第39話 猫と烏の間柄
「で、なぜあなたがここにいるのかしら?」
「二人の後に付いてきたからじゃん」
「……なぜ付いてきたのかしら?」
苛々と桐ケ谷が足踏みをする。対照的に高坂はご機嫌そうに声を弾ませていた。昼休みの空き教室の、少し埃っぽい空気は五月の陽気で中だるみしている。俺は二人のやり取りを眺めながら弁当箱の蓋を開けた。
まるでそれが合図だったかのように、桐ケ谷は定位置になりつつある俺の向かいに座る。ゴールデンウィーク前、ろくに掃除もされていなからと他の教室から長机と数脚の椅子を拝借した。その余りの椅子を高坂は持ってきて、俺の隣に腰を下ろす。
むっ、と桐ケ谷の表情がわずかに曇った。
「お昼一緒にするくらいいーじゃん」
コンビニのサンドウィッチを開封しながら、あっけらかんと高坂は宣う。
いくばくかの逡巡。桐ケ谷の指が四角い弁当箱を包んでいる肌触りのよさげな手拭いの結び目を解く。
「そうね。でも、変な噂が立っている時にその行動は軽率だと思うわ」
桐ケ谷が濁した『噂』は恐らく昨日のことに端を発するものだろう。移動教室の時もうんざりするくらいノイズじみた噂を耳にした。ラインやツイッターなどで一瞬で拡散される情報。対岸の火事ほど見ていて楽しいものはないんだろう。
なんとなく、桐ケ谷は自身をそこにカウントしていないニュアンスがあった。同じくそのことに気付いた高坂の眉がピクンと跳ねる。
「ふーん。それは桐ケ谷さんも同じじゃないのかなー?」
「私はいいのよ。もう、春人に告白もしているし」
その平素で投げ込まれた爆弾に、俺は軽くむせた。隣の高坂が真意を確かめるようにまじまじと見てくる。
「……もう付き合ってるってこと?」
どこか懐疑的な声音。
俺がお茶を飲んで弁明するより早く桐ケ谷はかぶりを振った。
「残念だけど、それはまだね。春人待ちってところかしら」
楚々と箸で料理を口に運びつつ、桐ケ谷は呆れみたいな微妙な色合いを滲ませた。申し訳ないと俺は首をちょっとすぼませる。
その一連のやり取りに高坂の口元が持ち上がった。
「じゃあ、あたしが一緒にいたって全然いーじゃん」
「そうね」
百パーセント本気、とまでは言えない高坂のからかい交じりの言葉に返されたのは、混じり気のないあくまで簡潔な肯定だった。向かいの席に着いてから桐ケ谷の態度は変わらず揺るがない。
それに面食らった高坂の目が丸くなる。
「……いーの?」
ふう、と桐ケ谷は一旦箸を置いて高坂と視線を合わせた。
「良い悪いの問題じゃないわ。噂に真実味が増したとして、あなたが困らないのなら私が口幅ったく言うことではないもの。春人も特にあなたを嫌っている訳でもなさそうだし……ね」
「そーなんだ」
二人に視線を向けられ俺は身を仰け反らせる。高坂も謎の圧力を発していて、俺は背中に冷や汗をかきつつ無難な言葉を探した。
「ま、まぁ……嫌ってはない」
「へえ」
「ふーーん」
またしても言外にのしかかる圧。最初は桐ケ谷と高坂の間で火花を散らしていたのにこの状況は一体何なんだろうか。なんで俺が追い込まれているんだ。
そんな居心地の悪さが顔に出ていたのか、桐ケ谷の圧力が緩む。
「それに、あなたが春人に好意を持っていたとしても負けるつもりはないから」
「へー、桐ケ谷さんって意外と負けず嫌いだったんだー」
「そうよ。知らなかった?」
矛を納めたと思ったら向ける先を変えただけだったらしい。またバチバチとぶつかる二人を前にして、俺は止まっていた手を動かして昼飯を食べる。
ここが空き教室で本当に良かったと思う。例えばクラスメイトがたくさんいる教室、という名の火薬庫でこの会話がされていたらぞっとしない。
そういう騒がしいのは去年だけで十分だ。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、桐ケ谷と高坂は剣呑な雰囲気を隠そうともしないが。
「知らなかったなー。あははは」
「ふふふふふふふ」
とりあえず昼休みは平穏に過ごしたい。
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