第37話 今は昔

 煮え切らない、そういった感情を隠すことなく表情に表していた紺野だったが、一年生だろう部員に呼ばれて近藤と一緒に星崎の応援席を立ち去った。


「巻き込んで悪かったな」


 バツの悪さを感じながら怜王に向き直る。

 怜王は幾分落ち着いた面持ちで首を横に振った。


「全部オレの本心だ。またハルトとバスケができたらいいと思ってる」


 そのまっすぐな視線に上手い言葉を探し出せずに、俺は「またな」と告げ背を向ける。会場に決勝戦の招集がかかりにわかに両校の応援席が活気づいた。夕暮れを前にした駐車場は、西に雲がかかったせいでどこか薄暗く吹く風もどこか涼しい。


「なんか、変なのに付き合わせて悪かったな」


 おぼろげに灯りだした街灯、それが作り出す光の円と暗闇を互い互いに踏みながら傍らの高坂に謝る。


「べつにー。こーなるってちょっと想像してたし」

「……そうか」


 今はサバサバとした、詮索もお節介もない高坂の雰囲気がありがたかった。人気のない場所でぽつねんと佇むバス停の時刻表によると、あと数分もしないうちにバスがくるようだ。

 並んで立って、スマホを見ていた高坂が不意に顔を上げる。


「あでも、悪いって思ってるなら今度カフェ連れてってよ。バイトしてるんでしょ?」

「あー……いいぞ」


 一瞬どこで知ったのか疑問に思ってしまったが、よく考えたら高坂の兄は『ベルエポック』の店主だ。俺と林がいたこともばれてたし、兄から手伝いのことが伝わっていてもおかしくない。

 その疑問を解消するのに使った逡巡を高坂はどう読んだのか、にやっと意地悪そうに口角を持ち上げる。


「もちろん、田崎のシフトがある時間ね」

「なんでまた」

「友達がバイトしてるとこって見に行きたくなるよねー」

「……勝手にしろよ」


 勝手にするー、とくつくつ笑った高坂に呆れつつ、俺は近づいてくる足音にいくらかの面倒くささを覚えた。ちょうどバスが来たところだというのにタイミングの悪い。


「近藤先輩?」

「よぉ、さっきぶりだな」


 バスが停車し、スチームっぽい音を吐き出しながら昇降口のドアを開く。俺はバスに向けてそっと高坂の背中を押した。


「高坂は先に帰ってくれ。今日はありがとうな」

「……分かった。またね」

「じゃあな朱理花。またみんなで遊ぼうぜ」

「先輩最近バスケばっかじゃないですかー」


 名前を呼ばれて一瞬表所を曇らせたものの、軽いトーンで冗談をかました高坂はタラップを踏んで乗車する。バスの運転手がこちらに確認の視線を送ってきたもののすぐに乗らないと判断したのかドアは閉まった。

 高坂を乗せたバスがロータリーを出、ウインカーを点滅させて車の流れに紛れて走り去る。


「で、何の用ですか先輩」


 近藤と顔も合わせずに俺は短くそう聞く。知り合いと呼ぶにはやや離れた位置で舌打ちが一つ鼓膜を揺らした。


「千尋に振られたからって千尋のダチを彼女にして楽しいか? ああ?」

「高坂は別に彼女でもなんでもないです」

「どうだかな」


 ハン、と近藤が鼻にかけた笑声を漏らす。


「全国に出たことあるだか知らねぇけど、千尋に関わるんじゃねぇ」

「俺も関わる気はないです。バスケ部に入る気もない」


 これ以上勧誘されても困る。そういう意味でいったつもりの言葉だったが、続いた近藤の声は裏返り気味の素っ頓狂なものだった。


「は、はぁ……? あいつ、そんなことしてんのか???」

「知らないんですか先輩」

「知らねぇし、入れる気もねぇ」

「気が合いますね」

「うるせぇ」


 舌打ちと、足踏み。

 どうやら二度に及ぶ勧誘はどうやら紺野の独断によるものらしかった。

 ぶつぶつと、ひとりごと程度の音量で近藤が何事かを呟く。

 このままじゃ夏がとか、いや俺たちならとか、そんなことばかりだ。怜王というイレギュラーが登場してしまったことで、近藤の全国大会出場の悲願どころか、県大会突破ですら雲行きが怪しくなってしまったのは間違いない。

 ゴール付近でボールが渡ればほぼ全部得点につなげる、それが怜王だからだ。

 近藤は頭の中で天秤にかけているんだろう。興味もないので、俺は無視してスマホをいじっていた。どこかの学校のバスが走り去り循環バスがやってくる時間になる。


「なあ、星崎はどうやったら倒せる」


 回ってきたバスを眺めていた時、それまで黙っていた近藤に質問を投げつけられた。別段答えてやる義理はない。その疑問は今日の試合運びで火を見るより明らかなほど浮き彫りになっていたからだ。

 怜王はどうやって倒すか。そんなの俺にも分からない。

 俺は手すりを掴んで振り返りつつ、分かりきった事実だけをくれてやった。


「無理じゃないですかね。先輩、俺より弱そうですし」

「んなっ……!?」


 瞬間沸騰した近藤は何事かをまくしたてていたが、バスは無感情に旋回し次の目的地へ向けて走り出す。俺はイヤホンをして適当な音楽をかけつつ明かりできらめく車窓の景色を見るともなしに眺めた。


「なんで千尋はあいつを選んだんだろうな……」


 こぼした疑問に答えてくれる都合の良い誰かはいない。一時開けたふたを、近藤には近藤の良さがあったんだろうと納得させて、もう一度厳重に閉じた。紺野の本心はいくら考えても分からないままだ。なら考えないようにするのが賢明だろう。

 目を閉じて、深くもたれかかる。


「……はあ」

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