魔大陸

 

 空の上、光翼ライトウィングがぶつからない程の距離で、アランは隣のスイにチラチラと視線を送っていた。


「…………」


「……………………」


「…………………」


「…………あのさ、無視?」


 呆れが混じったアランの声に、スイは肩を竦める。


「いちいち他人の視線に返事をしていたらきりが無い」


「気付いてんじゃん……」と呟くアランは、宙に浮いたまま姿勢を整え、真剣な表情を作った。


「驚いたよ。スイが本当にこの前召喚された勇者だったなんて。……勇者だからってわけじゃないけど…頼みがある。これは、依頼じゃない。友としての……」


「前置きが長い。早く言え」


「…………一緒に魔族に会いに行こう」


「良いだろう。だがその後にアランを村へ送り届けた所で俺の依頼を達成にしろ。それが条件だ」


 頭の良いアランですらスイの返答の速さについて行けず、言葉の意味を考えてしまった。

 いや、言葉の意味はわかっていた。

 考え込んでしまった事柄は、何故臆する事なく了承したのか、何故理由も聞かないのか。


「……あ、ああ。わかった…………」






『魔族』とは生きる災い。悪意によって生まれた力。世界の汚点。そんな認識を持たれている。

 事実、稀にこの大陸に現れる魔族は恐ろしく悍ましい力を持っており、相手が一体であってもその討伐には幾人もの冒険者達が駆り出される。

 故に魔大陸に単身で乗り込む人族など自殺志願者だと思われるだろう。

 だからアランは頼んでおいて断られる未来しか想像していなかった。本当は断られても、残りの王都やエドンシティを見て回れるなら満足だった。勿論、それらを見れない代わりに魔大陸へ行けるのなら、その方が貴重であり、お願いしたい事だ。


 結果、アランにとって良い方向へ転んだわけだが、スイは怖くないのだろうか。

 そう思いチラリと再びスイを見るアランだったが、そういえば彼は異界人であったと思い出す。

 まさか自身の依頼を、リクハート王によって召喚された勇者が受けるとは。何かの因果か、それとも世界の均衡を保とうとする精霊などが働いた結果か。

 とにかくアランは神や精霊など会ったことのない“善”より、今身近にいる“正義”に感謝した。

 彼が現れた事で、代々続いた先祖達の悲願が、遂に果たされようとしているのだ――。




「……困ったな。海を越える手段がない」


 思考の海に沈んでいたアランは、左手に広がる海を眺めた。

 かつては幅の狭い道の如くあった地面は、此方の大陸と彼方の大陸を繋げていた。しかしそれは二百年前に破壊され、今では渡る手段がない。もっとも、こうして空を飛べるスイならその問題も解決できるが、今は別の問題がある。


「そうか……要塞都市か……。スイの隠密でもやり過ごせないか?」


光翼ライトウィングは目立つからな。道半ばで見つけられるだろう」


 それは正面に見える、要塞都市フォート。

 人族が暮らす大陸の最北端、魔大陸に最も近い海沿いに建てられた砦からは、魔法使いが常に魔大陸の動きを偵察している。それは魔族の動きを注意している為であるが、そのせいで魔大陸に向かって飛べば直ぐに見つかってしまう。


 魔力共有で隠密飛行をすれば見つからずに辿り着けるかもしれない。しかし飛行の操作は難しい。慣れていないアランでは無駄に魔力を消費してしまうだろう。辿り着いたとしても、その後何があるかわからない地を消耗した魔力で歩くのは心許ない。

 では見つかる覚悟でこのまま飛んで行くのはどうか。スイは考えるまでもなく首を振った。自分のこの姿では勇者だと直ぐにわかってしまう。そうなったらどれ程の騒ぎが起こるだろうか。もしかしたら冒険者総出で勇者の捜索、あるいは魔族との戦争が始まってしまうかもしれない。


 あらゆる想像をした後にスイは愚痴をこぼした。


「中々、めんどっちぃな」


 隣のアランは俯いている。スイだって、友と呼ぶ覚悟は出来ていないが、彼の願いを叶えてあげたいと思う。

 それに彼はこの世界で暮らしている人族だが、唯一亜人族を悪く言わない人間なのだ。亜人族を、他所から来た自分の視点だけじゃなく、この世界の者の視点から見た意見も聞きたい気持ちもある。


 しかし勇者といえど万能ではない。

 いや、もしかしたら勇者は万能なのかもしれない。

 しかしスイは、自分は万能ではないと思った。


 他人に執着、依存する事を極度に恐れ、故に孤独を求める。気が合い、友と呼んでくれるアランを、自身は友と認識しようとせず。それなのに正義感だけは一丁前で、迫害される者を同情し、お節介で動き、それで迷惑を被るミライアや王城の者に冷たく当たる。

 そうか、精霊が言った欠落勇者とは、まさに言い得ている。


 結局怠惰に埋もれて何もしない方が平和なのだ。いつか憧れた正義は、もうなくなってしまった。

 きっとここでアランの願いを叶える事、真実を知る為に彼方へ行く事が、アルバリウシスで生きる勇者スイにとって大事なのだろう。


 しかしどうやらそれは不可能。


 どうしようもない事は、どうもしなければ良い。どうにかしようとするから面倒なのだ。



 さて、それなら自分はどうにかしようとしているという事だろうか。スイはそこまで思い至り、静かに口を動かした。


 だってこんなに、本当に――


「めんどくさい――」




 スイの二度目の愚痴を聞いて、アランは諦めた。やはり勇者といえど思い通りに行動出来るはずが無い。勿論それは心得ていたし、アランとしてはこのまま王都やエドンシティを周るのも大事なことだ。きっと、今じゃなくてもスイは魔族と出会い、何かを見出すだろう。

 だから自身の我儘を謝ろうと顔を上げた時だった。


「……スイ?」


 呆れたように苦笑するスイは、ゆっくり首を振った。



「運命……信じるか信じないかは然程大事では無いが、有るか無いかと問われれば、どうやら有るのかもしれない」


 それはアランが初対面のスイに冗談交じりに問い掛けた内容だった。



独創魔法オリジナル――エアドーム」


 天に手をかざして詠唱したスイを中心に、アランを巻き込んで空気の幕が降りる。


 そしてスイは二人の光翼を消し、アランの手を引いて海に飛び込んだ――否、落ちた。


「うわぁぁぁああ!」



 空気のドームに包まれたまま、二人の躰は水に触れる事なく海底まで落ちた。


 スイは面倒だと言いながらも、どうにかして望みを叶えたかったのだ。

 そしてそれを叶えたのはやはり運命なのか、スイが無意識に封じている勇者の力なのか。

 都合良く創造された魔法は、スイの願いから生み出されたように、いつの間にか頭の片隅にあった。




「……兎も角、これで見つからずに海を越えられるな」


 アランは浮遊感の後に海底に足をついた時、漸くまともな思考ができるようになった。


「し、心中かと思ったよ……」


「そんなわけあるか」とスイはスタスタ歩き出す。そんな彼にアランも着いて行くのだが、その目は暗い海中をキョロキョロと興味深げに行き来する。


「……海って無限じゃなかったんだな」


 スイが出した『灯火』によって照らされる海底。

 ヒラヒラ泳ぐ魚。ゆらゆら揺れる海藻。

 海を無限だと勘違いしたアルバリウシスの人間にとって、ここは幻想的な世界だった。



「なあ、スイは容易く新世界に足を踏み出すよな……アルバリウシスは狭いか?」


「そうだな、海の外にはもっとたくさんの大陸があり、国があるかもしれん。俺がいた世界がそうだったからな……。気が向いたら冒険してみるのも悪く無いだろう」


 それは与太話のようだが、異世界から訪れた彼が言うのだ、本当にアルバリウシスはもっと広いのかもしれない。

 だが今は世界の広さを夢見ている場合では無いのだ。今住んでいる世界の問題を片付けねば、仮に海の外に人がいても、情けない国だと言われかねない。



 アランは気を引き締めて海上を仰ぎ見た。


「俺は覚悟出来てる」


 思いの外近かったが、この大陸に上がれば要塞都市フォートからも見えないだろう。そこまでの遠視能力があるのはスイか、もしくは魔法師ミライアくらいだろう。


 しかしそれは助けが来ない事と同義だ。

 やはり心の何処かで魔族に恐れている自分に、アランは喝を入れたのだ。


 そんなアランを見て、スイはニヤッと笑みを見せた――怠惰なスイが見せたこの表情は、アランにとってこの上なく不気味であった。


「では行こう。……巻き上げろ――トルネード」


 二人の足元に発生した暴風は竜巻となり、空気の膜ごと二人を押し上げる。


「うわぁぁぁああ!」


 目立ってはいけない事を考慮し、海面に飛沫を上げる事もない優しい着陸ではあったが、深い深い海底から高速で押し上げられたアランは少しの間目を回していた。



「お前の覚悟はそんなものか」


 やけに楽しそうなスイの言葉に反論する余力もなく、アランはゆっくり立ち上がる。

 悪戯勇者のせいで決まりの悪い幕開けになったが、遂に魔大陸にやって来た。


 二人の碧眼は真実を確かめるべく、遠くに見える村に向けられていた。

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