第十九話 勇輝の覚悟

 すぅ、と息が吸われ、ふう〜〜〜〜と吐き出される。


 その吐き出した息に煙が乗って、勇輝の顔まで届いたが、勇輝は文句一つ言えなかった。


「……ここは、待合茶屋じゃないんだけどねぇ」


 勇輝の正面に座った遊女が、脇息きょうそくにもたれながら気だるげに煙草をふかしていた。

 夜にはきっちりまとめられる黒髪を、今はだらりと流し、着物は下品にならない程度に着崩されている。昼なお色気のある彼女が、勇輝の荷物の届け先、夕霧だった。


「すみません」


 対する勇輝は、彼女の正面で正座をしていた。その顔には『反省』の文字がでかでかと書かれていた。

 それもそうだろう。「使っていい」と言われたとはいえ、他所様よそさまの店を実際使う馬鹿がどこにいると言うのだ。

 確かに、夕霧の支度が整うまでは手持ち無沙汰だった。だが、人待ちの時にしていい行為と悪い行為がある。それくらい、勇輝だってわかる。


 ――楓はわからないのか、わかっていて気にしていないのか。


 一仕事終えた楓は、その身にだらし無く上着を引っ掛けて、俺はこの部屋で待っている、と勇輝だけを送り出した。

 きっと、今頃、姐さんがたに囲まれて、根掘り葉掘り聞かれていることだろう。どんな話がされているのか。それを考えるだけで、勇輝の胃はキリキリと痛んだ。


「まぁ? あんたが今住んでいるところは渾天院だし? い人と? イイことしたくなっちゃう? そんな気持ちもわかるし? 渾天院の外出たら? 羽目外しちゃうのも……わかるけど、さぁ」


 いちいち確認するように語尾を上げられて、勇輝は穴があったら入りたくなった。


「違うんです。あの子は別にい人ってわけじゃ……」

「あんなにイイ声で鳴いて、腰振ってたのに?」


 どこまで知られてるんだ、と勇輝の顔が真っ赤になる。

 部屋と廊下を仕切るのは、襖一枚。そこに錠などあろうはずもない。

 勇輝は夢中で気がつかなかったが、楓は人の気配に気が付いていたようだ。その上で、あのやりたい放題。外の姐さん方に見せつけるためだったとしか思えなかった。


「顔を見たら、かわいいお坊ちゃんにしか見えないのにねぇ。意外だわ」


 夕霧の言葉に、ずきりと勇輝の胸が痛む。


「あの子は、子供ですよ」


 吐き捨てるように言った勇輝の頭に、コツンと小さな衝撃。目を上げると、夕霧の煙管が離れて行くところだった。

 そして、それを一口吸って、ふうっと美味そうに煙を吐き出す。


「……何言ってんだい。精通があって、女のよろこばし方を知ってる奴が、子供なもんかい。ナリに惑わされるんじゃないよ。それはあんたが一番よく知ってるだろ、で」


 ちらりと流し見られた勇輝の下半身は、まだ楓の甘く痺れるような感触が残っていた。

 その感触を意識した瞬間、とろりと蜜が溢れる感触がして、慌てて頭を振って意識を散らした。


「ああいう輩が、一番、厄介なんだ。子供の武器と男の武器をうまぁく使い分けるからね」

 用心しなさいよ、と言われて、心当たりのある勇輝は、はい、と頷くしかなかった。


「――それで? 今日はあんたの好い人とヤリにきたわけじゃないんだろ?」


 そう問われて、勇輝は慌てて荷物を差し出した。


「注文の品です」

「ありがと」


 夕霧は、受け取った品をあらためると、満足そうに微笑んだ。


「お代は? いつも通りでいいのかしら」

「いや、お代は……迷惑料ということで」

「あらぁ。いいのかい? 悪いわね」


 そう大仰に驚いてみせるが、その奥に当然と言った響きも隠せなかった。

 勇輝にとっても、譲ってしまうのは手痛い出費だが、商売には信用というものがある。それがあがなえるなら、これくらい安いものだ。


 それに、勇輝はもう一つ、夕霧に用事があった。


 ぷかーっと煙を吐く夕霧に、勇輝は言いにくそうに付け加えた。


「それと、あの……余ってたらでいいんで、譲って欲しいものが一つ……」

「おや。あんたがそんなことを言うなんて。ここにあんたにあげられるもんなんてあったかしら」


 だが、勇輝が口にした物の名前を聞くと、心底呆れたような声を出した。


「あんた……何やってんだい」

「すみません」

「それは、あの子とのかい?」

「そうです」

「もう、決定なのかい?」

「いえ。でも、用心のために」


「はぁ〜。……好い人ってわけでもないんだろ? でも、あんたが商売ばいしゅんを始めたとも思えないし。本当に何やってんだい」


 自分でも、馬鹿なことをやっていると言う自覚のある勇輝は、何も言えなくなった。


 一度目は、向こうの暴力と言い張れた。だが、今日は?

 楓に流され、快感に流され、拒絶しきれなかった。あまつさえ、もっともっとと求めてしまった。どれもこれも、年長者である自分の落ち度だ。

 あってはならなかった二度目を迎え、勇輝は何の申し開きもできなかった。


 黙り込んだ勇輝に、夕霧は小さな紙包みを差し出した。


「ほら、これ。飲んだ者の体にも影響は出るから、飲む前によく考えなさいよ」


 飲むな、とは言わないのは、彼女もよく知っているからだろう。

 これを飲まざるを得ない状況というものがある、ということを。


「ありがとうございます」


 勇輝はそれを受け取ると、大切に懐にしまい込んだ。




 誰にも知られてはいけない。知らせるつもりはない。

 決断するなら、自分一人で決める。


 勇輝が受け取った物。それは子供を堕ろす薬だった。

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