7 金木犀と花盗人 完

 この世界には運命の人などと言う陳腐な言葉が存在する。

 けれど、彼女はどうしてもそれを信じることができなかった。

 既に彼女には好きな人がいた。それは、己の病を治すはずの王子様とは程遠い、花盗人であった。



 彼女は、この世界が然程優しくないことを知っていた。もし優しい世界であれば、全ての人は平等で、争いなど起こりはしない。

 そして、彼女は己を蝕む病気を発症しなかっただろう。彼女だけではない。花盗人も、それ以外も、この小さな庭にいる少女達は、皆世界に優しくされなかった人間だ。

 それを、後から拵えたような運命の人というワードで「皆が幸せになる物語」など、誰が好むものか。

 少なからず、彼女はそんな物語を嫌っていた。厭っていた。何より恨んでいた。

 運命の人だというのなら、それが自分達への救済だというのなら、せめて、自分で選んだ運命と添い遂げたかった。



けれどそれは叶わない。何故なら、この世界は然程優しくないからだ。



 彼女は、花盗人が自分の運命の人になりたがっていることをよく知っていた。花盗人は何より分かりやすかった。そんな素直なところが愛おしかった。

 けれど、花盗人が思っている以上に、世界は優しくない。全然、ちっとも、優しくない。

 花盗人が自分の運命の人になれないことを、彼女は知っていた。そして、自分もまた、花盗人の運命の人にはなれない。

 どんなに感情を募らせても、その事実だけは覆らない。



 だから、彼女は、運命の人になることを諦めた。

 運命の人よりも、もっと上の存在を作ってしまえばいい。



 花盗人に今後何が起こっても、決して自分を忘れないようにすればいい。運命の人に出会っても、揺らがぬようにしてやればいい。

 そうすることだけが、彼女が花盗人の運命になれる方法だった。

 運命は、祈って得るものではない。現実を変えたいなら、行動するしかない。

 彼女はそうして、花盗人の感情も、自分の運命すらも利用して、人為的な運命を創ることにしたのだ。

 感じてもいない愛情を告げる度、吐き気がした。その瞳と見つめ合う度、嫌気が差した。笑い声を聞く度に鳥肌が立った。自分のことを見る下心ありきの瞳が心底気持ち悪かった。

 彼女の運命を名乗る男は、彼女のことを「想像していたよりずっと美しい人だった」と称賛した。少女植物園で最も美しい花に違いないと、興奮した様子で彼女に告げた。

 そんな言葉に笑顔を振りまくのは、心底嫌だったが、それでも、彼女は笑い続けた。

 全ては、花盗人の心の最奥に、自分の存在を刻み付けるために。





 ねえ、知ってる? 私、貴女の運命の人にはなれないの。貴女も私の運命の人にはなれないの。


 どんなに抱きしめても、キスをしても、枝を手折っても、だめなのよ。


 ねえ、世界は残酷でしょう?


 でもね、そんな残酷を終わらせる方法が一つだけあるのよ。


 そう。そのまま、私のことを、殺してね。


 そうしたら貴女は自分の運命を受け入れることなんてできなくなるでしょう。


 永遠に、自分が選んだ運命に縛られ続けて、私のことをずっとずっと考えているの。


 その手の感覚を忘れないで。貴女が手折った枝の感触を、私の首を絞める感覚を。


 貴女が死ぬその日まで、ずっと覚えていて。


 きっとそうしたら、私達、運命なんかよりもずっと強い結びつきで結ばれるから。



――約束よ?



 首を締め付けられながら、彼女は密かに微笑んでいた。花盗人は、決してそれに気付くことなく、彼女の亡骸を抱き締め続けることだろう。それこそが、彼女の真意。それこそが、彼女の選んだ運命だった。

 これは、少女植物園と呼ばれたサナトリウム、リトルガーデンで起きた愛憎渦巻く物語。

 誰も真意に触れることはできない、運命よりも強い結びつきで結ばれた、花盗人と金木犀の話である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花盗人と金木犀 深夜みく @sinnyamiku39

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ