第二十一話 捜索

 あっと、小さな声を上げて、勇輝がたたらを踏んだ。


「大丈夫か?」

 それに、甲斐甲斐しく楓が声をかける。


「大丈夫。少しつまずいただけ」

 そう言って、進行方向を見つける勇輝は、少し焦っているようだった。


「勇輝、焦るのはわかるが、辛いのなら無理をするな。体は大切にしろ」


 楓が勇輝にそう声をかけるのを聞いて、伊吹は目を見張った。

 言葉は悪いが、が。傲慢で、我儘で、尊大な楓が、他者を思いやる言葉をかけたのだ。


 それは大輝も同様だったらしく、伊吹をちらりと見た。

 それに頷き返す伊吹。


 伊吹は楓に相手を尊重しなさい、と言い続けてきた。それが楓にようやく届いたことを感じ、伊吹は嬉しくなった。


「勇輝。焦んな。小隊の奴らは、大丈夫だって」


 大輝が焦る勇輝の腕をとった。それに合わせて、歩みを止める勇輝。


「う〜〜ん。焦ってるんじゃなくてさ。なんか、こう……、声が、すごくうるさいんだよね」

 勇輝が頭を振りながら答えた。


「カミサマか?」

「うん。なんか、今日はご機嫌みたい」

「……それで俺も調子がいいのかな」


 勇輝は、八百万の神々と交信するのが非常に上手い。その力は、神道系の修行を始める前から、つまり子供の時から勇輝の身の内にあった。本人曰く、僕のカミサマは戦が好きで、戦っている最中にあれこれ教えてくれるらしい。


 その恩恵は、特に『双子』としてえにしのある大輝に出やすかった。

 彼がどんな無茶をしても、勇輝は必ずここぞという時に支援をくれる。それは勇輝自身の力もあるが、カミサマの力も大きい。


「勇輝。一旦、休みましょう。斥候の集中力が切れるのが一番まずい」


 伊吹の指示が出て、四人は周りを警戒しながら順繰りに休息をとった。


「――勇輝。これも腹に入れておけ」


 楓が偉そうな物言いで、勇輝に小さな包みを手渡した。

 そこには、砂糖漬けにした果物が入っていた。


「いいのか?」


 勇輝が目を丸くして問う。

 砂糖は高級品だ。少量なれど、こんな貴重なものを分けてもらえるとは。


「構わん。甘い物は、疲労に効くという。皆の分もあるから、気にせず食え」

「……ありがとう」


 勇輝が、砂糖漬けの果物以上のものを受け取ったように、丁寧にお礼を言った。




 はにかみながらお菓子を受け取る勇輝は、年相応の少女に見えた。

 それを見つめる楓は、逆に大人びて見えた。


 口調こそ尊大だが、楓は変わろうとしている。いや、変わってきている。

 そして、その想いを受けて勇輝も変わり始めている。

 始まりこそ最悪だったが、それを最悪なだけで終わらせまいとしている二人を見て、伊吹は自分が間違っていなかったことを確信した。


 ほとんど泣き落としで大輝から手に入れた機会。

 楓に変わってほしいと思いながらも、変われるだろうか、という不安があった。


 そんな過去の自分に言ってやりたい。

 心配しなくてもいいと。自分が弟と認めた人物は、間違いは犯せど、それを反省し、次に活かせる人物だと。

 犯した過ちは消すことはできない。だが、真摯に償うことはできる。


 伊吹は、楓のこれらの行動が、償いから来ているものだと解釈し、勇輝の傷が少しでも癒えることを願った。

 楓に分けてもらったお菓子は、甘く、優しく、疲れた体に染み込んでいった。


  ◇ ◇ ◇


 休憩を終え、さらに山を分け入ると、地面が荒らされたところを見つけた。土が掘り返され、木々が抉られている。明らかな戦闘跡だ。だが、幸いなことに、血は流れていなかった。

 ここで何かがあったに違いないと判断した伊吹達は、手分けして辺りを捜索した。すると、その戦闘跡からほど近い山の斜面を下ったところに、見知った顔の二人を見つけた。


 二人をいち早く発見した楓に呼ばれて行くと、楠隊の神司の二人が地面に腰を下ろしていた。

 ざっと見た感じ、二人に大きな怪我はない。

 それでも細かい傷があり、駆けつけた大輝と勇輝が応急処置をしていく。

 その間に二人に話を聞くと、山猪の駆除をしているうちに、一際大きな山猪が率いる群が現れ、戦っているうちに他の二人とはぐれたのだそうだ。二人は、隊長である楠を探して、山を彷徨っていたのだが、見つからないため、一旦、山を降りようかと相談していたところだったそうだ。


「大きな山猪? それは本当に山猪でしたか?」


 伊吹は、二人の話を聞いて、思わず問い返した。

 山猪の大きさと言うのは、だいたい一定だ。子供の山猪が見つかったことも、大きな山猪が見つかったことも、記録にない。

 だが、二人は口を揃えて「あれは山猪だった」と言った。


「……それが山猪であるなら、変異体かもしれません」

「見間違いでは?」

 楓があっさりと二人の言葉を否定する。もう少し、言葉の使い方を、と思わなくもない。


「どちらの可能性もあります。どちらにしても、警戒するに越したことはないはずです」

 伊吹は、言葉を選んで言った。


 付いて行く、と言う二人に、山を降り、教官を呼んでくるように指示した。休息も取っていない二人を連れて、変異体とやり合うのは、危険が大きすぎたからだ。


「あなた方は、山を降りてください。私達が、楠達を探します。――これは、大隊長命令です」


 きっぱり言い切った伊吹の言葉に逆らえるものは、誰もいなかった。


  ◇ ◇ ◇


 山猪達は、山の上の方へ登って行った、と言う二人の言葉を手掛かりに、伊吹達は山を登っていた。


「……楠先輩達、大丈夫でしょうか」


 勇輝の声に答えられるものはいなかった。

 あの二人が、襲われながらも逃げ切れたと言うことは、誰かが山猪達を引きつけたからだろう。それは、誰か。隊長である楠しかいない。

 一体一体は脅威ではない山猪だが、それが群れで現れた上、小隊も揃っていないとなると、生存は絶望的なように思われた。


 四人に湿っぽい空気が広がりそうになった時、


 ぱんっ!

「ひゃぁっ!?」


 勇輝の素っ頓狂な声が上がった。

 お尻を押さえて、楓を睨んでいる。

 睨まれている楓は、一向に気にした様子もなく言い切った。


「楠先輩は、伊吹兄様ほどではないにしろ、そこそこ優秀な先輩だ。だから、無駄な心配はするな」


 褒めているのか、貶しているのかわからない言い方だったが、それでも楓の真意は伝わった。落ち込んでいる勇輝をなんとか励まそうとしたのだろう。


「――楓……」

 元気付けてくれたのだとわかった勇輝は、へにゃりと情けないながらも笑顔を見せた。


 と、その二人の間に、大輝が割って入る。

「お前なぁ。元気付けようとしたのはわかるが、ケツを叩くことはねーだろ。ケツを」


 そう言いながら、楓に触られたところが汚れたとでも言うように、勇輝のお尻をぽんぽんとはたいた。

 その手が、バシッと叩き落される。


「その尻は、俺のだ。お前が触っていいものではない」

「はぁ? 汚れがついたから、はたいてやっただけだっつーの。大体なぁ、このケツの所有権なら、オメーよりも双子である俺の方が強いだろーが。俺らは、双子だぞ、双子。その辺わかってんのか?」

「ちょっと待って? 僕のお尻は僕のものだよ?」


 一瞬にして湿っぽさは霧散し、にらみ合った二人は戦闘態勢に入る。


 いい話になりそうだったのに、どうしてこの二人は……、と思いながらも、伊吹が二人を止めようと口を開いた時、近くの藪がガサガサっと音を立てて揺れた。


「――!」


 ばっと全員、臨戦態勢に入る。ふざけていたとしても、そこは流石と言うべきか。


 皆が警戒し見守る中、現れたのは、一匹の狼だった。


「山猪じゃない……?」


 大輝がポツリと呟く。群れで徘徊していると言う山猪の縄張りの中に、一匹だけ狼がいるのには、違和感があった。


 その狼は、一般的な狼よりもひと回り大きく、毛は銀に近い白をしていた。瞳は、琥珀色をしており、静かな知性を湛えている。一目で、普通ではないと知れた。

 ぐるぐると唸ってはいるが、すぐに飛びかかって来る様子ではない。


 これも何かの怪異か。そう思って見つめ合うことしばし。

 最初に警戒を解いたのは、勇輝だった。


「先輩。この狼、敵意はなさそうです、よ?」

 いささか不安げながらも、そう断言する。

 構えていた弓を下ろし、背中に背負うと、狼に近づいて行く。


「油断するなよ」

「うん」


 大輝がその背に声をかけたが、勇輝の意識はすでに狼に向いていた。生返事だけが返ってくる。

 勇輝は、空手からてで無造作とも言える速度で、狼に近づいて行く。いくら敵意がないにしても、何かわからないモノに安易に近づいて行くので、見守る方はハラハラしてしまう。

 だが、勇輝は確信があるようで、狼の前に近づくと、膝を折って狼と目線を合わせる。


「……こんにちは。僕たちに何か用ですか?」


 狼は、答えない。答えるはずもない。だが、勇輝の言葉がわかったかのように、彼女の目を、じっと見つめている。


 と、


「あっ!」


 パチパチっと、二人の間で光が弾けた。その衝撃で、勇輝がふらりと傾く。


「「勇輝!」」

 慌てて駆け寄ろうとする大輝と楓を勇輝が片手で制した。


「大丈夫。目眩めまいがしただけ。――付いて来いって、言ってる……?」


 勇輝が、光に目を慣らすように瞬きをしているうちに、狼はすでに山の上の方へと顔を向けていた。

 思わず、伊吹も仰ぎ見る。だが、そちらは木々が密集し、暗く、何も見通せなかった。この先に、何があるのだろう。


「行きましょう、先輩。悪い奴ではなさそうです」

「……勇輝がそう言うなら。他に手がかりもありませんしね」


 一行は、狼に導かれるように山を登っていった。


  ◇ ◇ ◇


「……あれ? あそこにいるのは……」


 狼に先導され、しばらく進んだ後、勇輝が驚きで声をあげた。

 進路方向にいたのは、二番隊である東雲達であった。彼らも伊吹隊同様、行方不明の隊を探す役目を担って山に入っていた。


「東雲先輩!」


 勇輝が名前を呼びながら駆け寄ると、東雲達も驚いたようにこちらを見た。


「東雲、楠達を見たかい?」

「いえ。近衛様達は」

「僕たちは、二人。だが、まだ楠とその先駆は発見できていないんだ」


 せわしなく情報交換をする間に、狼はさっさと来いとばかりに、勇輝の袴の裾を引っ張った。


「伊吹先輩!」


「……あぁ、行きます」

「あれは?」

 東雲の訝しげな声に、伊吹がこれまでの経緯をざっくりと説明する。と言っても、説明できるようなことはほとんどなかったが。


 東雲に説明しながら、冷静に考えるとなぜこの狼について行こうと思ったのか、自分でも疑問に思う。だが、楠達を探す手がかりになりそうだと直感で思ったのだ。


 狼は、東雲達と合流するのが目的だったと言わんばかりに、進路を変えた。すると、狼はここに人がいるのを知っていたことになる。

 この行動が全て、この狼の計画の内であるのを感じて、伊吹は警戒を強くした。

 ここまで思考できるものがただの獣であるはずがない。

 善きモノか悪しきモノかはわからなかったが、ただ利用されるだけのつもりはない。

 伊吹はそっと東雲に警戒するように伝えると、何事もなかったかのように狼の後を付いて行った。

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