知性のある魔物

 

 まるでスイを待っていたかの様に、ソレは佇んでいた。

 大きい。

 前足一本でスイの背丈程あるだろう。

 更にその存在感。

 一つも身動きをしていないのに、明らかに異質な強さを感じる。


 フェンリルの目の前でスイは足を止めた。

 一瞬、睨み合う。

 耳が痛いほどの静けさが、プレッシャーをかける。


 心を無にして動き出したのは――スイだ。

 足元の地面を抉る勢いで跳躍し、身体強化によって凶器と化した拳を叩きつける。

 だが、見えない何かに阻まれた。

 宙を蹴って距離を取る。

 未だ動かないフェンリルの足元に魔法陣を展開させる。


炎柱ファイアピラー


 燃え盛る炎の柱に包まれた白狼は、美しい毛並みを一本も焦がさずに歩み出てきた。

 スイはそれを予測していたかの様に、打ってあった次の手を発動した。


「メテオ……インパクト」


 詠唱を終えた途端、上空に展開されていた魔法陣から、巨大な隕石が幾つも降り注ぐ。

 地に触れた所に爆炎を上げ、砕けた岩は爆風に乗り、弾丸の如く周囲に飛散する。

 火、土、風魔法を組み合わせた、スイの独創魔法オリジナルだ。


 砕けた岩が幾つも飛んで来たが、結界で守りながらもスイは動かなかった。

 自身が殺める命には最後まで向き合う事。

 スイは無意識の内にこれを常識化していた。

 軈て全ての岩塊が地に落ち砕け、視覚妨害要因である炎と砂煙が晴れる頃、スイは久しぶりに笑った。


『中々だった』


「言語を理解しているのか?」


 目立った傷こそ無いものの、美しかった白い毛は汚れていた。

 結界は壊せたに違いない。


『意思があれば言葉にせずとも伝える事が出来る。少年も同じだろう?』


 ――少年、か。


 不思議とスイにのしかかっていた重みが和らいだ気がした。


「俺は目的の為にお前を倒す。遺しておきたい意思はあるか?」


『無い。何故なら我は倒されないから』


 脳に伝達された言葉を理解した時には、フェンリルの爪がスイの目と鼻の先に迫っていた。


護れプロテクト!」


 一点集中型のシールドは一瞬だけスイを守り、それが壊れる頃にはフェンリルから距離を取る事に成功していた。


「疾速乱舞」


 聖剣を置いてきた理由は、一人になると勝手に出て来る精霊が煩わしいからだ。

 強大な力に頼りきりの戦い方を見直すつもりもあった。

 しかし相手が悪い、とスイは思う。

 生身で善戦できる相手じゃない。

 故に背中のブーメランを投げ放った。


 魔力付与された武器は、竜巻を起こしながら目にも留まらぬ速さで敵の周りを荒れ狂う。

 それをみてスイは舌打ちする。

 当てるつもりで放った武器だ。フェンリルは身動きせずにスイの攻撃を何かで退けているのだ。


『未熟。我にとってそよ風同然』


「風魔法か」


 俄かに信じ難いが、スイの風魔法が付与された武器の勢いを、フェンリルの風魔法に相殺されていると判断して、スイはブーメランを手元に帰らせた。


『どうした?先の独創魔法オリジナル程の威力はもう出せんのか?』


 小細工は通用しない。生身の攻撃では通らない事を考えれば、限られた魔力の使い方が勝利への鍵となるだろう。

 それでも――


「めんどっちぃ」


 青い雷光を全身に纏い、バチバチと音を立てて周囲の空間を歪ませる程の力。

 魔力解放。

 解放した魔力の形は人それぞれだと言う。青い稲妻こそスイの魔力の質で、その閃光の一つ一つが変幻自在。


『横着だ。我の命が尽きるが先か、少年の魔力が尽きるが先か』


 この状態だと恒常的に大きな魔力を消費し続ける。

 勇者の魔力とて無尽蔵ではない。

 だからスイは一瞬も無駄にせず動きを開始した。


 スイにしては珍しく、大きく振りかぶってから投げられたブーメランには、スイと同じく解放した魔力が纏われていて。

 まさしく電光石火の勢いでフェンリルに迫り、その体に傷を付ける事に成功した。

 ただ狙った頭部から大きく外れている事は、敵もまだスイの攻撃に対処出来るという事だ。

 スイは視線を動かした。

 その目の動きに踊らされる様に、ブーメランは舞い続ける。

 フェンリルの横腹を、右後ろ足を、尻尾を、左前足を。

 幾つも傷を与えながら、勢いを落とさずに飛び続ける。

 そしてスイ自身も敵に迫る。

 拳を振るう。

 敵も反応する。

 前足の爪が迎え受けた。

 魔力の衝突。

 敵の背後に回り込んだブーメランがその尻尾を斬り落とそうとする。

 フェンリルの姿が消える。躱された。

 背後に気配。

 振り向き様に裏拳を叩きつける。

 初めて直撃した攻撃に、フェンリルは大きく吹き飛ぶ。

 追撃に、魔撃を幾つか飛ばす。

 跳躍する事で躱された。

 魔力を脚に集中させる。

 弾丸の様に空に飛び出し、風に乗った狼を蹴り落とす。

 地響き。

 砂煙が舞った場所を目掛けて、特大のいかずちを落とす。

 夕陽の空に、青い雷。

 幻想的な風景の中に、一瞬にして死神が這い上がって来る。

 土と血で汚した白毛が、殺し合いの最中だとスイに思い出させる。

 足を振り上げる。

 だが振り下ろした場所に白狼はもういなかった。

 まずいと思った時には右半身に衝撃を受けていた。

 茜色の空で風を感じて。自分の意思とは関係なく空を飛ばされたのは初めてだ。

 くだらない考えを振り払う様に旋回し、再びフェンリルに迫る。

 風の刃が迫って来た。

 宙返り。

 飛行魔法よりも余程機敏な動きで空を走る。

 ブーメランはフェンリルの背後から迫り、綺麗な顔に傷を付けてからスイの元へ戻って来た。


 フェンリルは青く輝くスイに意識を持っていかれて気付いていなかった。

 茜色の空のそこかしこに張り巡らされた青い稲妻。スイとブーメランが動いた後に残された具現化した魔力。

 その全てが光を強くした時、自身が少年の魔力に囲われていた事に気付いたのだ。


「解き放て」


 碧い瞳が光を反射し、発せられた一言によって全ての稲妻がフェンリルを襲った。

 回避不可能。

 膨大な力。

 圧倒的な威力を、ただただその身で受けた。


 やはり全てが終わるまでスイは目を離さず。

 ゆっくりと地に降りて、全ての光が収束したと同時にフェンリルも地に落ちた。

 地響きに体勢を崩し、思わず座り込む。

 まさかここまで消耗するとは、スイ自身思わなかった。


 いったい後幾つの命を奪えば強くなれるのか。

 強くなって、この世界でどれだけ心を救えるのか。

 本当に自分がやっている事は正しいのか。

 偽善か。

 自己満足か。

 そんな類であったら、今すぐに投げ出したい。

 疑心暗鬼。

 正義は何処に?

 倒すべきは誰?

 孤高の王に会いたい。

 絶対的な強者に、神の様に世界を動かす賢者に。

 独りでいると心の内に現れるモンスター。

 スイは怠惰というモンスターに心を奪われた。

 リクハートの心には何が宿っているのか。

 彼なりの正義があるのだろう。

 もしかしたら、倒すべきはリクハートではないのかもしれない。




『少年……いや、力を持った……弱き者よ』


 座り込んでいたスイを驚かせたのは、陥没した大地から移動して、スイの隣に伏せていたフェンリルだった。

 生きていた事も、動いていた事も気付かなかったスイ。それほど思考に没頭していたのか、フェンリルの能力が秀でているのか。


『身構えるな。お主にも、我にも、この戦いを命の奪い合いにする事は出来ん』


「俺はお前を倒さなくては……」


 王に会えない。そう言おうとして、やめた。

 セバスは倒せとは言っていなかった。

 何故自分は我武者羅になっているのか。

 視野の狭さが、我ながら情けないとスイは思った。

 しかし力を見せつけた方が、王も自分に興味を持ってくれるだろう、とも思う。


『我は知性がある。お主ともこうして意思の疎通が出来る。意思の疎通が出来れば、感情が動く。感情が動けば、心が影響される。人間とはそういうものだろう。それがお主が我を倒せなかった理由だ』


「俺は全力だった。力不足だったのだろう」


 フェンリルはゆっくりと首を振って否定した。


『端的に言えばお主は優しすぎる。殺し合いにおいて、それは明らかに不利である弱さだ』


 フェンリルが伝える事はスイにもよくわかっていた。

 何体も魔物を倒しておきながら、少し感情が動かされると攻撃の手が緩くなってしまう。

 この世界で生きる上で、面倒で仕方がない。


『我は魔大陸に帰る。そこでは我の知る限り、二人は我より強い者がいる。どちらもお主に似た所があるが、皆がそれぞれ守りたいモノを有しておる。それを守る為にぶつかり合うならば、お主は負けるだろう』


 この魔物は何者だろうか。

 聞くべき事は沢山あったが、驚く事にフェンリルは転移魔法陣を発動していた。


「俺は……弱いのか?」


 フェンリルは顔だけで振り返った。


『生き急ぐな少年。定まっていない正義の形が揺らいでいるのだろう。責任感が自身の願いを上回ってはいけない。少年の我儘なら、大人が叶えてくれる』


 消えた後もフェンリルがいた方をずっと見つめていたスイ。

 少年は、自分が憂いの表情を浮かべている事に気付いてなかった。

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