第29話 「経過はどうだ?」

 〇東 朝子


「経過はどうだ?」


 そう言って…目の前で頭を下げてるのは…


 ビートランドの会長、高原夏希さん。


 映のおじいさんでもあるんだけどー…なぜか映は、今も…高原さんを前にすると…カチコチになる。


「だ…だいぶ、いいみたいです。」


 持って来て下さった花を手にしたまま、映は立ちっぱなし。



 …やっと、顔の皮膚移植を受けた。


 海君を庇って、出来た傷。

 残してても意味のなかった傷。

 あの頃のあたしは、この傷のおかげで海君を繋ぎとめて、この傷のせいで自分の首を絞めてた。


 …映と出会って、想い合って…

 やっと、この傷と別れる決意が持てた。



 六月に詳しい検査を受けて、あとはあたしの気持ち次第…って言われて。

 あたしとしては、もういつ受けてもいいぐらいにはなってたけど…

 色んな事情で、今になった。



「今夜、外出許可は無理だったか。」


 高原さんはそう言って、首をすくめる。


「まだ少し痛みがあるので…」


「そりゃそうか。まだ術後四日か。」



 今夜…急遽、こっちの事務所のホールでオーディションが行われる事になったそうで。

 F'sとSHE'S-HE'Sもそれに参加するらしい。

 …って言うか、なぜかメンバーが揃ってるって…不思議。


「せっかく音楽から離れて水入らずなのに、申し訳ない。」


 って、わざわざお見舞いに来て下さった。

 この人がどんなに忙しい人かは…あたしも知ってる。

 だから、あたしもちょっと恐縮なんだけど…



「たぶん、映もうずうずしてたはずだから…ちょうど良かったです。」


 あたしが映を見上げて言うと。

 相変わらず花を持ったままの映は、少しだけ目を細めて苦笑いをした。


「…志麻から連絡は?」


 そう聞かれて、え?って思ったけど…

 そっか…

 気になって当然…

 高原さんは、咲華さんのおじいさまでもある。


「やっと…メールが来ました。」


「…そうか。」


「仕事でドイツとイタリアを行ったり来たりしてるから、付き添えないけど頑張れ…って。」


 今までだったら…絶対、そばにいてくれたお兄ちゃん。

 検査の時も、現場に前倒しで行くことにして付き添ってくれた。

 大丈夫だって言っても、妹の面倒を見るのは当然だ…って。


 …だけど、今思うと…

 あのすべてが、ダメだった気がする。

 お兄ちゃんは…あたしのために、咲華さんとの時間を削ってた。

 世間知らずのあたしは、お兄ちゃんがあたしにしてくれる事は当然みたいに思ってて…


 ああ…


 咲華さんとお兄ちゃんが別れたって聞いた時は、すごくショックで。

 さらには…海君と咲華さんが結婚したって聞いて、もう…言いようのない黒い気持ちも湧いた。

 あずきに来てくれた咲華さんは…罪悪感の塊だった。

 …本当は、あたしがそうなのに。



「…高原さん、咲華さんのおうちには?」


 首を傾げて問いかけると。


「時間があれば寄ってみようとは思ってる。」


 高原さんは、足を組んでそう答えた。


「じゃあ…行ったら伝えておいて下さい。あたしが、手術を受けた事。」


 まだ顔半分は包帯だし…笑うと皮膚が引きつるから、無表情のままだけど。

 あたしは…海君と咲華さんの幸せを願ってる。って…気持ちを込めて言った。

 すると、高原さんも映も…優しい顔になって。


「伝えておくよ。」


 高原さんは…あたしの頭を撫でてくれた。


 ……なんだろ。



 ご褒美をもらえた気分…。




 〇里中健太郎


「ホンマ、むちゃくちゃやな。」


 ハリーの愚痴を聞きながら、俺は…うっすらと目を開けた。

 そして、ここがアメリカで…俺は数時間前にここに到着したのを思い出した。


 空港に着いて間もなく、高原さんから電話があった。


『あ、里中?今夜早速オペーレーター頼む』


「はい?」


『中ホールでオーディションだ』


「…誰のですか?」


『こっちのアーティストと、F'sとSHE'S-HE'Sだ』


「はい?誰ですって?」


『F'sとSHE'S-HE'Sだ』


「…えーと…」


『揃ってるんだ』


「……」


 揃ってる。

 なぜ。

 どうして。

 神と知花ちゃんは新婚旅行中だよな。

 他のメンバーも旅行中だよな。

 なのに、なんで揃ってるんだ?


『こっちの奴らが俺の免除組に全く納得してない。だったら目の前で見せて分からせるしかないなと思って』


「…なるほど………で…今夜…って…」


『六時スタートだ。来たらすぐ動いてくれ』


「……」


 鬼ですか!!



 当初、俺はさくらさんと共に日本に残ってフェスに向けての段取りを組むはずだった。

 その俺がこっちに来た理由は…


 一昨日、朝霧の息子、朝霧沙都の新曲のデータを高原さんから送られて来た事がキッカケだ。

 それまでの作品と比べて雲泥の差で…音作りが悪い。

 どう思う?と聞かれて、素人がやったとしか思えない。と答えた。


 他のアーティストは完璧に仕上げてあるのに…沙都の音源だけが劣悪な音作りだ。

 なぜ彼のだけがそんな事に?


 三年前、こっちのトップが変わった。

 その頃、俺はアメリカのビートランドを離れて、街の小さな楽器屋で修理業に専念していた。

 ビートランドを辞めてすぐにでも帰国すれば良かったのに…

 色んな事が気にかかって、ダラダラとアメリカに留まってしまってた。


 そんな中での、トップが変わったと言うニュース。

 元Shoe Sizeのポールは俺より一つ年上だが、気のいい奴で在籍中は仲良くしていた。

 だが…些細ないざこざが原因で会話もなくなり、その内俺は事務所を去った。


 俺が社長に就任する事や、沙都がオーディション免除なのが気に入らなくて…の子供じみた理由での仕業ではない事を祈りつつの渡米。

 いくら離脱したとは言え…一時期は同じ物を目指した仲間だ。

 そして…これからも、同じ事務所の者として…切磋琢磨していくためにも…白黒ハッキリさせなきゃならない。


 ビートランドは…

 高原さんの、高原夏希の物だと言う事を。



「……」


 三つ並べた椅子に横になったまま、ハリーの動きを眺める。


 里帰りしてた…か。

 映がDEEBEEを抜けて、もうすぐ一年になる。

 その映は今やF'sのベーシストというポジションを、不動の物にしたと言っていい。

 映の抜けたDEEBEEには、ハリーがサポートではなく…正式に加入した形ではあったが…

 メディアには、ほぼ出ていない。

 もしかしたら、ハリーも高原さんも…

 あの頃から気付いていたのかもしれない。

 …DEEBEEの限界を。



「里中来てるか。」


 あー、鬼の声が聞こえるー。

 俺はそう思って、椅子の上で横になったまま腕組みをして目を閉じた。


「来てますよ。来てますけど…あれ。」


 ハリーはそう言って、おそらく…時差ボケで撃沈状態の俺を指差してるはず。

 時差ボケ対策する予定だったんだ。

 最近寝不足だったし、ちょうどいいと思って。

 寝溜めするぞ。って意気込んでたのに。

 出来なかったんだ……て言うか…

 眠らせてもらえなかった。



「それもそうか…じゃ、前半はハリーがメインで動いてくれ。これがエントリーシートだ。」


「ラジャー。」


 ハリーはずっとこっちでエンジニアをやっていた。

 だから、前半のメインをやってくれるのは頼もしい。


 高原さんの気配が消えて。

 ハリーは椅子を引っ張って俺のそばまで来ると。


「ふーん…ま、さほど前と変わったセットはないし…前半はええとして…後半のF'sとSHE'Sは自前機材やないから、勝手が違うんちゃいます?」


 パラパラとエントリーシートを眺めながら言った。


 …確かに。

 あいつらも、まさかここでやるとは思ってなかっただろうからな…

 特に音作りにシビアな早乙女なんて、ピリピリしてないだろうか。



「…もう全員来てるのか?」


 椅子から起き上がりながらハリーに問いかける。


「揃うてるみたいですよ。ちーさんはボイトレして来る言うてはったから、スタジオや思うけど。SHE'Sはミーティングルームで選曲中らしいですわ。」


 選曲中…な。

 確かに、F'sはともかく…SHE'Sは、こんな状況で出来る曲を選ぶのは困難かもしれない。


 大きく違うのは…島沢だ。

 ここ数年の間に、コンピューターを導入した島沢。

 それまでシンセサイザーやエレピを四台使っていたのを、コンピューターの導入に寄って二台に減らす事が出来た。

 知花ちゃんと瞳ちゃんを引き立たせるコーラスパートをそれで被せる事も出来るし…

 島沢のマニピュレーターとしての腕は、俺も見習いたいぐらいだ。


 歳を取っても知識を得る事を止めない。

 ある意味…SHE'S-HE'Sの要と言っていい存在かもしれない。



「ちょっとSHE'Sのとこ行って来る。」


 椅子から起き上がって、少し体を動かすと。


「了解っす。スタッフとの打ち合わせもしとくし、里中さん少しゆっくりして来てええですよ。」


 何とも頼もしいハリーの言葉。


「…じゃ、鬼軍曹に見つからない所で。」


「ははっ。鬼が鬼に鬼言うてる。」


「俺も鬼かよ。」


「大御所にまでダメ出しする鬼ですやん。」


 現場をハリーに任せて、俺はホールを出る。

 ビルの造りがどの事務所も同じっていうのは助かる。

 迷子にならなくて済むからなー。



「おう。眠そうだな。」


 一階上がるだけだから階段で…と思いかけて、体力消耗を避けるためにエレベーターの前にいると、神が階段から降りて来た。


「急な話で。」


 差し出された拳に、こちらも拳を合わせる。


「全くな…揃っちまったのが運のツキだが、高原さんも相変わらずだ。」


「思い立ったら即…だもんな。」


「どこへ?」


「SHE'Sが選曲中って聞いて。」


「ああ…」


 神はだるそうに髪の毛をかきあげると。


「今日、実際はこっちの奴らのオーディションなんだが…あいつらにはライヴって言ってある。」


 声を潜めて言った。


「…あ?」


「たぶん俺らも、こっちの奴らに評価されるだろうからな。」


「…なるほど。緊張させないためか。」


「ふっ…過保護だよな。」


 SHE'S-HE'Sはステージ経験があまりない。

 そこに立ってしまえば、堂々たる風格を見せ付けるが…全員そこそこに緊張はするはずだ。

 しかも今日は自分の機材で挑むわけじゃない。

 そんな状態で敵陣に評価されると知ったら…

 …間違いなく、あいつらは上がる。



「過保護でもないぜ。最善を期待するなら、知らない方がいいだろ。」


「高原さんの意向でもあるからな…」


「…高原さんから沙都のデータをもらって、こっちに来た。」


「ああ…俺もさっき聴いた。ポールは何が気に入らねーんだろうな。沙都はこっちからデビューしたって言うのに…まるで日本を目の敵にしてる感じだ。」


「……」


 もしかしたら、俺のせいか…?とも思ったが、それは口にしなかった。

 もう昔の話だ。


 俺は…そう思いたい。

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