4.5 受け身

 日本語独得の受け身表現として、「迷惑の受け身」と呼ばれるものがある。

 本来(学校文法では)、受け身は他動詞の直接目的語を主語として作られるものとされているが、日本語では自動詞でも受け身文が作れる。それでは文法的に困るので、自動詞の受け身文は日本語独自の「迷惑の受け身」という例外として扱っているようだ。

 学校文法の整合性はどうでもいいが、日本語における受け身表現の中心はむしろこの「迷惑」ではないだろうか。「受け身」という言葉が示すように、受け身表現には単なる受動ではすまない何らかの被害や迷惑のニュアンスが含まれるほうが自然で、もしそうでなければ、前回で見たように自動詞を使うか、存在文の形をとるだろう。

 自動詞の受け身文:

 雨が降った→雨に降られた

 彼が死んだ→彼に死なれた

 「降る」も「死ぬ」も自動詞だから、〈対象(目的語)〉への働きかけや意図や作為を持つものではない。そもそも〈対象〉を持たないのだから、〈対象〉を主語にした受け身文が作れるワケがない、というのが英文法である。ところが日本語では受け身文が作れる。しかも〈主語〉抜きで。

 これをどう考えるか? 

 ヒントは前回のフォーカスの移動にあると思う。文の書き換え問題として考えてはダメなのだ。フォーカスの違う二つの文として考えてみる。

 雨が降る・・・〈自動・自発〉事態A

 事態A(雨が降る)によって影響を受けた→雨に降られた・・・→(困った)事態B

 事態A(雨が降る)自体には特定の対象(「誰に」とか「何に」)も影響を及ぼす意図も作用もないが、その事態Aによって影響を受けたことを表現する言い方である。影響を受けるのは人(私・彼)でも物(塗り立てのペンキ)でも事(運動会)でもかまわない。とにかく何らかの影響(多くは迷惑や予想外のこと)を受けたのだが、その原因は事態Aだ、という意味である。

 影響を受けた内容(事態B)についても直接には語っていない。普通はそれに続けて「困った」とか「運動会が中止になった」とかの事態Bを語るのだが、多くの場合は文脈の中で示唆されており、省略してもかまわない。

 ようするに「受け身」表現のポイントは「影響を受けた」という1点にある。

 と考えると「迷惑の受け身」だけを日本語に特殊な例外と考えるより、そもそも日本語の「受け身」表現は英語と違う原理に基づいているとしたほうがスッキリする。つまり他動詞・自動詞の区別(すでに疑問を提示した)に関わりなく「影響を受けた」ことにフォーカスした表現だと言ったらどうだろう。

 彼が私を見た(事態A)→(私は)彼に見られた(受け身文)→「嬉しかった」「恥ずかしかった」「困った」(事態B)

 他動詞「見る」でも、「見られる」の受け身文は単なる書き換えではなく、事態Bのような影響を受けたことを表している。影響の内容は文脈によるが、やはり「迷惑」や「被害」の場合が多い。

 道路を作った→道路が(ヲ)作られた

 議案を否決(可決)した→議案が(ヲ)否決(可決)された

 お金を取った→お金が(ヲ)取られた

 ハンカチを落とした→ハンカチが(ヲ)落とされた

 他動詞でも受身形にすると「迷惑」「被害」等のニュアンスを含むほうが自然だし、助詞〈ヲ〉を使うとさらにそれが強まる。ニュアンスを込めずニュートラルに表現するには受け身を使わず、対応する自動詞を使う。

 というわけで、日本語の述語(動詞)は「ある」(存在・自発)系と「する」(作用・意図)系と「される」(受け身)系を座標軸に展開すると考えたらどうだろう。

 その中でも特に日本語的な考え方が「受け身」と言える。「ある」(存在)もただ存在するというよりは、何かの影響を受けて存在していると考えるのが自然である。その深部には〈受苦的存在〉とか〈存在の非拘束性〉とかの思想(仏教的)が感じられなくもない。

 ついでに宗教性に触れてみよう。

 A:(神が)雨を降らす→雨が降らされた

 B:雨が降る→雨に降られた

 自分(人間)の意志や力ではどうにもならない事(自然現象など)によって影響を受けた場合、その影響を与えたものに対する畏怖や崇敬の念が生じるのが原始的な宗教観念だとしよう。

 Aの場合、「雨を降らす」という他動詞の後ろには主語(神)があり、その意志や作用が働いているから、宗教観念は現象(自然)の上位にある人格(神)に向かう。ここでは神と雨の関係があるだけ。

 それに対してBの「雨が降る」という自動詞には上位の人格は存在せず、現象(自然)自体に意志や作用が働いているように受け取られる。つまりここでは「雨」が人格(神)となる。そしてその影響を一方的に受ける〈人〉がいる。ここに日本語的なアニミズムを見ることができるかもしれない。

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日本語の思想 鈴木ムク @muku-suzuki

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