第27話  野獣と美女③  ~バトルパート~

「はあ……はあ……はあ……」


 息も絶え絶えにスララはその場で膝をついた。


 やや離れた位置、冷気の中心でガルムが暴れているのがわかる。位置的にマルギットもガルムもスララも、お互いの位置は視えないが、ガルムの冷気を見て、スララは遠隔で触手を操っていた。


 これは彩斗との練習で得た技だ。リコリスを分離させ、本体とは別個に操作する技術がなければ、とっくにスララは戦闘不能になっていただろう。

 今も分離したリコリスを正確に操れるわけではない。スララがガルムを短時間でも足止めできているのは、ガルムが常に冷気をまとっているためで、そこに大体の狙いをつけ、リコリスの分体を差し向けられるからだ。


 肩で息をしながら、スララは新たにリコリスを分離させた。二房ともリコリスはガルムの方へ伸ばし、一定の間隔で先端を分離させている。分離させた分体は岩や地面に張り付くように念じ、断続的にガルムに触手を伸ばすべく遠隔で操作している。

 しかし、そのための集中力が大きすぎていた。心は疲弊し、このままだとあと一分がいいところ。それ以上は、今のスララには無理だった。


「はあ……はあ……彩斗」


 疲れていく体に鞭打って、スララはパートナーのいる岩場へと行った。

 息を切らせながらも歩く。未だ右腕を氷漬けにされている少年は、スララの姿を見ると、硬い表情をした。


「スララ……」

「彩斗、大丈夫?」


 互いにそれ以上の言葉が見つからない。彩斗の瞳は疑心暗鬼に染められていて、スララはリコリスの操作と、彩斗に対する引け目から、続く言葉がなかなか出てこなかった。

 遠く、冷気の勢いが一段と強くなった。ガルムが来るまで、ほとんど時間はない。


「スララ、キミはいったい何者なんだ……」


 やがてかすれた声と共に、彩斗が先に口を開いた。


「え……」

「ボクは、昨日の夜、キミが牢屋から出て行くところを見た」


 スララが絶句する。


「おかしいと思ってボクは後をついていった。そしたらキミは迷うことなく、回廊を歩いていった。ガーゴイルとも、何事もなくすれ違った。もっと後をつけていくと、キミはアルシエルのいる部屋まで辿り着くのが見えたんだ。そこで、メイドに礼をされて、親しそうにアルシエルと挨拶まで交わしていた。あれは……なに?」

「あれは……」


 答えようとして、スララの声がしぼむかのように消えていく。


「キミは、何者なの? どうして肘に偽物の火傷の痕があるの? その前に、アルシエルとは本当に姉妹なの? ……ボクは怖い。キミが怖いんだ。……教えて、スララ。ボクは、キミが何者なのかわからなくて、怖い……」


 悲しそうな顔で、彩斗は呟いた。

 彩斗だって、本当は信じたいのだ。スララは大事なパートナーで、これから先もずっと頼り合って進んでいきたい。様々な出来事がこれまでにあった。夜津木との苦しい闘技。リコリスの特訓。マダラコグモの騒動――忘れられない積み重ねがあって、彼らはここにいる。


 彩斗は、スララの笑顔が好きだった。彼女とならどこまでも行けると信じていた。

 けれど、それら全てを塗り替えるほどの光景が彩斗の不安を掻き立てる。


 アルシエルとの逢瀬。彩斗に隠していた事実。

 彼女は牢屋の鍵をリコリスで開けた。スララは、いつでも抜け出すことができたのだ。


 それならば、彼女の正体は、何だろう。もしかして彼女は、『あちら側』の存在ではないのか。

 スララへの好意が大きいがゆえに、翻った疑念は鎖となって彩斗を苦しめる。


「もしかしてだけど……ボクを騙していたの?」


 苦しそうな声音で、彩斗は問いただした。


「違うよ。あれは、その……」

「全部、初めから仕組んでいたの? アルシエルと協力して、ゲームを裏から操って、それで楽しんでたの?」


 スララは横に首を振った。


「それは違うよ! それだけは絶対に違うよ、彩斗!」

「じゃあ、何なんだよ! スララ、キミはいったい何者なんだ。教えてほしい。でないとボクは、どうしたらいいかわからないよ」

「……それは、彩斗には」

「話せないっていうの……?」


 スララは首を振った。


「違うよ。話せるけど、でもね……そうしたら、彩斗を巻き込むことになっちゃう」

「もうボクはアルシエル・ゲームっていう、最悪のゲームに巻き込まれてるんだよっ」


 絞りだすように、彩斗は言った。


「怖いんだ、ここに連れてこられてから、ボクはずっと怖かった。訳の分からないゲームに巻き込まれて、周りは殺人鬼だの、剣を持った戦士だの、物騒な魔物だらけで、びくびくしていた。でもキミがいたから、ボクは耐えられたんだ。スララがいたからこそボクは立ち直れたし、夜津木との戦いにも勝てた。前向きにやっていこうって思えたし、このゲームを、勝ち抜けるかもって思った。それなのに――スララが黒幕だったらと思うと、体が震えて止まらないっ」


 本当にスララを信頼していたからこそ、彩斗の声は動揺で揺れていた。心からの叫びだった。スララを信じたい――けれど昨夜見た光景が、そこから生まれる想像が、怯えを膨れ上がらせて彼を包んでいる。


「何かわけがあるなら言ってよ! ボクはキミが敵なんて思いたくないよっ。共に一緒にやっていけるって思ったのに。スララの笑顔も、言葉も、キミとの今までのことが全部ウソだったなんて、思いたくない!」


 彩斗の目元から涙が生じ、言葉の所々がかすんでいった。


「はっきり言ってほしい。スララが敵なら諦める。ボクは見事に騙されたピエロだってきっぱり諦めよう。だから言ってよ。隠してることを。もうボクは怖い思いなんてしたくない。スララと接した時間が、本物だって信じたい。スララが敵か、そうでないのか、それだけが知りたいんだ」


 涙声はスララを貫く。真剣な彩斗の言葉は、明確な響きでもって、彼女へと届けられた。


「スララが『何か』を背負っているのなら、ボクは全部聞くから。だから――お願いだよ、スララ。ボクに話して。キミの隠している、真実を――」


 冷気をまとった爪の一撃が、スララへと叩き付けられた。

 リコリスの鎧で傷だけはつかなかったが、あまりの衝撃に土埃が舞う。その隙に氷の息吹が吐かれた。反射的にスララはリコリスを盾に変化、直撃を防いだが、凍てついた盾を突き破り、ガルムが華麗に着地する。


「大事な話をしているところに悪いのう。じゃがワシは、夜津木のようにおぬしたちに立ち直らせる暇など与えない」


 白く極低温の風をまとわりつかせ、ガルムが牙を剥き出しにしていた。


「ま、待ってっ、ボクはスララに聞かなければいけないんだ。このゲームの、」

「そんなことはどうでも良い」


 彩斗の言葉を遮って、ガルムは前足を一度舐めてから続けた。

 視線は、スララへと。


「おぬしたちの話はちらりと聞こえた。どうやらそのお嬢さんは、このゲームについて、何かを知っているようじゃな。しかしワシにはそんなことはどうでも良い。お嬢さんが黒幕の一人であるなら打ち倒し、そうでないのなら……やはり叩き潰すまで。老い先短い老犬にはどんな未来だろうと些細なことよ。想示録で不死や若返りを叶えられるなら、話すより倒す方が手っ取り早い」

「ガルム……っ」

「共闘者に同意。瑣末な問題に時間を注ぐことは無意味と断定。遂行すべき行動は、全ての闘技に打ち勝ち、覇者となること」


 ガルムの後を追って、この場までやってきたマルギットが、冷たく言い切る。

 黄金の輝きで、神秘の糸がガルムに力を注ぐ。その光はもはや小さな太陽に等しい。


「フェイズ3を続行。目的に変更はなし。戦闘を再開する」


「ま、待って――」

「させないよっ」


 スララがガルムに真っ向から走っていった。思わず彩斗が左手を伸ばすが、氷漬けの右腕のままでは届かない。


「スララ……っ」

「彩斗はわたしが守る! こんなところで、終わるわけにはいかないものっ」


 グバアッ――と、リコリスが膨大な量にまで膨れ上がる。視界一面、戦場の一角を丸ごと飲み込むような巨大な膜。二房のリコリスを合わせて構成した巨大な膜は、ガルムを、マルギットを、覆い尽くさんと迫っていく。


「無駄なことじゃよ」


 息を吸い込みガルムが凍える息を吐く。一瞬で中央部を凍結させた氷の息吹は、放射状にリコリスの膜の外縁部まで辿り着き、隅々まで凍てつかせる。


「破壊する」


 即座に突進して凍れるリコリスを粉砕したガルムだが、直後――目を細めて横っ飛びに跳躍する。スララが巨大な膜の後ろにリコリスの分体を配置して、触手を伸ばし、捕縛を試みたのだ。


 分体は一つではなかった。立て続けに七つ分離したリコリスが、形を変え、虚空を穿ち、複数の位置からガルムを襲う。

 冷気を撒き散らし、華麗に回避しながらガルムはそれらを凍らせる。リコリスの触手は複数でも当たらない。時間差を置いても当たらず、ガルムの疾走に伴う冷気に晒されたちまちに凍りつく。


 スララも後先を考えないリコリスの酷使だ。

 脱力感が全身を蝕むのも構わず、スララは分体を繰り返し作り、触手の群れを構築し、時には巨大な膜を再構成させ、ガルムの動きを封じようとする。


「――彩斗、これだけは、伝えるよ~」


 激しい応酬の合間、肩で息をしながら、スララがささやく。


「わたし、彩斗に危害を加えようとしていたわけじゃないよ。本当のことは言ってなかったけど……それだけは、信じて」


 彩斗は、苦く痛ましい表情を作りながらも、スララの方を見た。そして、抑えた声音で、


「じゃあ、スララは何かを企んでいたわけじゃ、ないんだね……?」

「うん」


 スララははっきりと、確かに頷いた。


「それなら……この闘技が終わったら、ボクに全部話してくれる?」

「……うん」


 ガルムの猛攻で、聞き取りづらい言葉ではあった。けれど彩斗は、その声を聞いた。ためらうような、それでいて、肩を預けるような、柔らかい響き。


 それは――スララが彩斗に対して、本当に心を委ねた瞬間だった。

 それと同時、彩斗の覚悟が――決まる。


「わかった。それならボクは、もう怖がらない! ――ゲヘナっ!」


 次の瞬間、彩斗の右腕から黒い業火が噴出する。

 腕輪から放たれた漆黒の炎は、右腕を拘束していた氷を融解させ、大気を焦がし、軌道上にある岩を巻き込みながら突き進んでいった。


 腕の向きがガルムから九十度ずれていたために直撃はない。けれど氷の拘束は解けた。

 水蒸気が大量に辺りへへ立ち上る中、彩斗は声を大にして叫ぶ。


「スララ、絶対に勝つ! ガルムとマルギットを、倒す!」

「うんっ!」


 もう恐れない。怯えない。交わした約束のためにも、二人は決然と目を向け、勝利のために意志を一つにする。


「勝てると思うかの」


 氷の息を吹き付けて、何度か目のリコリスの膜を破砕しながらガルムが疾走する。


 スララが動いた。リコリスの形状が変化する。それは盾だ。今にも倒れそうになる体を叱咤して、スララは全身を覆うほど大きな盾を構えて疾走する。


「無駄じゃよ」


 凍れる息吹が盾を覆う。たちまち冷気に晒され、凝固していくリコリスの盾。だが――。


「なんじゃと?」


 スララは自分で体当たりをして、凍ったリコリスの盾を自ら突き破ったのだ。

 予想外の行動に、ガルムの反応が一瞬だけ遅れる。それは、百度に一回あるかないかの好機だ。そこへねじ込むように――朗々たる声を響かせ、彩斗が切り裂くように叫ぶ。


「ゲヘナっ!」


 スララが声と同時に横に飛んだ。少女のいた空間を焦がすように猛進するのは黒い業火。巨大な大蛇となって突き進んむ業火は地面を抉り、熱波を散らし、螺旋めいた軌道で万物を焼き尽くさんと迫りゆく。


「くっ」


 ガルムが紙一重でかわせたのは、とっさにマルギットが腕を振り、無理やり光の糸でガルムを操ったからだ。


 盛大な熱波が彼らを炙る。スララが走る。

 一回だけで彼らを倒せるなんて思えない。ガルムもマルギットも、一流の戦士であることは間違いない。だから彩斗とスララが勝つには、一度引き込んだ流れに全てを賭けるしかない。


 疲労など無視してスララはリコリスを盛大に広げさせる。巨大な膜が出来上がる。

 脱力感で倒れかけた。けれど彼女は、ふらつく足へ必死に力を込め、彩斗を、彼だけを信じてリコリスを使用する。


「ゲヘナっ!」


 三発目の黒い業火が、彩斗の右腕から放出される。リコリスの膜を凍らせようとしていたガルムは、膜ごと燃やして猛進する最後のゲヘナを前に、泡を食って全力で回避する。

 熱波を引き連れて豪炎が戦場を真一文字に切り裂く。放たれた漆黒の火炎は巨大な太刀のごとく地面を両断し、軌道上の岩を、大気を焼き焦がして全てを無に返す。


 巨大な火の粉の柱がいくつも舞う中、それでもかわし切ったガルムは薄く笑う。


「ほう、思い切りが良い。若さとは無謀の化身じゃの。だがそれは――」


 ガルムはぎょっとした。

 最後のはずのゲヘナ――見事かわして難を逃れたはずのそれが、彩斗が右腕を振ると、まるで燃える巨人の腕のごとく、ガルムへ向かって薙ぎ払われる。


「馬鹿な……放射時間が、長いっ!?」


 冷気を熱波で相殺させながら、我武者羅にガルムが駆ける。

 息を吸う。そして凍てつく息をゲヘナへ吐きかけるが、黒い業火はそれすら呑み込み、黒い津波のごとく彼を襲う。


 直後、ゲヘナの放出が限界を迎えた。息をついて腕を下ろす彩斗に、ガルムは地面を削りながら制動をかけ、爛々と目を輝かせて牙を剥く。


「凄まじい火炎じゃ。まさかゲヘナがこれほどの脅威だとは思わなかったの。これまでの戦いで、最もゲヘナを使いこなしたのはおぬしたちで間違いない」


 ほとんど空間を断絶した黒い業火の残り火が咲き乱れる中、ガルムの弾んだ声だけが響き渡る。


「じゃが、今ので仕留められなかったのは致命的じゃな。――マルギット」

「共闘者の指示を確認。――ゲヘナ」


 涼やかななる声と共に、黒い豪炎がスララへと向けられる。

 最強の矛はどのペアにも用意されている。全てを焼き尽くす漆黒の大蛇が、マルギットの右腕から、疲弊して動けないスララへ猛然と迫りゆく。


「やらせない!」


 とっさに、彩斗がスララへ体当たりをした。スララへの直撃は防いだが高校の制服ブレザーが燃える。即座に制服の上着を脱ぎ捨てた彩斗は、起き上がりざま、コンバットナイフを抜き出し、決死の表情でガルムへと斬りかかった。


「まだ武器はあるっ!」

「――舐めるな若造っ!」


 神速の域に足を踏み入れるガルムにすれば、彩斗の走りは亀の歩みよりなお遅い。

 空を抉るようにガルムが躍り込む。ナイフをかすめることすらできず、彩斗は右肩と左肩、両方を押さえつけられガルムに押し倒される。


「グハァアアアアアっ!」


 猛獣の本性を表してガルムが獰猛に吠えた。赤い腔内、長い舌と剣山のように並ぶ牙が、凶悪な光を見せつける。


「訂正をしようかの」


 コンバットナイフが、衝撃で高く飛んでいく。彩斗を前足で押し倒したままガルムは、戦意が剥き出しになった瞳で見下ろす。


「おぬしたちの行動は無謀ではなく勇敢に値する。じゃが相手が悪い。ワシらはこのゲームにおいて最強のペアなり。勇気、信頼、愛情、いかなる武器を持ってしてもワシらに勝つことは叶わない」

「それは、どうかな」

「負け惜しみは誰でも平等に吐く権利がある。何か言い残したいことがあるのなら、聞いておこう。おぬしたちはよくやった。久しぶりにワシは楽しい瞬間を――」


 ガルムが気付くのと、コンバットナイフが振り抜かれるのは、ほぼ同時だった。

 彩斗が手放したナイフを、スララがリコリスで回収し、横殴りに振り回したのだ。


「ぬっ」


 乾坤一擲だったが、ガルムの神速には、それですら通じない。

 冷気を引き連れてガルムが横に跳ぶ。回り込みつつ氷の息吹を吐いた。

 大きく空を切ったリコリスが、たちまち凍りつく。ガルムが突進した。体当たりの直撃を受けリコリスが粉々に砕け散り、周囲に乱れ飛ぶ氷の欠片。吹き飛ぶナイフ。


「共闘者に警告。フェイズ5へ強制移行。敵対者は危険。速やかに勝利をもぎ取ることを提言する」

「わかっておるわ!」


 いきり立って牙を剥き出しにしながらガルムは疾走した。狙いはスララ。もう少しの時間も取らせない。本能的にガルムたちはわかっていた。いま、この瞬間、彼らを仕留めねば、何をされるかわからない。


 あと一撃。

 それだけやれば全てが終わる。彩斗はゲヘナもコンバットナイフも失い、スララは疲労の極致で動けない。氷の息を吐いて体当たりをかませば、それで闘技は終わる。


 ガルムは凍てつく息吹をスララに浴びせた。もはやリコリスの盾すら作れない彼女は、冷たい息吹に晒され、氷に覆われていく。

 ガルムは勝利を確信した。マルギットは、光の糸に全精力を注いだ。


 だから、気づけなかった。

 ガルムからは死角の位置。真後ろに、リコリスの分体があることを。


「――な」


 半透明の触手が、ガルムの後ろ右脚に巻きつく。

 リコリスでコンバットナイフを振ったと同時に撒いたものだった。ガルムは凝然とし、一瞬氷の息を吐くことをやめてしまったその隙に、


「今だ、スララ! あの岩をっ!」


 彩斗が指し示した先、戦いの余波で転がっていた巨大な岩を、スララが全力を注ぎ込み、リコリスで持ち上げる。


「馬鹿な……」


 ガルムが呆然と呟いた。


「フェイズ6、緊急回避。失敗。再施行――」


 マルギットが必死に光の糸を操る。

 けれど、彼らの声を引き裂くかのように、大きな影を引き連れ、膨大な遠心力をまとい、スララが残る全ての気力を込めた巨岩が――ガルムの胴体へ叩き付けられた。


「グゥァアアァアアァァアアア――――っ!」


 骨が砕ける音が轟く。衝撃波がそれを掻き消していく。着弾点に盛大な蜘蛛の巣状のひびが生まれ、粉塵が、砕ける岩片が、周辺へ乱れ飛ぶ。

 濛々と立ち込める粉塵と、荒れ狂う衝撃波が収まったとき。


「フェイズエラー……共闘者の敗北を確認。ゲームの失敗を……確認……」


 マルギットが唖然と立ち尽くす。

 陥没した地面の下、沈黙して倒れるガルムを見届けた彩斗は、アルシエルの終了宣言を耳にしつつ、喜びを胸にスララへと歩み寄っていったのだった。



†   †



「負けたのか……」


 ガルムのかすれたささやきが、陶然と吐かれた。

 すでに観衆咳と決闘舞台を隔てる魔法の障壁は消えている。ガルムは四肢を投げ出して伏せたままで、彩斗はスララに肩を貸して、ガルムのもとへと近寄っていった。


「ワシらは最高のペアじゃった。ワシ自身は老いた身で全盛期からは離れていたが、マルギットがいた。操糸術ファムテールがあった。負ける要因はない。じゃが、ワシたちは敗北した……わからんものじゃのう」


 背骨を砕かれた彼は初め、虫の息だった。しかし腕輪が彼の傷を治療し、会話を滞り無くさせていた。


 マルギットが、人形のような生気のない声を洩らす。


「敗北の原因を推察。――不明。直接の要因はわからず」

「まさしく摩訶不思議というやつよ。しかし、あえて言うならばお互いの信頼が、わずかに少年らの方が上回っていたことじゃろう」

「信頼……」


 疲弊して声もなかなか出せないスララに変わって、彩斗が言う。スララに外傷はないが、リコリスの使い過ぎで、支えてもらわなければ立つことも叶わなかった。

 度重なる形状の変化や、分体の操作、それにガルムの高速移動に対抗するため、ぎりぎりまで集中力を高めた反動だ。

 そのスララに敬意を含んだ眼で見つめながら、ガルムは言う。


「然り。少年はあのとき、お嬢さんの背中越しにゲヘナを放った。あれがきっかけじゃった。ワシとマルギットはあれで戦闘の流れを乱され、少年たちの流れに乗せられた。あの背中越しのゲヘナは――囮となったお嬢さんの跳ぶタイミング、少年のゲヘナを撃つ動作、どちらもが一瞬でもずれていたら結果は変わっていたじゃろう。見事じゃよ。互いに信頼していなければ、ああはできぬ」


 悔しさと清々しさ、両方が交じり合った声音で、ガルムは言う。


「それを受けて、ようやくわかった。このゲームは、強き者が勝つのではない。『強きペア』が勝つのじゃ。一人一人の肉体の強さではなく、精神の強さでもなく、信頼の強さ。それぞれの特性をよく知り、十全に力を引き出し、なおかつ互いの長所を生かすことのできたペアこそ、勝ち抜ける」

「信頼の……強さ」


 ガルムは白髪に覆われた首を振って頷く。陶然とした口調で、彼は続ける。


「ああ……しまったのう。こんなところで負けるのなら、もっとマルギットと戯れておくのじゃった。人間の娘は体が柔らかい。もっとぺろぺろしておけば良かったと、後悔しておる」

「共闘者の戯言を確認。馬鹿と断定する」

「くははっ」


 しゃがれた声で、どこか楽しそうにガルムは笑った。

 その足の先端――爪の辺りから、石化が始まっている。


「さて、石っころになってしまう前に、少年に置き土産を渡してやろう」

「え……」


 言うとガルムは、傍らに転がっていた彩斗のコンバットナイフに向けて、凍てつく息を吹きかけた。

 それは、単純に吐息を浴びせただけではない。ガルムは直前に牙へ紋様を走らせ、付加価値を乗せた冷気として、吹きかけたのだ。


「ワシの世界で魔物は、大して魔法は使えんのじゃがな」


 足首まで石化しながら、ガルムが説明する。


「ワシの種族は『強化』の効果を持つ魔法が使える。この歳になるまで、爪と牙を強化するのに、使っていたものじゃ。この闘技ではマルギットの加護があるから必要なかったが――手に取ってみるが良い。そのナイフはワシの全魔力を得て、刃はより強靭になり、さらには『冷気』を常に発するようになった」

「え……」


 マルギットがコンバットナイフを拾い上げて、彩斗に渡す。受け取ると、確かに刃の輝きが増し、その周囲を『冷気』が漂っているのがわかる。


 ――冷気を纏うコンバットナイフ。

 夜津木の期待の上に、ガルムの称賛を得て強化された、彩斗の武装。

 

「ガルム……さん」

「どうせなら最後まで勝ち抜いてみるがいい。いや、ワシらに勝ったのじゃから、途中で敗北することは許さぬ。おぬしらはこのゲームを勝ち抜き、想示録を得て優勝せよ」


 何も言えなくなって、彩斗はぐっとコンバットナイフの柄を握りしめる。

 ガルムもマルギットも、悔しさよりは誇らしさがあった。鍛えた力を使い、全力でぶつかり合い、その上で敗北した。彼らの瞳には彩斗たちへの賞賛はあっても、恨み辛みの類は一切ない。


 彩斗は、少しだけ強さに対する認識を改めた。

 強い者とは、腕力や知力に優れているだけではない。敗北しても、心から相手を称えることができる者を――『強者』と言うのだ。

 脚のほとんどが石と化し、その場から離れられなくなったマルギットが、懐から小さな羊皮紙の包みをスララに渡した。


「強者に、敬意を」

「これは~?」


 体に力が入らないスララに代わって、彩斗が包みを解く。

 中から出てきたのは、七色に光る、一粒の種子。


「譲渡した種子の名称は、『アビサールの麗花』。発芽すれば短時間のみ、あらゆる災いから持ち主を守護する」

「あらゆる災いから、守護する~?」

「肯定。発芽の条件は、持ち主の強い愛を感じること」

「あ、愛……?」


 彩斗が目を丸くして呟く。


「私には必要ない種子。敵対者……訂正、『勝利者』にこそ、それは相応しい」


 その響きは、今までのマルギットと違って、少しだけ感情が込められていた。闘技を経て、敗北を経験して、ほんのわずかにでも残っていた人としての感情が、表面化したのだろう。

 彩斗がアビサールの麗花の種子をスララに渡した。彼女はぎゅっと大切そうに、胸に抱く。


「ありがとう~」

「勝利者に助言。腕を磨くべし。己を研ぎ澄ませ。同時に、休息を推奨。死に物狂いの修行と安らかなる休息が、高みに至る近道」


 いよいよマルギットの胸の辺りまでが、石に覆われていった。

 ガルムもほとんど身動きできないようになりながら、彩斗らに言葉を向ける。


「ではの。くれぐれも次なる闘技で負けるでないぞ。このゲームにはワシたちより強い人間も魔物もいないじゃろうが、連携を極め、長所を高め、実力以上の力を発揮するペアはきっと現れる。勝てよ、若者よ。良い戦いくさであった。アォオォーン!」


 そうして、ガルムとマルギットは石化した。

 強化したコンバットナイフとアビサールの花の種子を残して。恨み事も未練も、一切ささやくことなく、沈黙していった。

 彼らの表情は、最後まで戦士の表情をしていた。

 

 そして、彩斗の戦いはさらに続く。

 より過酷に、激しく、そして――スララと言う少女の、真の目的に迫る事に。


 

 ――第三章『アルシエル・ゲームの真実』編へと続く

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