第三章【アルシエルゲームの真実】編

第28話  アルシエル・ゲームの真実

 ガルムとマルギットとの闘技を終え、彩斗とスララは再びガーゴイルに牢屋へ連行された。


 格子の中に押し込められてからも、スララの疲労はなかなか治まらない。負担を度外視したリコリスの酷使は、彼女に大きな疲労を与えている。話せば返事をするが、ほとんど身動きもままならない状態だった。

 だから彩斗は、ふと思いついたことを提案してみる。


「あの、スララ」

「なぁに?」

「疲れてるならさ、少しマッサージしてあげようか。気休めかもしれないけど」

「ありがとう~。それじゃあ、さっそくやって。全身をやってくれる?」

「うん、わかった」


 彩斗はスララをリコリスのベッドの上に横たえ、うつ伏せにしてみる。自分はその上に跨がり、膝立ちになる。


「いくよ、まずは肩から揉むから」

「うん」


 彩斗は出来る限り優しく、けれど適度な力を入れて揉んでみる。


「はあ~、気持ちいい~。すごくいいよ~」


 心地よさそうな声を洩らすスララ。それに気分を良くして、次いで彩斗は背中から腰、それから腿をマッサージしていく。


「はう~、気持ちいい~。彩斗、上手だね」

「ふふ、ありがとう。続けていくよ」


 しかしその後からが大変だった。うつ伏せの状態から仰向けにスララを寝かせ、彩斗はマッサージを続けようとしていったのだが――。


「はあ~、気持ちいい~、天国だよ~。もっと、もっとやってほしいよ彩斗~。あん、くすぐったいからそこはだめ~」

 

 そんな言葉がずっと続いた。

 徐々にスララの吐息が艶めかしくなっていく。

 最初彩斗は一生懸命やっていたが、スララのとろける声が響いてきて、甘い吐息が顔にかかってきて、スカートの裾がめくれて白い太ももがあらわになって、何か変な気持ちになってくる。


「いや、ボクは自分から言い出したんだ、不埒な気持ちは出さない、円周率を数え――」

「あーん。良いよ、彩斗。もう少し強く~。ふわふわしてきた~。あ、あ、くすぐったい~」

「ぐああああ! な、なにかボク、これ以上はやってはいけない気分になってくる……っ」


 彩斗は弾みでスララの胸に触れてしまった。

 柔からかくもボリュームある感触が手を伝う。


「うわ! ごめんスララ! ……痛っ! 頭ぶつけ……! ぐおおっ」


 思わず仰け反り、壁に後頭部を激突させた彩斗は、頭を抱えて悶絶する。スララが起き上がり、心配そうに顔を覗き込んだ。


「きゃっ、彩斗! 大丈夫~?」

「大丈、夫……ちょっと頭の中で星が出たけど……平気、はは」

「そう……あ、今度はわたしが彩斗をマッサージしてあげようか。わたし、集落でみんなが疲れたとき、揉んであげてたんだよ~」


 そう言って、スララはリコリスをほよほよと浮かしてくる。

 元気になったスララを前にし、急に彩斗は胸が締め付けられる感覚に襲われる。


「……スララ」

「ん、なに~?」

「あの、さっきはごめんね」

「……何が?」

「その……闘技の前。キミに向かってこっちに来るなとか、あっちへ行けとか、散々言ってしまって……」


 事情はあったとはいえ、もう少しスマートにするやり方もあったはずだ。

 その後に闘技が行われたのは不運だが、色々と猛省する点は多い。


 けれど、スララはリコリスをふわりと下ろし、優しい笑みを浮かべる。


「謝らなければならないのはわたしの方だよ。わたしも、彩斗に話してなかったことがあるから。ごめん、ううん、ごめんなさい!」


 スララは、改めて頭を下げた。

 薄い水色の髪が、釣られるように流れていく。


「……いや、いいよ。……全部、話してくれるんだよね?」

「うん」

「じゃあ、今からお願いしていいかな」

「わかった」


 スララはこくりと頷くと、姿勢を正した。

 そして虚空を見つめ、何十秒か考えをまとめるように思考を巡らすと、やがて彩斗の眼をまっすぐ見つめる。


「まず、衝撃的な事を、彩斗に伝えるよ」

「うん」

「これは、彩斗をすごく驚かすことで、そのことで彩斗がわたしを見る目が変わるかもしれないけど……その時は、ごめんね」

「それは……仕方がない。もう覚悟は出来ている」


 あの時スララの言葉を受けたときから。

 ガルムとマルギットの猛攻に耐え、二人で乗り越えた時から。

 このゲームの真相を、知る覚悟は出来ている。


 スララは、ベッドの上で正座になった。

 そして告げる。彼女の秘密えお。そもそもの始まりの話を――スララは語っていく。


「まず、前提として言っておくね。……わたしと魔神アルシエルは、血を分けた――『姉妹』なの」

「うん、それは、分かる」


 あの日、スララはアルシエルの事を「お姉ちゃん」と呼んだ。慕う相手としての敬称の可能性もあったが、それは否定される。


 今のところ二人の間に共通点は見受けられないが、本人がそういうからには本当なのだろう。


「姉妹か……それじゃあ、アルシエルは――」

「うん。わたしにとって、唯一残された家族」


 その言葉の中に、寂しいものが混じっていた。

 悲しみと、後悔と、虚しさ。含まれた響きに、想像もつかないした苦悩があったことが伺える。


「……続けて」

「そもそもの始まりはね、お姉ちゃん……アルシエルが、故郷を焼き払われたところから始まったんだよ」

「故郷を、焼き払われた……?」


 スララが、こくりと頷く。


「昔、今から二十年くらい前かな? 『魔神ベリアル』が、この世界エレアントのあらゆる地域と、種族を支配しようと目論んだことがあったの。ベリアルは敵対する種族を打ち倒して、世界の覇者になろうとしてた。わたしが生まれる、ほんの少し前の話」

「そんな事が……」


 エルンストが解読してくれた、牢屋の『血文字』の情報と合致する。スララは、あのとき何も知らないと言っていたが、そうではなかった。

 彼女は、はじめから知っていたのだ。


「なぜ黙っていたの? 血文字のことを。スララは、全て判ってたはずだよね?」

「ごめん。でも……」


 スララは苦しげに胸を抑えるような仕草をした。


「……エルンストやフレスベルグを、信頼する事が出来なかったから」

「え?」

「あの時点では、まだあの二人が『ベリアル側』かは判らなかったの。彩斗の事はすぐ悪い人じゃないって判ったけど、あの二人は判らなかった。だから……」


 一拍おいて、スララは続ける。


「魔神ベリアルは、ガーゴイルを始めとする配下を複数持っていて、何をするかは判らないの。アルシエル・ゲームが行われている間は、ガーゴイルはお姉ちゃんの手駒だけど、他にどんな手駒があるか判らない。……わたしや、お姉ちゃんの狙いを察知して、妨害してくる可能性もあったの。だから、話せなかった」

「複数の配下? それを気にしてたんだね?」


 スララは頷く。

 確かに、これほどの規模の宮殿だ。ガーゴイル以外に配下がいてもおかしくないだろう。

 それこそ、アルシエルに逆襲するために、『偽のペア』を用意して、近づく事も出来たはずだ。

 迂闊に情報を明かせば逆襲に遭う。だからあえて何も知らないフリをして、必死に足掻く演技をする。


 言われてみればエルンストやフレスベルグが『偽のペア』である可能性は捨てきれない。サバイバルゲームによくある話で、参加者の中に黒幕もしくは手先がいて、場を掻き乱す。そんなのは常套手段だ。

 エルンストやフレスベルグが、完全に信頼出来るのか――それを完全に確認するまでは、スララは明かせなかったのだ。

 彩斗にだけ話す手もあったが、そもそも彩斗は怯えたり、状況に苦しんでいて、それどころではなかった。


 スララは、孤独だったのだ。

 彼女はいつも笑顔を浮かべていたけれど、その奥には、それは誰が味方で誰が敵か、不安もあったに違いない。


「話を続けるよ。魔神ベリアルはエレアントのほぼ全ての地域を支配したの。そして、残った人間の軍隊と、魔物の軍勢を相手に、最後の戦争を仕掛けた。連合軍は必死に戦った。それが――『大戦』。最高の勇者たちと、数多くの悪魔、魔獣。それに巨人や竜や精霊たち――エレアントに住む七割以上の勢力が、ベリアルに挑んだの。だけど――」

「勝てなかった……?」


 スララが静かに首を縦に振る。


「うん。それでもベリアルに惨敗したみたい」

「そんな……」

「『黒き大蛇』と言われる最強の炎が、どんな守りも砦も焼き尽くしたんだって。集落の魔物たちがそう言ってた。戦いは三ヶ月間続いたけど、人と魔物の連合軍は、全滅させられちゃった。……でも、それでもね、ベリアルは満足しなかったの」


 唇をきゅっと結んでからスララはその単語を言う。忌まわしい過去の出来事が解きほぐされていく。


「『ベリアル・ゲーム』っていう、人と魔物のペアを組ませ、コロシアムで戦わせるゲームを――ベリアルは開催したの」

「え……」

「負ければ石化させられるゲームだよ。普段は牢屋の中に閉じ込められて、ガーゴイルに見張られて、戦うときだけは、外に出してもらえる、そういうゲームに……わたしの『両親』は参加させられたの」

「そんな! スララの両親が……?」

「うん。その時、わたしは生まれたばかりだったから覚えてないけど……お姉ちゃんは、凄惨な戦いだって言ってた」


 スララの顔が強張っていく。


「わたしの両親は強かったから、ベリアル・ゲームの中盤まで勝ち残ったみたい。でもその後にお母さんが負けて石化させられて……。別ペアだったお父さんも頑張ったけど、残り八組になった後、人間の勇者に負けて石化させられたらしいの。その光景を、お姉ちゃんは観衆席で見せられてた。とても悲しいって言ってたよ」

「それは――」


 姉の不幸を案じる心が、スララの瞳には映しだされていた。

 どんな気持ちなのだろう。父と母が目の前で石化してしまう光景というのは。


 そして想像する。そこから歪んでしまうアルシエルの未来を。

 狂気と、執念と、怨念に満ちた今のアルシエル。


「ベリアル・ゲームは終わったけど、その後、ベリアルはエレアントで何もすることがなくなって、異世界に行くことを決めたんだって。他の様々な世界に渡って、エレアントと同じ『ベリアル・ゲーム』を開催しようとしたみたい。様々な世界の苦悩や、足掻く姿、ベリアルにとって何よりのご馳走になる、『誰かの不幸』を求めて、あちこちの世界に渡ったの」

「そんな……とんでもないことが行える、魔神だなんて」


 スララは一拍おいて続けた。


「どれだけの世界が犠牲になったかはわからない。たぶん多くの人たちや魔物が、『ベリアル・ゲーム』に巻き込まれたと思う。結果的に、ベリアルはこの世界からいなくなったけど……お姉ちゃんは、そんな残酷なベリアルに、復讐を決意したの」


 彩斗の手のひらには、嫌な汗が湧き出ていた。絶大な強さと魔力を持っていた、魔神ベリアルの脅威と、アルシエルの決断。


「まず、アルシエルは、魔神ベリアルに並ぶ力が欲しいと思って、伝説の『ダジウスの輝石』を求めたの」

「ダジウスの輝石?」

「うん。アルシエルがいつも首にかけてる、あのペンダントだよ」


 そういえば彼女の首元には、常に茜色のペンダントがかけられていた。冷酷な物言いや、苛烈な炎の印象に隠れがちだが、黒いウェディングドレスのような衣装に、あれはよく映えていた。


「ダジウスの輝石はね、百年以上前に、『ダジウス』っていう魔神が作り出したんだよ。エレアントの二大宝具の一つなんだって。身に付ければ、自らも魔神になれる――凶悪な輝石。アルシエルは十年以上かけて、それを手に入れたの。そして『魔神アルシエル』になって、ベリアルの宮殿――この天空宮殿トルバランを乗っ取った。それから、本格的に復讐の実行を進めていったの。つまり……」


 スララの言葉が徐々に速くなっていく。同時に痛ましい声音も含まれていく。


「お父さんたちが味わった『苦悩』や『恐怖』を、そっくりベリアルにも味わわせるために。アルシエル・ゲームを開催したの」

「そんな……それじゃあ、まさか」


 スララがゆっくりと、伏し目がちな表情で頷いていく。


「うん。このアルシエル・ゲームは、『ベリアルに復讐するためのゲーム』」


 凍り付く時間の中で、スララの声だけが静かに響いていく。


「閉鎖された天空宮殿の中で、人と魔物にペアを組ませ、最後に勝ち残るまで、ひたすら戦わせる。これは模倣されたゲームなの。……アルシエル・ゲームは、ほとんどベリアル・ゲームと同じ内容だよ。一組のペア。右手の腕輪。負ければ石化する闘技。三度だけ使えるゲヘナ。優勝者には想示録。普段の牢屋の中での生活も、回廊を見回るガーゴイルも、何から何まで一緒。お姉ちゃんは、完全に模倣したゲームで、ベリアルに復讐しようとしているの」

「そんな……無茶苦茶だよ! 無関係な人や魔物を巻き込むなんて! 第一、ベリアルは異世界に渡ったんだよね? どこの世界にいるかわからないベリアルに復讐するなんて……無謀すぎる! 少なくとも、このやり方じゃ」

「うん。だから、お姉ちゃんはベリアルの特性を利用したみたい」

「特性?」


 スララは頷く。


「ベリアルは、自分の宮殿に異変があれば『察知』する事が出来るの。だからあえて同じゲームをする事で挑発し、迎え撃つ気だったみたい」

「それは……それでも無茶だ。第一、確実に来る保障なんてない。ただ犠牲を増やすだけかもしれない」

「そうだね。だからアルシエルは、唯一ある手がかりを元に、ベリアルを探し出すつもりでもいたの」

「ベリアルの手がかり? それは、いったい……」

「彩斗もたくさん調査したはずだよ。それは――『火傷の痕』だよ」


 電撃を受けたような衝撃が、彩斗の背中を貫いた。


「まさか……」


 声が、震える。


「このゲームの参加者の、右腕に……『火傷の痕』がある人や魔物ばかりなのって……」

「そう。ベリアルの右腕にも、『火傷の痕』があったからなの」


 心臓が不気味に高鳴った。ずっとずっと、わからなかったことが氷解し、砕け散り、真実という新たな形へと再構成されていく。


「じつはね」


 と、スララは語った。


「ベリアルは、『大戦』の時、右腕に消えない傷を負ったの。人間の勇者の『聖剣』によってつけられた、特別な傷は、治療の魔法でも決して治らない。それは今のベリアルを特定する、唯一の証なんだって。だからお姉ちゃんは、天空宮殿トルバランの機能の一つ、『召喚機能』を使って、様々な世界から『右腕に火傷』の痕がある者を、手当たり次第に召喚したみたい」

「そんな、無茶なことを……」


 彩斗はあまりの真実の中身に、総毛立つ。

 そのアルシエルの憎しみに、怒りに、寒気すら覚える。


「そんな……でもそれなら、火傷の痕を目印にしてるなら……最初召喚した時、復讐は出来たんじゃないの? わざわざゲームなんて仕掛けなくても、ボクらがあの日召喚されたとき、アルシエルはベリアルを見つけて、戦いを挑めたはずじゃ……」


 復讐が目的ならベリアルだけを撃てば、叶うはず。大規模なゲームを開き大勢を巻き込む必要はない。


 けれど、スララは小さく首を横に振る。


「ううん、それは、お姉ちゃんはしないよ」

「なぜ……?」

「だって、お姉ちゃんの目的は『同じゲームでやり返す』ことだもの。『同じ』ゲームをして、『同じ』苦悩を、ベリアルに植え付る事が大切なの。相手をおびき寄せて、倒すだけが目的じゃない。それに……」

「それに……?」

「ベリアルは自分の姿を自由に変えられるから、誰がベリアルか判らないの」

「そんな! 姿を自由に変える能力まで!?」


 数々の能力をもち、なおも利便性に富むベリアルの能力に、震える。


「うん。エルンストも牢屋の文字を解読して、言ってたよね。ベリアルは『黒い業火』や、『石化の魔法』、『召喚』の他に、『変身の魔法』も得意だったって」

「そういえば――」


 それも、牢屋の文字の解読で判明したことだった。ベリアルは残虐非道なだけではなく、多数の魔法を使いこなし、エレアントの全てを手中に収めていた。


「ベリアルは熱しやすく、冷めやすい性格だったみたい」


 端的にスララは言った。


「自分の姿を、変身の魔法でよく変えてたらしいよ。鏡を見ては、自分の新しい姿に見惚れて、またすぐに変えるのが趣味の一つなんだって。同じ姿でいるのは三日あるかないか。だから、火傷の痕を元に召喚しても、そのうち誰がベリアルかは判らなかったらしくて……」

「だから、ゲームを開催し続けたのか」


 アルシエル・ゲームを行う事で、ベリアルが恐怖するならそれで良し。襲って来るならそれも良し。

 変身を好むベリアルが痺れを切らし、召喚時の姿が飽きるまで。何度でもゲームを繰り返し続ける。


 ――魔神ベリアルは、宮殿の『召喚機能』によって、残る八十数組のどれかに紛れ込んでいるのだろう。

 だから本物の彼が見つかるまで、あるいは果てるまで、このアルシエル・ゲームは続く。


「……」


 彩斗は、そのスララの言葉の奥に、アルシエルの執念を垣間見た。


「……勝てるの?」


 怖気と寒気を感じながら彩斗は聞く。


「確かにアルシエルの復讐心は凄まじいよ。実力も折り紙つきだ。いつかはその方法で戦えるかもしれない。でも圧倒的なベリアルの力を前に、アルシエルは、勝てるの?」

「それは……わからない」


 スララは不安を押し込めるように言った。


「少なくとも、互角にはなると思う。今のお姉ちゃんは、ダジウスの輝石で『魔神』の力を持ってるから。これを造った魔神、ダジウスはね、輝石の力でエレアントを支配していた時期があったみたい。だから、それを手に入れたお姉ちゃんは、ベリアルに匹敵はしてる。戦えば互角にはなると思う」


 それに、ガーゴイルの補佐もあるから、とスララは言った。

 確かに、数の理と同じ『魔神』という力があるのなら拮抗は出来るだろう。

 懸念は、ベリアルが策を練っているか、どうか。


 どのみち、もはやベリアルが襲いかかってくるかどうか、それのみを待つ段階なのだ。

 アルシエルに止まる選択はない。


「でも、ベリアルは、なかなか正体を現そうとしない。アルシエル・ゲームが始まって、仕返しをされてるはずなのに、何故か、ベリアルはずっと沈黙を続けているの。だから、お姉ちゃんは焦れてる」

「そんな……」


 戦えるだけの力がありながら、ベリアルが正体を現さないために、アルシエルはゲームを続けざるを得ない。

 その、無情にも思える現状。


 何故、ベリアルは姿を現さないのだろう。

 待っているのだろうか。アルシエルが焦れて疲弊するのを。

 復讐への復讐を、考えているのかもしれない。ベリアルは残忍かつ強大な魔神だ。アルシエルを狩るのに一番適した時期を伺っているのかもしれない。機を伺い、観察し、彼女が疲弊した瞬間を狙っていても、不思議ではない。


 彩斗は、アルシエルの過酷な運命に、思わず背筋を震わせた。


「止めなくちゃ駄目だ」


 彩斗は語気強く断言する。


「お姉さんを、すぐに止めないと。こんな……大勢を巻き込んで、復讐のために戦わせるなんて、悲しすぎる。それに、ベリアルがいつ正体を現すかもわからないんでしょ? このままじゃスララのお姉さんは、きっと壊れてしまう。心が、どうしようもなくなって、正気じゃいられなくなる」

「……うん。それもわかってる。だからわたしは、アルシエルが復讐のゲームをやるって知ったとき、こっそり天空宮殿トルバランへ忍び込んで、止めさせようとしたの」

「え……」


 それは以外な発言だった。


「アルシエル・ゲームなんてやめてって。そんな残酷なことしちゃダメだって。そうわたしは何度も説得したよ……。でもね、お姉ちゃんは、聞いてくれなかった。わたしの事を愚かだって」


 顔をわずかに伏せる。


「それどころか、すごく怒りだして、わたしまでゲームに参加させたの」

「そんな……妹のスララまで巻き込んだっていうの? アルシエルが自分で……」

「ううん、それは別にいいの。アルシエルを止められるのはわたしだけだから。追い出されるよりずっといいよ。でも……」


 スララは、少しだけ困ったような顔をした。


「ゲームが始まって、わたしが毎晩、説得に行っても……お姉ちゃんは全然やめてくれない……それどころかますます復讐に身を焦がして……それが、凄く悲しい……」

「スララ……」


 彩斗は思わず彼女の手に、自分の手を重ねた。

 自分の姉が悪事に身を寄せて、復讐を行おうとしている。

 けれどそれが成就せず、いたずらに時間だけが過ぎていく虚しさは、どれ程のものか。


 今なら分かる。スララは、ずっと孤独だった。

 エルンストやフレスベルグには話せない。なぜなら相手は『ベリアル』かもしれないから。


 彩斗に話すわけにもいかなかった。彼は、全てを覆す力など持っていないから。

 最低限の情報と地道な交流で、エルンストやフレスベルグが『白』らしいくらいにしか、判断できなかったのだ。


 そんな時、彩斗に夜の抜け出しを見つかって、ガルム達との闘技に至った。


「じゃあ……昨夜、牢屋を抜けだして、アルシエルの部屋に行ったのも……?」

「うん。アルシエル・ゲームをやめて欲しくて、説得に行ったんだよ……」

「ガーゴイルとすれ違っても何もされなかったり、メイドさんに様付けされたのは……」

「一応、わたしだけはお姉ちゃんの家族だから。お姉ちゃんはガーゴイルの設定を操作して、手荒なことはしないようにしてるみたい。メイドさんにも、わたしへ気を払うように命じてるらしいよ」

「そうだったのか……」


 これまで謎だった事が次々と氷解していく。恐怖や疑念が晴れていく。

 しかし、同時に、新たな疑問が湧いてくる。


「アルシエルは、そこまでキミに気を割いて、どうして、ゲームをやめてくれないんだろう」

「……わからない。わたし、お姉ちゃんが判らないよ。わたしにとって、お姉ちゃんは物心ついたときから、いつもベリアルのことばかり考えてた。復讐の事ばかり考えて、憤る、怖いお姉ちゃんなの。魔神になる前、集落で一緒に住んでいた時も、ほとんど独りで部屋にこもってた。人間の書いた書物を眺めたり、古い伝説の記述を探ったり……ダジウスの輝石探しのために、怪しい魔物たちと情報を交換したりもしていて……一緒に遊んでくれたことも、ほとんどなかったの」

「スララ……」

「でもね、アルシエルはね、時々だけど、わたしに優しい声をかけるときもあったんだよ~。いつもむすっとしてたけど……機嫌が良いときは、笑いかけてくれるときもあったの。わたし、あのお姉ちゃんを信じたい。復讐にまみれた魔神アルシエルじゃなくて……その中にいる、本当の優しいお姉ちゃんと話したい」


 スララは、切実そうに言う。

 姉に甘えたい。けれど、それでも出来ないこの境遇。


「でも、アルシエル・ゲームを開いてから、お姉ちゃんはちっとも優しくなくて……笑顔を浮かべながら、『ベリアルを殺す』、『ベリアルを殺す』って、そればかり言ってるの

「スララ……キミは」


 ずっと孤独と闘っていた彼女に、胸が痛くなる。

 笑っていたときも、励ましていたときも、スララはその笑顔の奥で、姉の悲劇に胸を痛ませていたのだ。

 一番悲しいのは自分なのに、誰かにすがりたいのはスララなのに。それでも彼女は彩斗が怯えたときは暖かく声をかけ、彩斗が意気込めば応援し、隣でいつも支え続けていた。その裏で、彼女は必死にアルシエルへ説得を試みていた。


 いつか、優しいアルシエルになるのだと信じて。


 どこにでもある、姉妹になれることを夢見て。


 彼女は毎夜――姉の部屋に赴いた。


 けれど運命はスララとアルシエルに平穏など与えはせず、ただ残酷な悲劇だけを突きつける。


 助けてあげたいと、彩斗は思った。

 スララとの思い出が脳裏に過ぎる。闘技、似顔絵、湯浴みの騒動、様々な表情のスララがめまぐるしく躍り、今までどれだけ彼女に助けられてきたのかを改めて実感する。

 スララがいなければ今の彩斗はいない。

 歴戦の猛者と渡り合えるようになったのは、彼女がいてくれたから。


 けれど、話しながら、今のスララは泣いていた。いや、泣き顔は彩斗の前で見せなかったけれど、彼女は心の中で泣いている。彩斗はそれがわかった。スララは溢れそうになる感情を抑えて、気丈に、健気に、姉のことを心配して、話していることが伝わってくる。

 彩斗は、自然と次の言葉を言うことができた。


「――スララ。今すぐ、お姉さんを説得しに行こう」

「え?」

「そんなの、そんな悲劇はないよ。アルシエルにとって、スララは残された最後の家族だ。それなのにキミまで巻き込んで、こんなゲームは続けさせられない。お姉さんの無念はわかるけど、絶対に止めるべきだ。彼女を正気に戻そう」

「でも、お姉ちゃ……アルシエルはわたしの話もまともに聞かないよ。機嫌が良い時は笑う時もあるけど、頭の中はベリアルの中で一杯。ベリアルをどうやって引き裂くか、焼き尽くすか、八つ裂きにするか……そればかり話してる。もう、どうやって説得をすればいいのか、わたしもわからないよ……」

「それなら、ボクも行くから」


 彩斗は強く、けれど優しく言う。


「アルシエル・ゲームを止めさせられるのは、スララしかいない。他の誰も出来ない事だ。だから、ボクがその手助けをする。こんなゲームは続けては駄目だ。絶対に、ボクらの手で中止にするんだ!」

「彩斗……」


 スララは困ったように彼の顔を見返す。


「でも、そんな……なにか秘策はあるの?」


 彩斗は少しの間思案した。


「……いま、一つ浮かんだ。危険な賭けだけど……スララとアルシエルが姉妹だというなら、もしかすると成功するかもしれない」

「彩斗……」


 恐れはある。しかしこのままでは、何も変えられないから。

 スララは迷ったらしかったが、しかし信頼を帯びた瞳で、彩斗を見つめる。


「危険な事、彩斗にしてほしくない。この状況で、彩斗まで酷い事されたら……」

「何をしてもリスクはあるさ。それに……キミには十分助けてもらった。今度は、ボクに助けさせてよ。それが、パートナーってものでしょ?」


 スララは、瞳をうるませた。

 ずっとずっと、孤独に戦ってきた。

 姉に拒絶されて、一人不安を抱えて……それでも足掻いてきた。

 それで向けられた、優しい言葉に、彼女は顔をくしゃくしゃにする。


「ありがとう、彩斗」

「当然だよ。終わらそう、スララ。こんなゲーム」

「……うん。……判った。今から、お姉ちゃんのところに行こう。でも彩斗、危なくなったらすぐに逃げて」

「わかってる。それは心配ないで」


 そう返事をしたが、彩斗には逃げる気はなかった。たとえ燃やされても、切り刻まれても、アルシエル・ゲームを中止にする。そう思っていた。

 スララは、いつも微笑んでいた。

 何度も何度も、彼女には助けられた。だから今度は――ボクが助ける。


 誰でもないスララのために。


 そして彼女の、優しい姉のために。


 だから終わらそう。復讐ら始まった悲しいゲームに幕を下ろすために。

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