14. 返事

 嘘を百八回つくとカワウソになる、これが唯一、ミャアがついた嘘だと言う。

 私に信用させたくて、何度も耳にしたセリフを借用したのだとか。

 嘘は絶対ダメだなんて思っていないと言われ、ミャアにまで騙されたのかと言葉を失った。

 でもそうなると、何のために現れたの? 私のためなんだよね?


「そうよ……恩返しだって。覚えてないだけで、私がミャアを助けたことがあるとか?」

「アヤちゃんに恩を返したいんじゃないんだ」

「じゃあ誰よ。それがお婆ちゃん?」

「キミを大事に思っている人は、アヤちゃんが考えるよりたくさんいる。そのうち分かるよ」


 そんな答えでは納得できないと、私は食い下がった。

 今こそ正体を暴いてやろうと意気込んだ私だったが、ミャアから放たれた言葉に思考が止まる。


 ――ボクはもう帰らないと。


 カワウソの存在に慣れ始めた矢先に、もういなくなると言ったのか。

 これからたっぷり話をしようと考えていたのに、また独りに戻れって?


「最初から、長居をするつもりは無かった。人間に深く関わるのは、ちょっぴりルール違反だから」

「話し相手くらいなら構わないでしょ? まだ聞きたいことが……、聞いてほしいことがある」

「それはボクの役目じゃない」

「急に何よ。さんざん構わせといて、あんまりじゃない」

「ボクだって、オヤツは名残惜しいけどさ」

「それ! 食べたいもの、リクエストを受けてもいいよ。ケーキとかチョコレートとか、鯛焼きだって半分余ってる」


 ミャアが好きそうなものを並べ立ててみたが、食べたかったなあと呟くだけで、前言を撤回させるには至らない。

 焦る私に比べて、ヒゲを撫でるミャアは冷静そのものだ。


「二度と会えないわけじゃないから、そんなにまくし立てないで」

「イヤなのよ」

「助けがなくても、アヤちゃんはもう――」

「独りで食べるのは、もうイヤなの!」


 それは自分に言うことではない、とさとされる。

 誰を指しているかは察したものの、素直に従う気にはなれない。


 いつも仕事で疲れた母と、何を喋ればいい?

 ミャアと母は全く違う。

 たかがオヤツに一喜一憂するミャアを見るのが――好きだった。


「でもね、アヤちゃん。キミはどうしてカウンセラーになろうと思ったの?」

「え? 最初は……そう、お父さんみたいに、人を救う仕事をしたいと考えたから」

「なんでお父さんと同じ道を目指そうと?」


 なぜだろう。

 お婆ちゃんの作り話に感銘を受けたので――この理由では、しっくりこない。

 半分くらいは正解だけど、私にヒーロー願望は似合わないし、レスキューの仕事については調べもしなかった。


 順番が逆なのだ。

 カウンセラーにこそ興味があって、それを選んだ理由に父を持ち出した。

 お父さんの意志を継ぎたいなんて言い出した訳は――。


「自分と正直に向き合わないと。理由、思い出した?」

「……お母さんが喜ぶと思ったから」

「そうだね。ボクにはお見通しだったよ」


 ミャアは机の陰に身体を屈め、手に紙玉を持って起き上がる。

 今朝、私が投げ捨てた紙を、気づかぬ内に拾っていたらしい。


 短い指を精一杯開いたミャアは、両手と顎を駆使して、テーブルの上に紙を広げた。

 しわくちゃの“ごめんなさい”が、再び私の前に突き出される。


「返事、書いて」

「返事って言われても……」


 母が頭を下げようが、私は謝りたくない。

 私が物心ついてからずっと、騙してきたのは事実だ。


 許すのも、今は難しい。

 あれだけ偉そうにしておいて、こんな不始末は無いと思う。ごめんの一言で済む話なものか。


 しかし、真実を知って一日近くが経つと、怒りを保つのにも疲れてきた。

 もっと早くに教えてほしかった、これが偽りない本音。でも、返事で書くには相応しくない。


 テーブルの端に転がるボールペンは、母が使ったものだろう。

 ミャアに急かされてボールペンを掴み、母の書いた字を凝視する。


 書くとしたら、これかな。

 ボールペンの描く軌跡を、ミャアが熱心に覗き込んだ。


 “ありがとう”


 何に対しての感謝かは、どうだっていい。

 嘘じゃない、大事なのはそれだけだ。


「はぁー、これで全部解決だ」

「危ないよ、椅子の上で踊ると」

「ホッとしたら、またお腹が空いちゃった。ピンクのも食べていい?」

「食べられるなら、三つともどうぞ」


 幸せいっぱいというカワウソスマイルに、私もつられて頬が緩んだ。

 頭から順に食べ進み、お腹のイチゴクリームで口の周りを汚し、遂には尻尾の先を堪能して齧る。


 本当に帰るのだろうか。

 鯛焼きの誘惑に屈せばいいのに。


「飲み物も用意するよ」


 オレンジジュースを取りに、冷蔵庫へと向かう。

 ペットボトルを掴み、ドアを閉めて振り返ると、ミャアはもういなかった。


「ミャア?」


 登場時と同じ。

 挨拶もせず、忽然と消えて、テーブルには二匹の鯛焼きだけが残る。


「ねえ、どこにいったの? ミャアってば!」


 床を確かめたあと、自室へ行き、家の中を一回りもした。

 ミャアの姿はどこにも無く、いなくなると痕跡すら見つけられない。

 これじゃ幻、私がどうかなって、白日夢を見ていたみたい。


 ダイニングへ戻った私は、さっきまでカワウソが立っていた席を、ただ呆然と眺めた。


「お別れくらい、言わせてよ……」


 ひくつきそうな鼻を気合いで抑え、鯛焼きの載った皿にラップをかける。


 奇妙奇天烈な二日間だった。


 紗代も勝巳も、決して信じやしないだろう。だけど、幻覚なんかじゃなかったと、私には断言できる。

 ふくらはぎには、やっぱり薄く青痣が出来ていたもの。


 この日、母は外で夕食を済ませて帰ってきた。

 お互いぎこちなく、会話もたどたどしい親子が、深夜の食卓につく。


 ポツリポツリと言葉を交わしつつ、私たちは二匹の鯛焼きを食べた。

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