13. 重なる面影

 牛乳と卵を買うついでに、もう一つ欲しいものがある。

 プレゼントを持ってウロウロしたくはないので、手早く買い物を済ませ、本屋は日曜に行くことにする。


 午後一時には家に戻り、スマホを握り、自室の椅子に腰掛けた。

 勝巳の一件を紗代に伝えるべきだろうか。


 黙っておくと、あとでコッテリ文句を言われそうではある。

 告白されたわけでも、関係が深まったようにも思えないのだが。


「いやあ、さっきはバッチリできた。頑張ったよ、ボク」

「もうちょっと優しく注意してよ」


 得意満面のミャアは、何のつもりか身体をくねらせて踊り出す。

 両腕を波打たたせる動きは、カワウソ流のフラダンスといったところだ。


「上手く行くと気分がいいね。一緒に踊る?」

「踊りません」


 ミャアの目的は、私に嘘を言わせないこと。

 それが成功したから喜んでいるのだから、私は勝巳に嘘をつきかけたってわけだろう。

 宙返りまで始めたミャアを横目に、自分の言動を振り返る。


 “カウンセラーになんてならない、志望大学だって変えるかも――”


 言わずに済んだ私の嘘。

 カウンセラーの資料を集め、実務の様子をドキュメンタリーで把握し、必要なスキルも調べた。

 今になって違う道に進んでも、後悔を招くに違いない。

 父はきっかけで、目指そうと努力したのは私自身の意志だ。


 その場の勢いで自分を偽ると、周りにも悪影響を与えるという理解でいいのかな。

 針路の曖昧な勝巳なら、また受験校を変えたりしそう。


 彼を好きなのか、この期に及んでも確信が持てない。

 紗代へのメッセージも、そんな微妙な感情が思いっ切り文面に滲み出た。


 “勝巳と付き合うかも。付き合わないかも”


 返信がすぐに画面に映る。


 “どっちよ! 一から説明しなさい”


 面倒臭い。恋愛話に紗代がここまで食いつくとは、意外だった。

 告白は無し、プレゼントは有り。

 デートの約束無し、一緒にコーヒーを飲んだだけ。


 箇条書きで事実を並べると、まどろっこしいとばかりに、直接電話が掛かってくる。


『もう、どうなってんだか。勝巳は何て言ってた?』

「一緒の大学に行きたいって。それだけ」

『シャキッとしない男ね! もうアヤちゃんから告ったら?』

「やだよ。付き合いたいって、まだ心底から思えないもん……」

『こりゃあ、先が思いやられるわ』


 電源を切り、スマホを机に置くと、ミャアがダンスをやめて私を見ていた。

 生意気にも短い前脚を組み、これでいいんだとさかしらに頷く。


「正直に思いを話せばいいだけだよ。それで万事オーケー」

「分かったようなこと言っちゃって」

「彼が頼りないのは、まだ若いから。これから成長していけばいいんだ」


 勝巳のことは、カワウソに言われるまでもなく、一朝一夕で片が付く話ではない。

 紗代に知らせたら、これで一端は彼の顔を頭から追い出そう。

 それよりも、だ。


 高校生を若いと言うミャアは、じゃあ何歳なのか。

 疑念がさらに濃くなった今、いよいよ確かめる時が来た。

 そのための用意を、スーパーで仕入れてある。


「オヤツにしよ。ミャアの分も買ってあるよ」

「ぎゅうっ、ホントにぃ!」

「ダイニングへ行くよ」

「ボクも下に行きたかったんだ。絶好のタイミングだね」


 またもや階段で私を追い抜かして、ミャアはウキウキと駆け降りて行く。

 ダイニングを所狭しと走り回るのは、よっぽど嬉しいからだろう。

 温めるので大人しくしろと命じると、定位置の椅子に上り、首を左右に振って私の手元を窺った。


「ねえ、オヤツって何? フルーツじゃないの?」

「静かにしてないと、出さないよ」

「喋らない。ボクは静か」


 電子レンジが終了を知らせて鳴れば、湯気を上げるオヤツが大皿に乗せてテーブルへと差し出される。

 白、ピンク、黒、茶色と四匹の鯛焼きに、ミャアは言い付けも忘れて奇声を上げた。


「ぎゅっふー! これ大好きなんだ。食べていい?」

「どうぞ。焼き立てがなくて、冷凍ものだけどね」


 茶色の鯛焼きを掴み、ミャアはその頭から齧り始める。

 少しくらい熱かろうが意に介さず、結構なスピードで食べ進んだ。鯛が半身にまで小さくなったところで、私は味の感想を求める。


「甘くておいしいよ!」

「餡子が?」

「アンコ、好き。皮も香ばしくて最高」

「クリーム、イチゴ、チョコ、餡子。どうして餡入りを選んだの?」


 質問の意図が分からないと、ミャアは小首を傾げて噛むのを止める。


「好きなものを選んじゃダメなの?」

「餡子が好きだった。ものすごく、好きだった」

「アヤちゃんが?」

「違う、お婆ちゃんが。あなた、お婆ちゃんの生まれ変わりでしょ」


 そんなわけがない、と、ミャアはブンブン首を振って否定する。

 ボクはボク、神様で救世主で、アヤちゃんを助けに来たんだ――相変わらずの説明を聞き流しつつ、私は今朝から考えた推理を披露した。


「スマホで調べたの。日本で作り出したのは一九六○年代から、この辺りじゃ昭和末期にやっと出回ったみたい」

「何の話?」

「キウイよ。まさかって思ったけど、和食好きのお婆ちゃんなら、キウイの外見を知らなくても不思議じゃない」


 座るのは、決まってお婆ちゃんの席。

 家の造りにも詳しくて、私の幼い頃も知っているようだ。

 甘いものに目が無く、中でも和菓子が大のお気に入り。

 それに、カワウソにされた原因も判明した。


「お父さんが死んだって作り話、お婆ちゃんが考えたんだよね。そんな強烈な嘘をついたら、カワウソにされて当然よ」

「それかあ……」

「さあ、認めちゃいなよ」

「いや、あのね。アヤちゃん」

「んで、一緒に食べよ。明日はお饅頭にするね」

「まいったなあ」


 お婆ちゃんと食べ損ねたあれこれが、次々と頭に浮かぶ。

 話せなかったこと、ちゃんとお別れ出来なかったこと。

 やり直す機会をくれたことに、ミャアへ、いやお婆ちゃんへ感謝した。


 姿は変わっても、今度はずっと一緒に暮らせる。

 やたら人間くさいカワウソの顔は、悪戯っ子に似た在りし日のお婆ちゃんの面影に似ていた。

 たった数ヶ月前なんだもの、忘れるはずない。滲んでボケた輪郭のせいで、余計に二つが重なって見える。


「……嘘はやっぱりよくないね。実によくない」

「お父さんのことなら、もういいよ」

「そうじゃない、ボクは嘘が嫌いなくせに、一つだけアヤちゃんに言ってしまったんだ」


 ボクはお婆ちゃんじゃない――言い聞かせるようにゆっくりと、今一度ミャアは否定した。

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