3・3 時間の相貌(1) 

 死の観念が時間の観念を生んだんじゃないか、とぼくは感じている。もし不死なら、締め切りのない仕事と同じで、いつやってもいいしやらなくてもいい、そもそも「いつ」ということ自体が意味を持たない。永遠の今があるだけだ。たぶん死の観念を持たない動物は、死の直前まで「今」を生きているだろう。

 じつは、いつでも「今」があるだけだ。死がそれぞれの「今」に長さや深さや彩りを与える。始点と終点が与えられてはじめて線の長さが測れるわけだが、当人には自分の生の始まり(の瞬間)も終わり(の瞬間)も経験(意識)できないところがなんとも・・・ね。

 それはともかく、ここでは日本語の時間把握のあり方について考えてみる。

 駅に表示される電車の発車案内に次のような表記をよく見かける。

  「こんど 特急 ○○行、

   つぎ 普通 ○○行」

 さて、特急と普通のどっちが早く来るのか?

 こう書くと「あれっ」と迷うかもしれないが、実際にホームに立っていて迷うことはない。「こんどは特急が来るんだな、そのつぎが普通だ」と自然に理解している。これはどうしてか?

 時間には2種類ある、と言われる。ひとつは自分が渦中にあって経験している時間、これを主体時間と呼ぼう。明日が1日経過すると今日になり、さらに1日経過して昨日になるように変化し、流れる時間である。(マクタガートの言う「A系列」)。

 もうひとつは流れの外部から流れを見て対象化し、計測する客観的な時間、これを客体時間と呼ぼう。8時は10時より前で6時より後、というような前後関係としての時間で、これは時間の経過があっても変化しない。(マクタガートの「B系列」)。明治時代は昭和より前という前後関係は10年後も100年後も変わらない。これが変わってしまうようだと、歴史はおろか物理法則も因果律も成り立たない。そのため、この客体時間こそ時間の本質だとする考え方もあるが、そこには重大な欠陥がある。

 客体時間は歴史年表やカレンダーや時計などで示されるが、そのどこにも「今」がない。カレンダーには日付や曜日が書かれていても、今日が何月何日かは書かれていない。外部から基準点(今、当日)を指定されてはじめて機能するのだ。時計の針が指し示すのは「今」の時刻ではなく、文字盤の数字なのである。

 もちろん主体時間にも深刻な問題が生じる。経験するのはいつも「今」だから、「今だけが存在する」という「独今論」や、さまざまな矛盾も呼び込むだろう。

 主体時間と客体時間は相互に補完しあうもので、どちらか一方だけを取り出すから無理(矛盾)が生じるのだ、という常識はたぶん正しい。だけどそこには、平均寿命(客体時間)と自分の死=寿命(主体時間)のように、決定的な断絶があるのも事実である。人はそれぞれ、平均寿命ではなく、自分の寿命(人生)を生きるだけだ。平均月収ではなく自分の月収で暮らすのだ。しつこいようだが、毎日が自腹の賭なのだ。それでも人は難なく普通に過ごしているのだが・・・

 時間に関しては哲学的にも非常に深刻で興味深い問題が提起されているようだが、ここでは日本語に即して考えていく。

 つまり先の例では、「こんど」という言葉は主体時間に属し、「つぎ」という言葉は客体時間に属していて、系列が異なるのである。にもかかわらず、ホームに立つ人には「こんど」が先だと分かるのは、その人がそのときまさに主体時間の中にいて、その系列で時間を捉えているから、主体時間が優先されるのだ、と思う。

 来週の日曜日を言うとき「今度の日曜日」も「つぎの日曜日」も同じ日をさすが、再来週の日曜日を言うには「そのつぎの日曜日」と言えても「その今度の日曜日」とは言えない。「次のつぎ」は言えるが「今度の今度」はただ「今度」を強調するだけである。「今度の台風は大きい」は、すでに台風が発生していて、近づきつつあるか、その影響下にあるか、である。「次の台風は・・・」の場合、その台風が発生しているか否かに関わらない。「今度」は話者の現在を基準として自分に到来するものを指すのに対し、「次」は任意の基準点での前後関係を指すだけで、話者への到来の有無は問わない。

 たぶんどんな言語にも主体時間・客体時間の区別があり、話者はそのときどきの関与(企投)のあり方に応じて使い分けているはずである。

 ここ(時間表現)は、生きる主体と共に言葉が生まれ活動する言語のライブ空間とも言えよう。これからそのライブに出かけよう。

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