第34話 「おまえの嫁さん、肩ほせーな。」

 〇神 千里


「おまえの嫁さん、肩ほせーな。」


 水割りを飲む京介を真ん中に挟んで。

 俺とアズはビールを飲んだ。

 打ち上げの最中だが、少しだけ抜け出して飲もう…って事になった。


 それでLipsに。


 今夜もショーンがそこにいて、『F'sが三人も来てくれた!!』と喜んだが、今夜は歌わねーよ。


 映は打ち上げの前には病院の付き添いに戻ったし、会場を覗くと知花は本気でAngel's Voiceの女達と聖子とで盛り上がってた。

 そんなわけで…の、Lips…



「殺されたいのか(怒)」


「まあまあ。聖子ちゃんが代わりに殴ってくれたじゃん。」


 さっきから京介はため息ばかり。

 あー、辛気くせーな。


「…さっき、神の嫁さんに『里中が聖子を七生って呼ぶ』って話したら、俺の苗字だから呼びにくいんじゃないかってさ。」


「あー、それは一理あるかもだよねー。ずっと京介って呼んでたのに、『浅香』とはさー。」


「俺を浅香って呼ぶわけじゃねーじゃん。」


「でも聖子って呼び捨てにされたらムカつくんだろ?」


「うっ…」


「俺みたいに『聖子ちゃん』って呼ぶように健ちゃんに言っておこーかー。」


 全く…

 めんどくさい奴だな。


「だいたい…里中はついこの間まで知花に惚れてたんだ。聖子と里中の線はない。」


 あまりにも京介が面倒臭くて。

 里中、許せ。と思いながら、勝手に里中の片想いを暴露する。


「えっ!?」


 京介とアズ、二人して大きな声を上げた。


「…気付かなかったのか?結構バレバレだったと思うけどな。」


「し…知らなかったー…」


「マジかよ…まあ…オタク部屋で一緒に居たりしたから…か…」


 二人は瞬きをたくさんして、ぐいぐいと酒を飲んだ。

 そして、俺に小さく『ごめん』と。

 なぜか、謝った。


 別に、どうって事はない。

 里中は信用できる奴だ。



「まあ、聖子ちゃんにも浮気の影みたいなのはないでしょ。知花ちゃんと一緒の時間が多いから、男と会う時間なんてのもないはずだよー?」


 アズが何の気なしに言った言葉。

 俺には、少しモヤモヤと引っ掛かるが…無言でスルーしてると…


「あいつ…知花ちゃんに恋してるような目をする時あるんだよな…」


 京介が、グラスの氷を揺らしながら言った。


「あー。そう言えば、瞳も言ってた。聖子ちゃんは知花ちゃんの彼氏みたいだって。」


「神がいけないんだぜ?知花ちゃんに可愛い格好させてさ…あれから聖子が知花ちゃんに抱き着くようになって…」


「まあ仕方ないよねぇ…あの知花ちゃんには、瞳も抱き着いてたよ。最近ツーショットの写真たくさん撮ってた。可愛い妹ーって。」


「…アズんとこは姉妹だからいいとしてさ…聖子の場合、恋愛対象って目をしてる気がすんだよな…」


「んー…昔から一緒にいるからじゃない?」


「…あいつがいつも抱きしめるから…それで、俺もつい…抱きしめてみた…」


 最後の方は、俺の機嫌を伺いながらの言葉だった。


 俺は二人の会話を耳に入れながら、俺が知ってる限りの聖子の恋愛遍歴を頭の中で確認していた。

 …知花を好きだと告白されて以降…

 聖子は奇跡的に、京介と付き合い始めた。

 だが、結婚間近になって…里中に惚れた。らしい。


 どうなる事かと思ったが、聖子は京介と結婚したし、子供も二人産んだ。

 人見知りが激しくて、意外と手の焼ける京介とケンカしながらも…聖子は幸せなんだとばかり思ってたが…

 確かに、知花に可愛い格好をさせ始めてから、知花が俺以外の奴に抱きしめられてるのをよく見かける気がする。

 まあ、その大半が身内か女だが。



「…俺も明日聖子を抱きしめとこう。」


 ビールを飲みながら真顔で言うと。


「殺す。」


 京介は俺に顔を近付けて、低い声でそう言った。



 …ふっ。

 冗談に決まってるだろーが。





 〇高原夏希


「正直…なぜって言う思いが強くて、面白くなかったです。」


 急遽打ち上げが始まって。

 ポールとライアンがビール片手に、申し訳なさそうな顔をした。


「でも今日ハッキリ分かりました。F'sとSHE'S-HE'Sは…別格です。」


 Lady BがSHE'S-HE'Sのカバーをして、さぞかし演りにくい事だろう…と思ったが。

 まずは、F'sがLady Bの衝撃を忘れさせてくれるほどのステージを見せてくれた。


 つい二週間前に世界に配信したF'sのライヴ。

 あの日は新曲あり人気曲あり、さらにはデビュー曲からスタートするという、メリハリのあるセットリストで。

 F's、過去最高のステージだと思ったが…

 マノンもナオトもいない。

 臼井も脱退した状態での新生F'sが…今日のステージ、たった五曲で。

 それを塗り替えたと言っていい。


 正直、手に汗を握った。

 千里は天才と言われているが、そう思わされるほどの努力をしている事も知っている。

 圭司もギタリストとして成長したが…千里は、圭司とツインリードを張れるぐらい、ギタリストとしても評価できる。


 そして、DEEBEEを脱退してF's加入に名乗りを上げた映。

 臼井の所に通ってレッスンしただけある。

 今までのプレイスタイルを捨ててまでの覚悟、十分に伝わった。


 京介も…特に、ここ数年でさらにテクニックをつけたと言っていい。

 …人見知りは酷くなった気がするが。



「…SHE'S-HE'Sのメディア進出は…本当に世界が揺れる事になりますね。」


 ライアンのワクワクした目に、小さく笑う。


 …本当に。

 まさか、あそこまで…と驚いた。

 思えば…メディアに出ないという事で色んな噂を立てられた事もあったり…

 本人達は嫌な想いもしただろう。

 家族にもそんな思いをさせる…と、苦悩もあったはず。

 それでもあいつらは…楽曲作りと練習を怠らなかった。

 ライヴが年に一度あるかないかでも。



「それにしても…ケンのオペレーションも見事でしたね。」


 ライアンが思い出したように里中を誉め、辺りを見渡して本人を探した。


「ああ。頼りにしている。」


「エンジニアとしていい腕を持ってるのは知ってましたが…ぶっつけであそこまで出来る腕を持ってたなんて。あ、ケン!!」


 里中を見付けたライアンは、大きく手を振って里中を呼んだ。

 すると…なぜかポールが静かにどこかへ消えていった。


「…ポールと里中は、何かあったのか?」


 オーディションの前に、オペレーターをハリーと里中に任せる話をした時も。

 ポールは少し目を細めた。

 なぜあいつが?と言わんばかりの表情で。



「あー…もう昔の話なんですけどね…」


 ライアンは苦笑いをしながら。


「ポールとケンは…」


 俺に一歩詰め寄ると。


「グレイスを取り合ったんですよ。」


 小声で、そう言った。


「………は?」


 俺が驚いてキョトンとしている所に。


「お疲れ様でした。」


 里中がやって来た。





 〇里中健太郎


「…?なんでしょう?」


 あまりにも高原さんが目を丸くしてる気がして。

 俺に手招きしたライアンと高原さんを交互に見ながら問いかけると。


「あー…はは…悪い悪い…あの事喋ったら、ニッキーが…」


 ライアンは苦笑い。


「あの事?」


「おまえが…ほら、ポールと…」


 俺が、ポールと…


「……」


 高原さんは、めったに見ないような…本当に珍しい表情で俺を見てる。

 何なら顔の横に『キョトーン』って文字を並べたいぐらいだ……って、そんなのはどうでもよくて…!!



「あー…あれか…」


 頭をポリポリと掻きながら、苦笑いをした。



 昔…俺はグレイスと付き合った。

 グレイス…

 沙都のプロデューサーだ。


 結婚を考えた事もあったが、俺は修理業に必死になり過ぎて、約束も守れなくなって。

 ポールから、『グレイスを解放してやれ』と言われた。


 解放?


 俺は縛り付けてるつもりもないのに…そう言われた事がショックだった。



 グレイスとは13歳離れてる。

 大人びてる女性だが…いい歳したおっさんに振り回されてるんじゃないかと思うと、それも不憫に思えた。


 あまり自分の事を話さないグレイスに、結婚願望があるかないかも知らなかったし…

 何より、13年上の…音楽リタイア男となんて。と、自分から身を引く覚悟をした。


 別れを告げた時、グレイスは何も言わなかった。

『そう』と一言だけ。

 それが彼女の優しさや強さなのかもしれない…と勝手に解釈した俺だったが、その後グレイスとポールが付き合っていると噂を聞いて…いたたまれなくなった。


 ポールめ…

 おまえなんて14離れてるし、音楽バカでグレイスを放置するのは目に見えてるだろーが!!

 内心、憤慨した。


 結婚経験のない俺とは反対に、ポールは三度も結婚と離婚を経験していて。

 俺から言わせると…

 グレイスを四度目の失敗に付き合わせるな!!だったが。

 一度、二人が一緒にいる所を目の当たりにして…余計な心配だったと思った。


 笑顔のグレイス。

 俺が最後に彼女の笑顔を見たのは…いつだっただろう。



 それがキッカケになって…帰国する事にした。

 自分で終わらせたクセに、アメリカに居続けるメンタルを失っていた。

 だが、帰国は正解だった。

 両親の事や、音楽屋でも扱えない修理品と向き合う事で、グレイスの事もポールの事も忘れる事が出来た。

 そして…知花ちゃんに出会って…

 グレイスの時とは違う、まるで初恋を思わせるような淡い恋心を抱いた。


 今思えば、幻想だったな。

 だいたい、彼女は神の嫁さんで。

 俺の恋心なんて、全くリアリティに欠けると言っていい。

 すぐそばにいたのに、高嶺の花過ぎた。



 …これからグレイスにもポールにも、会う事は増えるだろう。

 今日グレイスは、突然突き付けられた田舎町への沙都のツアーに同行しているらしく、それを知った時…

 会わなくて済む。

 そう思った。

 ホッとしてるのか、残念だったのか…どっちかは分からない。



「グレイスは…瞳の妹なんだ。」


 ライアンが食べ物を調達して来る。とどこかに消えた所で、高原さんが言った。


「……」


 その言葉を聞いた俺は、開いた口がだんだんと大きくなっていくのが自分でも分かった。

 何なら、顎が外れたと言ってもいいほど…気付いたら、大きく口を開けてしまっていた。



 今…高原さんは…なんて言った?


 グレイスは…瞳ちゃんの…妹?


 って事は…


「た…た…高原さんの……む…」


「色々複雑なんだが…瞳が産まれたのは周子と別れた後でね。」


「…はい…」


「周子は、それからジェフという男と結婚したんだ。」


「ジェフ…」


 打ち上げが始まって。

 俺は高原さんに誘われて(眠かったが断れるはずもない)、ビールを片手にパーティー会場の隅っこにいる。


 ステージが終わって、一気に疲れが来た。

 ホテルも取る暇なかったから、ここの仮眠室で…と思ったが。


 ………目が覚めた。



「グレイスは、周子とジェフの娘だ。」


「…彼女は、あまり自分の事を話さなかったので…」


 そうだ。

 本当に…話さなかった。

 ただ…家族はいない。とだけ…


「幸せな幼少期ではなかったからな…」


 高原さんの遠い目が、何を意味するのかは分からなかったが…

 今更グレイスに同情した所で、俺にはもう…何もしてやる事も出来ない。

 自分から手を離したんだ。

 そして…もう別々の人生を歩いてるし、以前あった特別な気持ちも…今はない。



「…ポールとは…?」


「グレイスが結婚した話は聞かないな。」


「そうですか…」


「俺はポールと付き合ってる事も知らなかったけど。」


「……」


「ま、おまえと付き合ってた事も、さっきライアンから聞いて知ったぐらいだ。俺にプライベートな事までは話さないだろう。」


 今は…沙都のプロデュースに必死かもしれない。

 今回、沙都があんな仕打ちを受けて、それはグレイスにとっても屈辱だったはずだ。



「…誰しも結婚が絶対的な幸せとは限らない。」


 俺が複雑な顔でもしていたのか、高原さんは腕組みをして、少し遠い目のままで言った。


「仕事に打ち込む事がそうかもしれないし、特定のパートナーと居る事より、仲間達との時間を選ぶのが最善な事もある。」


「…そうですね…」


 まさに、今の俺がそれだ。

 神と知花ちゃんを見て、羨ましいと思う事はあっても…あの夫婦は特別だからな…

 真似しようと思っても出来る物じゃないし。

 何より…あの二人に憧れるのは、奥さんが知花ちゃんだからだ。

 四六時中、彼女の技術の語りを聞いてあげたい…なんて、オタクもいい所だが。



「…もうグレイスに気持ちはないのか?」


「…すみません。」


「謝る事はない。」


「…でも…何となく、すみません。」


「そうか…」


 高原さんはワインを一口飲むと。


「知花の事は諦めがついたのか?」


 斜に構えて…少し意地悪そうな笑顔で言った。


「……」


 どうしてバレてる!?

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