15. エピローグ またね

 たった二日の出来事を、今でも鮮明に思い出せる。

 喋るカワウソは、またいつか会えると言った。

 嘘が嫌いだとも。


 その約束を信じて待ったが、あの日以降、ミャアを見かけたことは無い。

 ついた嘘は二つじゃないか、と文句も言いたくなる。


 替わりに手に入れたのが、オレンジ色の陶器人形だ。

 サイズはぐっと小さいし、喋りも食べもせず、二本足で直立するだけ。ただ顔つきはそっくりで、今にもギュフギュフ笑いそうだった。


 カワウソについても、この人形についても、暇を見つけては調べている。ネットでは情報が少なく、図書館へも赴いた。


 カワウソの伝承は、国内外を問わず意外に多い。

 泳ぎの上手い神様だとか、人を騙す妖怪だとか。だが、どれもミャアとは似ておらず、これという手掛かりは得られなかった。


 唯一、中東の遺物に、人形と類似した像があるようだ。

 ウアジェト、或いはウジャトと呼ばれる守護女神が、カワウソに変化するらしい。

 女神はともかく、カワウソ像に関しては詳細不明とされ、これまた役に立たない。


 女神の方も、念のために調べはした。全てを見通す癒しの神で、時の神トートの力を浴びた存在だとか。

 幾分、ミャアに通じるものがありそうだけれど、そんな神話の存在にしては威厳の無いカワウソだったと思う。

 食い意地も張ってたし。


 人形を机に置いて、長い回想に身を任せる。


 嘘をつかせないように監視する、あの時のミャアの言い分は本当だとは思うけど、第一の目的でもなかろう。

 ほんの僅かなことで、人生は様々な方向へと分岐するものだ。年を経た現在なら分かる。

 ミャアはそんな岐路に立った私が、正しい道を選ぶように手伝ってくれた。

 

 私と勝巳は、第一志望に見事合格し、同じ大学へ通うことになる。

 彼は私と同じ心理学を専攻し、なんと研究職に就いた。

 何かと情けなかった勝巳も、少しは貫禄がついた、かな。


 紗代は相変わらずの親友で、大学の頃は嘘をつかなくなった私が物足りないなどと言っていた。


 その私は望み通りカウンセラーとなり、母との関係も良好だ。

 まだ受験生だった頃、母へプロポーズした男性がいたと、あとで知った。進学後に打ち明けられた私は、再婚に賛成し、卒業と同時に家を出る。

 母と新しい父は、二人で仲良く懐かしい家で暮らしていることであろう。


 では、私はまた独りになったのかと言うと、そうでもない。

 もうすぐ騒がしい同居人が、帰宅する時間だ。


 予想通り、程なくして玄関からバタバタとうるさい足音が聞こえた。

 廊下を走るなと何度も注意したのに、気を抜くと悪癖が出るみたい。


「アヤ!」

「キッチンにいるよ」


 戸口から顔を出した勝巳が、満面の笑顔で私を祝福する。


「女の子だって? 嬉しいなあ」

「なによ、男なら残念だったの?」

「いや違うって! どっちか分かると、ほら、なんか実感が増すじゃん」


 診断結果をメールで伝えたところ、彼は駆け足で帰ってきたらしく、荒い息のまま私の前で腰を屈めた。

 膨らんだお腹に手を当てながら、娘の名前を考えたのだと言う。


「勝巳の“み”と、亜耶の“あ”で“みあ”。どう?」


 ミア。

 ミア……ああ、あの名前はそういう――。


 黙る私に不安を覚えた勝巳が、ダメなら違う名前にすると狼狽うろたえ始めたのを見て、慌てて手を横に振った。


「それでいい。なんだか猫みたいな響きだね」

「やっぱりやめとく? 可愛いかなって思ったんだけど」

「気に入ったよ。ミアにしましょ」

「よかったあ! それでさ、当てる漢字は――」


 いくつも挙がる候補を聞きながら、再び人形へと視線を移す。

 てっきり母かお婆ちゃんか、さらにはもっと昔の祖先が、ミャアの恩返し相手だと考えていた。

 でも、ミャアが一肌脱いだのは未来の人物のためかもね。奇妙な名前の一致は、いずれ分かるヒントを与えてくれていたのか。


 “ボクには名が無いからね。彼女の代わりってことで”


 私にだけ聞こえる声が、久方ぶりに耳をくすぐる。

 ミャアは一つだけ嘘をついたと言った。つまり、他は全て本当のことだということ。

 全てを見通す神様、ねえ。時のことわりに縛られたりしないわけだ。


 娘が生まれたら、人形を譲ろう。

 きっと、私よりも大切にしてくれる。カワウソに好かれるほど、すごく大切に。


 出産を控えて漠然と感じていた不安が、綿菓子のようにふんわりと溶けていく。

 まだまだ先の話だけど、分別がつく歳に成長するのが待ち遠しい。


 最初に教えることは、もう決まっている。嘘をつくとカワウソになるんだよね、ミャア?

 受け継がれた掟を、次は親子二人で守る番だ。


 “ん、それは……まあいいや。タイヤキ、用意しといてね!”


 オーケー。

 人形にパチリとウインクした私は、話の尽きない夫へと向き直った。






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あなたの知らないカワウソの世界 高羽慧 @takabakei

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