第二十話 山猪狩り

「本日の校外演習は、山猪やまじし狩りである!」


 それを聞いた瞬間、第一大隊の学生たちの間にげえ〜っという嘆きが広がった。

 だが、それも一瞬のこと。壇上の教官にギロリと睨まれ、ピタリと口をつぐんだ。皆も薄々気が付いていたのだろう。この時期に、山用の装備をして集合と言われた時に。


 山猪は、秋の収穫の時期に活動が活発になる妖だ。山から人里に降り、農作物を荒らすのは、普通の猪と同じなのだが、その毛皮が恐ろしく硬いという特徴を持つ。

 農民が持っている鋤や鍬はもちろん、生半なまなかな刀では、その身に傷の一つもつけられらない。


 なら、どうするのか。己が武器に術を纏わせ、その術の力で断ち切るのだ。


 つまり、山猪と相対している間、常に少量といえど、術力を出し続けなければならない。それが地味に疲れるので、学生には敬遠されている。

 また、厄介な事に、鋭い牙も持っている。その上、その突撃力も侮れたものではない。油断していたら、やられるのはこちらの方になってしまう。

 だが、文句を言っても始まらない。農家出身の学生の中には、山猪に困らせられたことのない者はいない。田舎では、山猪が原因で、食うに困り、子供を売る家庭まであると聞く。

 退治できる者が、率先して退治すべき妖と言えた。


 皆、それを知っているから、意気揚々とまではいかなくとも、それなりにやる気を持って山猪が出るという山へと向かった。


  ◇ ◇ ◇


 都を後にし、更に進むと、周囲に建物はなくなり、のどかな田園風景が広がってきた。風に揺れる稲穂は、そのこうべを垂れ始めている。今年の夏は暑かったが、雨も多く、十分な収穫が期待できそうだ。


「いい校外実習日和だな」

「そうだな〜」

「勇輝は疲れていないか?」

「始まってもいないのに、どうやって疲れるんだよ」


 楓の言葉に、勇輝は空を見上げながら答えた。

 空は澄んで高く、日はぽかぽかと暖かいのに、吹く風はひんやりと気持ちがいい。

 もうすぐすれば、この風の冷たさに太陽も負け、冬が訪れるだろうが、それはまだまだ先のように思えた。


 校外演習は、大隊単位で行われる。

 小隊を構成するのは四人。その小隊四つで中隊となし、中隊四つで大隊となる。そこに引率の教官や補給部隊も加えれば、八十からなる大所帯が移動していることになる。


 小隊は、何をするのにも基本の最小単位であるから、伊吹隊の四人も前後二列になって歩いていた。

 前列に斥候もできる勇輝と、壁役の大輝。後列に伊吹と楓、というのは、この小隊の行進時の基本の陣形だった。


 大輝が、くるりと後ろを振り返って言った。


「な〜、楓。賭けしようぜ、賭け」

「はぁ? 演習だぞ。くだらんことを言うな」


 評価に関わることに対しては真面目な楓が、一蹴する。

 だが、大輝には器用に後ろ向きに歩きながら、にやにやと笑った。


「坊ちゃんさ〜、最近、勇輝に付き纏いすぎなんだよ。俺が勝ったら、くだらねーことでいちいち勇輝を呼び出すのをやめろよ」


 大輝の顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。賭けは口実。その裏で、自分の力を見せつけ、勇輝への付き纏いをやめさせるのが目的なのだとわかる。その挑発に、やすやすと楓は乗った。


「……ほう。なら、俺が勝ったら、その過保護を何とかするか?」

「おい! 人を勝手に賭けの対象にするなよ!」


 勇輝が当然の抗議の声を上げたが、二人は聞いていなかった。


「いいぜ。ヤワな坊ちゃんが、持久戦で俺に勝てるんならな」

「力でねじ伏せることしか知らぬ犬に、人間様の術の使い方というものを教えてやろう」


 バチバチと火花を散らす二人の耳に、勇輝の抗議の声も、伊吹のたしなめる声も届かなかった。


  ◇ ◇ ◇


「よ〜し、到着だ。……揃え!」


 教師の号令に、学生達はざっと動いて大隊陣形をとった。

 周りからは、流石、渾天院の精鋭達、と見えただろうが、ここで少しでも遅れようものなら、罰が避けられない学生達は、必死だった。

 教師は、滞りなく大隊陣形が取られたのを見ると、よく通る声で指示を出した。


「これから、各々小隊単位で入って行動してもらう。対象は山猪。見つけ次第、駆除するように。一刻後にここに集合。昼休憩のちに、再度山狩りだ。今日は長丁場になる。体力は温存しろよ」

「はい!」


 学生たちが唱和する。


「装備を確認した小隊から、山に行け。開始!」

「はい!」


 開始の合図を契機に、それぞれが自分の装備の確認をしだす。

 勇輝も、防具の留め具を確認すると、手早く愛用の大弓の弦を絞った。

 びぃん、と爪弾いて、調子を確かめる。今日はかなり機嫌がいいようだ。


 準備が終わると、誰からともなく、円陣を組んだ。

 お互いの調子を顔を付き合わせて確かめる。


 血気盛んな大輝の顔、自信に満ち溢れた楓の顔、そして、いつも通り落ち着いている伊吹の顔。


 これが伊吹隊の『いつも』だ。


 どの顔にも怯えはなく、活力に満ちていた。

 伊吹は、皆に視線を合わすと、にっこり微笑んだ。


「伊吹隊、出陣します!」


 高らかに宣言して、山へと入って行く。

 校外演習の開始である。


  ◇ ◇ ◇


「二匹目、いただき!」


 大輝がそう叫んで、気合とともに大太刀を振り下ろす。

 大太刀は、山猪の首筋に吸い込まれていき、そこから血を噴き出させた。

 大輝の身長の半分ほどの大きさの山猪は、哀れな断末魔をあげながら、どうと倒れる。

 大輝が、大太刀を血振りすると、そこに付いていた血とも泥ともつかない山猪の体液がびちゃっという音とともに地面を汚す。


 その姿を少し離れたところから見ていた楓は、小声で悪態をついた。

 自分が、何度も切りつけてやっと倒した山猪を、一太刀とは。

 大輝の膂力りょりょくには、一目置かざるを得ない。


 だが、そんな二人に注意が飛ぶ。


「二人とも。はやるのはいいですが、無茶はしないでください」


 今回、出番のなかった伊吹が、呆れたような、困ったような表情で二人を見ていた。

 その後ろでは、勇輝が最初にたおされた山猪をずるずると引っ張ってこちらへ向かっていた。


「大輝! そいつ、こっちに持ってきて!」


 弛緩した肉の重さに、ひぃこら言っている勇輝を、伊吹が慌てて手伝った。

 一方の大輝は、苦もなく二匹目を楓がたおしたものの近くまで運ぶ。




 山狩りを開始して程なく。発見した三匹の山猪を四人はあっけないほど簡単に討伐した。そもそも、牙にさえ気をつけていれば、斃すのは容易なのだ。ただ、数が多いので、渾天院の学生たちが駆り出されているにすぎない。


 楓たちは、三匹の躯を集めると、その前で神妙な顔をして並んだ。

 勇輝は三人の一歩前に出ると、綺麗に二拝した。


「掛巻くも畏き建速須佐之男命御前に恐み恐みも白さく――」


 そして、勇輝が三匹の魂が迷わないように祭詞を奏上する。


 人でも動物でも妖でも、死ねば同じ御霊になる。そこに優劣はない。

 ただ、剣を持つ者として、その御霊が迷わないように、こうやって祈るのは当然だった。


 皆、神妙な顔をして祭詞を聞いていたが、終わった途端、ぱっと大輝が明るい声をあげた。


「よっしゃ。次行こうぜ!」


 切り替えの早さは、彼の美点だ。奪った命に敬意を払いながら、それを引きずらない。それも戦う者として当然のことだったからだ。


 その声に楓が反応する。


「張り切りすぎて、バテても知らんぞ」

「あいにく、お前と基礎体力が違うからな」


 そう言って、大輝は身軽に山の斜面を登って行った。しかし。


「大輝! 一人で先行しない! 先頭は勇輝だ。戻ってきなさい」


 伊吹の命令に、大輝はおとなしく戻ってきた。


 いつだって、彼らの頭は伊吹なのだ。その伊吹に逆らうようでは、この隊にいる資格がない。

 勝手な賭けを始めて逸る二人は、うまく伊吹と勇輝に手綱を取られながらも、次々と戦果を上げていった。


  ◇ ◇ ◇


「お、炊き出しがある!」


 山を下ってきた一同の鼻に、味噌汁のいい匂いが届いた。それをくんくんと嗅いで、大輝は嬉しそうな声を出す。


「ふん。鼻が利くところはまるで犬だな」


 その後ろから、楓が不機嫌に吐き捨てた。だが、そんなことで大輝のご機嫌は損なわれなかった。ニヤニヤ笑いながら、楓の肩を抱く。


「坊ちゃん、負けてるからって、そんな不機嫌になるなよ」

「まだ負けとらん! すぐ追いつくからな!」


 バシッと手が払いのけられたが、それも負けている者の焦りと思えば苛つかない。


 午前中の成績は、大輝が七、楓が五と、大輝優勢だった。

 大輝は、今日、調子が良かった。多くても二太刀、ともすれば一刀両断に山猪を狩っていた。一方の楓は、力が足りず、どうしても数度切り結ぶ必要があった。その差が、少しずつ出た結果だった。

 そして、楓がもたもたしているうちに、勇輝が仕留めることもあった。


「俺も、なんだかんだ言って、四匹やっつけたよ。このままだと楓抜くかな〜」


 そう勇輝が揶揄うと、楓にぎろりと睨まれてしまった。


「お前はそれでいいのか!」


 勇輝はそれに関して、笑顔は浮かべども、発言は控えた。

 その横で、ひぃふぅ、と数を数えていた伊吹が心配そうに呟いた。


「私の分も入れて、十八、ですか。例年より、多いような気がしますね……」

「二人が馬鹿なことで競っているからじゃ?」

 伊吹の心配に、勇輝は一番ありうる仮説を唱えた。


「だといいんですが……」

 それでも心配そうな伊吹に、大輝は力強く笑いかける。


「先輩、少ないのはともかく、多い分には喜びましょうよ。一匹でも多く仕留めたら、この辺の農家に出る被害はグンと減るんっすから」


 その大輝の笑顔に、伊吹は励まされたようだ。


「……そう、だね。うん、そうだ。多い分には大丈夫か。君達も頑張っているんだし」


 そう、自分を納得させるようにうんうん頷く。




「――半分くらい戻ってきているようですね」


 集合地点の空き地を見ながら、勇輝が呟いた。

 そこには、味噌汁と握り飯を持った学生たちが思い思いに昼食を取っていた。

 勇輝たちも椀に汁を注いでもらい、握り飯を受け取ると、空いている一角に腰を下ろした。


「なんだかんだと疲れますね〜」

 腰を下ろすなり、がつがつと握り飯を食べ始めた大輝を横目に、勇輝は防具の紐を緩めた。締め付けられていた肉体が、ほっと緩む。


「そうですね」

 と答える伊吹も、肩を回している。足場の悪い山の中、妖を追いながらの行軍は、気力・体力ともにすり減らされる。ようやく安全な場所に帰ってこられたことに、二人とも息をついた。


「おれ、飯もう一個もらってくるわ」

 そんな二人の疲労に構わず、大輝はさっさと食べ終えるとお代わりをしに立った。


「餓鬼か、あいつは」

 と楓は言うが、神人は体が資本だ。食べられなければ始まらない。

 楓も、上品に握り飯を口に押し込むと、おかわりをしに立った。


「あの二人、本当によく食べますね」

「我々も、負けてはいられないね」

「いや、あれには負けてもいいんじゃないでしょうか」

 一個、と言いながら、三つの握り飯を抱えて帰ってきた大輝に、勇輝から呆れた声が漏れた。


  ◇ ◇ ◇


「昼からはどうしましょうか」


 ご飯を食べ、休息をとった四人は、地図を囲んで昼からについて相談を始めた。


「朝と同じ方角で、もう少し上の方まで登ってみましょうか」

 朝のうちだけで十八匹狩れたのだ。こちらの方に、多く生息しているのかもしれない、との推測の上、伊吹が言った。


 だが、それに勇輝は渋い顔をした。


「うぅ……ん。あの、昼はこっちの方へ行ってみませんか」


 勇輝の指先が指したのは、朝とは反対の方向だった。


「山を降りている最中に、なんか呼ばれた気がしたんですよね」


 その言葉を聞いて、伊吹の顔が引き締まった。


「それは、……『神託』?」

「いや、そこまではっきりしたものじゃないんですけど」


 神託とは、神職にあるものが神から受け取る伝言のことである。

 勇輝は今までにも何回か神託が下されたことがあった。

 だが、今回はそこまではっきりしたものではないらしい。ただ引っ掛かる程度なので、山を下っているときも何も言わなかったそうだ。


「神託じゃないにしても、勇輝が呼ばれた感じがするなら、行ってみようか」

「あの、何にもなかったら、すみません」

「お前が呼ばれて、なんもねーってこたぁねーって」

 と大輝が勇輝の代わりに安請け合いをする。


 そんなことを話していると、楓が、教官達の様子がおかしいのに気がついた。


「――伊吹兄様」


 そう言って、伊吹の注意を引くと、視線の先には険しい顔をした教官達が集まっていた。


「……何かあったのかな」


 表情を引き締めた伊吹が立ち上がった。

 彼らの中で、教師陣の話に口を出せる者は、大隊長の資格を持つ伊吹以外にいない。

 伊吹の背を見送りながら、三人はいつでも出立できるように装備をあらためることにした。


 しばらくして帰ってきた伊吹は、渋い顔つきだった。


「どうやら、帰ってきていない小隊がいるらしい」

「迷子っすか?」

「……だといいんだけどね」


 そう言って、伊吹は広げたままの地図をつい、と指差した。


「彼らが向かったのは、ここ。ここに行った二個小隊が、まだ帰還していないそうだ」


 彼が指差したのは、先ほど勇輝が呼ばれていると感じたところだった。

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