うさぎは、うさぎで

 あれから、私はうさぎだ、という自覚ができた。前にもその自覚はあったけど、これでほんとうに覚悟ができたつもりだ。


 うさぎは、うさぎ。

 うさぎは人間と対等な立場でない。

 うさぎは人間と恋愛できない。


 だって、うさぎは動物だから――。




 失恋したからって、演技に手を抜くことはしない。逆に、気を紛らわすのに演技はもってこいだった。


 きょうもトランポリンの上で私はくるくると回り、営業用の笑顔でひらひらと客席に向かって前足を振る。慣れたものだ。

 もう、ルズランと会わなくなってから一ヶ月が経っている。彼はきっと、結婚していることだろう。そして、結婚相手と幸せに暮らしていることだろう……。


 私は斜めに跳んで、きゃっきゃとはしゃぐ子どもたちに向かって前足を振った。無邪気で、可愛らしい子どもたちだ。

 ルズランの子どもも、きっと可愛いんだろうな……。

 ああ、いけないいけない、と私は自分をいましめる。ここ一ヶ月、なにかとルズランのことを考えてしまう。考えたって、いまさら仕方ないのに。


 今度は、空中で三回転する。おぉっと客席から歓声があがる。私は相変わらずの笑顔で、今度は両前足を振って見せる。

 そう言えばルズランは、この演技を褒めてくれたんだっけな……。

 そう思ったらせつなくなって、いよいよ気が逸れた。視線が一瞬だけうつむき、客席の中心ではなく、客席の柱が目に入る。



 そのとき、柱の陰に人影が見えた。

 見覚えのある、シルエットだった。ダークブラウンの髪、大ぶりなシルクハット――。



 ――ルズラン――?



 私はいけないと思いつつ、演技中何回も柱のほうを見てしまった。

 間違いない。シルクハットを深くかぶっているけど、ルズランだ。



 ――なんで――?

 なんで、いまさら来たりするの?

 私は、あなたを忘れようと必死になっているというのに……。



 ルズランは柱にもたれかかり、腕を組んで私だけをじっと見つめている。

 私も、空中からルズランをじっと見つめる。

 視線が、合った。

 ルズランはシルクハットを外した。

 そして、ゆっくりと、ルズラン自身が確かめるかのように。

 口の大きな動きで、こう、言った。



『みまもるよ』



 ――ルズラン!


 私はいますぐにでも、その胸に飛び込みたかった。でも、それはかなわない。なぜなら――。


 私は、ルズランの指にきらりと光る指輪を見つけてしまっているからだ。以前はしていなかった、指輪。サーカスの光を、これでもかってくらいに反射している。


 きれいな結婚指輪だと、思った。

 私は、ルズランに向けて口を動かす。


『がんばるよ』


 これが、私の第一の返事――。



「あ、いま、なんかうさちゃんが言ったよ!」

「えー? 気のせいでしょ? だって、うさぎだよ?」

「ううん、ほんとに言ったもん!」

「うさぎなのにー?」


 お客さまに、いろいろと言われてしまった。ルズランも私も、そっと苦笑する。



 そうだ、どこに行っても、動物扱いされる私。それは仕方のないことだ、だって耳と尻尾と肉球があるのだから。


 でも、ひどい扱いを受けるときは、さすがにつらい。たとえば、団長に鞭を受けたりとか。毎夜毎夜檻に閉じ込められたりとか。


 そんななかで、めいっぱい私を可愛がってくれたルズラン。半動物は、動物とみなすこの風潮のなか。半動物相手に、なるべく対等な目線で、話そうとしてくれたルズラン。

 そんなひとには、きっとなかなか出会えないだろう。



 いや、ルズランは、この世界にひとりだけ。

 だから私はルズランの思い出を、あくまでうつくしくとっておこう――。


 ルズランのことが、好きだから。ううん、好きだったから。



 だから、私はルズランに向かって、もう一回言ったのだ。



『さようなら』


 これが、私の第二の返事――。


 ルズランは、目を見開いた。

 私はせつなく笑って、でもその直後、営業用の笑顔に戻す。




 涙がひとすじ頬をつたっているのが、お客さまにばれていないといいなと思った。





(おわり)

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うさぎは、選ぶ。 柳なつき @natsuki0710

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