第42話  夢と理想と未来と

「……ベリアルの生まれ変わり……。ボクが、転生体……」


 悲観もなく、喜びもなく、ただ彩斗は自分の手のひらを見つめた。


 何にもできないと思っていた。

 存在感のない高校生で、これからもそれは続くのかと思っていた自分。

 けれど、それは違っていた。彼は初めから、誰よりも強い力を秘めていたのだ。



「……皮肉な話だな」


 アルシエルが嘆息の後にささやく。


「彩斗、君はアルシエル・ゲームで、何度も厳しい場面に出くわした。恐ろしいと思った時やも、逃げ出したいとも思ったときもあったはずだ。私の妹をパートナーとし、私とも死闘を演じ、一歩間違えば容易く果てていたはずの君が――私にとって、憎むべき魔神の生まれ変わりとは……。運命は、時に大いなる悪戯を呼び起こす」


 その声音には怒りはない。ただ複雑そうな表情だけが彼女にはある。


「ベリアルのせいで、私は狂気に侵された。怒りと憎しみのままにアルシエル・ゲームを行い、最愛のスララにも牙を剥くことになった。しかしその戦いを終わらせたのは、ベリアルの転生体である君だ。……これを皮肉と言わず何と言う? ベリアルで始まり、ベリアルで終わった……ふふ、怒りより、呆れより、笑いが出てしまう」

「お姉ちゃん……」


 スララが心配そうに、姉へ駆け寄ろうとした。

 けれど、アルシエルは優しくその体を押し留めた


「いや、いい。真相がそれならば、いい。そもそも倒すべき相手が、すでに死んでいた戦いだったのだ。奴は勝手に暴れ、勝手に自滅した。なんたる滑稽だろう。まったくもって、私は道化の極みだ。じつに不愉快な話だが――それでも、私は幸いにも、守るべき妹だけは失うことはなかった。スララとの未来だけは残った。真相はどうあれ、それだけは、変わらない」

「アルシエルさん……」


 彩斗は見上げたまま、何も続けることができない。


「私のことはいい。ベリアルは死んでいた。私と私の家族、友人、村の皆を苦しめたあいつは、もういない。私の復讐は、すでに終わっていた。だが……君の場合はそうはいかない。彩斗、大丈夫か? 君は遠い将来、魔神ベリアルとなる。いつか、記憶と力を取り戻し、災いの王になる。それが、怖くはないか?」


 確かに、全ての話が真実なら、その通りだ。

 彩斗がベリアルの生まれ変わりであり、魔神の力が宿っていると言うならば、少しずつだが記憶と力を取り戻していくことになる。

 それは、最悪の魔神の復活を意味する。

 今はまだ何も覚えていない。例えるなら赤子のような状態だ。しかし長い年月を経て、知識と残虐性は戻り、最凶の魔神は蘇る。


「……正直な話、まだ実感はありません。ボクが、ベリアルの生まれ変わりだなんて……何かどこかの遠い話みたいで、今だって自分の事とはと思えないです」

「当然だろうな。私も同じ立場なら、同じだろう。あまりに突飛な真実は、感覚を鈍らせる」


 彩斗は頷いた。


「そうですね。だから怖いとか、不安っていう気持ちは、今はないんです。むしろ、夜津木やサイクロプスとの闘技や、ガルムやマルギット、アルシエルさんとの闘技の時の方が、怖かったくらいで」

「……あれは、すまなかった」


 沈痛な表情になりかけるアルシエルに、彩斗は首を横に振った。


「いえ、もうそれは終わったことです。蒸し返しても、意味がないと思いますし……」


 様々な光景が、頭の中で鮮明に浮かび上がっては消えていった。

 ゲームの開催、スララとの出会い、夜津木との闘技、スララへの疑惑、ガルム・マルギットとの戦い、そしてアルシエルとの死闘――。

 どれもが波乱過ぎて、特異な出来事過ぎて、一つ一つのことに気を払うことも難しかった。

 自分の中の許容量キャパシティはとっくに限界を超えていて、これ以上何かがあっても感情はそれに追いつかない。

 その上で自分がベリアルの転生体だと、想像もつかなかった事実を告げられても、すぐにどうしようかなんて結論は出ない。まるで他人事のように、心は平坦だ。


 けれど。

 

 彩斗はふとスララを見つめた。アルシエルのことを見上げた。

 強い力や理不尽な力に振り回され、寂しい日々を送ってきた彼女たち。もしもベリアルがその力で他人を陥れるのではなく、別の方向に用いていたなら、悲劇は回避できていたのではないか?

 かつて暴虐の限りを尽くしたベリアルの、圧倒的な力が彩斗に受け継がれているというならば、また災禍は繰り返されるのだろうか。それしか未来はないのだろうか。どこかで何かが変われば、魔神は異なる道を歩めるのではないか?


 スララとアルシエルの抱き合う姿を思い返す。彼女らの涙や笑顔を思い返す。

 誰かの悲しい涙を見るよりは、笑顔の方を見ていたい。そう、彩斗は思っていた。


「確かに……ベリアルのことはすごく驚きました」


 彩斗は素直な気持ちを口にする。


「でも……なんて言うのか、ベリアルの力って、誰かを不幸にすることしかできないんでしょうか」

「……どういうことだ?」


 彩斗の問いかけに、アルシエルが怪訝な声を返す。


「アルシエルさん、さっきベリアルのことについて言っていましたね? ベリアルは強い力を持っている。だからそれを使い続けなければいけなかった。ある意味で、悲しい魔神だったと……そう言っていました」

「言っていたな」

「でも、それは少し違います。他に使い方を知らなかったから、だからベリアルは、誰かを不幸にするしかなかった。そう、ボクは思うんです。だからボクは――それを変えたい」

「何だと?」


 アルシエルは愕然と目を見開いた。


「それは……つまり、どういうことだ? 私には、お前が何を言おうとしているのか、わからないのだが……」

「えっと、ですから……」


 不可能だと言われるかもしれない。

 子供の戯言だと言われるかもしれない。

 けれど彩斗は思ったのだ。スララやアルシエルのような悲劇は、回避できたはずだと。たとえまたベリアルの力が蘇っても、志さえあれば、あのような悲劇は避けられるかもしれないと。そう思いたかった。


「まだ記憶も力も戻ってないから、言えるだけかもしれませんけど……」


 穏やかな中にもはっきりとした意志を込め、彩斗は言葉を紡ぎだす。


「ボクは、『前の』ベリアルと同じ道には行きません。もっと、別のことに力を使っていきたいです。……例えば、ゲヘナは、魔物に当てれば打ち倒せる炎ですけど、それをうまく加減して、土砂崩れで困っている人とか、害獣に困っている人のために使えば、全く別の結果が作れると思うんです」

「それは……理屈の上ではそうだが」


 アルシエルが口ごもる。そんな方法は考えたこともなかったと動揺する。


「だが、できるのか……? そんなことが。魔神の力は誘惑の塊だ。言っただろう? 力を使わずにはいられない。他者を不幸にせずにはいられない――だがお前はそれに耐えると言う。善行にのみ費やすと言う。そんな事が本当に出来るのか?」

「確証はありません。でも、出来なければベリアルはまた現れると思っています。死しても復活するというのなら、ベリアルは滅ぼす事ができないんでしょう。だから、どこかの時点でベリアル自身を変えるしかないと思います。ボクは、その始まりになりたい。スララやアルシエルさんみたいな悲しい出来事は、繰り返したくないです。あんな、姉妹で命のやり取りをする戦いは、嫌です。スララは涙を出していました。アルシエルさんは怒りの炎を撒き散らすだけでした。もう、アルシエル・ゲームは……いえ、ベリアル・ゲームは、絶対に繰り返させない。それが――ボクの考えです」


 驚きと困惑を持って、アルシエルは目を見開かせた。


「厳しすぎる。困難な道のりだ。うまくいく保証は何もない。それでも、やるというのか……?」

「自信はあまりないですけど……それでも、やらなきゃダメだと思います。ボクは、ここへ来るまで、生きることにいい加減でした。自分が傷つくのが嫌で、本気で何かにのめり込むことをせず、何かに一生懸命になることも忘れて、ただぼんやりと毎日を過ごすだけでした。でもスララと出会って、アルシエルさんと戦って、昔の、何もなかった過去は嫌だと思ったんです。昔のボクになんか戻りたくはない。ボクは、やるべきことを見つけました。ベリアルを改革するという――野望を」

「君は……」


 アルシエルは言いかけた後、小さく笑った。羨ましそうに、眩しそうに。


「君は、英雄でもあるのだな。スララを救う、小さいけれど、強い存在だ」


 軽く笑って、唇を引き締めた後、彩斗は告げる。おそらくは初めて得た目標を。。


「抑えてみせます、ボクの中のベリアルを。破壊ではなく、創造を。誰かの平和を壊すのではなく、皆の笑顔を作っていく――そうしていきたいんです」

「その心意気は立派だと思う。誰もが成し得なかった、難しい試練だ。だが君ならあるいは――そう思えてしまう」


 かつて、ここへ来たばかりの彩斗なら、そんな事思っても見なかっただろう。

 だが彼は成長した。夜津木やサイクロプスと戦い、ガルムやマルギットの死闘を経て、アルシエルとの決戦も経験した。

 様々な体験や苦悩が、彼を苦しめ――そして誰より強く、鍛え上げた。

 だから、その言葉には力がある。絵空事と断じる事を許さない、確かな重みがあった。


「わたし、その野望に協力するよ」


 スララが柔らかに賛同する。


「スララ……」

「彩斗の考え方、わたし、素敵だと思う。とっても難しいけれど、困難な道のりだけど、わたし、その手助けをしたいな。彩斗は、わたしとお姉ちゃんを助けてくれた。アルシエル・ゲームを終わらせるために、必死になってくれた。だから、今度はわたしが彩斗を助ける」

「スララ……しかしそれは苦難の道のりだぞ。出来れば私は、お前をそんな目に遭わせたくない。だが本当に出来るのか?」


 アルシエルが心配を込め問う。

 スララは、ゆっくりとはにかんだ。


「きっと、出来ると信じてる~。それに、わたしは彩斗がいてくれたから、お姉ちゃんをベリアルから解放してあげられたの。彩斗がいなかったら、お姉ちゃんを失ってた。だから、わたしは彩斗に感謝してる。もっともっと、一緒にいたいと思ってる。だから今度は、わたしが恩返しする番だよ」

「だが、それでも困難な道だ。くじける事もあるかもしれない。後悔もあるかもしれない。それでも、か?」

「当然。というより、困難ならとっくに何度も経験してきたよ~」


 殺人鬼や巨人との戦いも。老犬や人形師との戦いも。狂える炎の魔神との死闘も、楽ではなかった。

 彩斗が成長したというのなら、スララも多くの経験を経て強く変わったのだ。

 真っ直ぐな瞳で、スララは彩斗を見る。

 様々な戦いを共に乗り越えた、パートナーとして。大きな信頼を、瞳に込めて。


「変えていこうよ、彩斗。ベリアルを魔神から……良い神様に。みんなが笑顔でいられる世界を、一緒に創っていこうよ!」

「スララ……うん、ありがとう」


 この笑顔に救われたのだと、彩斗は思った。

 いつも、どんなときでも、何度でも。

 スララがいなければ、アルシエル・ゲームを乗り越えられなかったし、途中で力尽きて終わっていた。

 一緒にいたいのは彩斗も同じ。もっと彼女と一緒に、進みたい気持ちがあった。


 だから――


「一緒に変えていこう。スララ、これからも、よろしくね」

「もちろん。頑張ろうね、彩斗」


 華やかなな笑顔のスララに、彩斗も嬉しくなる。

 まるで、染み渡っていくように、皆へも微笑みが広がる。

 彩斗の選んだ先には、幾多の茨の道が続いているだろう。それら全てを越えるのは、きっと英雄ですら難しい。

 しかし彩斗は一人ではない。頼れるパートナーがいる。厳しい闘技を共に乗り越えてきた、スララがいる。新たな困難の道のりも、きっと大丈夫――彩斗は、そのことを、心から信じていた。


 けれど――。

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