第17話  三つの顔を持つ魔神

「む、彩斗とスララ、来たな。成果は出たであるか?」


 観衆場の隅の方、いつも陣取っている箇所に、エルンストとフレスベルグはいた。

 フレスベルグは相変わらず眠たげだった。床に座り、頻繁な欠伸。千里眼で他のペアの様子を伺っている疲れもあるのだろう。彩斗は少し苦笑してから、エルンストに近づく。


「はい。……ほとんどスララのおかげですけど。えっと、それでですね……調査して判ったことは、やはり火傷の痕を負うまでの共通点は、千差万別ということです」

「……なるほど」

「どのペアも元の世界では境遇がバラバラで、王宮の兵士だった人もいれば、スリとして生活を繋いでいた人や、踊り子、奴隷戦士、他には、炭鉱で働いていた人もいました」


 一拍空けて、


「その中で、うっかり火傷をしてしまった例や、争いに巻き込まれたとか、一般的な理由の他、わざわざ威厳を出すために自分で痕作った物好きもいました」

「まあ、そういう輩もいるだろうな。タトゥーと同じ感覚だよ。界隈によってはその方が映える場合もある」


 調べる前は一つくらい共通項目があると思っていたが、実際にはまるで似た境遇がなかった。故意か偶然など大まかな分類はできても、そこにはっきりとした共通点は見当たらない。

 彩斗は嘆息しつつ言う。


「……こうなると、右腕に火傷のある人なら誰でも良かった、ということなんでしょうか」

「うむ。どうやらそうらしい。ワタシの方でも、同じような回答が得られた。火傷を負う経緯は千差万別。火傷そのものを負っているかどうかが、アルシエル・ゲームに召喚される理由らしいのである。これはおそらく外れてはいない」

「そうみたい、ですね」


 けれど、それが『なぜ火傷の痕なのか』となると、まだ理由はわからない。情報が少ないために推察もろくにできない状況だ。

 焦れているのだろう、エルンストがふとつぶやき、


「スララが牢屋の文字を読めれば早かったのだが、まあ致し方ないな」 

「牢屋の文章、難しくてわたしには読めない~。ごめん」

「いや……」


 スララは困ったように笑って、補足し始める。


「魔物の間にも、文字はあって、わたしが知ってるのは、簡単なやり取りができるくらいのものなんだよ。何かを記録するまでの知識は持ってないから……ごめんね」

「謝る必要はない。そう卑下するな」

「うん」

 

 無数の牢屋にある、壁の文字。それらは全てこの世界――エレアントの文字で書かれている。


 先日判明した、いくつかの文字、特に『ベリアル』という単語もそう。

 何らかの形でゲームに関わっているのは間違いない。しかし頻出の単語だけならともかく、無数の牢屋にある文字全てを解読するとなると数が多過ぎる。

 それらをエレアント出身であるスララが全て読むことができれば、エルンストの解読薬は必要なく、調べる効率がずっと良くなるが――

 いくつかの単語を訳すことができても、全ての解読をするにはスララの識字力は不足していた。


「……そう言えば、これは知的好奇心であるが、スララの識字力はどのくらいであるか? 少し文字を書いてみてくれないか?」

「うん、いいよ。こんな感じ~」


 スララはいくつかの文字を書いてみせた。

 しかしそれは人間で言えば十代前半くらいの語彙だった。会話力は、彩斗と比べても遜色ないが、彼女の識字力では牢屋の全文章の把握など望めない。

 日常的用語はともかく、専門的な単語は完全に無理だろう。


「ふむ、低くはないようであるな。しかし高い知識でもないと」

「ごめんね。悪魔と言われる種族や、魔人と恐れられる魔物たちなら、人間の文字もわかるみたいだけど。わたしみたいな小さな集落だと、ちょっと無理」


 魔物にも階級はあるらしい。人間と同等か、それ以上の文化を形成している上級種族がある一方で、集落で質素な生活を営む種族もいる。

 スララはその質素な暮らしの魔物、いわゆる下級に位置する魔物だった。知性はあるが、狩猟と採取で生活を営んでいる、末端の魔物。娯楽は絵を描くことや、森や洞窟への探険。

 エレアントの典型的な集落種族のため、とてもではないが、牢屋の文章解読は不可能だった。


「役に立てなくて、ごめんね……」

「いや、スララが悪いわけじゃないよ」


 彩斗は毅然と言った。


「それに、スララにはすごく助けられてる。火傷の痕の情報は、ほとんどスララが調べたようなものだし。だから、そんな困った顔しないで」

「彩斗……」


 今までの感謝も含めて語ると、スララは嬉しそうにはにかんだ。


「……うん、ありがとう」


 くすぐったい気持ちになりながら、彩斗はエルンストに向き直る。


「それで……今日の分の解読は、どうなっているんです? やはり、あまり捗っていないんですか?」


 スララに解読を期待解読するくらいなのだから、悪い結果だったのだろう。

 そう彩斗は思っていたのだが、


「いや、とりあえず二部屋分の解読には成功した」

「え? そうなんですか?」

「エルンスト、すご~い!」


 材料に苦慮しつつも成果を出す青年に、スララは顔を輝かせる。


「うむ。やはり労われると嬉しいものであるな。ワタシのパートナーのフレスベルグは、ちっとも褒めてくれないのである。よく食べ、よく寝て、よく文句を言うだけ。なんとも自由な魔物であるな」

「ふわあ、眠い。だるい。……ん。何か言った?」


 隣でうつらうつら船を漕いでいた少女が顔を上げた。


「フレスベルグは可愛いなという話をしていたのである」

「当然。フレスベルグは『世界樹』で一番の美少女だもの。なに言ってるの」

「ワタシは頼もしき相棒を持って涙が出そうである」


 フレスベルグは大きくあくびをした。エルンストが、ポケットに手を入れたまま続きを語る。


「話が逸れたのであるな。今朝の解読の結果としては……内容はまあ、過去に行われたであろう、ゲームの恨み辛みである。ただ興味深かったのは、ベリアルが『魔神』と呼ばれる最高位の魔物であることと、『三つの異名』を持っていたことである」

「魔神……ですか」


 思わず彩斗はぶるっと震える。それは――アルシエルと並ぶ、まさしく最強の魔物ではないのか。


「今はどうしてるのか知らないであるが、ベリアルは三つのあだ名を持っていたと。そう書いてあった。曰く、『黒き大蛇』と、『石像庭園』と、『円環の鎧』……そういう異名があるらしい。由来は完全には判明していないが、一つ目と二つ目に関しては、判らなくもない」

「黒き大蛇と……石像庭園……」


 彩斗が反芻すると、エルンストは首肯する。


「黒き大蛇の方は、『ゲヘナ』であろう。あれは漆黒の火炎だが、その形は大蛇のように見えないか?」

「そうだね~。大きな黒い蛇。そういう風にも見える~」


 スララの言葉に、彩斗もハッとした。かつて夜津木と戦ったとき、確かに黒い火炎はそのような形をしていた。

 また、今まさに行われている闘技でも、筋骨隆々の男がまさにゲヘナを使用し、相手を追い詰めている最中だった。

 その光景は、まさに黒き大蛇。

 いくつもの岩を焼き尽くしながら、猛然と進んでいくの漆黒の業火。


「そして『石像庭園』というのは、まさしく、我々の周りにある石像群を思い起こさせる。つまりは、他者を『石化』させる魔法だろう」


 ゆっくりと、彩斗は周囲を見回す。

 今にも動きそうな石の人々や魔物たち。あまりに精巧な表情、自然な仕草。

 彼らが以前、れっきとした人間であることは、ほぼ明らかだ。スララが魔素の話を前にした。魔法、おそらくは石化させる力を使われて、彼らは石像と化しているのだ。


 腕輪に付与された『ゲヘナ』という黒い業火。それに、敗北したものを『石化』させる力。

 牢屋に書かれた文字との一致は、偶然とは思えない。


「……もしかして、このゲームには、その『魔神ベリアル』も関わっているんでしょうか?」

「わからない。第三の異名、『円環の鎧』が何のことを示すのか、それは不明である。それが確定するまでは。結論は出ないのである」

「それは……そうですね」


 エルンストは整った眉毛を歪ませて、


「そもそも、『円環の鎧』だけが、いまいち予測が立てられないのである。黒き大蛇は『ゲヘナ』。石像庭園は『石化の魔法』。ここまではおそらく合っている。だが円環の鎧だけがさっぱり判らないのだ」


 いくつかの文字を解読しても、フレスベルグの千里眼を使っても不明。


「円環……円環……何でしょう。……ボクには思いつかないです」

「わたしもわからない~」


 とスララ。


「コロシアムのことじゃないの。ここ、丸いし」


 珍しくフレスベルグも会話に参加してくる。


「コロシアム……ワタシもそれは少し思ったのである。あとは……円環、丸いというならば、アルシエルが首にかけたペンダントも候補に挙がるであるな。しかし『鎧』と呼ぶには少しばかり無理がある。おそらくは違うであろう」

「コロシアム自体が守りの魔法を司っているんじゃないの。闘技のとき障壁現れるじゃん。観衆場と決戦の舞台分けるためのやつ。フレスベルグの故郷でも、円を使った呪字ルーンはあった」

「うーむ……」


 フレスベルグの言葉にもエルンストは眉を寄せて考える。その表情は初めてだったので、彩斗は少し落ち着かない。


「黒き大蛇と石像庭園に比べると、不確定過ぎる。何かの比喩なのかもしれないな……うーむ」

「円環の鎧……円環の鎧……」


 彩斗は目を瞑り、思考を巡らせた。


「スララのリコリスの鎧みたいに、身にまとうような能力かもしれないですね」

「それもある。だが、今の段階では何とも言えない。もう少し、解読を進めれば、ヒントになるようなものはあるかもしれないであるが」


 結局は、また調べる必要があるということだ。現時点でベリアルの全てを把握することは、ほぼ不可能に近い。

 現状、これ以上は推測というより妄想の類になってしまう。

 そんなこと時間は費やせなかった。


「ま、とはいえ『魔神ベリアル』が、何らかの形でアルシエル・ゲームに関与していることは確かである。ゲヘナと石化の件は外れてはいまい。無論、その確度も高めるが、引き続き解読も進めるべきであるな」

「はい、そうですね」


 一同は頷いた。ふと、彩斗は、


「牢屋の文字は……」

「うむ?」

「牢屋に書かれた文字は、何のために書かれたんでしょう?」


 疑問を口にすると、エルンストは少しだけ考え、応じた。


「さしたる理由はないと思われる。おそらくは精神を保つための恨みの放出だろう。つまり、『前回の』アルシエル・ゲームの中で、首謀者たる……」


 そこでエルンストの動きが、止まった。


「ふむ? アルシエル・ゲームの恨み事で、アルシエルではなく、ベリアルの悪口であるか。なぜであろう。そう言えば、牢屋にはアルシエルのことは一切書かれていないのである。うむむ……そうなると、どうなるのであるか?」

「ボクにも、わかりません……」

「わたしもわからないよ。アルシエルは、前回のゲームには関わってないってことなのかも」


 エルンストは視線を横に向け、


「フレスベルグはどうであるか? 何か予測はできるであるか?」

「さあ? それより闘技まだあるの? 早く終わって。ああーもう。ベッドで寝たい。だるい」


 段々いらいらしてきたフレスベルグに苦笑した後、エルンストは呟いた。


「……やはり、ワタシたちは、思ったより込み入ったゲームに巻き込まれたのかもしれないな……」


 無数の牢屋にある共通した名前、ベリアル。その三つの異名。

 砕かれたパズルのピースのように、繋ぎあわせて真実を見つけるには、どれだけの日が必要なのか。見えない出口を探しているようで、彩斗は落ち着かない感情を抱かずにはいられなかった。




 ――その時だった。


 不意に、闘技の方から絶叫が聞こえた。


「な、なんだ……?」


 決戦場の中で野太い悲鳴が上がっている。

 戦っていたペアのうち、筋骨隆々の男の方が、パートナーである魔物を打ち倒され、石化が始まっていた。


「い、嫌だ! 石なんかになりたくない……俺には家族が、待っている妻や娘がいるんだ。うおお、こんな、こんなところで……っ!」


 男の手が光る。手袋から淡い粒子が降り注いでいる。

 彼は、何らかの魔法を用いて、石化を止めようとしているようだった。しかし石化は止まらない。初めはつま先、次に足首、徐々に上へと侵食させながら、彼は何度も悲鳴を上げていく。


「ああ、止まらない、助けてくれ! アルシエル! 俺は石になりたくない! 見逃してくれ! お願いだ、何でもするから! 召使いでも何でもするっ! だから、帰れなくなるのだけは許してくれっ! ああ、胸も石になっていく。ああ、ああっ、うああああ――っ!」


 それは、心の底からの魂の叫びだった。両腕を石にさせ、いよいよ首までが冷たく変じようとしている姿で、男は引き裂くような絶叫を上げる。

 だが、支配者である魔神の言葉は冷酷だった。


「いかなる理由があろうとも例外は認めない。お前たちは使い捨ての戦闘人形。勝者は更なる栄誉の武闘に。敗者は惨めに石になって、物言わぬ風景となるがいい」

「嫌だ――っ! くそおおおおぉぉ――……っ!」



 やがて、全身が硬い石へと覆われる。恐怖と苦悶に満ちた男の表情は、筆舌に尽くしがたいものだった。

 あまりに生々しく、壮絶で、彩斗は思わず目を逸らすしかない。


 敗者は石化。それが、アルシエル・ゲームの絶対的ルール。勝てば束の間の安息。負ければ終わり。観衆席の片隅で、石像として過ごすことになる。

 彩斗は体が震えた。自分とスララ、両方が石になる光景を想像して、嫌な汗がこめかみから流れて止まらない。


「彩斗……」


 すかさずスララが、ぎゅっと励ますように彩斗の手を握ってくる。大丈夫、わたしがいるよ、落ち着いてと、暖かな温もりを与えるために。

 それで少しは気分が安らかになった。


「……スララ。牢屋に戻ったら、頼みがあるんだ」


 石化してしまった男を見つめながら、彩斗は低く言う。


「ボクは、あんな風にはなりたくない。絶対にスララと一緒に、勝ち抜くんだ。そのために、協力して」

「うん……わかった」


 こんなときでも柔らかな声を忘れないスララに、彩斗は思わず握る手に力を込める。

 この温もりを消したくない。スララの笑顔、仕草、優しげな声が永遠に石になってしまうなんて、絶対に認めない。


 彩斗一人なら、まだいい。所詮、ただの落ちこぼれ学生だ。

 けれどスララだけは、彼女だけは何としても石化から回避させたかった。


 ――そのために、対策がいる。闘技を勝ち抜く技術がいる。

 彩斗は、スララの手を握る方とは逆の手、夜津木のコンバットナイフの柄を握りしめながら、心密かに決意を固めていったのだった。


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