第35話 Lipsで京介が酔い潰れて。

 〇神 千里


 Lipsで京介が酔い潰れて。

 俺はその場をアズに任せて、事務所に戻った。


 打ち上げ会場では、聖子が知花にベッタリなままで…

 つい…


「おい。そろそろ知花を返せ。」


 聖子の腕を取って言うと。


「…やだ。」


 酔っ払った聖子は、これ見よがしに知花をギュッと抱きしめて俺を睨んだ。

 聖子の腕の中では、知花が苦笑いしてる。


「…京介が酔い潰れたぞ。」


「知らない。あんな奴。」


「アズが介抱してるから心配はねーけど、おまえの方が重症だな。」


 ため息をついて腰に手を当てる。


 やれやれ…

 浅香夫婦…

 めんどくせーな。


「…あたしが重症って、どういう事よー…」


「聖子、ちょっと飲み過ぎちゃったね。お水持って来ようか?」


「知花…あんた、可愛いうえに優しい…大好き!!」


 ギューッ。


 聖子は、さらに知花を強く抱きしめる。


「く…くるし…」


「おい。知花を絞め殺す気か?」


 さすがにほっとけなくなって、少し強引ではあるが…聖子から知花をはぎ取るように離した。


「あーっ、もう…」


「…知花、先に帰ってろ。」


 知花も聖子の様子が気になってはいるみたいだが、真顔の俺に押されたようで。


「…うん…じゃあ…聖子の事、お願いね…?」


 心配そうな顔のまま、うつむいてる聖子を見つめた。


「ああ…瞳。」


 そばに来た瞳を捕まえて、アズがLipsにいる事と、知花を帰す事を伝えると。


「じゃ、あたし達タクシーでLipsって店に行くわね。そこで圭司と京介さん拾って知花ちゃんをホテルに送り届けるから、心配しないで。」


 何やらゴキゲンな様子で、『任せといて』と威張ってくれた。



「…さて。」


 ロビーのソファーに、水を持って聖子と並ぶ。

 俺もそこそこに飲んではいたが…酔えなかったな。

 せっかくいいステージを観て、豪快に酔っ払いたかったのに。

 それもこれも…

 京介が知花を抱きしめた事から始まったんだぞ。

 おまえら夫婦、どうしてくれよう。



「京介に不満があるのか?」


「……」


「知花への気持ちが再燃したのか?」


「……」


「里中を忘れられないのか?」


「なっ…!!」


 里中の名前を出した途端。

 それまで、俺にそっぽを向いて座ってた聖子は。


「何言ってんのよー!!」


 俺をボカスカと殴り始めた。


「うおっ…おま…やーめーろ!!」


 ったく…

 知花の猫パンチとは違って、聖子のは可愛くないし…

 痛い。


 俺は聖子の腕をガシッと取って。

 ギュッと。



 抱きしめた。





 〇桐生院知花


「ふあああああああああ~…」


「……」


 千里が、大あくびしてるのを、あたしは自分で淹れた紅茶を飲みながら眺めた。



 夕べ…

 あたしは瞳さんにホテルまで送ってもらって。

 一人で…千里を待った。

 だけどなかなか帰って来なくて…

 ソファーでテレビを見ながら、寝てしまってた。


 すると…


「知花、風邪ひくぞ。」


「ん…」


 千里に起こされて…

 でも眠くて…

 目を閉じたままでいると。


「しゃーねーな…」


 千里、あたしを抱えてベッドに運んでくれた。


 …いつも思うんだけど…

 こうされると、お姫様になった気分…って。

 いい歳して恥ずかしいから、誰にも言わないけど。


 千里は…あたしの王子様だー…って。

 心の中で、一人で喜びを噛みしめて…………ん?って思った。


 ベッドにおろしてくれた時…千里の首筋から…聖子の匂いがした。

 …それからは…何だか…

 眠気が飛んでしまって…

 結局、あたしは眠れなかった。


 色々…考えて…考え過ぎて。

 千里がベッドに入って、あたしを抱きしめても…

 聖子と…何してたの?って…気になって…

 寝たふりをしたまま、目を閉じてた。



「……」


「…な…何?」


 ふいに見つめられて…少し動揺すると。


「顔色悪いな。」


 千里はあたしの頬に触れた。


「……」


「疲れたか?」


「うん…少し…」


「今日はここでのんびりするか?」


「…んー…」


「おまえが心配するような事は、何もなかったぜ?」


「……え…っ?」


 千里は小さく鼻で笑うと。


「どうせ、聖子の移り香か何かで変に疑って落ち込んでたんだろ?」


 あたしの頭を撫でながら言った。


「ど…」


「分かるさ。」


「な…」


「聖子がどうだったかって、全然聞いてこねーから。」


「……」


 かーっ…と。

 あたし、赤くなったと思う。


 恥ずかしい。

 バカだ。

 バカだバカだバカだバカだー!!



 両手で顔を隠して首を振ると。


「バーカ。」


 千里はあたしの頭を抱き寄せて…


「どれだけ俺がおまえしか見えないっつったら、信用してくれんだ?ん?」


 あたしの手を除けて…チュッて…キスをした。


「……」


「俺は、おまえが死ねっつったら死ぬぜ?」


「なっ…そっそんな事言うわけないじゃない!!」


 チュッ。


「嫌いになったら言ってくれ。」


「い…い言わないし…嫌いになんか…」


 チュッ。


「おまえに嫌われたら、生きてけない。」


「…そんなの…」


 チュッ。


「そんなの?」


「…あたしだって…」


 チュッ。


「マジで、俺にはおまえしかいねーよ。」


「…ほんとに…?」


 チュッ。


「これ以上、何を言ったら分かってくれる?」


「…どうしよう…」


 チュッ。


「何が…」


「…涙が出ちゃう…」


「あ?」


 もう、それは…驚くほどのスピードで。

 あたしの目から、ポロポロと涙がこぼれて。

 千里はそんなあたしを小さく笑いながら抱きしめて。


「愛してる…知花。」


 耳元でそう言って、膝に抱えて…目元に、頬に、唇に…キスしてくれた。



「おまえの大事な聖子の事だから、真剣に話を聞いてやったが…ここで一人で待ってたおまえは不安だったな。悪かった。」


 千里が謝る事なんてないのに…あたし、なんて我儘なんだろう。

 聖子の事は心配だったクセに。

 夕べは千里を頼もしいって思ったクセに。


 帰って来るのが遅かったから。

 千里から聖子の匂いがしたから。

 そんな事で、すぐに良からぬ想像をして…不安になって…


 千里は、いつだって…ちゃんとあたしに愛を与えてくれてるのに。

 あたしは、それを受け止めて大丈夫って思えてたはずなのに…

 すぐに…不安になる悪い癖…



「さ、吐き出してみろ。」


「…っ…」


 どうして…千里には分かっちゃうの?


「ほらほら。言え。」


 …千里の手が。

 あたしの頭に、背中に。

 温もりを与えてくれるみたいに、優しい。



「…ほん…っ…と、は…怖いの…」


 ステージの上は…楽しかった。

 本当に、最高だった。

 なのに…スイッチが切れて、ふと我に戻った時…

 これから、この緊張感とプレッシャーを毎日のように感じなくちゃならない。

 その時あたし達は…どう変わって行くんだろう…って…



「そりゃそーだろーな。デビューして、ずーっとおまえらは影のままだったからな。」


「…今更…だよ…ね…あたし…ほ…んと…」


 …情けない…


 そう思うと、余計涙が出た。



「…夕べ、歌ってるおまえを、映が女神だって言った。」


「……」


「ふっ…女神が、あんなヘヴィな曲歌うかよって思ったが…」


「……」


「歌ってるおまえは、マジで…神だ。」


「……」


「シャレじゃねーぞ?」


 千里は、コツンと額を合わせると。


「何も怖くねーよ。おまえは今まで通り、仲間を信じて歌うだけだ。」


 すごく…優しい声で言ってくれた。


「…でも…」


「今は離れても通信アイテムが充実してる。」


「……」


「あの頃の俺達のままじゃない。今の俺達は最強だろ?」


 どれだけ…拭われても。

 あたしの涙は止まらない。


「…あた…あたし…っ…すごく…めんどくさい…よね…」


「知ってる。」


「…ごめ…」


「他の奴なら勘弁してくれって思うが、おまえのは大歓迎だ。」


「……」


「他には?」


「……」


「不安な事、全部言え。またか。って思っても、繰り返し言ってやる。それでおまえが安心するなら、地球の裏側にいる時だって、おまえの不安にも愛にも全部応える。」


 ギュッ…と。

 千里の首に抱き着いた。


 あたしは…歌う事が楽しいのに。

 その時が来るのが怖いとも思ってる。

 自分達で決めた事。

 メディアに出て、ビートランドを変える。

 みんなで…決めた事。



「…あたし…病気だね…」


「なんで。」


「……聖子と千里を疑うなんて…」


「ふっ。俺なんて、しょっちゅう疑ってたぜ?」


「でも…」


「なら俺も病気だな。」


「…どうして…?」


「俺もおまえも普通って思ってるから。」


「……千里。」


「ん?」


「大好き…ほんとに…」


「ああ。分かってる。」


 隙間がなくなるほど…千里を抱きしめた。

 千里はそんなあたしに応えて、背中に回した手の…指先にまで、気持ちを込めてくれたように思う。


「大丈夫だ。」


 耳元で聞こえる千里の声を。

 目を閉じて…

 息遣いまでも…


 残さず、聴きとめた…。





 〇神 千里


「あー、あの頃は早乙女が憎らしくてたまらなかったな。」


「…どうしてセン?」


「茶とか花とか、おまえと話が合ってただろ。」


「あ…う…んーと…でもそれは…」


「ま、いいとこの生まれって事で共通の話題があるのは仕方なかったが…早乙女がこれまた…いい男だからな…めちゃくちゃ妬いたぜ。」


「そ…そうだったんだ…」


 ソファーで知花を膝に抱えたまま。

 なぜか俺は…

 過去のヤキモチ話を知花に聞かせている。

 おまえのヤキモチなんざ、大した事ねーんだよ。って事を証明するために。


 だが…

 口に出してみると…


「…俺、めちゃくちゃカッコ悪いな…」


 知花の鎖骨に頭を当てて、うなだれる。

 マジ、カッコ悪いぜ…


 大昔は…どうだった?

 俺は、知花以前に付き合った女に対して、束縛とか……あるわけねーか。

 …本気で付き合った事もねーし、知花みたいに心底惚れた女もいなかったからな…



「…千里はカッコ悪いって思うかもしれないけど…あたしは嬉しい…かも…」


 頭に知花の手の感触。

 …少しは復活したか…?


「ヤキモチがか?」


「…ヤキモチが…って言うか…千里がこんな事、話してくれるのが…。」


「ああ…そっか。」


 こういうくだらねー話を、知花はずっと待ってたんだっけな…。

 本当はもっとひどいヤキモチもあるが…それはあまりにも俺が情けないから、今話すのはやめておこう。



 夕べ、ロビーのソファーで聖子を抱きしめた。

 めんどくさかったからって言うのもあったが、京介に知花を抱きしめられた事を思い出したからだ。


 京介が見てないのが残念だったが、聖子をギュッと抱きしめると…


「何すんのよーーーー!!」


 案の定…聖子は俺を突き飛ばした。


 くっそ…

 酔っ払いのクセに、力いっばいやりやがったな…。


 聖子自身、不安定になっている理由が分かっていないようだった。

 だが…やっぱり一つ一つ話を聞いていくと。

 結局は、メディアに出るという決断に揺らされていると分かった。


 聖子を応援しているつもりでも、過剰なぐらい過保護になった京介が鬱陶しいとか。

 やたらと知花の話題を振って来て、それには喜んで話に乗ってしまってると、いつの間にか京介まで知花に詳しくなって来てて面白くなかったりとか。


 そして…


「…里中さん…って…何なの…」


 聖子は、里中の話になると、声を潜めて眉間にしわを寄せた。


「あー…偶然なんだけどな…」


「…何…」


「里中がストリートで歌ってた頃に…おまえ、通ってただろ。」


「…応援してただけなんだけど…」


 聖子は何なら少し俺を睨むぐらいの視線だったが。

 それはだんだんと焦点が合わなくなって。


「たまたま…ほんとにヒマだったから…」


 ついには、俺に背中を向けるほどになった。

 …分かりやすい奴。


「…ま、京介とは結婚する前だったし…別に心配はしてなかったけどな。」


「当たり前じゃない。別に…何もなかったし。」


「…里中の上着を抱きし」


「なんだろー!!何だか走りたくなったんだけどー!!」


 俺の言葉を遮って立ち上がった聖子は。

 猛烈なスタートダッシュをかましたつもりだったんだろうが…

 フラフラと床に倒れ込んだ。


「…バカかおまえは。酔っ払ってんだぜ?」


 聖子の隣にしゃがみ込んで腕を掴む。


「人の気持ちに戸は立てられねーしな。」


「…それを言うなら、人の口でしょ。」


「気持ちも同じだろ。京介はどうする気だ?ってまくし立てて、お前が最後に残してたつもりの建具が壊れてもなーと思って…見ないフリしてた。」


「…建具って…何それ…あたしのは…」


 ゆっくりと立ち上がってソファーに戻った聖子は。

 真っ黒な黒髪で顔を隠すようにして。


「あたしのは…知花の時も…その時も…建具なんてもんじゃなかったわよ…」


 少し涙声で言った。


「…おまえのダムは立派だな。」


「…そうよ。」


「ついでに、決壊させんなよ。」


「…当たり前じゃない…京介はあたしがいないとダメなんだから…」



 里中は…バンドでフロントマンをしてた割りに、地味だ。

 だが、関わってみると分かる。

 人間として、めちゃくちゃいい奴だって事が。


 優柔不断に見えてそうじゃない所とか。

 言いにくい事もハッキリと口にして言ってくれる所とか。

 多少腹の立つ事はあっても、あいつのキャラなのか…なぜかそれは許してしまえる。


 聖子が惚れても、おかしくはない。




「…お腹すいちゃった…」


 俺の腕の中で、知花が小声で言った。


「奇遇だな。俺もだ。」


 額を合わせて。

 ついでに唇も合わせて。


「着替えて食いに行くか。」


「うん。」



 昨夜の聖子と、今腕の中にいる知花の事を思うと…

 昨日あれだけのステージを見せたSHE'S-HE'Sのメンタル面が心配になった。


 後で野郎達にも連絡をしてみるか…。

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