遺言

「兵藤さん、一つ疑問なんですけど」

「何です?」


 偶然訪れた駄菓子屋の店主、伍堂アラタがそれを持っていた時は思わず喜び、旅館の女将さんをやっている荏原タカコが同じく俺カルチャーを手にし、俺にサインを求めた時は少し懐疑した。


 そして今度は兵藤さんまでも。


 俺の疑問は三度目の正直といった所だ。


「どうして皆さんは、俺カルチャーを持っているんですか?」

「三浦さんはね、この村じゃ伍堂アラタに負けないぐらいの有名人なんですよ」


 まぁ立ち話もなんですし、部屋に戻りましょう。

 と言い、兵藤さんは俺の意識を惹くのだ。


 左手で車椅子のハンドルを操作し、バリアフリーが施されている廊下を進む。


「三浦くん、競争しないか? 先に部屋に着いた方が勝ちだ」

「別にいいけど、旅館内で走ったら駄目だ」

「分かった、じゃあ私は全速力で歩く!」


「競歩だったら俺が教えてやるよ、俺は競歩大会で優勝した実力者だからな」

「何だって!? 悲報、鈴木若子に強敵現る!」


 若子ちゃんと兵藤さんは競い合うように先に行ってしまった。


「……行かないの父さん?」

「じゃ、行くか」


 事実は小説より奇なり、と言うが、面白い。

 今のこの気持ち、この、得も言えぬ高揚感をどう表現したものか。


 そう考えると、悩んでいた次回作のジャンルがある程度固まったみたいだ。

 次回作もやはり、現代ドラマを主題とした小説にしよう。


 新作の幸先は良さそうで、部屋に着くと。


「兵藤さん、若子と結婚してください」

「……駄目だよ若子ちゃん、俺にはもう」

「だけど! ですけども! 私は貴方のことが」


 若子ちゃんと兵藤さんが昼ドラのような世界観で惚気ている。

 二人の出逢いは廊下での競歩だった……その素っ頓狂なストーリーは止めてくれ。


「何馬鹿なこと言ってるの若子」

「宰子か? 兵藤さんの嫁がめっちゃ可愛くてな、二人して盛り上がっちゃって」


 宰子ちゃんによる彼女への言葉はいつも棘がある。

 若子ちゃんの長所は心が広いことだな。


「それで、兵藤さん。先程仰ってたことを教えてくれませんか」


 どうして俺がこの村で伍堂アラタに負けないぐらい有名人だと言うのだ。


「にしても三浦さん、酷いじゃないですか」

「……? 何がです?」


「三浦さんと俺は、面識があるのに、まるで余所余所しい所を見るに忘れてるんでしょ?」


 俺と兵藤さんが、面識を持ってる?

 まったく記憶になくて、俺は困惑しつつ記憶を漁った。


「あはは、三浦くんの顔が間抜けな感じになってておもろー」


 と言い、若子ちゃんは俺の携帯を使って撮影する。


「無許可での撮影は止めて下さい」

「本当に覚えてないんですね、俺のこと。ほら、昼間会ったじゃないですか」


 昼間……昼間!?


「もしかして、両親の墓地にいた住職さん?」

「その通り、いやー、思い出してくれて良かったですー」


 兵藤さんは合掌すると腰を直角に曲げ、俺に低頭ていずした。


 そして、彼は懐から一通の封筒を取り出す。


「でも、俺も三浦さんにこれを渡すの忘れていたので、お相子とういうことで」

「これは?」

「ご両親の遺言状です、三浦さんが目を覚まし、訪れた際に渡してやって欲しいと」


 聞いた話によると、両親が亡くなったのは今から三年前のこと。

 両親の遺産は従兄が俺の治療費の足しとして管理してくれていた。


 その時も従兄から聞かされたけど、両親は最期に俺に会っておきたかったらしいのだ。

 父と母、それぞれ二通の遺言状を渡され、瞑想している。

 この時ほど、両親に感謝した例もなかった。


「遺言状を渡された時、両親はどんな様子でした?」


 気になって尋ねると、兵藤さんは破顔して立派なご両親じゃないですかと褒めていた。


「貴方のご両親、特にお父さんの方は俺カルチャーを布教していた第一人者ですよ、だからです。この村の住人のほとんどが俺カルチャーを持っている理由は三浦さんのお父さんが広めたからなんですよ」


 父が……そうか。

 思えば父は俺の執筆活動に否定的じゃなかった。


 時には応援も受けたし、時には渡邊先輩のような叱咤も受けた。

 父は放任主義な人だったから、息子のやることを一々止めたりしない。


 ――好きなことを、好きなだけやれ。


 それが父から聞かされた印象的な言葉だった。

 ありきたりだけど、まさか……――まさか。


「……良かった、三浦さんにこのことをどうやって伝えるのが最善なのか、俺はずっと悩んでいたんですよ。三浦さんの様子を見る限り、お父さんの気持ちが伝わってくれたみたいですね」


「ありがとう御座います、兵藤さん。父と母の気持ちを俺に届けてくれたこと感謝します」

「三浦くんの泣きべそ姿激写ぁ! 母さん達にいいお土産が出来ました」


 感涙している姿を、若子ちゃんに撮られてしまい、空気を台無しにされてしまう。

 そんな彼女の耳を、宰子ちゃんが引っ張って戒めていた。


 ◇


 後日、宰子ちゃんたち二人がプールに遊びに行ってる間のこと。

 俺は父と母が残した遺言に目を通していた。


『三浦彰様へ』


 との書き出しで始まっていた遺言を読み始め、ちょっとにやけてしまう。


『俺の中でお前は死んでいたつもりだったんだけど、でも母さんや親戚、それに本間さんから怒られて改心した。周囲の人間が生きていると言えば、それは生きているんだろう。だからか、お前に会えないままこの世を去ることが悔しくてならない。母さんも俺も射幸心が強いギャンブラーだっただろ?』


「……つまり何が言いたいんだよ」


 遺言の中でも父の相変わらずの言動を受け、高揚していた気分が落ち着いた。

 その後も数十行に亘って、父からの小言のような他愛ない話に付き合う。


 父は俺カルチャーの布教活動にあたって、色んな人に支えられたようだ。

 彼はそんな数々の出逢いができたことが心から嬉しかったと言っている。


 生前の両親は俺の作品に一向に見向きしなかったけど。

 二人の遺言には、俺カルチャーに纏わるエピソードがあって。


 父は最終的に、恐らく認めるだろうなと思っていた一文で遺言を締めくくっていた。


『悔しくっても、苦しく、血反吐を流すほど辛くても、俺は最期まで俺カルチャーを世に普及する。お前が再び目を覚ますその日まで。それが――俺のカルチャーである』


 俺カルチャーのラストのパクリじゃねぇかよ。

 いかにもあの人らしくて、今でもあの人は実家で元気にしているような気がして。


 でも、二人はもうこの世に居ない。


 郷愁の念のような、感傷的な侘しさが俺は好きで。


 こんな想いを募らせてくれた二人が、俺は好きだった。


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