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 函館を襲った大津波の3日後、この津波の原因は特殊な地震だった、と気象庁が発表した。なんでも、内浦湾で起こった、揺れを伴わない特殊な地震が函館のみに津波を起こし、甚大な被害をもたらしたのだとか。函館市街は砂洲の上に広がっていることから元来津波に弱く、そのため、このような大きな被害が出たのだというのが気象庁の説明だったが、私は、それが嘘であることを知っている。

 もっともらしく発表した気象庁だって、理論的に説明が付くような現象ではないと承知していて、でも、これほどの大災害に対して「原因不明」などと言うわけには行かないから、仕方がなく「特殊な地震」という曖昧な表現でごまかし、お茶を濁しているのではないか。そんなふうに思われた。


 『平成28年函館津波地震』と無味乾燥な名称を与えられた津波災害による死者・行方不明者数は、発生から2週間で10,000人を超えた。人的被害の全容はまだ明らかになっておらず、どれほどの人が犠牲になったのか想像も付かないような有様だと、現地からは伝えられている。

 今のところ、公式発表されている死者・行方不明者に兄の名は含まれていない。数えられていないのは、同居している家族である父が、行方不明の届け出を出していないためか、それとも別に理由があり、なかったものとされているのか、それは定かではない。なんとなく、後者ではないかという気はする。誰の――何者の力が働いているのか、それについては、おそらく詮索しない方がよいのだろう。

 兄の行方については父が悟っており、父から聞いた私も、聞いた直後こそ動揺したが、今ではすっかり諒解してしまっている。兄さんは、海に還った、と。父も私も納得しているのだ。だからもう、それでよい。

 きっと他にも、家族の誰かが海に還った家はいくつもあるのだろう。そして残された者達は納得してその事実を受け止めているのだ。函館は、そういうことが起こる町として皆が知った上で住んでいる、そういう土地なのだろう。何故か私にはそうした認識が抜け落ちていただけだ。


 ――本当に、何故なのだろう。


 職場では、津波災害についておおいに心配される日々が続いている。ろくに話したことがない、名前もわからないような人まで、「ねぇ、ご家族は大丈夫だった?」などと、深刻な顔で尋ねてくる。

 「えぇ、兄が行方不明になりましたけど、別に」

 さらりと答えると、人それぞれに大袈裟な反応が返ってくる。泣かんばかりに更なる心配の言葉を掛けられたり、心配じゃないのかと詰られたり。

 「まぁ……仕方ないですから」

 答えながら、心の中では呟く。

 ――心配? どうして? 兄さんは今、きっと海の中で幸せにしてるのに。

 私の様子に何か不気味なところでもあるのか、向こうから声を掛けてきたはずなのに、最後には皆、たじろいで会話を切り上げて、すっ、と去ってしまう。私としては別に一向構わない。どうせこんなことでもなければ、「存在を認識している」以上の何物でもなかったような人達だ。この人達はただ、「実家が災害に遭った同僚を心配する」という行為をしたいだけだろう。人間として。別にこっちはそんなこと望んでないし、あなた達の同情芝居に付き合う義理はないと、心の底から思う。



 そんなことよりも。


 最近、夢を見るようになった。その内容は、函館に帰省していた時に見ていたものと似ているが、イメージはより鮮明で、更に生々しさを増している。


 海辺に立っていると、黒くて大きい何かの気配を感じる。私を呼んでいるとわかる。怖い。怖くてたまらない。自分が自分でなくなるような、恐ろしい気持ちがするそうかと思うと、暖かい海の中でのびのびと気持ちよく泳いでいる。前方に母がいて、隣には兄がいる。私は母や兄と同じ姿をしている。あぁ、とても楽しい。

 恐ろしいか楽しいか、両極端な夢に、私は毎夜圧倒されている。だから、職場にいても仕事以外のことになんか気を回している余裕はなくて。――仕事も。できているのかどうか。今は怒られたりしていないから、できているのかな。そうは思う。思うのだけど自信はない。


 津波災害から3ヶ月も経つ頃には、私は極力外出せず、ベッドで1日のほとんどを過ごすようになった。多分とっくにクビになっていると思うが、気にならない。函館までの片道切符を1枚買えるだけのお金だけ残っていればどうにかなる。だから大丈夫だ。

 

 海が、母が、兄が、私を呼んでいる。

 黒くて大きいもの。それが何なのか、そろそろわかりかけてきそうな気がする。



 





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函館異聞―神住まうまち― 金糸雀 @canary16_sing

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