第一話 ラスタはふらふらと、小さな街を出る
僕が覚えている中で一番最初の記憶は、大きな手だ。
父さんに頭を撫でられた記憶。
父さんと母さんと、楽しそうな父さんの同僚に囲まれていたのを覚えている。
平和で、美味しい食事があって、温かな場所で眠りについていた、幸せな記憶。
「もっと勉強していればよかった」
いまさら遅いけれど。
最初の記憶からしばらくは、日常の思い出ばかりだ。
父さんから文字を教わって、「ラスタは天才だな!」なんて褒められて。
剣の才能はなかったみたいで、あの頃から運動はイマイチだった。
幸せな記憶が終わるのは、父さんが死んでからだ。
国境の砦に配属された兵士だった父さん。
父さんは隣国とのなんてことない小競り合いであっさり死んだ。
母さんが「じゃああの人の死は……ムダだったんですか」と嘆いていたのを覚えている。
もし僕の運命が違うものになっていたとしたら、この時だろう。
父さんの死を母さんに告げに来た隊長さんは、母さんにプロポーズした。
一緒に暮らしませんかって。
母さんは断った。
その先に待つのが、どれほどの苦難か知らなかったんだろう。
隊長さんは知っていたから言ってくれたんだろう。
「でも……父さんは、父さん一人だから」
僕は恨んでいない。
母さんのことも、一度で諦めた隊長さんも。
〈兵士の家族〉じゃなくなったお母さんと僕は、砦の宿舎を出ることになった。
お父さんの同僚や隊長さんからお見舞いをもらって、物資を運搬する馬車に乗せてもらって。
馬車にとっては「帰り」だからか、中は広くて干し草の匂いが残っていた。
それからは、ありふれた話だ。
当時まだ6歳の僕を連れて、住み込みで働ける場所なんてそうそうない。
僕を家に置いて、母さんひとりの稼ぎで養える仕事もなかったんだろう。
母さんと僕は、小さなこの街の宿屋で、住み込みで働きはじめた。
朝は早く、夜は遅く、力仕事も多い。
それに……。
給仕に出る母さんは、ときどきお客さんといなくなった。
僕にバレないようにしていたけど、会話を聞いていれば僕だってわかる。
これも
母さんはどんどん痩せていった。
僕は何もできなくて。
やがて宿屋でも働けなくなって、母さんと僕は貧民街で生活をはじめた。
あれを生活と呼べれば、だけど。
「情けないお母さんでごめんなさい。ラスタには自由で、平和な暮らしを送らせたかった」
お母さんが謝ることはない。
そんな暮らしは、どこにもないんだから。
でも、そんな簡単なことも伝えられない。
僕はもう、一人だから。
ありふれた話だ。
たぶん10歳の僕は、それから一人で貧民街で生活していた。
15歳になれば兵士になれるから、歳をごまかしてあと2年か3年経てば、と思ってたんだけど。
「てめえラスタ! 俺にウソの手紙を持たせやがったな!」
どうやら、それも無理そうだ。
僕はいま、貧民街の人たちに袋だたきにされている。
砦にいた頃に、まだ生きていた頃に、父さんに教わった文字。
僕は「代書屋」として小銭を稼いでいた。
代書屋といってもたいそうなものじゃなくて、兵隊が仕切る日雇い仕事に必要な「名前」と「いくつかの項目」を書くだけ。
今回、貧民の何人かが弾かれたらしい。
僕の代書のせいじゃなくて、不潔すぎたからだと思うんだけれど。
そんなことは関係ない。
ここでは、どっちが正しいかなんて関係ないから。
「いいかラスタ、追放だ! さっさとここを出て行きやがれ!」
予想通り、僕は貧民街を追放されるらしい。
行く当てなんかないけれど。
せめて15歳、いや、12歳になってれば、歳をごまかして兵士になるか、冒険者になる道もあったのに。
……街を出よう。
この小さな街には、身寄りがない僕を雇ってくれる人はいない。
引退した兵士やケガをした兵士、兵士の家族、信頼できる働き手は豊富な街だから。
もしこの街に来る前に、母さんが父さんの同僚や隊長さんに後ろ盾になってもらってたら。
いまさら言ってもしょうがない。
貧民街を追い出されたら、お金がない僕が住める場所はない。
街中の暗がりやゴミ置き場も墓場も、貧民たちの縄張りがあるから。
モンスターがいて、盗賊もいる「街の外」は危ないってわかってるけれど。
どうせこの街にいても、死ぬだけだから。
ありふれた話だ。
身寄りをなくし、行く当てがない貧民が、ただなんとなく王都を目指すことなど。
一番大きな街に行けば、なんとかなるんじゃないかと思って。
あるいは、心のどこかで、死に場所を探していたんだろう。
僕は小さな街を出た。
身よりもお金もなく、何かを求めることもなく。
あの頃の僕は、10歳のラスタは、死ぬことを望んでいたのかもしれない。
不自由で危険な、この世界で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます