第二章三幕 オレと彼女の前哨戦




 電車に揺られること20分。

 改札を出て正面の交差点を渡り、二葉は賑わう商店街をてくてくと闊歩する。突き当りを右折し直進した場所に、目当てのショッピングモールはあった。

 横幅は優に400メートルは越しており、近づく度に目線が上を向いていく。最終的には仰ぐ形になり、その壮観さに胸が圧迫されている感覚を覚える。

 何度か訪れた経験はあるが、毎回道に迷うほど広大な敷地面積を備えている。店内にある迷子センターは尋常でない数を優し、迷子のお知らせを聞くだけで日が暮れる。

 五十嵐との待ち合わせも、ここを指定場所としていた。女性服売り場で3時間立ち続け、何事もなかったように帰った男は、恐らく俺を置いて誰一人としていないだろう。店員の目は完全に不審者を見る目だった。

 業を煮やしながらも3時間待った俺の行いは勲章ものだぞ。誰も賛辞をくれぬなら己で杯を上げるまでだ。

 基本、防犯ブザーは文房具店で取り扱われており、脇目も振らずに向かおうとした俺を、二葉は四方八方へと連れ回した。

 ゲームセンターでは固定されたパンチングマシーンが小刻みに揺れ動く体重の乗ったパンチを繰り出し、その拳をちらつかせ人生初の恐喝を食らい、買い占めた大量の駄菓子は有無も言わさず俺が持たされた。フードコートでは「もやしみたいにヒョロヒョロだと早々に腐って死ぬわよ」と山盛りのちゃんぽんを注文された。本日4度目の『腐ってる』はもはやダメージもなく、誹謗中傷によって受けた傷は、言われた回数に比例しないんだなと感心した。もしくはとうに底を見ただけなのか。

 ようやく文房具店に到着したのは、それから2時間後のことだった。

 二葉は様々な文具に目移りしながらも、陳列された防犯ブザーを見つけると、両目を輝かせて、とことこと歩いて行くのだった。

 既に精神力を使い果たした俺は、付近のベンチで身を休めて、大きく溜息を着いた。

 姿形の異なる色とりどりの防犯ブザーを、手に取っては戻しを数十と反復させる二葉を尻目に、俺の視線は自然と業務文房具コーナーの一角を向いていた。


 ――ホッチキス。


 あの日、五十嵐が去り際に放った文房具の名前。

 何故、キスの直後にホッチキスを欲したのか。その時の俺はどちらの出来事にも驚嘆し、ついでにホッチキスに関しては拍子抜けもした。デートのために取って着けた理由がホッチキスを買いに行くでは、俺でなくても難色を示すだろう。

 そんな何処にでもあるホッチキスが五十嵐の発言によって、他の文房具よりも強調されて俺の目に焼き付いた。

 四角いプラケースに包まれ平積みされた無数のホッチキス。そのうちの一つに、何やら思い当たる節があって、俺は立ち上がった。

 棚の奥から2番目。ピンク色のホッチキスは、潜むように、周囲のホッチキスに埋もれていた。

 手に取ると、隠れていた正面が露見し、兎の顔が俺を覗く。

 五十嵐が欲しいと言っていたホッチキスはこれだろう。兎顔のプリントは、このホッチキス以外に見当たらない。

 別に買うわけでもなく掴んだ兎顔のホッチキスを、元あった列へしまう。

 見てると怒りがこみ上げてくる。大人しく二葉を待っておこう。

 俺は再びベンチに腰掛けて、未だ防犯ブザーを物色している二葉に「早くしろ」と囃し立てた。



――――――――



 二葉が購入したのは、偉く需要を絞った、剣道少年を模した防犯ブザーだった。上から下まで、防具を完全装備しており、左手には竹刀がちょこんと握られていた。面を被った少年の顔面5割をスピーカーが侵略し、不審者に接近されたら首から下を引っこ抜いて警鐘を鳴らす仕組みである。傍から見れば、下半身を失った生首状態の剣道少年が断末魔を上げているというなんともシュールな外見だ。

 使われた日には剣道少年の死同様、不審者の死も意味するだろう。

 下半身いらないんじゃね? とか、ツッコミどころ満載だが、二葉のセンスに酷評すると俺も死ぬので黙っておく。

 今日、俺が二葉に強奪された時間は4時間。単行本を読んでもお釣りが来る。

 実に13時間ぶりの我が家を目前に、自然と肩の荷が降りた。


「じゃあ、俺はこれで。祝日も休日も出かけてるから、訪ねても俺はいないぞ」


 もちろん虚言だ。さすがに休みは邪魔されたくない。居留守を使って終いには空気になってやる。


「私に対するあてつけ? 剣道部は休みイコール練習よ」

「あそうですか。ご苦労さん。んじゃさようなら」


 俺は着地点のない会話を無理やり完結させ、二葉に背を向けた。

 これでようやく落ち着ける。家に帰ったらまずお茶を飲んで一息つこう。

 口元を綻ばせ、玄関の扉に手を伸ばした瞬間、襟首を掴まれてうっ! と息を詰まらせてしまう。

 あのアマ……。まだなんかあんのか。

 ついに辛抱できずに、俺が怒鳴りつけようと振り返った時、


「ん」


 二葉が顔を背けたまま、俺に右手を差し伸べていた。

 手には書店名前がプリントされた紙袋が握られ、どうやら二葉は、俺が知らぬ間に本を買っていたらしい。


「あんた、本、好きでしょ? ど、どんなの読むかわかんないから、私の好きな本選んだけど、……その、今日、付き合ってくれたお返しというか……」


 俺と目を合わせない二葉の顔は、羞恥の色に染まっていた。二葉なりの精一杯の礼なのだろう。


「いや、でも二葉……」


 言い終える前に、二葉に紙袋を押し付けられて反射的に受け取ってしまう。

 二葉はそのまま真隣の自宅へと、大股で颯爽と掛けていった。

 俺にとっては散々な一日に比例しない小さな贈り物。ガラス張りの扉にオレンジ色の光が灯り、妹が鍵を解く音がした。

 開かれる扉の音に合わせて俺は呟いた。


「……これ、俺の金だぞ」


 夜はまだ長い、空に登った糸ほど細い繊月の明かりは心ともなく、消え入るような俺の吐息とどこか似ている気がした。

 なお、二葉チョイスの本は、推して知るべし護身術専門書だった。

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彼女がホッチキスになった。 明椋 和風 @Misakasin

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