる私向かって牙を剥くか!? 失せろ、私の邪魔をするな!」

「発言の意味が不明」

「何ヲおかしなコトを言ってイル。我らのマスターはお前ではナイ。偽りナル支配者ヨ」

「この、雑兵どもがっ! 燃え尽きよ!」


 怒声と共に烈火の分体がアルシエルの爪から生まれる。スララも応援にリコリスを振り回し援護する。

 姉妹のリコリスが乱舞し、烈火と触手の嵐が吹き荒れた。

 さらにはフレスベルグの風の弾丸が宙を貫き、何体ものガーゴイル吹き飛ばす。


「フレスベルグ! 援護するである! こちらは石化が……!」

『判ってる。なんなのこいつら……っ、大貴賓室でも暴れて……っ、ああもう! うざいっ!』


 どうやら、ペアたちの集まる大貴賓室でも同様の事が起こっているらしい。フレスベルグの声音から、ガーゴイルとの死闘が伺える。


「くっ、スララ、リコリスをこっちにも!」

「うん、ええい、薙刀、槍、シミター!」

「――敵を穿てピア・デヒト!」

「虚ろなる獄炎の海嘯よ、全てを飲み込み、燃やし尽くせ!」


 スララのリコリス、エルンストの自律武装、彩斗のゲヘナ、フレスベルグの暴風、アルシエルの業火がガーゴイルを焼き尽くすが、それでも彼らの勢いは止まらない。

 ガーゴイルの出現は際限がない。部屋の魔法陣から墓場の死者のごとく、一斉に十以上現れては襲いかかり、叩き伏せられても薙ぎ払われても無尽蔵の大波のごとく、押し寄せる。


「うああっ!」

「彩斗! あ……っ」


 スララと彩斗がガーゴイルの群れに飲み込まれて見えなくなる。エルンストも間合いを詰められ顔を強打され吹き飛んだ。フレスベルグの風の弾丸が乱射されるがそれでも倍の勢いでガーゴイルが現れる。


 ――アルシエルは悟る。オーブの破壊は不可能だと。

 現状、この維持すら叶わないと。

 このままでは、自分とエルンストの石化が進んで終わり。石像となった身では置物以上の価値はない。そのうち彩斗が、スララが、襲われて果てるだろう。

 動けるうちに決断を。皆を、希望を残さねば全ての未来が途絶える。


「私は――」


 アルシエルが分体を増やす。業火がガーゴイル十五体を焼き払い、なおも燃やし尽くす。


「私は――今度こそスララを守る!」


 紅蓮の軌跡が舞い、長く太い猛火のリコリスが部屋中のガーゴイルを切り刻む。

 大半のガーゴイルがそれで戦闘不能になる。その隙をつき、アルシエルは片手でスララ回収し、彩斗を、エルンストをも抱きかかえて部屋を脱出する。


「アルシエルさん……?」

「お姉ちゃ……っ」


 アルシエルの部屋へ。さらにその外へ。吐息が壁に反響し篝火の明かりがほのかにアルシエルの頬の汗を照らす中、ガーゴイルの怒号が響いていく。


「奴らを逃がすナっ! 追えっ!」

「偽りの支配者に死ヲ!」

「我らを欺き支配シタ愚か者ヲ殺セ、殺セ、殺セ!」


 アルシエルは部屋の外の階段を駆け下りる。薄闇と篝火と空の牢屋が並ぶ回廊の中、彼女は三人を抱えて必死に背後へ分体を放ちながら逃走する。

 すでに、体の石化は下腹部にまで到達していた。脚は使えないため分体の一部を下半身に巻きつかせ、即席の四脚として、半人半馬ケンタウロスのごとく駆け抜ける。


「いったい、どういう事だ、なぜゲームが再開された……? どうしてガーゴイルが襲ってくる……?」

「わからない……何が、どうなっているのか」


 背後から大音響と共にガーゴイルの咆哮が響いてくる。螺旋の風が吹き、フレスベルグの声が響き、彼らを援護する。


『急いで。こっちでも呪字(ルーン)を使ってるから、あんまり時間は稼げない』


 一際激しい風が、一同の脇を通り抜ける。フレスベルグはすでに大貴賓室でも戦っており疲弊している。

 それでも風の弾丸は破城槌のごとく太く荒々しい一撃となり、追いすがるガーゴイルを弾き飛ばす。


「はあ……はあ……はあ……」


 激しい息と焦燥感に苛まれながら、アルシエルが矢のように回廊を駆け抜ける。


「あ、お姉ちゃん、あれっ」


 抱えられたままのスララが、回廊の片隅を指さした。

 そこには、一冊の書物が落ちている。豪奢な装飾と六つの翼を持つ蛇の紋章が描かれた分厚い本が、道中の獅子の石像のそばに落ちていた。


「……ベリアルの紋章……シャノンに頼んでいた本だ」


 立ち止まり、乱れる息でアルシエルが言う。


「大宝物庫にあったものだ……。シャノンは? ガーゴイルにやられたのか……?」


 六枚翼の蛇の本には、おびただしいほどの血がついている。状況的にシャノンのものである可能性が高い。だが視界にはあのメイドの少女の姿は見当たらなかった。

 抱かれたままスララが、リコリスを伸ばして、引き寄せてみる。本の中には、天空宮殿内の地図が記されていた。


「お姉ちゃん、これ、隠し部屋の書かれた本だよっ」


 黒のインクと羊皮紙と血の匂いが混じり、混沌とした香りが舞う。

 記された図は、宮殿の第一層、第二層、第三層全てを網羅し、なおかつ通常は入れないいくつかの部屋をも記していた。


「これは……」


 アルシエルはその地図を見て即座に走る。皆を抱えたまま、地図に記された中で最も近い隠し部屋、回廊の途中で三つの絵画が飾られている一角へと急いだ。


「本に印が描いてあるよ。説明書きもある。三つの絵画の真ん中を印通りになぞるんだって!」


 そのとき、抱えられた彩斗の脳裏に、針のような違和感があった。しかしアルシエルの切羽詰まった声、スララの地図の指示、背後から轟くガーゴイルの奇声とフレスベルグの風にもまれ、思考は霧のように四散する。


『早く、さらにガーゴイル二十六体がそっち向かった!』

「急げ、アルシエル、くそ、もう武装が尽きる……!」


 風のように走り抜け、ようやくアルシエルは三つの絵画のある箇所まで到達する。

 三つ眼の竜が描かれた壮麗な絵が並んでいた。

 一つは黒い炎を吐き、一つは石像を大量に従え、もう一つは光の円環を身にまとっている――巨大な絵画。

 姉の代わりに、本の指定通りにスララがリコリスを用い、真ん中の絵に印を描いた。

 なぞられた数秒後、どこかから重い音が鳴る。石像を従える竜の絵が、中心から割れ、左右に開き、どこまで続くかわからぬ漆黒の道が見える。


「ここが……?」


 ガーゴイルの怒号が聞こえてきた。あまり時間はない。足音は増えていき、声も近くなる。

 アルシエルは三人を抱いて、現れた闇の中に飛び込んだ。

 篝火がずっと奥まで続いている。 背後で絵画が元通りに閉まる音が聞こえた。直後、いくつもの足音が過ぎ去っていく。


「はあ……はあ……撒いたか?」


 荒い息でアルシエルは通路を走って行く。

 薄闇の中、篝火の明かりだけが頼りだった。

 這い上がる焦りと疲労の並。アルシエルは、三人を運びつつ通路の先を急いだ。

 どれほど歩いただろう。やがて一同は――白亜の空間へとたどり着いた。


「ここが……」

「ベリアルの隠し部屋? こんな場所があったんて」


 そこは、広さはさほど広くもない部屋だ。直径は五メートル程。窓はなく、光源は天井の琥珀色の宝石があるのみ。

 そこから明かりが行き渡っており、調度品は、複数の鏡が置いてあるくらいだ。

 疲れた様子で、アルシエルは三人を床に降ろす。

 さすがに限界だった。彼女の体はほとんど石化しており、残るは肩から上のみ。途中から分体を使い、三人を抱き上げていたが、その集中力も尽きた。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」


 必死でスララが叫びを上げる。

 しかしアルシエルもエルンストも、石化の症状は止まらない。それは紛れもなく闘技の敗北者に与えられる、残虐な懲罰だった。


「いったいどうして……? もうベリアルはいないはずなのに……彼は死んで生まれ変わったのに、誰がゲームを再開させたんだろう……」

「判らない、何が、どうなっているのか……」


 アルシエルが悄然と応える。彩斗が疲れた様子で辺りを見渡し、救命の魔法具もない事に失望する。

 アルシエルが切迫した声音で言った。


「私の命令も通じなかった……おそらく奴らは、何者かに支配されている。それも、私やベリアルも関係ない。第三の人物の、意思が働いていると思われる」

「そんな……」


 信じられないという思いで、皆が目を見開かせる。

 ベリアルがいない以上、他に支配者足り得る者がいない。これまでに得た情報で何か見落としたものがあったのか。

 冷静な口調で語りだしたのは、エルンストだ。


「ワタシもそれしか考えられないのである。どこかで、誰かの意思が介入した。ワタシたちはそれに気づくことができず、ガーゴイルを、アルシエル・ゲーム自体を、何者かに乗っ取られた……そう判断するべきである」

「そ、そんな……っ」


 彩斗が顔を歪めて叫ぶ。


「でも、誰が……!? どうしてこんな事を? 残酷なゲームは終わりました。アルシエルさんの復讐は終わっていて、だからもうゲームを続ける意味はなくて、こんなことする意味がわからない!」

「我々はそうだとしても、おそらくその『首謀者』は別の思惑があったのであろう。皆を天空宮殿へ閉じ込め、ガーゴイルを操り、闘技を続けさせる……その歪んだ欲望だけは、確かである」

「そんな……」


 彩斗は首を振る。


「それに、おかしいです。ゲームはアルシエルさんが支配していたはず。乗っ取る……? そんなこと、できるんですか? そんな時間、あったとは思えない……。誰が、いつ、どうやって……」

「判らない。その解答を得る機会は、今は……」


 会話の最中にも石化は進行する。アルシエルが、エルンストが、肩すら冷たく変じて、残るは首から上だけとなる。


「私たちは、大きな勘違いをしていたらしいな……」


 アルシエルの言葉に、皆が目を向ける。


「本当に恐ろしいのは私ではない。ベリアルでもなかった。それすらも超越した、何者かだ。私たちはその存在に一切気付くことなく、疑念の欠片さえ湧くことなく、最悪の事態に追い込まれてしまった」

「く……」


 悔しさに彩斗は唇を噛み締めて、顔を歪める。


「その者はおそらく、ベリアルと同等以上の闇を孕んでいるのだろう。アルシエル・ゲームの非道さを知って、それでもなお、続けさせるほどの残忍な性質。すまない、スララ、彩斗。……私は、お前たちにまた辛い日々を送らせることになってしまった……」


 うなだれてアルシエルは涙をにじませる。白い床に、小さな雫がいくつもこぼれた。


「そんな、アルシエルさん、諦めないで。まだ手はあるはずです」

「そうだよ、お姉ちゃんは魔神なんだよ。歴代の魔神の力を持ってるんだよ」


 涙はひっきりなしに溢れ続ける。アルシエルはそのまま、首を横に振った。


「私にはわかる。これはベリアルの魔法で施された石化だ。仮初めの魔神である私では、防ぐことはできない。変えられるとしたら、それは……真の魔神であるベリアルのみだ」

「それは――」


 その場の全ての瞳が、彩斗のもとへ集中する。けれど彩斗が手をかざし、アルシエルとエルンストの石化を止めようと念じても、何も起こらない。


「駄目だ、ボクの力ではまだ……」


 条件がいるのか、それともベリアルの力はまだ覚醒しきっていないのか、変化は起こらない。

 いや、正確には一瞬だけ、白い光が瞬き石化が遅滞した、けれどその程度では、侵食は阻めない。


「アルシエルさん……エルンストさん。すみません、ボクには、石化を止めることは……」

「そんな顔をするな、彩斗」


 俯きかける彼にアルシエルの叱咤が飛ぶ。


「私の方こそ、最後まで責務が果たせず申し訳ない。身が裂かれる思いだよ。憎悪が我が身を焦がす――と言いたいが、もはや体の感覚すら私にはない」


 灰色の侵食は、慈悲も与えず進んでいく。彼女とエルンストの未来を、懺悔する暇すらも与えず、冷たい石像への道を進ませる。


「彩斗。スララ」

「――はい」

「うん……」


 アルシエルが最後の意志を込め二人に語りかける。


「ゲームの『簒奪者』を、見つけてくれ。このゲームを乗っ取り、再び戦乱を引き起こそうとする者を。必ず打ち倒し、皆を解放してくれ。私は……愚かにも失敗した。ゲームの開催者でありながら、潜む闇に気づけなかった。愚かしい頼みとは思っているが……お前たちしか、いない。アルシエル・ゲームを終わらせられるのはお前達が頼りなのだ。アルシエル・ゲームは……乗っ取られた。いや、これはもう、アルシエル・ゲームとすら言えない。これはベリアルの遺産……新たな『ベリアル・ゲーム』と呼ぶべきもの。――ゲームの根本を造ったベリアルもいない、それを復活させた私もいない。……それを引き継いだ何者かによる、目的もわからぬゲーム……」

「お姉ちゃん……」


 ぐっと、スララは姉の石化した手を握る。


「わたし、負けないよ。絶対にお姉ちゃんを元に戻す。そんな、悪い誰かのいいようにはさせないから……」


 彩斗が毅然と声を張り上げる。


「ボクだってそうです。ボクの未来には、スララだけじゃない、アルシエルさんやエルンストさんだって必要なんです。みんなで無事に乗り越えなければ、ゲームは終わったことになりません」

「そうだな……」


 アルシエルは笑った。

 悲しい顔はいくらでもできる。不安な顔だってそう。けれど不安や悲壮に飲み込まれてしまったら、簒奪者の思うがまま。

 だから泣きたい気持ちも、心細さも封じ込め、彩斗とスララは気丈に顔を引き締める。


「彩斗、もう時間がないのである」


 エルンストの切羽詰まった声に、彩斗は振り向く。


「ワタシの後頭部の髪の中から、小さなガラス管を取り出してほしいのである」

「はい……」


 取り出すと、それは薄紫に輝く半透明の液体が入った器具だった。粘性は高く、少し傾けた程度では形を崩さない液体。


「それはいざというときのための予備の薬品である。その中身を、君のコンバットナイフにかけてくれ。そうすれば君のナイフは意思を持ち、自ら敵と戦ってくれるはずである」


 つまりは、彼が今まで使っていた自動攻撃武具、インテリジェンス・ウェポンを生み出すための液体ということだ。

 これを使えば、彩斗のコンバットナイフは氷属性に加え『自動攻撃』が付与される事になる。


「それを使い、更なる闘技を乗り越えるのだ。是非、フレスベルグとも協力してやってくれ。彼女は優秀である。千里眼と風のルーンは、必ず君たちの力になる。志半ばにしてワタシ達は離脱してしまうであるが……せめてこのくらいはしておきたい」

「エルンストさん、はい、必ず」


 もう時間がない。石化は進む。冷酷に、確実に。

 彩斗とスララはそれぞれ、アルシエルとエルンストの手を握り締めた。


「いつか必ず、『簒奪者』を倒します。そうしたら、真っ先に石化も解きに来ます」

「待っている。期待しているぞ」


 彩斗が感情を堪えるように宣言すれば、


「お姉ちゃん、わたし、泣かないよ。次に泣くときは、お姉ちゃんを助けたときにする。だからそれまで、待っていて~。わたし、彩斗と一緒に、新しいベリアル・ゲームも終わらせるから。それまでわたしたちを、見守っていて」


 震え声で、スララは宣言する。

 石化しかける二人は、精一杯に頬を緩めた。


「負けるな、スララ。頼んだぞ、彩斗。全ての未来は、君達の手に――」


 口元まで石に覆われる。そう間もなく、二人は完全に石化してしまった。後には涙をこらえるスララと、その肩を支える彩斗だけが残される。




 ――ベリアル・ゲームは、止まらない、終わらない。


 創りだしたベリアルが死に、復活させたアルシエルが復讐を遂げても、なお、悪夢を振り撒き続いていく。

 彩斗は、硬く拳を握った。そこへ、スララがゆっくり手を添えていく。


 魔神の生まれ変わりである少年と、

 スライム少女の二人は、


 お互いに強く頷きを交わし、更なる戦いに、挑んでいく。

 いつか、本当の平和をその手に、掴む時を、信じて。




*****

あとがき


お読み頂き、ありがとうございます。

さて、本作はこのエピソードをもちまして一段落となりました。

今後は読者の皆様の反応を踏まえつつ、新しいエピソードへ向け執筆していこうと思っております。


ただ、自分なりに作品の分析や初めてのカクヨムへの投稿の結果、

色々と改善すべき点もあると思い、次章の投稿にはお時間を頂きたく思います。


ここまで読んで下さった方々には申し訳ありません。

もっと多くの読者様へ読んでいただけるよう、そしてさらなる面白い物語になるよう、

精進していこうと思っております。


もちろん、何のエピソードを投稿しないのは問題ですので、

『番外編』として、彩斗やスララの日常風景の描写、

あるいは本編では書かなかった他のペアたちの日常シーンを描写したエピソードを投稿していこうと思っております。(おおよそ2週間から3週間ごとに)


次章、4章を投稿するのはもう少し先になってしまうのですが、

番外編も楽しんで頂ければ嬉しいです。


ここまで、40話以上に渡って拝読して頂き、ありがとうございました。

応援、フォロー、コメント等、自分にとって励みにもなりましたし、勉強にもなりました。

投稿し始めの頃から読んで頂いた方、途中から読んで下さった方、

そして何よりフォローやコメントして下さった方々、本当にありがとうございました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る