第38話 人の噂も

  五月も半ばを過ぎればじっとりと気温も上がってくる。かといって半袖のワイシャツにしてしまうには朝夕が涼しく、衣替えに迷う微妙な時期だ。梅雨に向けて天気も気がそぞろでいまいちパッとしない。

 制服の移行期間で統一感のない制服を着た人の流れの中を桐ケ谷と並んで歩く。


「高坂さんとのデートは楽しかったかしら?」

「デートじゃないってラインでも言っただろ」


 笑顔に見合わない、問い詰めるような語気をまとった桐ケ谷の声に俺は何度目とも分からない否定の言葉で返した。もっとも桐ケ谷は彼女でもなんでもないから、そこについてあまり追及されるのも筋が通らない気がするものの、なんとなくそのことに触れるのはご法度な雰囲気。

 パソコン室での一件以来、桐ケ谷はどこか高坂を警戒しているらしい。


「どうでしょうね」

「だから違うって」

「春人のことじゃないわよ。高坂さんが、ってこと」


 差し込まれた桐ケ谷の言葉に、俺は口ごもった。


「あー……どう、だろうな」


 俺にとって全くその気がなかったとしても、高坂がどういう気持ちで昨日に臨んでいたのかは本人にしか分からないことだ。

 もしかして高坂も……なんて考えが一瞬頭をよぎり、俺はそれを打ち消した。高坂は『誰かが狙っているから私も狙ってみようか』的なことを言ってたはず。だったらパリピなんかによくある冗談の一種にしか過ぎないだろう。


「いや、やっぱりそれはない。昨日だってバスケの県大会観に行っただけだ」

「……バスケの県大会?」


 桐ケ谷が首を傾げたのを見て、そういえば桐ケ谷はあの場にいなかったなと思いだした。


「この間紺野に大会を見に来るように言われてさ。一応行った」

「お人好しがすぎるんじゃないかしら」

「はは、否定できない」


 振り返って自分でもなにをやっていたんだろう、という思いだ。怜王に会えたというイレギュラーこそあったものの、高坂と仲を深めるでもなく紺野の勧誘に乗るでもなく、ただ自分の学校のバスケ部が無残に負ける試合を観て帰ってきただけだ。

 そんな俺の隣で不服そうに桐ケ谷が長い髪をもてあそぶ。


「……ねえ、今日の放課後空いてたらどこか行かない?」


 軽い誘いの文句。けどそれは何気なく装ったにしては余裕がなくて、俺は不覚にも苦笑してしまった。


「嫉妬した?」

「ば、馬鹿! そういうのじゃないわよ!」


 桐ケ谷に肩をどやされちょっとよろける。体勢を立て直しつつ放課後の予定を頭に浮かべて、笑いは自然と引っ込んだ。


「悪い、今日は店の手伝いが入ってるんだ」

「そう……それは仕方ないわね」


 微妙に残念そうに髪をいじった桐ケ谷を、まあまあとなだめる。


「昼一緒なんだしいいだろ」

「それとこれとは話が別だと思うわ」

「そうか?」


 そんな会話をしながら昇降口で靴を履き替えて階段を上る。

 少し雰囲気がいつもと違うな、と気づいたのは二年生の階に着いてからだ。その違和感らしきものは教室に入るとより一層濃いものとなる。


「じゃあ」

「またお昼ね」


 桐ケ谷と別れ自分の席で持ってきた教科書などを用意しだすと、なんとも形容しがたい不快な視線は俺に向けられたものだと分かった。ひそひそと話し声が聞こえる。自習をするふりをしながら聞き耳を立てるとそれがなんなのかはすぐに判明した。


「なぁ、田崎さ……高坂と仲いいらしいぜ」

「えっ桐ケ谷とじゃなくてか……?」

「知らねぇよ。二股とかじゃね?」

「うわー、紺野に振られたの春だろ。お盛んだな」


 別に両方とも違うんだけどな、と文字を目で追いながらひとりごちる。異性が絡むとどうしてすぐに色恋沙汰と決めつけるんだろうか。そんな一歩冷めた思いが俺の中でわだかまっていた。

 前からそう思っていた訳じゃない。去年までは俺も似たり寄ったりだった。紺野にフラれて、異性と恋人関係になることに少なくない恐れを抱いてしまった今だからこそ、そう思っている。

 思わざるを得ないでいる。


「面倒くさ……」


 噂はどこまで行ったって噂だ。根も葉もないものに花がつく道理はない。しばらくすれば誰も彼も聞き飽きて、次の噂を探すだろう。それまで静かにしてればいい。

 ガララ、と入口の扉が鳴る。クラスメイトの女子が入ってきた人物に「あっ」と声を漏らした。


「朱理花ってさ、田崎と仲いいのー?」


 それは教室中に漂っていた疑惑を凝縮したような問い。さっと話し声が引いていく中でドサリと鞄を俺の斜め後ろの席に置いた高坂は、何でもないといった感じで肩をすくめた。


「仲いーけど、それが?」


「えーっ!?」などという質問した女子の反応を皮切りに、また教室がにわかに騒がしくなりだす。去年は俺も騒ぐ側だった。今年は大人しくしていよう。


「……」


 俺はそっと手元の本を高めに持った。

 席の前のほうから射殺すように見てくる桐ケ谷の目をブロックするために。

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