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 翌日、同じフロアで働く人達に「帰省したので、よかったらこれ、お土産です」と一言添えながらトラピストクッキーを配って回った。普段私は、旅行などに行ってもお土産を配ったりはせずに済ませるのだが、今回はせっかく父がお土産に、と持たせてくれたお菓子があるから、と思ったのだ。

 「へえ、里帰りしてたんだ。何年ぶり?」「ご家族と会ったのも久しぶり? いい親孝行になったんじゃない?」といった言葉には、曖昧に笑って当たり障りのない受け答えをした。どうせこういうのは、本音のやりとりをしたいわけじゃない。礼儀としてお土産を渡したら、礼儀としてこういう質問をされるだけ。そう自分に言い聞かせながら。


 父に電話を入れなければ、と思いながらなんとなく機会を逃し、そうこうするうちに、あの帰省から1ヶ月ほどが経った。今年の梅雨明けは早く、7月初旬だというのに、街には既に夏の空気が充満している。温泉に漬かっているような、生温く湿っぽい関東の夏の暑さには、上京して何年経っても、慣れることはできそうにない。きっと一生慣れないままだろう。夏は始まったばかり、まだまだこれからだと思うと、げんなりした気持ちになる。

 函館市街に大津波が押し寄せたというニュース速報を、私は、夜、クイズバラエティー番組を観ている途中で目にした。

 「函館に大津波 波高5m以上 死者・行方不明者多数か」

 そのテロップはまるっきりの不意打ちだった。私はクイズどころではなくなり、NHKにチャンネルを変えた。

 NHKは災害時の特別編成で、津波とその被害について伝え続けた。津波の規模は大震災の時のものより遥かに大きく、起こりうる最大の津波を想定したものだったはずの、津波ハザードマップの予測をも大きく上回るものだった。奇妙なことに、この津波は地震に伴うものではなく、前兆らしい前兆もなかったという。ベイエリアは軒並み波に洗われ、住人も観光客も、大勢が被害に遭ったと思われるが、その全容は想像も付かないという。


 実家の辺りは標高が高いから、さすがにこの規模の津波でも無事なはずだとは思ったが、私は特別番組を見ながら実家に電話をかけた。今度も呼び出し音3回で父が出た。

 「もしもし。和美か」

 「お父さん。今、テレビ見てるんだけど。そっち、津波来てるって。大丈夫?」

 「あぁ、こっちは大丈夫だ。函館山の麓だから、さすがにな。――ただ、アイツは」

 「兄さんがどうかした? まさか外に出てたの? もしかして」

 「あぁ。海に還ったな。多分。これでいいんだ」

 「そんな……」

 言葉にならなかった。

 兄のことについて、帰省を終えて戻ってきてから改めて考えた。私は今まで、兄が引きこもりになった理由を一種の甘えだと推測していた。なまじ大学卒業まで順風満帆で過ごしてしまったせいで、社会に出てみたら厳しさに耐えられなかったのだろう、と。その裏には、私は兄さんほどいい大学には行けなかったし、就職活動にすごく苦労したけど、でも、私は引きこもりになんかなっていない、それなのに兄さんはなんだ、という反感もあったのは確かだ。

 それが、そうではなかったようだと悟り、兄に対して申し訳ない気持ちになると同時に、今度会う時にはもっとしっかり話そう、と考えていたのだ。しかし、「今度」の機会はもう、なくなってしまった。


 黙ってしまった私に気付いていないのだろうか、なるほどこれが今回の生贄か、さぞ満足だろうな神様も、という父の冷静な声が、電話口の向こうから聞こえる。

 「これって、そういうことなの? これが、この前言ってた、近いうちに起こるっていう……?」

 『生贄』という単語にハッとして尋ねた。津波に呑まれた人々のうち、住人のほとんどは海――あるべき場所に還ったが、観光客の命は、神様が獲ってしまった。贄として。そういうことだろうか。

 「あぁ。多分な」

 父はみなまで言わずとも察したらしい。はっきりと言い切った。

 「まさか、こんな形で……驚いた」

 「まぁ厄介な神様だってことだ。俺が生きてる間にはもう、ねぇといいけどな」

 「……うん」

 なんとも返答しづらかったが、こういった災害が起こらないに越したことはないから、と考えてそう答えた。

 「まぁ、帰ってきたくなったらいつでも来い」

 私はその言葉から二重の意味を感じ取り、こちらも二重の意味を込めて答えた。

 「そうする。いつになるかわからないけど。――じゃあね」

 ありがとう、と呟きながら通話終了ボタンを押した。


 ――お父さん、私は確かに化け物かもしれないけど、でも、お父さんの子供であるのも確かだから。だから、また帰る時は、待っていて。ちゃんと、会いに行くから。


 そんな言葉は、今更すぎて伝えられなかった。


 私は、テレビに目を戻した。スタジオでは、津波被害について何度も同じことを繰り返し伝え続けている。現時点で明らかになっていることがあまりにも少ないので、わかっている限りの情報をこうして繰り返すしか、ないのかもしれない。

 何故だろう。気付くと涙が流れ始めていて、わけがわからないまま泣いて泣いて泣き続けて、泣き疲れてそのまま眠ってしまった。



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