第18話  氷結の悪夢

 その騒動を見ていた者たちがいる。

 奇襲を目論む悪党がいる。


「今だ! ベヌウ! 作戦通りにエルンストとフレスベルグを襲え! そしておびき寄せろ!」


 誰もが闘技の騒ぎに視線を注いでいる瞬間だった。

 筋骨隆々の男が、無残にアルシエルへと慈悲を乞い、けれど叶わず、石になっていく過程。数多の強者も、弱者たちも、人も魔物もほぼ一斉に、その意識はコロシアムの決戦場の中に吸い込まれている。

 だからこそ最大の隙ができる。彼らに大いなる好機を呼びもたらす。


「うるさい人間ですねえ。そんなに大きく叫ばずとも聞こえますよ」


 文句を言いつつベヌウが飛ぶ。筋骨隆々の男が今まさに石へと変じる様に、皆が視線を釘付けにされている中、軽やかに滑空する。

 エルンストたちに奇襲する準備は予定よりはかどっていた。五日の予定が三日で終わっており、すぐさま行動を起こすことができていた。昨日、ペアの中でもかなりの弱者である、魔法師の杖を奪ったおかげだった。


「グルゲン! 行くぜ!」

「ぐはは! 狩りの始まりだ! 来い、カトブレパス!」

「グモオォォ!」


 短槍の代わりに、魔法師から奪った杖を持って、グルゲンが髭面の奥で貪欲に笑う。カトブレパスが巨体を翻し、ワストーらと共に疾走する。


 ――いける! ワストーは鎖鎌を持ちながら思った。

 獲物の距離まで、約五百メートル。視線を向ければ、エルンストとフレスベルグは、ワストーとグルゲンにまったく気づいていない。

 彩斗が怯えた様子を見せていたのが原因だった。少年はコロシアムに響く絶叫に恐れを成し、恐怖という名の鎖に縛られていた。


 ――小僧、感謝するぜ。お前がびびったおかげで、おれたちは完全な奇襲が行える!

 まるで時間がたっぷり凝縮したかのように、周りの流れがゆっくりと見える。


 感覚が鋭敏になっていた。狩りの成功の前兆だった。ワストーは元の世界では『妖魔狩り』を行っており、幾多の妖魔を襲い、狩ってきた。

 そのときの成功の感覚がやってくる。これは必勝を約束させる鋭敏化だ。その状態に入ったワストーは最善手が手に取るようにわかり、獲物が何を考え、どう動き、いかなる手段で抵抗しようと、余すことなくわかるのだ。


「くふ、うふははははっ!」


 隣でグルゲンも同じ状態になるのを感じる。二人は別々の世界出身だが、同じような職を生業にしていた。

 だから同じ感覚に至る。そして好みも被る。妖魔狩りをやっているのは、何も食うためだけではない。他者を陥れ、己の力で屈服させることが許される職だからこそ、ワストーは妖魔狩りを選んだ。そしてグルゲンとつるんだ。


 彩斗のコンバットナイフを奪い、我らに更なる力を!

 同じ穴のムジナである彼らは、下卑た笑いのまま、獲物目掛けて疾走して――。


「……ん?」


 異変に、まずグルゲンが気付く。


「お、おいあれは、どうしたんだ……?」


 怪訝な口調でグルゲンは指を差した。

 その先には、先行したはずのベヌウの姿がある。エルンストとフレスベルグに奇襲をするべく、真っ先に飛んでいった青鷺型の魔物が、地面に倒れ伏しているのが見えた。


「お、おい、どうした、ベヌウ」


 慌てて、ワストーはパートナーであるベヌウに駆け寄った。

 階段状の足場のいくつかに渡って、不死鳥は細い体を横たわらせていた。エルンストたちまで、あと二百メートルまでの距離だ。変な動きを察知される前に接近しなければいけなかったが、ベヌウが不調とあっては無視するわけにもいかない。


「ベヌウ。どうした、なぜ床に伏せている」

「お……あ……」


 明らかにおかしい。奇襲するために飛び出したのに、その途中で何者かに襲われた。そうとしか思えないぐったりとした様子に、冷や汗がワストーのこめかみを流れる。グルゲンが険しい顔をして、杖を握り締める。

 倒れ伏した原因を、問い詰めようと口を開きかけて――。



「――おぬしらが、そのか弱い鳥のパートナーなのかのう?」



 年老いた、ひどくしゃがれた声が一同にかけられた。


「なんだ、てめえはっ」


 犬だった。

 そこにいたのは、一頭の老犬だった。

 所々が白い毛で覆われ、目元は落ち窪み、幾多の年月を経た、枯れた木を思わせる四足獣の魔物。

 体はひどく細い。間違いなく全盛期は終えている肉体だ。けれどよく見れば白毛に覆われた筋肉は健在であり、細い体に、無駄のない力が宿っていることが感じられる。


 老犬に向かって、ワストーはいきり立った。


「犬のじじいがっ、何のようだ!」

「何の用とはまた乱暴な言葉じゃのう。先にぶつかってきたのはそちらだというのに。おぬしたちは前に誰かがいたら、避けもせずに蹴散らすのか」

「ああ!? なんだてめえ、ベヌウが飛んだ先にいやがったのか? だったら黙って避けろ。おれたちの作戦を邪魔するな」

「その通りだ、じいさん、怪我したくなければどっかへ失せな。鬱陶しい!」


 グルゲンの怒声に、老犬の目が細められる。


「そうか。そうか。おぬしたちはぶつかったパートナーの代わりに詫びもせず、ただ怒りをぶつけるか。愚かな事だのう」


 そのとき、やや頭上から声が聞こえた。


「共闘者へ警告。その二人は他人の武具を奪って確保する下衆の輩。会話する必要は無し」

「っ! いつの間に……っ」


 まるで気が付かなかった。階段状の足場の少し上方、そこに金髪に碧眼、絶世の美女が立っている。

 彼女は美しい風貌だったが、人形のように生気のない瞳だった。

 人を捨て、人を超え、人が恐れるような、そんな隔絶した――美と虚無の混合。

 老犬が美女へと声をかける。


「マルギットよ。おぬしの力を借りたい。『糸』を出してくれぬか」

「共闘者からの要望を検討。その必要性無し。共闘者単独での殲滅は可能と推察する」


 美女のあまりに機械的な物言いに、ワストーたちは不気味に思う。


「なんだてめえら、ごちゃごちゃとうるせえ。ふざけんな、ベヌウに何しやがった!」


 この時点で、ワストーはもう引き返せないまで気が限界まで立っていた。作戦を台無しにされ、怒りが頂点に達しかけたときに、老いた犬と人形のような女に邪魔をされ、怒気は膨れ上がっていく。


「グルゲン! カトブレパスで一層するぞ、目のプレートを剥がせ!」

「よし、カトブレパス! 命令だ、この犬のじじいと人形もどきの女を殺」

「遅い」


 声は掻き消された。老犬の攻撃にワストーもグルゲンもカトブレパスも対処は叶わない。最初に片付けられたベヌウと同じく、彼らは自分が何をされたのか認識する間もなく、一方的に『処理』された。



†   †



 数分後。

 闘技が終わり、全てのペアたちがガーゴイルに先導され、牢屋に戻される中、二人と二匹の魔物が見るも無残な姿で晒されている時。


 その様子を、ペアたちは薄気味悪そうに、眺めていた。


「あれ? あの二人って、確かワストーとグルゲンだよねー。他人の武器を奪っていたクズたちじゃないか。相棒のベヌウとカトブレパスまで。一体どうしたんだろ?」

「さあ? そんなことより牢屋の中に戻ったら、闘技の対策を考えないといけねえな。どうやって勝つか、それが重要だ」

「アハハ、そうだけど、やっぱ武器を奪おうなんて考えない方がいいよねー。そうじゃないと、彼らみたいになりそうだから」


 すれ違ったペアは雑談混じりにワストーたちを揶揄する。同じ目には遭いたくないと、小さく笑いつつ通り過ぎていた。

 ペアのうち片方が振り返る。


「それにしても無様だな、ワストーとグルゲン。誰にやられたのか知らないけど、まさか全身『氷漬け』とはね。ゲームが終わるまでずっと凍っていろ、愚か者たちめ」


 凍てついたワストーたちを、間もなくガーゴイルたちが面倒臭そうな表情で、運んでいった。




 老犬のガルムと、美女マルギット。

 ワストーたちは、最後まで自分たちを圧倒したペアの名前を、知らなかった。

 そして彼らが、ゲームのペアの中でも最高位に位置する、ペアだということも。


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