第十八話 百華楼(わさび控えめ)

「……ここは、旅館か何かか?」


 楓が興味深そうに、部屋を見渡しながら言った。

 中央に敷かれた夜具。その枕元に置かれた道具箱。

 障子紙が貼られた窓から外の光が入ってくるが、どこか淫靡な夜の雰囲気が残る部屋だった。


 よりにもよって、支度の整った部屋に案内するとは。

 使もいいのよぉ、と言葉を残して去っていたあたり、完全に揶揄からかわれているとしか思えなかった。


「まぁ、そんなものかな」

「……ふ〜ん」


 勇輝は言葉を濁して、荷物を下ろした。


「楓も、ちょっとくつろいでいていいよ。ここは大丈夫だから」


 そう言って、枕元へ行くと、ほら、刀も、と楓がいていた太刀を刀掛けへと丁寧に納めた。

 しかし、それですることがなくなってしまった。

 二人の間に沈黙が落ちる。勇輝は、ここで夜、男女が何をするか知っているので、非常に気まずかった。楓が、この部屋の用途を知らないのが救いか。




 そんなことを考えていたので、楓がにじり寄って来たのに気がつかなかった。


「ゆ〜うき」


 がばっと抱きつかれて、持ちこたえられずにズルズルと畳の上に押し倒されてしまう。


「ちょ、楓!」

「やっと二人きりになれたな。渾天院にいたら、大輝やら青羽やらが邪魔でかなわん」


 そう言って、楓は勇輝の腹に抱きついて、気持ち良さそうに頬ずりをする。

 一瞬、焦った勇輝だったが、その様子を見て、襲うわけではないのか、と安心した。


 胸の大きくない勇輝は、腹の方が気持ちがいいのだろうか。楓は勇輝の腹に耳をくっつけて、幸せそうにしていた。

 それを見て、かわいいな、と思う。そして、それ以上に、心が温かくなる。

 その気持ちに名前をつけたいが、つけたら駄目だ、と勇輝の冷静な部分が指摘する。

 名前を付けたら、引き返せなくなるからだ。付けても苦しいだけなら、わからないふりをしていた方がずっとマシだ。


 勇輝は、ただぽかぽかする胸のうちに従って、楓の髪をいてやった。

 サラサラとした手触りの真黒い髪が、勇輝の指を流れていく。

 こうやって勇輝に甘えてくる楓は、年相応の子供に見えた。勇輝に弟はいないが、孤児生活の時、小さい子供の面倒を見てやったことがある。その頃のことが思い出された。


 しばらくそうやって、ごろごろした後、楓は顔を上げて勇輝に尋ねた。


「――最近、体の調子が優れないのか? 浮かない顔をしているだろう」


 その心配が本物であることが感じられて、勇輝は「原因はお前だよ!」と言う言葉をすんでのところで飲み込んだ。代わりに、

「ちょっと、微熱っぽくてね」

 と別の理由を言った。微熱っぽいのも本当なので、嘘ではない。


 楓の手が、額に伸びて来て、熱を測る。

「微熱……っぽいか? そう言われれば、そんな感じも……」

 だが、よくわからなかったのだろう。ごしょごしょと言葉を濁した。


「ははは。微熱だから、わからないと思うよ」

 勇輝は笑ってしまったが、楓の気遣いを嬉しく思った。


 高飛車な言動のせいで誤解されがちだが、楓は気遣いができないわけではないことを勇輝は知っている。ただ、それがわかりにくいだけだ。


「……あぁ、そうだ。熱の時は、首も熱を持つだろう。こっちはどうだ?」

「……んっ」


 首筋に、ひやりとした楓の手が伸びて来て、勇輝は思わず息を飲んだ。

 するりと撫でられる手の動きとのしかかる楓の重さに、否が応でもあの夜のことを思い出してしまう。


 暗い部屋、焚き染められた香。勇輝の身体を蹂躙する手、荒い男の息遣い。


 あの夜、勇輝は自分でも知らなかった『イイ所』を、楓と朧によって次々と暴かれてしまった。

 首もその一つだった。あの夜、教え込まれた通りに、ぶるりと身体が反応する。


 ――なんで、こんな……。


 浅ましいと、思う。情けない、と自分に落胆する。

 尊厳を踏みにじられ、いいように『使われた』だけなのに。

 まるで、その熱をもう一度、欲しがるかのように反応してしまう身体に、失望する。


 反応したことが伝わっていないか確認したくて、チラリを楓を見ると、無表情で勇輝を見下ろしていた。その気配に、息を飲む。


 僕の上にいるのは、誰だ……?


「……楓、ちょっと重いから、退い……うあ!?」


 べろり、と首筋を舐められて、今度ははっきりとした声が出る。


「ちょ、かえ、で、まっ……」

「今のはお前が悪い」


 つう、っと首筋がなめられて、ぞくぞくとした感覚が背骨を駆け上がる。

 その感覚が、体の奥底に埋めていたものに火を付けた。

 簡単に火がつく身体に、情けなくて涙が出る。

 楓は勇輝の反応を引き出すようにペロペロと首筋を舐めた。


「もう、ちょっと……! だめだってッ!」


 首筋に吸い付いてくる楓を、半ば無理やり引き剥がす。

 楓から解放された勇輝は、ぐったりと畳の上にその体を投げ出して、荒い息を繰り返した。

 はぁはぁと息をしながら、それでも楓を睨みつける。


「……満足したか? もう、どけ。終わりだ」

「何を言っている。屋敷から帰って来てからこっち、ずっと我慢のしっぱなしなんだ。そろそろ限界だ」


 そう言って擦り付けられた下半身は、服越しでもわかるほど熱を持っていた。

 じわ、とその熱が、勇輝にも伝わる。だが、勇輝は年長者としての威厳を忘れていなかった。


「楓! ここはよそ様のお店だぞ!」

「ここは、をする店じゃないのか? それに……」


 そこでチラリと顔を上げると、ニヤッと笑ってまた勇輝を見た。



「何を……!」


 なおも言い募ろうとした口が塞がれた。勇輝は反射的に瞳を閉じた。


 一度、その味を知ってしまった身体は、正直だった。

 安心させるように体を撫でる指に、抗えない。

 息をするたびに、切ないため息が交じる。

 楓の動きが、あの夜の快感を思い出せと勇輝を追い詰めていく。


 このまま流されたら……。


 舌を噛まれる甘い刺激に、声を漏らしたら、満足したのか、楓が口を離した。

 そして、止める間も無く、腰帯がシュッと解かれる。


「楓! 待って! 本当にダメだ!」

「……ダメ? どうして」


 不満そうな口調で言い、腰を擦り付けてくる楓に、期待している自分がいることを勇輝は感じていた。

 それを自覚しながらも、それでも、まだかろうじて残っていた理性で抵抗する。

 こんな所で、流されてはいけない。そう思って、口にする。


「だって、僕達、先輩と後輩じゃないか……!」

「だった、だろ? 今はもう俺のものだ」


「僕は楓のものじゃない!」


 反射的に叫び返した瞬間、楓の目がすがめられた。冷ややかな怒りが伝わって来て、勇輝は怖気付いたが、負けてられないと、キッと睨み返す。


「僕は楓の先輩だ。同じ伊吹隊の隊員だ。それ以上でも、以下でもない」


「……あの夜のことを忘れたのか。自分から、俺のが欲しいと強請ねだってきたくせに」


「それは――」


 あの夜のことを持ち出されると、勇輝のほうが分が悪い。最初は強要されたこととて、最後には、自分から何度も楓を求める言葉を発したのだから。


 それでも、勇輝は、

「あの夜のことは、もう、忘れよう。僕も忘れる」

 と言った。楓の目を見て話すのが辛く、視線が窓のほうへ流れていく。


「僕は、伊吹隊の隊員でいたいんだ。身分に関係なく、部隊に引き入れてくれた先輩に恩返ししなきゃ。それに、先輩が僕たちにしてくれたように、僕も楓の先輩として、お前にいろんなことを教えてやりたい」


「お前に習う事など、ない」


 その言葉に、ずきりと胸が痛んだ。

 窓から見える景色は、お天道様に照らされて、輝いていた。夜はまだ来ない。はずなのに、どうしてこの部屋はこんなにも暗いのだろう。


「――って言うと思った。いいんだ。これは、僕の自己満足だから。どうせ、楓は、先輩が卒業したら、近習の人達と自分の隊を作るだろ。そしたら、その後は、僕は僕達みたいな在野出身の後輩たちと隊を組んで、先輩から習った事、伝えられたらなぁって……」


 その瞬間、グイッと顎を掴まれ、無理やり楓の方を向かされた。


「お前は、俺とのことを忘れて、俺から離れて、他の奴に何を教えるつもりだ」


 いつの間にか、楓の目はぎらぎらと燃えていた。欲情と、それを超える怒りで。


 がばっと勇輝の着物の前が広げられる。露わになった肌は白く、あの夜の痕跡はもう薄くなっていた。

 それを冷めた視線で見下ろした楓は、言った。


「忘れると言うなら、もう一度この身に思い出させてやる。それでも忘れたいと言うなら、忘れられないようにこの身に刻んでやる――」


 勇輝に馬乗りになっているは、かわいい後輩の楓ではなかった。あの夜、勇輝を凌辱した一匹の雄だった。


「――お前が、誰のものか、な。躾直しだ」


 ぺろりと舐められたところから、あの夜の香の匂いが漂って来た。

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